遠くを見つめて生きる
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    入院中のAさんに聖書をお届けに伺いました。

    14種類ものお薬を飲まれていると伺って

    驚きましたが

     

    「14種類もの薬を飲まなければならないほど

    深刻な状態」

     

    ととらえるのではなくて

     

    「14種類のお薬で神様がコントロールされている

    感謝な状態」

     

    ととらえましょうよ、と

    お話ししあいました。

     

    考えてみると

     

    私も

    喘息の予防薬を

    一生手放せない状態ですが

     

    一生手放せないほど

    深刻な状態とはとらえず

    神様が

    これを通して

    一生コントロールしてくださっている

    感謝な状態と

    とらえさせていただいています。

     

    ちなみに

    私の親戚で

    外資系医薬品メーカー

    ベテラン営業マンの方がおられ

    とりわけ

    糖尿病のお薬を取り扱われていて

     

    ご自身も

    糖尿病のお薬を

    服用されているのですが

     

    「これさえ飲んでいれば

    安心なんだ〜」と

    楽観的だったので

     

    さすがは

    医薬品メーカーの

    営業マンさんだと

    思いました。

     

    イエスキリストを

    信じたら

    罪ゆるされて天国へ行ける

    という福音メッセージに

    置き換えてみましょう。

     

    私たちの罪は

    神の一人子イエスが

    十字架にかかって

    身代りに償いの死を遂げなければならないほどに

    深刻なもの

     

    →これは真実!

     

    それと同時に

    主イエスを自分の罪からの救い主として

    心で信じて口で告白さえしていれば
    いつこの世をお暇しても天国へ凱旋できるので安心

     

    →これも真実!

     

     

    ところでAさん

     

    病院食の味の薄さに

    驚嘆されていて

    「長生きするには味が薄くないとだめなんだなあ」

    「しょっぱいもんはだめなんだなあ」

    「甘いもんはちょっとでるけど」

    「おれも、まだ神様から与えられた使命が残っていると思うんで

    ××もやめることにしたわ〜」と

    おっしゃっておられました。

     

    それにしてもお声の大きなAさん

     

    病室番号がわからなくても

    廊下にまでお声が

    響いていたので

    すぐにAさんの居場所がわかりました。

     

    これからリハビリに励まれるAさん

    聖書のことばを四六時中

    読めるので

    聖書の差し入れを

    何よりも

    うれしがっておられました。

     

    ちなみに

    食べ物の差し入れは

    ご法度

     

    神のみことばという

    霊の食べ物の

    差し入れは

    大歓迎

    医師も看護師も

    止められません!

     

     

    Aさんをお訪ねした翌朝

    ふだんなら

    塩サバに

    味ぽんを少々かける

    私ですが

    Aさんの言葉が頭に残っていて

    味ぽんをかけるのを

    やめました。

     

    納豆のたれをやめて

    野菜のドレッシングをやめて

    これから塩さばに何かを

    かけるのもやめにしました。

     

    まだ卵にめんつゆを

    かけるのは

    やめられないでいますが

    量を減らしています。

     

    私もAさんから

    学んだことを

    生かしてまいりたいと

    思いました。


     主よ、これらによって人は生きるのです。

    私の霊のいのちも、すべてこれらに従っています。

    どうか私を健やかにし、私を生かしてください。

    (旧約聖書 イザヤ書38:16)
     

     

     

     

     

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    カテゴリ:- | 12:11 | comments(0) | - | - | - |
    「心の空洞」を埋めるもの
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      80代にして

      それまで大事し

      拝む対象としてきた

      もの

      をすべて整理されたAさん

       

      それまで

      大きな拝むものが

      置かれたところには

      聖書が

      置かれるようになりました。

       

      イエスキリストのみを

      唯一の救い主として

      信じるようになられた

      Aさんは

       

      家族や

      子孫の祝福のために

      それが最善の選択と

      ご判断されました。


      7:9 あなたは、あなたの神、

      主だけが神であることをよく知らなければならない。

      主は信頼すべき神であり、

      ご自分を愛し、

      ご自分の命令を守る者には

      恵みの契約を千代までも守られる。

      (旧約聖書 申命記7:9)

       

      Aさんは

      ほとばしる喜びを
      隣人に

      分かち合いましたところ

       

      なんと、

      そのことを聴いた隣人が

      「それはおめでたいこと!」

      ということで

      なんと市場で

      お刺身などを

      購入されて

      お祝いしてくださったとのこと!

       

      さらには

      「私も、教会へ連れて行ってほしい・・・」と!!

       

      大事に拝んできたものを

      整理すると

       

      「ばちがあたる」とか

      「たたりがある」とか

      ご先祖が悲しむとか

      祖霊が悲しむとか

       

      いろいろ

      おっしゃる方もおられるようですが

       

      そんなことは

      まったくありません。

       

      むしろ

      天地創造の神様でない対象に

      向かって

      礼拝行為をすることが

      のろいを招くことに

      なりかねない

       

      「××の神様〜!」

      に向かって

      礼拝しているつもりが

       

      知らず知らずのうちに

      悪魔、悪霊に向かって

      その行為を行ってしまっている

      としたら

       

      「息子のために振り込んだら

      まんまとだまされた」

      振り込め詐欺の被害よりも

      もっと深刻かつ大きな霊的な被害を

      こうむることに

       


      10:19 私は何を言おうとしているのでしょうか。

      偶像に献げた肉に何か意味があるとか、

      偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
      10:20 むしろ、彼らが献げる物は、

      神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。

      私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。

      (新約聖書 1コリント10:19〜20)

       

      われわれ日本人が

      大事にしている仏壇にしても

      江戸幕府が

      禁教政策の中で

      切支丹でないかどうかを

      確認するしるしとして

      設けたもの

       

      本来仏教とは

      全く無縁

       

      位牌にしても

      日本にしかないもの

       

      仏壇や位牌を

      大事にすることが

      あたかも

      先祖を大事にするかのように

      後世の時代の人が

      「方便」として

      考え出したもの

       

      私の友人で

      禅宗の

      若手僧侶さんが

      私に

       

      「われわれは色即是空と言いながら

      一方では

      金箔できらびやかな

      仏壇や

      仏具を

      置いているので

      矛盾していることを

      やっていると

      思います。」

      と打ち明けてくれたことがあります。

       

      教えていることと

      実践していることが

      はたして

      かい離していないか

       

      この点においては

      われわれキリスト者も

      聖書に耳を傾けながら

      よくよく自己吟味が

      必要なところ

       

      よくキリスト教は

      先祖を粗末にする

      といわれることが

      ありますが

      全く逆です。

       

      ご先祖を造られた創造主を

      礼拝することこそが

      ご先祖が喜ばれること

       

      私たちが

      創造主を拝まずに

      ご先祖を拝むと

      ご先祖は

      「子孫たちよ!わたしらを拝むでない!

      わたしらをお造りになられた

      創造主のみを拝みなしゃい!」

      と思われるはず

       

      なにはともあれ

      改宗はところ変われば

       

      「違法」と見なされたり

      「死刑」の対象とさえ・・・

       

      今日の日本は信教の自由が

      保障されていて

       

      自分で信じるものを

      個人の自由意思に

      基づいて

      選び取ることが

      (公共の福祉に反せず

      社会の安定と秩序を乱さない限りにおいて)

      認められていて

       

      憲法と法律によって

      保障されていることは

      実にありがたいこと

       

      この点において

      憲法改正や

      「憲法解釈改正」

      がなされないことを

      願います!

       

      それにしても

      改宗の知らせを

      共に喜んでくださる人を

      備えられた主イエスは

      なんて素晴らしいんでしょう!


      4:12 この方以外には、

      だれによっても救いはありません。

      天の下でこの御名のほかに、

      私たちが救われるべき名は人間に

      与えられていないからです。

      (新約聖書 使徒の働き4:12)

       

      「キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は

      一神教で

      「ひとりの神」しか拝まず

      排他的で、非寛容だから

      宗教戦争がおこる。

      日本は多神教で寛容で

      平和である」

       

      そう聴くことが

      あります。

       

      歴史上

      キリストの名前を使って

      戦争する人々や国が

      あることは悲しいことで

      主イエス自身が

      最も悲しんでおられます・・・。

       

      ところで

      クリスチャンが信じる「ひとりの神」という時の

      「ひとり」というのは

      「孤高の存在」のぽつんと一軒家のように

      ぽつんと一人いる神様ではありません。

       

      クリスチャンがもつ

      聖書の神概念は

      イスラム教の方々やユダヤ教の方々とは

      異なります。

       

      旧約聖書で「ひとりの神」というときの

      「ひとり」というヘブライ語(エハド)は、

      有機的なつながりを持った

      概念であり、

       

      たとえばブドウが「ひと房」ある、といった

      イメージに似た「ひとり」なのです。

       

      聖書の神様は

      父、子、聖霊なる神様

      三位一体の神様

      つながり感に満ち溢れた

      関係性の中で存在する唯一の神様であって

      「ぽつん」と

      孤独に存在する神様ではありません。

       

      キリスト教は「一神教」というより

      「唯一」神教なのです。

       

      関係性の中で存在する神様だからこそ

      この地上で孤独な人がいたら

      ほおっておけない

      愛に満ち溢れた神様なのです。

       

      この神様が人の姿をとって

      この地上を

      歩まれた

      それがイエスキリスト

       

      イエスキリストは

      当時誰もが近づかなかった

      「ひとりぼっち」の人に

      ぴんポイントに声をかけて

      手をさしのべて

      愛を示されました。

       

      愛の関係性の中で

      生きる神様だからこその行動です。

       

      愛の関係性の中で存在する神を

      信じるキリスト者の心には

      聖霊なる神が住まわれ、その人の人格に

      働きかけ

      愛の関係性を尊ぶ神に似る者へと

      造り変えてくださいます。

       

       

      今、中国の武漢における

      新型コロナウイルスの問題が

      大ニュースに

      なっていますが

       

      かつて

      ローマ帝国で3世紀

      伝染病が蔓延した時期が

      ありました。

       

      毎日5000人以上の方がなくなり

      15年間で

      ローマの人口の3分の1近くが

      減少したほどの猛威をふるったそう

       

      当時ローマ市内で

      伝染病の症状が発症すれば

      家族であろうと

      道端に捨てたそうです。

      ほかの家族に感染しないようにと。

       

      多くの医師や医療関係者も

      ローマを離れたそうです。

      わが身を守るため

      関係を断とうとしたのです。

       

       

      しかし

      そのローマから

      決して離れず

      患者さんの看護にあたった人々が

      いました。

       

      それはキリストを信じる者たちでした。

      彼らは

      関係性の中で生きる神を信じる者として

      ひとりぼっちの患者さんたちを

      決して見捨てることはしなかったのです。

       

      その人を救うために

      関係を断とうとは

      しなかったのです。

       

       

      天国での報いを信じる

      キリスト者たちだからこそ

       

      この地上で

      最後の最後まで

      いのちを張ってでも

      神様が喜ぶ良いことを

      行うことに徹することが

      できたともいえます。

       

      天国の存在を真剣に信じられる人こそが

      この地上生活を大切にできる

       

      この地上のことしか信じられない人は

      この地上生活すら大切にできない・・・

       

      「関係性」の中で存在するのが

      聖書が示す真の神

       

      われわれ

      人間の罪の性質の一つは

      「私には関係ないワ」

      「カンケーネーダロー」

      といった断絶の言葉、無関心の表情や態度

       

      その一方で

      心はさびしくネット依存したり

      ほかの何かに依存しがちになる

       

      なぜ人間は依存症になるのか

      それは

      人間は何か大きなものに

      依存しながらでないと生きていくことができない

      一人ぼっちで

      さびしい存在だから

       

      科学者であり、数学者である天才

      パスカルは16歳にして

      その思考力は

      脚光を浴びましたが

      30歳にしてキリストと出会い

      次のように

      言ったそうです

       

      わたしたち一人一人の人間の心には「神のかたち」をした

      空洞がある

      その空洞を埋めることができるのは

      イエスキリストだけである、と

       

      あれもこれも拝んできたAさん

      でしたが

      あれを拝んでもこれをおがんでも

      一向に

      心の空洞が埋まらなかったAさん

       

      主イエスキリストを

      自分の創造主

      自分の罪からの救い主

      自分の人生の主として

      心に迎え入れた瞬間から

       

      あたかも

      ビンゴー〜

       

      この世が与えることのできない

      安堵感で

      満たされたよう!


      14:6 イエスは彼に言われた。

      「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

      わたしを通してでなければ、

      だれも父のみもとに行くことはできません。

      (新約聖書 ヨハネの福音書14:6)

       

      イエスキリストは

      父なる神と断絶状態にある

      われわれ人間一人ひとりのことを

      憐れんで

       

      私たちが

      父なる神との関係を

      回復できるようにと

       

      自らが

      十字架にかかることによって

       

      本来ならば

      われわれが受けるべきだった

      父なる神からの

      罪の裁きとしての呪いを

      身代りに

      引き受けてくださった

       

      すなわち

      父なる神からの

      のろいを受けて

      一時的に父との関係の

      断絶経験を通ることを

      よしとされたのです。

       

      私たち信じる者が

      父なる神につながるために

       

      自分自身が

      十字架でひとりぼっちになり

       

      神からも

      人からも

      見捨てられることを

      受け入れられたのです。

       

      そして葬られて

      三日後によみがえり

      復活の主として

      私たち信じる者の

      内にお住まいくださる!

       

      なんという驚くべき

      愛のご計画でしょう!

       

       

      今日も

      イエスキリストは

      心の空洞を覚えて

      心の隙間風に

      身を震わせておられる方のところに

      来ようとされています。

       

      私は

      これから

      2020年最初の

      標茶の聖書学び会にまいりま〜す!

       

       

       

       

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      カテゴリ:- | 08:16 | comments(0) | - | - | - |
      「感情の綱引き」を超えるもの
      0

        2020.1.21

        この日の釧路新聞の「巷論」(こうろん)は

        読みごたえがありました。

         

        筆者は

        「善とはなんだろう。悪とは何だろう。」

        と問いかけつつ

         

        18世紀の哲学者スピノザのことばを

        引用しています。

         

        「我々は物を善と判断するが故に欲するのではなく、

        かえって反対に我々の欲するものを

        善と呼ぶ。」

         

        「したがってまた我々は我々の嫌悪するものを

        悪と呼ぶ。」

         

        「ゆえに各人は、

        何が善であり何が悪であるか、

        何がより善く何がより悪くあるか、

         

        最後に何が最も善く

        何が最も悪くあるかを

        自己の感情に基づいて

        判断しあるいは評価する。」と

         

        筆者は

        「スピノザの倫理学においては

        人間の一切の感情は

        「喜び、悲しみ、欲望」の三つの感情に集約され

        あらゆる人間の感情が、

        この三つの感情の組み合わせや

        相対比で決まってくる。」と分析しつつ

         

        「・・・それを判断する人間の立場によって

        善は悪となり

        悪は善となってしまう現実が生まれる」

        という問題点を指摘し

         

        「善悪は感情の綱引き」と説明しながら

        相対的な価値観が交錯する

        時代のぜい弱性を

        憂いているように

        感じられました。

         

        旧約聖書の士師記は

        今から3000年以上前の

        イスラエルの混沌とした時代を

        描写した記録ですが

         

        「そのころ、イスラエルには王がなく、

        それぞれが

        自分の目に良いことを

        行っていた。」

        (士師記21:25)

         

        と相対的な価値観が

        交錯し混迷を極めていたようすが

        表現されています。

         

        絶対的かつ普遍的な

        価値観へのあえぎを

         

        時代文化を超えて

        人類は覚えているように

        思われます。

         

        神のことば

         

        聖書のことばが

        もつ普遍性、不変性、絶対性を

        大胆にこの世の人々に向かって

        語り伝える必要性を

        改めて覚えさせられています。


        「人はみな草のよう。

        その栄えはみな野の花のようだ。
        40:7 主の息吹がその上に吹くと、

        草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
        40:8 草はしおれ、花は散る。

        しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

        (旧約聖書 イザヤ書40:6〜8)

         

         

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        カテゴリ:- | 08:28 | comments(0) | - | - | - |
        「2020初の除雪作業!」
        0

          2020.1.22

          今週火曜日の晩に

          教会としては今年初めての

          除雪作業が行われました。

           

          5名の男性(20代〜50代)

          で力を合わせて行いました。

          翌朝、改めて駐車場を見て

          見事な除雪跡に感心

           

           

          初めて除雪機を

          操作されたAさんは

          勇気ある方

          ものの見事に

          暗い中にもかかわらず

          さまざまなレバー操作を

          こなされていました。

          すごい!

           

          私は、臆病で

          まだまだ一人では

          おっかなくて

          できません。

           

           

           

          2階から見下ろすと

          除雪機と

          ママさんダンプの共同作業の

          跡がありありと確認できます。

           

          積雪の状態で

          陽光を浴びる会堂の

          正面は

          雪の白さも重なって

          あまりにも

          まぶしい
           「さあ、来たれ。論じ合おう。

          ──【主】は言われる──

          たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、

          雪のように白くなる。

          たとえ、紅のように赤くても、

          羊の毛のようになる。

          (旧約聖書 イザヤ書1:18)
           

           

          教会のキャッチフレーズ

          「光を放つ愛の群れ」

           

          昨日午後は

          若夫婦との90分の聖書学び会&

          洗礼準備会

          Bちゃんを抱っこするのが

          楽しみのひとときです。

          ほっぺたくっつけたくなります。

          ひげはちゃんと剃ってま〜す。

           

          今日も快晴の釧路

          イエスの血潮で心も快晴!!

           

           昼はあなたのもの夜もあなたのもの。

          あなたは月と太陽を備えられました。

          (旧約聖書 詩篇74:16)
           

           

           

           

           

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          カテゴリ:- | 08:04 | comments(0) | - | - | - |
          「心筋梗塞からの生還」
          0

            昨日のこと

            ご近所にお住まいの

            私たちの教会メンバーのAさんからお電話で

            「具合が悪いので

            お祈りを・・・」

            と言われ

            急きょ駆けつけて

            お祈りののち

            かかりつけの医院まで

            お送りし

             

            そこで

            心電図検査の波形から

            心筋梗塞の恐れありと

            診断され、某総合病院へ

            救急搬送され

            緊急カテーテルによる手術

             

            手術中

            教会の皆が心あわせて祈り

            主のみ手が伸ばされ

            梗塞状態が

            解消されて

            感謝でした。

             

            キリスト者には

            永遠のいのちが

            与えられているとはいえ

            まだまだ

            この世での主から託された

            使命がゆだねられて

            おられると信じるAさん

             

            術後にAさんの奥様と

            ICUにて

             

            Aさんと会話もでき

            たくさん心境を

            お話くださいました。

             

            聖書のみことばをもって

            共にお祈りしました。

             

            生かされている喜び

            をかみしめておられました。

             

            何事も

            頑張ってお仕事に

            励まれる

            タイプのAさん

            そんなAさんを

            気遣われる

            奥様

             

            今の時期

            急激な温度変化に

            身をさらしたり

            急激な体の動かし方を

            することにより

            心疾患の

            リスクを上げるようで

             

            なにごとも

            「徐々に」が大切なようです。

             

            この日

            ある方々は

            ICUの家族控室にかけつけて

            ご家族に寄り添って

            お祈りの支えをされていました。

             

            神の家族の愛の

            本領が発揮されるのは

            こういう時なのかもしれません。

             

            ICUでAさんから

            「山形さんも気をつけるように」

            とアドバイスを受けました。

            病の中で

            なお他者を思いやるAさんの

            優しさ

             

            私も

            日ごろから

            ストレスを抱え込むことなく

            もっと神様に信頼して

            ゆったりとした

            行動を心がけなければと

            思いました。

             

            ICUでAさんいわく

            「今日ディボーションで

            マルコ5:25〜34で

            長血を患った女性の信仰の記事があったけど

            まさか

            自分が長血の女性のような立場に

            なるとは・・・」

            と語っておられました。

             

            「イエスさまに

            おすがりするならきっと」

            Aさん信仰は

            長血を患った女性の

            心境に立たれたよう。

             

             


            5:25 そこに、十二年の間、

            長血をわずらっている女の人がいた。
            5:26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、

            持っている物をすべて使い果たしたが、

            何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
            5:27 彼女はイエスのことを聞き、

            群衆とともにやって来て、

            うしろからイエスの衣に触れた。


            5:28 「あの方の衣にでも触れれば、

            私は救われる」と思っていたからである。
            5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、

            病気が癒やされたことをからだに感じた。

            (新約聖書 マルコの福音書5:25〜29)

             

            わたしたち個々人のみならず

            教会も心筋梗塞に

            ならないように

             

            キリストの血が

            絶えず行きめぐっている

            状態でありますように

             

            そのためには
            お互いに罪を告白し

            お互いのために祈り合う状態が

            教会の心筋梗塞予防の秘訣と

            思われます。

             

            罪を告白し

            祈り合うところには

            必ず

            主のゆるしときよめのために

            主イエスが十字架で流された

            血潮が注がれ

            キリストの体の中での

            心筋梗塞を防ぐことができる!

             


            5:16 ですから、あなたがたは癒やされるために、

            互いに罪を言い表し、

            互いのために祈りなさい。

            正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。

            (新約聖書 ヤコブ書5:16)

             


            もし私たちが自分の罪を告白するなら、

            神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、

            私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

            (新約聖書 1ヨハネ1:9)

             

            Aさん、入院生活のために

            ICUで奥様に

            「明日、聖書持ってきてくれ・・・」

             

            病の中でしか

            聴くことができない

             

            病の中だからこそ

            聴くことができる

             

            主の優しさに満ちたおことばが

            きっと

            おありになることでしょう。

             

            ご無事な回復のために

            教会は

            祈りの手を

            上げ続けています。

             

             

             

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