「倒れても立ち上がり」
0

    2017.8.11

    KiKiゴスペルライヴツアー2017が

    釧路市まなぼっとで

    行われました。

     

    妻と帰省中の長男、そして

    ご近所にお住まいの友人で

    この日が誕生日をお迎えになるAさんを

    バースデイご招待ということで

    お誘いし

    ご一緒にまいりました。

     

    KiKiさんの魂からこみあげてくる

    ような歌声は

    すごい迫力で

    とても4度目のがんの再発の中にあって

    闘病生活を

    送られている方とは

    思えないほどのパワーで

     

    多くの聴衆の皆さんが

    励ましや力を

    いただいたように感じました。

     

    KiKiさんの

    トークを聴きながら

    私の周囲で

    目がしらを抑えている方が

    少なくありませんでした。

     

    心に沁みわたるコンサートでした。

     

    KiKiさんが

    ピンクリボンの活動で

    必ず唄われている曲で

    この日も唄われた「愛の光に包まれて」の

    歌詞は会衆の中で

    試練の中にある方々に

    とても大きな勇気を

    与えたと思います。

     

    ・・・折り返しの部分・・・

     

    倒れても立ち上がり

    また 歩き出す

    何度も 何度も

    また 歩き出す

     

    ・・・・

    KiKiさんご自身

    4度目の病の再発を

    知らされた時には

    心が折れそうになったと

    おっしゃっておられました。

     

    KiKiさんの

    もうひとつのオリジナル曲VICTORYの

    歌詞も

    自らの体験と重なり合う歌詞でした。

     

    夢を追いかけてきた いつの時も

    何度もあきらめそうになった

    その度に

    たとえ困難が立ちはだかろうとも(乗り越えられる)

    信じる力 希望がすべての(命をつなぐ)

     

    ・・・折り返し・・・

     

    越えなければならない

    試練と闘い続けること

    古い自分を脱ぎ捨て

    新たな思いを抱くなら

    辛くて 苦しくて

    どうしようもない時も

    目指すゴール 見えている

    必ずつかむことができる

    ・・・・

     

    KiKiさんが

    トークの中で

    強調されたことは

     

    1.どんな苦しみにも

    必ず意味があること

    (たとえ、今は、わからなかったとしても)

     

    2.その意味を与えて下さる

    愛の神がおられること

     

     

    この日のバンドの皆さんの

     

    演奏は素晴らしく

     

    いずれも

    日本のトップレベルの

    技術をもって

    活躍されている方々ばかりで

     

    KiKiさんは

    このような秀でた音楽家の方々との

    つながりを

    もっておられるのだなあと

    驚きました。

     

    でも

    さらに素晴らしいことは

    KIKIさんが

    苦しみの中でも

    生き生きとしておられるのは

    十字架で

    私たちの罪のために死んで葬られて

    蘇られて

    今も目には見えないけども

    生きて働いておられる

    主イエスとの

    親密なつながりをもっておられることです。

     

    釧路のゴスペルクワイヤの
    パワープレイザーズの皆さんも
    KiKiさんと共演できる恵みを
    満喫されていました。
    クワイヤの皆さんも
    この日に向けて練習を積んで
    こられました。
    帯広でも翌日
    連続の共演となります。
    メンバーの中には
    さまざまな試練の中に
    置かれていた方も
    少なくありませんでしたが
    KiKiさん同様
    祈りながら神様に助けをいただきながら
    本番を迎えられたと
    聴いています。

    アンコールの
    EVERY PRAISEの
    バンドの皆さんもKiKiさんも
    パワープレイザーズの皆さんも
    一列になって肩を組んで
    ごあいさつして下さいました。
    あったかい愛の雰囲気が
    会場を包み込みました。
    この日、KiKiさんと
    共演された
    パワープレイザーズの
    皆さんの
    ゴスペルライヴが
    11月5日(日)に
    予定されています。
    メンバー募集中とのことです。
    「私にはとてもできない」と決め込まず
    まずはご連絡くださり
    お気軽に
    練習風景を
    見学されてみては
    いかがでしょう。
    現在のメンバーの方は
    皆さん、最初は
    初心者からのスタート
    でも
    ゴスペルがもつ
    魅力、楽しさを
    味わっておられるようです。
    練習の様子も
    とても和気あいあいと
    楽しそうです。
    4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、
    窮することはありません。
    途方にくれていますが、
    行きづまることはありません。

    4:9 迫害されていますが、
    見捨てられることはありません。
    倒されますが、滅びません。

    4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、
    それは、イエスのいのちが
    私たちの身において明らかに示されるためです。
    (新約聖書 競灰螢鵐硲粥В検腺隠亜
    みなさまのワンクリックは
    大きな励ましとなります!
    カテゴリ:- | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「真心こめて」
    0

      86歳で、主イエスのもとへと

      召されたAさんの葬儀が

      キリスト教式

      家族葬にて

      無事守られて行われました。

       

       

      通常、キリスト教式の棺は

      規格上190センチと

      大きめのサイズのため

       

      今回はAさんのお体に合わせて

      色合いも

      故人のお人柄に

      ふさわしいものを

      ご遺族と相談の上

      選ばさせていただいました。

       

       

      いつも真心こもった

      湯灌をしてくださる

      納棺師のBさん

       

      このたびは

      何とAさんの指に

      丁寧に

      マニキュアを塗って

      下さいました。

       

      感動しました。

       

      (ご遺族の方のご了解のもとに写真を

      掲載させていただきました。)

       

      Aさんは

      斎場に運ばれた晩には

      腕が硬直して

      胸元に引き寄せるような

      お姿でしたが

       

      Bさんが

      丁寧にやさしく

      関節を忍耐強く

      もみ続けて下さって

      腕を自然な姿に

      下ろしてくださいました。

       

      このような営みは

      もちろん

      葬儀の「費用」を越えた

      真心こもった奉仕です。

       

      たくさんのご葬儀をこなされている

      Bさんですが

       

      その真心こめた

      誠意あるお仕事ぶりに

      とても教えられ

       

      私自身も

      真心こめて

      Aさんとご遺族の皆様のために

      全力で

      準備させていただこうと

      励みに

      させていただき

      とても感謝でした。

       

      Aさんは15年間にわたり

      釧路市内の

      認知症対応のグループホームで

      生活されていました。

       

      9年間

      Aさんの介護にかかわった

      職員の方が

      仮前夜式、告別式においでくださり

      まるで自分の母親を

      見送るかのように

      涙にむせびながら

      やさしい告別のおことばを

      かけながら

      悲しみを表現されていました。

       

      何度も何度も

      棺のAさんのお顔をご覧になりながら

      ハンカチで目を覆い

      「Aさん、ありがとうございました。」

      と繰り返されていました。

       

      そばでその様子を見ていた私は

      とても感動を覚えました。

       

      知らない人が見たら

      「この人が最も身近なご遺族の方なのだろう」

      と思うほどに

      真心がこもっておりました。

       

      ご遺族の方々も

      この職員の方の対応に

      慰めを受けておられました。

       

      Aさんは2カ月ほど

      入院を余儀なくされましたが

       

      入院先の看護師さんが

      驚いたことは

      寝たきりのAさんのお体に

      床ずれの痕が
      全く見られなかったということです。

       

      「どれほど

      施設職員の皆さんが

      まめに体勢を変え続けて

      下さったことか」

       

      病院食は

      食べられないと

      下げられてしまう規定が

      ありがちですが

       

      施設入所中の

      Aさんにおかれては

      とろろ芋や

      とろみ剤などを用いて

      工夫して

      栄養摂取が

      潤滑にできるように

       

      真心込めた

      介護計画が

      職員の皆さんの手で

      実践されていたことを

      伺いました。

       

      その施設の管理者の方と

      お昼ごはんをご一緒に

      いただきながら

      色々と為になるお話を

      管理者の方から承りました。

       

      施設では

      入浴においても

      その利用者さん一人一人にとっての

      適温と感じる温度を意識して

      お湯の温度を調節する必要があるとか・・・

       

      同じ食事メニューであっても

      利用者さんお一人お一人の

      味の濃淡の好みによって

      工夫を凝らされるなど

       

      その真心こもった

      利用者さんへの接する姿勢は

       

      わたしたち家族が

      家庭でお互いに

      仕え合う上で

      模範とさせていただくことが

      少なくない

      そう

      感じさせられました。

       

      私などは、家庭で

      自分がお風呂から出た後

      次の人に知らせる時に

      「お風呂、いいよ〜」

      と言うだけで

      次の人が快適と感じる温度など

      考えることは

      乏しかったです。

       

      神様や人にお仕えする場合

       

      「何を、どれだけ行うか」よりも

      「真心こめて行うか」が

      はるかに大切であることを

       

      つくづく教えられました。

       

      今回

      私が、Aさんの訃報を受けたのは

      午後8時台

       

      着替えて

      車を病院へ走らせ

      霊安室についた時には

      ちょうど入れ替わるように

      ご遺体が

      斎場へ運ばれた直後でした。

       

      即座に

      斎場へ向かい

      Aさんのご遺体に向かわせて

      いただいた時に

      まっさきに

      印象深く

      私の目に焼きついたのは

      Aさんの

      そのお美しい白髪でした。

       

       しらがは光栄の冠、

      それは正義の道に見いだされる。

      (旧約聖書 箴言16:31)

       

      年寄りの飾りはそのしらが。

      (旧約聖書 箴言20:29)

       

      Aさんの娘さんは

      母親であるAさんが

      第3者に

      髪を切っていただく場合

      ありがちな

      いわゆる介護しやすい短い

      「施設カット」となることを厭いました。

       

      いつまでも母親に

      女性らしい長髪を

      整えてあげたい

      その真心から

      自ら母親の髪を切られるように

      なったとのことでした。

       

      Aさんは

      第1回釧路きもの着付研究所

      1級講師認定を受けたお方で

      旅行に行かれる時は

      いつもお着物を

      お召しになっておられました。

       

      Aさんの娘さんの

      そのような姿勢に

      共感を覚えた

      他の利用者さんのご家族も

      次々に

      模倣されて髪を切られる

      ようなったとのことです。

       

      どんなに

      お年を召されても

      女性としての美しさ

      尊厳を保つようにという

      真心こもった

      接し方は

       

      Aさんの娘さん

      そして

      納棺師のBさんに

      共通するものでした。

       

      その人が

      どのような状況にあろうと

      創造主がデザインしたもう

      女性としての美しさを

      尊重する姿勢は

      変わらない。

       

      納棺師は

      男性であるか

      女性であるかよりも

       

      故人を

      人として尊ぶ人であるか

      さらには

      男性として尊ぶ人であるか

      女性として尊ぶ人であるか

      が大切なのだなあとも

      思わされました。

       

      私は9年前にAさんの

      ご主人のご葬儀の

      司式も担当させていただきました。

       

      ですから

      ご遺族の方々の多くと

      9年ぶりに

      お会いしました。

       

      お食事をいただきながら

      ご遺族の方々同士の中にも

      9年ぶりにお会いし合う方も

      少なくないことに

      驚きました。

       

      そうだなあ〜

      親戚がお互いに顔を合わせるのは

      こういう機会でもないと

      なかなか見いだしがたいものなのだなあと

      思いました。

       

      私も9年ぶりに再会

      ご遺族同士も9年ぶり・・・

       

      何か自分も

      ご遺族の一人に仲間入り

      させていただいているかのような

      嬉しい

      気持ちになってまいりました。

       

      葬儀を終えて

      ご遺族の皆様と

      お別れをする時に

      何かお一人お一人に対する

      いとおしさが

      こみあげてまいりました。

       

      また、この方に会いたい・・・

      そんな思いに駆られました。

       

      ご遺族の皆様が

      ひとり残らず

      イエス様を信じて

      天国への希望を抱いてほしい

       

      真心こめて

      お祈りすることが

      これからの

      私の務めと思わされているところです。

       

      今日の釧路は

      雨の涼しい天候

      お盆を前にして

      早くも秋の足音が聞こえているかのよう。

       

      私たちはあなたによって楽しみ喜び、

      あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、

      真心からあなたを愛しています。

      (旧約聖書 雅歌1:4)

       

       

      1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、

      慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
      1:4 神は、どのような苦しみのときにも、

      私たちを慰めてくださいます。

      こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、

      どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

      (新約聖書 競灰螢鵐判顳院В魁腺粥

       

       

       

       

       

      みなさまのワンクリックは
      大きな励ましとなります!
      カテゴリ:- | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「死は終わりではない」
      0

         

        昨晩、家族葬で行われた

        キリスト教式の

        召天仮前夜式

        (仏式では、仮通夜にあたります。)

         

        悲しみの中にも

        主の平安と慰めが

        満ちていました。

         

        賛美歌が唄われ

        祈りがなされ

        聖書のことばを通して

        慰めの神が

        参列者のこころに

        寄り添って下さる・・・

         

        通夜においては

        悪鬼からご遺体を守るために

        ろうそくの火を絶やさないように、と

        いう言い伝えがあり

        それを忠実に守ろうとするあまりに

        それでなくても

        悲しみで

        心身ともに疲弊している

        ご遺族の方々が

        睡眠不足となり

        お体の不調をきたすことも少なくありません。

         

        しかし

        キリスト教式葬儀では

        前夜式に

        ろうそくの火を

        必要とはしません。

         

        聖書のことば

         

        121:3 主はあなたの足をよろけさせず、

        あなたを守る方は、まどろむこともない。
        121:4 見よ。イスラエルを守る方は、

        まどろむこともなく、眠ることもない。

        (旧約聖書 詩篇121:3〜4)

         

        そうです。

        主なる神が

        24時間、眠ることもなくまどろむこともなく

        ご遺体を見守っていて下さるという

        信頼のゆえに

         

        ご遺族の方々に

        おかれては

        聖書のおことばに信頼して

        安心してお体を休めていただくことを

        お勧めできるのです。

         

        「眠たい目をこすりながら

        代わりばんこに

        起きていなくたっていい」

        ことになります。

         

        故人もきっと

        「私のために

        疲れ果てないでほしい

        と願うことでしょう。

         

         

         

        遺影の上に掲げられた十字架

         

         

         

         

        私どもの教会では

        飾花(献花)を行う時には、

        花を伏せないで

        オアシスの上に

        心をこめて

        思い思いの場所に

        立てて

        挿していきます。

         

        皆が挿し終わると

        このように

        オリジナルの

        飾花用ミニ花園

        ができます。

         

        葬儀屋さんに

        花の祭壇づくりを

        いっさいお任せするよりも

        このように参列者の思いが込められた

        オリジナルミニ飾花祭壇は

         

        世の中にたった一つの

        花の祭壇として

        お互いの

        心にも残ることでしょう。

         

        この日の召天前夜式で朗読された

        聖書箇所

         

        よく言っておくが、肉体を持ったまま神の国に入ることはできない。

        朽ちゆく肉体が朽ちない神の国に入ることなどできないのである。

        私はあなたがたに神の隠された真理を教えてあげようと思う。

        私たちクリスチャンは、死んでそれでおしまいではない。

        やがて栄光の体に変えられる。

         

        「あなたがたは心を騒がしてはなりません。

        神を信じ、またわたしを信じなさい。

        わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。

        もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。

        あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

         わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、

        また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

        わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」

        (新約聖書 コリント人への手紙第一 15章51〜53節、ヨハネの福音書14章1〜3節)

         

        「死は終わりではない」

         

        死は終わりではない!

         

        1)死は、終わりではなく、

        神の国に入るための「着がえ」のよう

        ・・・肉体をもったままでは神の国に入れない・・・

         

        2)死は、終わりではなく、

        天の父の住まいへの「転出(瞬間移動:ワープ!)」のよう

        ・・・あなたがたに場所を備えたら・・・

         

        3)死は、終わりではなく、

        愛に満ちた主イエスとの「同居生活の始まり」のよう

        ・・・わたしのいる所に、あなたがたもおらせるため・・・

         

        主イエスは、言われました。

        わたしは、よみがえりです。いのちです。

        わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

        (ヨハネの福音書11:25)

         

        主イエスのことばを

        信じる者にとっては

        死は、終わりではない、のですね。

         

        最近、日本でもようやく「終活」をテーマに

        自らの死の備えを考える

        営みが芽生えてきたようですが・・・

         

        その場合でも

        葬儀の備えはできても

        死後の備えが不十分のようです。

        (こちらの備えの方がはるかに重要)

         

        結婚式の準備よりも

        結婚生活の準備の方が

        はるかに重要なのと

        同じ・・・

         

        結婚式は一瞬で終わりますが

        結婚生活は死ぬまで続く

         

        葬式も一瞬で終わりますが

        死後の世界は、永遠に続く

        (永遠の喜び(天国)か、永遠の苦悩(地獄)か)

         

        まだまだ「死」を

        話題にすることを

        タブー視する傾向が

        根強くあります。

         

        それは「死=終わり」というイメージが

        強いからではないでしょうか。

         

        聖書では

        キリストを信じる者に対して

        「永遠のいのち」を

        明確に約束しています。

         

        私は、浄土真宗の家系で

        生まれ育ちました。

         

        浄土真宗の教えにも

        「永遠のいのち」に似た概念として

        「無量寿」というようなことばが

        ありますが

         

        しかし、はかない存在の人間が何故に

        無量寿にあずかれるのか?

        阿弥陀さんといっても

        どうもとらえどころのない存在で

        ピンと来ないし

         

        私のような罪深い人間は

        死んだら

        地獄へ行くに違いない

        自分の心の

        醜さは

        誰よりも

        自分自身が知っている

         

        そう思っていた

        18歳の時に

         

        聖書を通して

        歴史を支配される

        聖なる

        天地の創造主がおられて

         

        その創造主なる神が

         

        私を愛して

        私の罪のために

        愛するひとり子

        イエスさえも

        この世に送られたこと

         

        主イエスが

        罪深い私の身代わりに

        十字架でさばきを受けられて

        死んで

        葬られた後

         

        三日後に

        よみがえり

        今も生きておられ

        信じる者のうちに

        住まわれること

         

        主イエスを

        信じるならば

        主イエスが流された血に免じて

        罪ゆるされ

        神の子とされて

        天国のいのちにあずかれることを

        知って

         

        イエスを個人的に

        救い主として

        心に迎え入れる決意を

        してから36年

         

        私にとって

        何にも代えがたい喜びは・・・

         

        人が主イエスを救い主と信じて

         

        罪のゆるしと

        永遠の命と

        体のよみがえりの

        望みに満ちて

        感謝と喜びをもって

        人生を歩まれること・・・

         

        みなさまのワンクリックは
        大きな励ましとなります!
        カテゴリ:- | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        釧路の回転寿司
        0

          長男坊が

          帰省中ということもあり

          家族3人で

          回転寿司店へまいりました。

           

          いつも釧路にいると

          わかりませんが

          釧路以外から来られる方々は

          釧路の回転寿司の

          ネタの大きさに

          驚嘆し感動されるようです。

           

          息子もその一人です。

           

          釧路に本店を置く

          某回転ずしチェーン

          に美味しい数々のネタ

          を仕入れておられる

          お一人に

          私どもの教会の仲間Aさんがおられます。

           

          新鮮で生きのいい

          海産物の買い付けから、検品、

          なんと、時には、

          お得意様のお店のお皿洗い

          に至るまでこなされ

           

          道内はもとより

          絶え間なく国内外を

          動き回り

          主イエスを模範とする

          その謙遜、柔和、誠実な

          お人柄は

          ビジネスにおいて

          顧客の皆さんから

          大きな信頼を得る

          もととなっているようです。

           

          Aさんは

          いつも聖書のことばと祈りを

          大切にされ

          感謝と喜びをもって

          たゆまぬ笑顔で

          ビジネスに励まれています。

           

          しかも

          多忙なビジネスの合間を縫うようにして

          誰が見ていなくても

          教会堂の清掃をされ

          学校前で

          聖書配布の奉仕をされたりもし、

           

          主イエスの教会を愛し

          地域に

          仕えておられます。

           

          回転寿司店に入るたびに

          Aさんのことを

          思い出しては

          感謝しています。

           

          ちなみに

          私が

          回転寿司で

          最初に食べるメニューは

          サバですかねえ。

           

          家でもよくサバの缶詰(サバ缶)を食べます。

           

          「あの人は・・・だ!」と

          外見で、

          安易に人を「裁かん」ように・・・

           

          すべての裁きは神のもの・・・

          と自らに言い聞かせつつ

           

          私にゆだねられた務めは、

          ひたすら神の前で人のことをとりなし、

          祈ること

           

          お魚をさばくことはあっても

          決して人をさばくことを

          しない者で

          ありたいです!

           

          さばいてはいけません。

          さばかれないためです。
          あなたがたがさばくとおりに、

          あなたがたもさばかれ、

          あなたがたが量るとおりに、

          あなたがたも量られるからです。

          (新約聖書 マタイの福音書7:1〜2)

           

           

           

           

          みなさまのワンクリックは
          大きな励ましとなります!
          カテゴリ:- | 07:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          「飲み水を運ぶ」
          0

            長年住んでいた中標津から昨年秋に

            引っ越した札幌市で

            生活している母を訪ねました。

             

            私たち夫婦のために

            冷やし中華を作って

            もてなしてくれました。

            妻は、具ざいを切りながら

            「おかあさん、たれに何を入れているんですか〜?」

            冷やし中華のたれの

            作り方を

            色々と教わって

            いました。

             

            母の居住地は

            地下鉄駅も近く

            大規模店舗もあり

            利便性は中標津と比べて

            抜群に良いようですが

             

            夏の暑さで言うと

            中標津のそれと異なり

            コンクリートの照り返し熱が残るため

            なかなか厳しいものが

            あるようです。

             

            ただし冬場は

            中標津での時のように

            除雪の心配がありません。

             

            時々プールに通って

            水中歩行をして

            健康管理に努めている母

             

            中標津では

            水道水が

            美味しく飲めましたが

            中標津の水道水に

            慣れていた母にとって

            札幌市内の水道水は

            飲むことは困難のようで

             

            絶えず飲み水を

            ペットボトルで

            補給しなければなりません。

             

            数年前

            肩の手術をして

            重たいものを

            持つことは禁じられている母

             

            私は、

            近所の大規模店舗の地下2階で

            買い物袋に入る限り

            大きなペットボトルの水を

            詰め込んで

            購入して運びました。

             

            来月は

            釧路の我が家に

            ぜひ泊ってと

            妻がやさしく

            お招きしています。

             

            この日、私は

            母のために

            ペットボトルの

            「体のための飲み水」運びしか

            できませんでしたが

             

            いつの日か、

            母のために

            「魂のための飲み水」運びも

            できたらと願い祈っています。

             

            札幌市でも

            釧路市でも

            夏祭りがたけなわ。

             

            かつて

            主イエスが

            ある祭りの終わりに

            大きな声で

            おっしゃったおことばを

            思い出します。

             

            さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、

            大声で言われた。

            「だれでも渇いているなら、

            わたしのもとに来て飲みなさい。
             わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、

            その人の心の奥底から、

            生ける水の川が流れ出るようになる。」

            (新約聖書 ヨハネの福音書7:37〜38)

             

            ペットボトルの水は

            何度も何度も

            運ばなければなりませんが

            主イエスを信じる者の心の奥底から

            流れ出る水をいただくことができたら

            どれほど素晴らしいでしょう。

             

            「渇きが与えられますように・・・」

             

            帰り際

            玄関で母に

             

            「夏風邪ひかないように

            気をつけてね」と

            言うと

             

            笑顔で

            「うん、ありがとう。

            死ぬ時は

            突然死で死にたいわ」

             

            予想もしない

            言葉が返ってきたので

             

            戸惑って

            応答に窮した私は

             

            胸の前で腕を組んで見せて

            「その時は、イエス様!って言ってね。・・・」

             

            ああ、もう少し

            気のきいた言葉も

            かけられたらなあと

            やや悔やみながら

            釧路への家路につきました。

             

             

            みなさまのワンクリックは
            大きな励ましとなります!
            カテゴリ:- | 06:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            << | 2/796PAGES | >>