ピカチュウの「耳らしき部分」は
実は、耳ではなく、
触覚だッたとは知りませんでした!
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
2024.3.17
教会堂にて
日曜の第2礼拝後
会堂にて
小学3年生のAくんが
ピカチュウをまたに挟んで
おにぎりランチタイム
懐かしいね〜
Aくんが
ピカチュウの耳を持ち上げて
「これね、耳じゃないんだよ!
触覚なんだよ。」
「へ〜」
「耳はこの辺にあるんだよ」
「へ〜」
ピカチュウって
「チュウ」と言うくらいだから
さぞかしネズミをモデルにしているかと思ったら
実は「リス」がモデルであることを
聴いて驚きました。
ピカチュウって
知っているつもりが
全然知りませんでした。
今のこどもたちは
色々なことに詳しいですね〜
Aくんは
良く知っているなあ〜
私たちの教会のスローガンは
「光を放つ愛の群れ」
なので
ニックネームは
ピカチュウのようかな〜などと
勝手にイメージしていました。
もちろん進化などしませんが。
光を放つ=ピカピカ
愛の群れ=チュウチュウ
なんちゃって
このキャラクターは
愛嬌があって
かわいいと純粋に思いますが
いろいろな宗教グループからは
様々な理由から
危険視されてきた歴史も
あるそうですが
世界に影響を与えている
日本のサブカルチャーの
様々なキャラクターやシンボルを
媒体にして
イエスキリストの
十字架と復活に込められた
罪の赦し
永遠のいのち
からだのよみがえりの
福音を伝えられたら
素晴らしいと思うんですがね〜
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
聖書を読んでいても
あります、あります。
JOYFULのスペシャル賛美練習!
日曜の午後は
素晴らしい
聖霊に満たされた
聞きなれない曲の賛美が
会堂にあふれて
感動しました。
脳内から
ドーパミンとか
エンドルフィンとか
オキシトシンとか
良き物質が
どんどん
分泌されるかのようでした。
2階でミーティングしていた
私は、階下の賛美を聴きながら
天にでも上るような気持でした。
会堂では、このように
いつも賛美があふれ
絶えず祈りが
なされているって
それって、素敵ですよね!
この日は
根室管内の
中学校のB先生ご家族4人が
お久しぶりに
礼拝に集われ
懐かしいやら嬉しいやら
Aさんは
この日の午後
TOEICの試験を受けるそう
国立大学医学部への
入学を目指しておられるとのこと
児童精神科医となって
キリストの福音を中心に
医療、教育、福祉を
統合した
ミニストリーを
展開するという壮大なヴィジョンを
お持ちだそうです!
聞いて、わくわくして
励まされました。
ヴィジョンをお持ちの人と
話をしていると
時間を忘れて興奮してしまい
第2礼拝直前まで
話し込んでしまいました。
Bさんの
ご長女(高校生)に
「父さんのヴィジョンどう思う?
すごいね!」
と感想を聞くと
笑みを浮かべて
「ばかばかしい〜」
と優しそうに言うので
私は、即座にフォローに回り
「あ〜、そう言って
お父さんにプレッシャーを与えない
のは、さすがに、娘さんの優しさの表れだね!
ここで
『はい。父のヴィジョンは
素晴らしいと思います。
父のヴィジョンが実現できるように
真剣に祈っています』などと
歯に衣を着せたように
言おうものなら
パパはプレッシャー感じるかもね〜」
北海道には
かつて日本を代表する児童精神科医の
クリスチャンがおられて
私たちの教会にも講師として
お呼びしたことがありましたが
現在
北海道には、児童精神科のクリスチャン先生は
おられないので
Bさんのヴィジョンが
かなうと素晴らしいと思いました。
ピカピカしたイエス様の愛が
Bさんをとおして
Bさんのご家族を通して
こどもたちの心に
チュウチュウ
注入
されていきますように
127:3 見よ子どもたちは
主の賜物胎の実は報酬。
127:4 若いときの子どもたちは
実に勇士の手にある矢のようだ。
(旧約聖書 詩篇127:3〜4)
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いよいよ2024年3月31日まで
あと2週間となりました!
主イエスは、
私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられました。
(新約聖書 ローマ書4:25)
イエスは彼女に言われた。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
(新約聖書 ヨハネの福音書11:25)
ごく一般の仏教(浄土真宗)の
家庭で
生まれ育った私は
18歳の時に
十字架で私の罪のために死んで蘇られたイエス様を
自分の救い主として
心で信じて
口で告白して
クリスチャンとなりました。
クリスチャンになって今年で44年となりますが
本当にイエス様を信じて
良かったなあと
思わない日は1日もありません。
クリスチャンになって後悔した日は
1日もありません。
クリスチャンになって
損したと思った日も
1日もありません。
無償の愛を受け取れた恵み
は計り知れないものです。
罪赦された平安
永遠のいのちをいただいた喜び
身体のよみがえりの望みに
あふれた毎日を送れるということは
どれほど幸せなことでしょう。
この幸せを一人でも多くの人と分かち合いたく
「キリストの復活記念礼拝」が
備えられています。
皆さんのご来館を心から
お待ちしています。
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2024.3.14
ウルトラマリンブルー
早朝教会堂で
お祈りの後
外に出て自宅に帰る途中
空があまりにも
澄んできれいでしたので
ひたすら上ばかり観ながら
歩きました。
信仰の歩み
それは上を向いて
歩むこと
そうすれば
転ぶことはない・・・・
【信仰的逆説】
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
(旧約聖書 詩篇19:1)
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2024.3.15
標茶原野での聖書学び会を終えて
雪原に反射する太陽の陽射しが
まぶしいこと
原野でイエス様への信仰を保つ皆さんも
まぶしい
毎月いただく
黄金カツカレーの味も
まぶしい
お一人暮らしのAさん宅訪問
とってもお元気そうでした。
笑顔がとってもまぶしい!
週2回のデイサービスも
楽しんでおられます。
礼拝の説教原稿も
郵送で送られてきて
いつも読んでくださっています。
Aさんはご自宅の居間で、小松菜を
栽培されていて
時々むしっては
食されています。
とっても手触りの良い
みずみずしい新鮮お野菜が
ぴかぴか光って
眩しい!
私と妻のためにと少し
もいで持たせてくださいました。感謝。
JR標茶駅前のポストに
封書を投函しようとしましたら
レトロな郵便ポストが
とってもかわいく
陽射しをあびて眩しい!
いつもはひっそりしている標茶駅
この日は、ずいぶんとにぎわっていて
何事かと思い
人の群れに釣られて
向かうと・・・
SL冬の湿原号の
出現!
うお〜!
まぶしい黒光りのSL冬の湿原号
SLファンの大集合「ただ眺めているだけで幸せ」
「同じ空間に身を置いているだけで幸せ」
職員さんは
サービスでしょうねえ
時折、煙を
出したり
ポッポーと音を出してくださり
そのたびに、静かに歓声が沸き起こる
ああ、なんと平和な標茶町
それにしてもSLファンの方の
満足そうな表情を見ていると
動物園で
動物を鑑賞している方々の表情と
どことなく似ているようで
興味深く思いました。
SL(スティーム蒸気、ロコモーティヴ機関車)冬の湿原号が
あたかも生き物のよう
石炭をむしゃむしゃ食べ、
水をガブガブ飲み、
煙と蒸気を、ハッハッ
吐息のごとく
噴き出しながら
全力で走る姿は、
あたかも真冬のマラソンランナーのよう。
上り坂では
苦しげな吐息を吐きながら速度が緩み、
峠を越えれば
汽笛という名の
口笛を吹きながら
颯爽と疾駆する。
それは、まさに、懸命に走る
マラソンランナーのよう。
なぜ2時間近くも
フルマラソンの
テレビ放映が流れるのか
なんとなくわかるような気がします。
若い時は、
マラソン中継というのが
理解できませんでした。
他人が走っているのを見て
どこがおもしろいんだ
未熟な青春時代は
そんな穿った見方しかできませんでした。
現代は生成AIの時代ですが
生成AIは、私には非人間的に思えてしまいます。
SLは機械の中で
最も人間らしいと言われるそうですが
うーむ
わかるような・・・気もします。
駅前には
幟が立てられ
無料の送迎バスが
往来していました。
官民が一体となって
標茶町を
盛り上げようという試みですね。
標茶の街が繁栄しますように!
駅横の
陽だまりでは
スナフキン風の
お兄さんが
ユニークな形状の
アコーディオンで
生演奏していました。
とってもお上手でした。
寒いと手がかじかむでしょうが
この日のこの時間帯の
外気温は
5度くらいでしたかな〜
旅人風でした。
どうも標茶の人っぽくは見えませんでしたが
次回お会いできたら
お声かけさせていただきたいですね〜。
標茶原野には
残雪がまだ見られます。
早春の雪原も
空も眩しいです。
標茶の皆さんが
イエス様の眩しすぎる愛を信じて
救われますようにお祈りしています。
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
28:5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
28:6 あなたは入るときにも祝福され、
出て行くときにも祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜6)
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北九州市の牧師さんが
中心となったNPOのプロジェクトが
実を結びつつあります。
この方は牧師さんですが
宗教の枠を越えて
このプロジェクトへの
賛同者が増えて
例えば
立正●成会は1千万円を
寄付されたそうです。
全国に広がるようにというモデルとして
始めたそうですね。
釧路版「希望のまちプロジェクト」も
始動できるといいですね。
少子高齢化、
人口減少加速化
右肩下がりの町内会加入率
表札の出さない家が多くなり
近所の人の名前も顔も
わからなくなってきた昨今
分断化がますます進む今日
釧路市東部南地域の
高齢化率は44.4%
今朝の釧路新聞には
18歳までの通院無償化が
年内実現することが
取り上げられ、
同じ新聞の今日の「余塵」では
子育てを応援する
祖父母の体力の悲鳴の声も
上げられていました。
そういう中にあって
釧路市にある
さまざまなNPO団体の活動力は
創造性の宝庫
結託すれば
この町にあったユニークな
コミュニティーが
築かれるのではないでしょうか。
もはや行政まかせでは
物事が進みずらいようです。
行政は「予算」
「関係団体との調整」
「システムの改修」の三つが
絶えず障壁となり
ものごとがなかなか
進みずらいのが実態のようです。
クラウドファンティングなどの
民間活力の発揮が
期待されているようにも思います。
釧路市民の多くが
「それは、いいんでないかい」と思えるような
わくわくした夢あるヴィジョンが
まず必要なのですね。
釧路で結婚したい
釧路で子供を出産したい
釧路で子どもを育てたい
釧路の学校へ行かせたい
釧路で才能を伸ばしたい
釧路で就職したい
釧路で老後を過ごしたい
ゆりかごから墓場まで
釧路で!
そんな釧路に
釧路にしかないものがある
釧路だからこそあるものがある
それを結集させれば
きっと釧路の未来は
祝福で満ちたものになるに違いない。
主がこの町を祝福されますように!
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、
群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜4)
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2024.3.13
毎週お訪ねしているAさん宅にて
聖書の紙芝居は
今回で第9回目となりました。
娘さん(ご長女)は
毎週、美幌から
美幌峠を越えて釧路まで来られ
数日間ご両親の
ご介護をされて
往復されておられます。
本当に頭が下がります。
親孝行な娘さんに支えられています。
この日は、風が強くて
真冬並みの体感気温でしたねえ。
今年6月に91歳を迎える
Aさんは
先週5日間の
入院手術を
終えてご無事に退院されたので
快気祝い写真としてパチリ
この日の紙芝居が「うちに帰ろう」
入院していた病院から
帰ってきたAさんのために
イエス様が備えられたかな
Aさんは甘いものがお好きで
羊羹は1本ごと
ぺろりとたいらげてしまうと聞いて
驚きました。
2時間ほどの滞在
あっという間でした。
帰りにミカン農家さんからいただいた
おみかんのおすそわけをいただき
感謝。
帰り道坂道を
片手に紙芝居
片手にミカンの入った紙袋を
抱えててくてくと下っていくと
パート帰りの妻が
軽四で通りかかり
「どこのおじいちゃんが歩いているのか」と
私の足どりが
高齢者ふうに見えたよう
もう少し胸を張って歩こう!
4:16 ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、
それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、
私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、
見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠に続くからです。
(新約聖書 2コリント4:16〜18)
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2024.3.13
春嵐か ビュービュー
強風吹き荒む
今朝の釧路です。
東京にお住いの縁戚Aさんから
川柳が贈られてきました。
拙ブログも
川柳調でまとめようとしますが
釧路にいるせいか
いつもタンチョウに
なりがちです。
Aさんのお父さんは
戦後の
英語通訳兼デザイナーとして
ご活躍された方で
数年前にお亡くなりに
なりましたが
尊敬できる紳士で
GHQの指導の下
映画の検閲なども
手がけられました。
興味深い話としては
「朝鮮戦争」のことを
あえて「朝鮮動乱」と
訳したのはAさんの
お父さまでした。
逸話としては
来日したビートルズの
ポール・マッカートニーが
東京銀座山形屋で
洋服の仕立てをお願いした時
ポールの英語のなまりがあまりにもひどかったので
Aさんのお父さんが
「もっと、ちゃんとした英語を話しなさい!」
とたしなめたという話
相手がスーパースターであろうと
国賓であろうと
物おじしないで
びしばしものを言う
これぞ、神だけを恐れる
日本人の精神だなと
思いました。
息子さんの
Aさんもそのような方で
長年、銀座山形屋ロンドン店で
英国人紳士と対等に渡り合いました。
戦後の
日本人の中にいまだに
白人コンプレックスや
英語コンプレックスがあるとしたら
1日も早く払しょくして
神が日本人に賜った
日本人としてのアイデンティティを
貴びたいものですね〜
川柳と言うのは
日本文化の奥ゆかさのひとつかもしれませんね〜
お楽しみ下さいませ
日帰りで 行って見たいな 天国へ
延命は 不要と書いて 医者通い
三時間 待って病名 『加齢』です
目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
起きたけど 寝るまで特に 用もなし
改札を 通れず よく見りゃ 診察券
誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
万歩計 半分以上 探し物
この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
留守電に『ゆっくりしゃべれ』と どなる父
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
マイケルの 真似を発作と 間違われ
名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
探し物 やっと探して 置き忘れ
歳重ね もう食べられぬ 豆の数
LED 使い切るまで ない寿命
クラス会 食後は薬の 説明会
立ち上がり 用事忘れて また座る
無農薬 こだわりながら 薬漬
妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に
眼薬を 差すのになぜか 口を開け
少ないが 満額払う 散髪代
景色より トイレが気になる 観光地
厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
カード増え 暗証番号 裏に書き
妻旅行 おれは入院 ねこホテル
恋かなと 思っていたら 不整脈
深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
へそくりの 場所を忘れて 妻に聞く
これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
腰よりも 口につけたい 万歩計
何回も 話したはずだが『初耳だ』
婆さんよ 犬への愛を 少しくれ
実に痛快な川柳ですね。
これらを
心から納得したり
共感する年齢にはいってきたなあと
思います。
それにしても
幼少のころから
気管支喘息歴55年の
私は
腹を抱えて笑うこと
を自粛してきました。
大声で笑うと
咳き込んで
気道が収縮し
喘鳴症状が出てくることを
何度も経験してきたので
いつも遠慮して
笑うように
してきたわけです。
しかしそんな私でも
最終的には
大声で笑える時が来ると
聖書では
約束していることは
慰め以外の何ものでもありません。
そのとき私たちの口は笑いで満たされ
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき諸国の人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなさった。」
(旧約聖書 詩篇126:2)
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雪が溶けて、よかったワン!
2024.3.10
日曜の昼さがり
教会の近くをご近所の方が
ワンちゃんと
仲良くおさんぽ
ワンちゃんは
もっくん(10歳)
そとのお散歩、楽しいワン!
かわいいですね〜
なでなでさせていただきました。
しっぽをあげて
喜びを
表現してくれましたよ。
トイプードルのもっくんです。
釧路も早春を迎え
ワンちゃんとお散歩する
おじさんたちが
増えてきましたね〜
愛犬とともに
歩む
おじさんたちは
みんな嬉しそうな顔をされていますね。
「すごく、かわいいですね。」
と言うと皆さん
とっても自慢げに
喜ばれますね。
実は、このもっくんの
ご主人様は
我が家でかつて飼っていた
北海道犬(ほっかいどうイヌ)の
マリが9歳にして亡くなったときに
わがことのように
とっても悲しんでくれた
やさしい心の持ち主です。
愛犬と一緒に
散歩する
喜び楽しみ
私は
マリの存命中は
一緒に走ったり
歩いたりしましたが
マリが亡き今は
歩く時も
走る時も一人で
ちょっぴり寂しい・・・。
主が共におられる、とはいえ・・・ね。
聖書の中で
神と共に歩んだ最初の人として
紹介されるのが
エノクさんでした。
エノクはメトシェラを生んでから三百年、
神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
(旧約聖書 創世記5:22)
人間だけが神のかたちに似せて創造された
唯一の被造物ではありますが
しかし
聖書には
神様が人と同様に獣にも
心を留めておられることを
示唆する聖句が随所に見られます。
「主よ。あなたは人や獣を救ってくださいます。」
(旧約聖書 詩篇36:6)
犬とお散歩する姿が
ここそこにみられる
これは釧路に春が来たことの
しるしのひとつですね〜。
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2024.3.10
私たちの教会で今年に入って
第3回目の賛美集会
10代から60代の仲間たち
世代を超えて!
午前中2回の礼拝で
さんざん歌っても
なおもっと主を賛美したい
という思いで満ちた方々が
集まって
この日は午後2時からの賛美集会
高校生のAさんは
「毎週、日曜午後は
賛美集会をしたい!」と
目を輝かせていました。
私はと言えば
「毎週、日曜午後は
(ミーティング疲れで)
頭ガンガン
ぼーっとまどろみたい」
次世代の霊的パッションは
素晴らしい!
しっかり信仰の情熱と宣教の情熱の
バトンを手渡さないと
大いなる会衆の中での私の賛美は
あなたからのものです。
私は誓いを果たします。
主を恐れる人々の前で。
(旧約聖書 詩篇22:25)
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2024.3.9
釧路朝祷会が
釧路市鳥取にある
日本メノナイト
鳥取キリスト教会で行われました。
4つの教会から
集まりました。
レント(キリストの受難節)にふさわしく
イエス・キリストが
私たちの罪のために
十字架で苦悩の叫びを
上げる聖書箇所(マルコ15:34)について
皆さんで黙想しました。
「わが神、わが神
どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
イエス様が十字架上で遺された7つの言葉のうち
第4番目のことば
この言葉は
旧約聖書詩篇22篇1節で
イエス様がこの地上に来られる1000年ほど前に
ダビデの口から出てきた言葉で
主イエスは
その言葉を
自分のことばとして
十字架上で叫ばれました。
この詩篇22篇の後半を見ると
主への賛美で結ばれていることから
苦悩から始まって主への賛美へ向かう
文脈の中で発せられました。
「イエス様は私の罪のために十字架で死んでくださった。」
と一言で言ってしまいがちですが
どれだけ私の罪が深刻な結果をもたらしているか
そのことに
あまりにも鈍感である
と思わされます。
十字架で主イエスが払われた代価が
いかに絶大なものであるか
言い替えると
神の前で
私個人が負っている負債額の大きさが
いかに大きいことか
犠牲の代価の大きさ
通られた苦悩の大きさが
いかに壮絶であったか
罪の贖いしろ
言い替えると
私の罪の刑罰の代償=身代金は
罪なき神の一人子の
いのちに等しいということ
それ以上でも
それ以下でもないということ
主イエスにとっての苦悩
それは単に肉体的、精神的苦痛以上に
この世から捨てられるだけでなく
今まで一つであった親密な父なる神から
見捨てられるという体験を
通らなければならないという
苦痛、苦悩、煩悶
およそ、古今東西
後にも先にも
このレベルの
喪失体験の苦悩を
味わった人間は
イエス・キリスト以外にはおりません。
それほどまでに、天の父、
そして主イエスキリストは
私たち一人一人を惜しみなく愛して
やまないということですね。
私たちは、死んだイエスを拝んでいるのではなくて
死んで復活して今も生きたもうイエスを
礼拝しています!
再びお会いできる望みを抱いて
鳥取メノナイト教会では
毎週日曜日午前10時半から礼拝があります。
お近くの方はぜひおいでくださることをお勧めします。
とてもやさしい牧師さんご夫妻始め
教会の皆様が笑顔とやさしさをもって
お迎えくださいます。
昨日の朝は、真家の晩に降った雪が
うっすらと積もっていました。
どんなに泥だらけの車でも
すっぽりと雪に囲まれると
純白のきよらかさに
私たちも
どれほど罪深い者であっても
主イエスを
自らの罪からの救い主であると
信じさえするなら
主イエスの血によって
雪よりも白くされます!
ハレルヤ!
イエス様の血によって
赦されえないほど
大きすぎる罪は一つもありません。
それと同時に
イエス様の血潮の力を必要としないほど
小さい罪も一つもありません。
主が一人でも多くの釧路市民を
罪と罪の結果である
死の向こうで待ち構えている
世の終わりのさばきの
苦悩から救い出してくださいますように!
ヒソプで私の罪を除いてください。
そうすれば私はきよくなります。
私を洗ってください。
そうすれば私は雪よりも白くなります。
(旧約聖書 詩篇51:7)
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2024.3.2夕方
釧路市興津の
コールマイン(日本最後の唯一の海底炭鉱、
写真上部の傾斜した建物内には、左手南の海底方向への
坑道があります)の
敷地に鹿たちの群が憩っていました。
この柵内は
会社関係者以外立ち入り禁止
ですが
鹿さんたちは
柵をさっそうと飛び越えて侵入
鹿さん曰く「立ち入り禁止であっても
飛び入り禁止ではないので、
叱(鹿)らないでね・・・」
私が立ち停まって
スマホを向けると一斉に走って
逃げだそうとしたのですが
「鹿さんたち、ちょっと待って
写真撮って、ブログに上げるだけだから逃げないで。」
そう、まじめに声をかけると停まって
踵を返してくれた鹿さんまでいました。
それにしても
立派な角ですね〜。美しいですね〜。
聖書の中でノアが箱舟を
作ったとき
動物たちは
つがいごと
見事なまでに
ノアの指示に従って
入ることができました。
「はい、鹿さんたち、入りなさい〜」
と言えば
かぽかぽと入ったのでしょうね。
本来、動物は
神を畏れる人間の指示に従って生きるようにと
デザインされたにもかかわらず
人間の罪のゆえに
じょじょに人間を警戒し、
人間を避ける本能の方が
強くなったように思います。
本当は、故犬養毅の言葉ではありませんが
「話せばわかる」はずの関係性が
あったに違いありません。
鹿さんたちのお尻の白さは
後に続く仲間が
迷子にならないための
目印だと聞いたことが
あります。
神様は、鹿さんたちが群れを大切に
生きるようにと
デザインしてくださったのですね。
人間はなおさらそうですよね。
鹿のお尻を見ただけでも
偶然今のようになったと
考える進化論よりも
創造主が
愛の計画をもって、そのように造られたとする
創造論の方がはるかに
理にかなっているように思います。
鹿が、クマのように獰猛な性質ならば
怖くてスマホ向けられませんね。
もし、鹿たちが
あの鋭い角を突き出して
こちらに突進して来られたら
逃げるのに
窮してしまいますね。
42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように
神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。
いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
(旧約聖書 詩篇42:1〜2)
それにしても鹿さんたちの角の
先端のグラディエイションの
白さの美しいこと
創造主の愛のデザインが角の形状や色にも
満ちていますね〜
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2024.3.7
午後に、優しく温かい日差しが
Aさんを包み込んでいます。
今年79歳をお迎えになる
Aさんがご自宅で
闘病生活を送られています。
お訪ねして
Aさんのお話を
伺いました。
ご病気のこと
お若い時、
出稼ぎで
内地(埼玉、大阪、名古屋など)
に行かれた時のお話など
たくさんお話しくださいました。
ただし、Aさんのご発声の言葉が
私にとって聞き取りずらく
さらにAさんは、テレビを結構な音量で
つけておられましたので
ごく一部しか
理解することができず
申し分けなく思いました。
Aさんは
九州のお芋のお菓子と
静岡のお芋のお菓子を
お持ちしましたら
たいそうおいしそうに
ピリポリと
口に運ばれていたので
ああ、良かったなあ、と
感謝しました。
Aさんは
いくつかの内臓に
爆弾をかかえておられ
苦悩されておられ
せき込む回数も
徐々に増えてきているようです。
最近は咳するたびに
その咳もやや長引くので
背中をさすらせていただきました。
私も喘息もちで
呼吸が苦しい時は
背中をやや強めにさすられると
少し楽になることを
幼少のころから
体感して
知っておりましたので
この日も何回も
さすらせていただきました。
さすりながら
虚弱児施設「有珠優健学園」入所時代のことを
思い出していました。
呼吸器疾患の苦しみ歴は
私は松井選手の
背番号ではありませんが
55年選手
Aさんは、体力づくりのために
少しでも散歩しようとしましたが
短い距離で
息が続かなくなってきたようです。
またスコップを抱えての
除雪作業ももう
腰以前に
息が続かず
体力的に限界だそうです。
階段の上り下りも
もうできないそうです。
さぞかしお辛い・・・
ただし、幸いなことに食欲はおありで
睡眠もよくとれるとあって
そのことを
感謝されています。
私たちは肉体的に
精神的に
弱くされ
あれもできなくなり
これもできなくなり
できなくなったことばかり
挙げると
気が滅入るのは
当然のこと
でも、これができてうれしい
でも、ここが調子がいいので感謝だ
というふうに
ほんの小さなことに
感動を覚え
感謝できるなら
本当に
人生を謙遜にさせ
心を穏やかにさせることと
なるでしょう。
最後に短く5分程度で
イエス様のお話を
イラストの絵でご紹介しました。
人間はみんな神様の前に罪があること
罪を持ったままでは天国へ行けないこと
イエス様は私たちの罪を背負って
十字架で身代わりに刑罰を受けて
死んでくださり蘇ってくださったこと
イエス様を救い主として
心で信じて口で告白するなら
イエス様の血に免じて
罪赦され
救われて天国へ行けること
信じないと
永遠のほろびがあること
イエス様をぜひ信じませんか?
とお尋ねしたところ
「そうだなあ・・・」
というところまで
この日は応答をしてくださいました。
焦らず、せかさず
イエス様の救いの招きを
語り続けてまいります。
Aさんは18歳ころ
あるご病気で入院されたことがおありだったそうです。
そのとき
2人部屋だったそうですが、
隣のベッドの方が
新興宗教の
S学会の会員さんだったそうです。
お隣さんから
「ご本尊を信心したら
病気が良くなるよ」と
勧められたそうです。
その時Aさんは
そのS学会員さんに
「それで、あんたは
信心して、良くなったかい?」
するとS学会員さんは
「俺は、信心が足りないからだめだ。
良くなんねえ。」
そう返答されたそうです。
それを聞いたAさんは
それなら、俺も無理だべな〜
そう思ったそうです。
Aさんは、それ以来
「信仰」とか「信心」というのは
どれだけ強く持つかどうかが
重要なのだと
思ってしまったそうです。
Aさん自らその体験談を
分かち合ってくださり
伺えたことは感謝でした。
なるほど、多くの日本人にとっての
信仰イメージは
そういうものかもしれませんね。
そこで私はAさんに申し上げました。
「Aさん、聖書の信仰はですね、
どれだけ強く信じるかではないのですよ。
「イエス様が十字架で死んで蘇ったのは
私の為なんだ」ただそのことを
素直に認めて
信頼するだけでいいんです。」
私たちの罪のために死んで蘇られたお方は
古今東西イエスキリスト
ただお一人で
「この方以外に救いはない」と
聖書に書いているんですよ〜
とご説明しました。
どれだけ強く信じるかではなくて
何を信じるか
信じる対象
それが重要なんですよ〜
信じる対象の確かさ!
それが重要!
来週の訪問の際は、
美味しい
たい焼きを
お持ちする約束を
しました。
(なるべくほかほか状態で)
お祈りをさせていただいて
帰ろうとすると
ちょうどAさんの奥様が
ご帰宅されました。
Aさんは奥様に
「こんど、たい焼き買ってきてくれるそうだよ!」
そう嬉しそうに報告されていました。
来週はAさんとご一緒に
たい焼きをいただきながら
再びイエス様の救いの素晴らしさを
分かち合わせていただきたいと
願っています。
日に日に呼吸が苦しく
胸部の痛みが増しているAさんの
苦痛がなんとか少しでも
和らぎますように
53:4 まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼(イエス)は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎のために砕かれたのだ。
彼(イエス)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主(天の父)は私たちすべての者の咎を
彼(イエス)に負わせた。
(旧約聖書 イザヤ書 53:4〜6)
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2024.3.6
昨晩は、
私が所属する教会の男性セルグループ
「まきびと」の皆さんと
いっしょに会堂掃除をしてから
セル集会を行いました。
毎週お互いに
些細なことでも喜びを
分かち合うことを
習慣にしています。
喜びは分かち合うことで
2倍となりえます。
悲しみは分かち合うことで
半減すると言われますね。
教会の仲間たちは
キリストを中心として
日常生活での
つながり合いを大切にしています。
人は一人でいるのは
良くないと
神様が
創世記の時代から
おっしゃっておられますね。
つながりの大切さと言えば
この午前中は
先週の強風で
ちぎれてしまった我が家の
BSアンテナケーブルの
取り換え工事が行われました。
ちぎれたBSケーブルの断面
痛いよ〜痛いよ〜
ちぎれたBSケーブルが
ぶーらぶら状態
見事な電器屋さんの職人技
昨年の秋
屋根の塗装工事を
したばかりなので
滑らないように気を付けてくださいねと
申し上げました。
電器屋さんとの会話で
UとVの話を伺いましたが
この分野の話は
いくら説明を聞いても
理解が難しい〜
中学時代に
理科の授業で
オームの法則が苦手で
アンペアとかボルトとか
よくこんがりました。
この年になって
血圧と
血流の違いはイメージ沸きますが
電圧と
電流の違いとか
抵抗とか
なかなか苦手
これを契機に復習し苦手意識を克服しましょうかね〜
電器屋さんのお話を伺っていると
専門用語が多くて
まるで外国語講座を聴いて
いるかのようでした。
それにしても電器屋さんは
偉大だなあと思います。
やりがいのある尊いお仕事だと思います。
実に賢い方々です。
説明書も読まず
屋内外の
複雑に絡み合った
難しい配線を
いとも簡単に
つなげるお働きは
見ていると
息を飲むほどの職人技です。
心臓外科医が
血管を区別しながら
接合する技に
勝るとも劣りません。
私は逆立ちしてもできません。
(逆立ちしたらもっとできないか・・・)
それにしても
ケーブル線がつながったときの
喜びはひとしおでした。
神のひとり子、イエス様を通して
私を創造された
天地創造の父なる神様と
つながったときの
喜びは
人生最大の喜びでした。
私たちは、
私たちの罪のために十字架で死んで三日後に
復活されて
今も生きたもう
神のひとり子、唯一の救い主イエス様を通して
天の父とつながることができるという
恵みを
信じるすべての人が
等しく体験できることは
何と幸いなことでしょう。
工事後に電器屋さんに
「このケーブルはどれくらいの期間もちますか?」
「またケーブルを固定している
鉄線の耐用年数はどれくらいでしょう?」
とお尋ねしました。
目に見えるケーブルは
雨風によって
経年劣化を避けることはできません。
しかし!
イエス様を通して
天の父と繋がるこの
目に見えない、INVISIBLE(「相棒」を想い出す人も!)
のケーブルは
決して永遠に摩耗することがありません。
いったん、イエス様を信じるならば
永遠に天の父と繋がり続けることが
できることは未来永劫
究極の安心をもたらします。
ハレルヤ!
だが、愛する者たち。
私たちはこのように言ってはいますが、
あなたがたについては、もっと良いこと、
救いにつながることを確信しています。
(新約聖書 へブル書6:9)
14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれも父のみもとに行くことはできません。
(新約聖書 ヨハネの福音書14:6)
つながるべきものと繋がることで
繋がる必要のないものから
解かれていくことができる、
そういう人生こそが
自由でしなやかな人生なのですね〜
今日、一人でも多くの方が
イエス様を通して
天地創造の主
いのちの造り主と
つながりますように!
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2024.2.22
この日のランチには
友人から頂いた牛乳がありましたので
妻がフレンチトーストを
作ってくれました。
ふわふわして
美味しかったです。
とりわけランチ前に
10キロランをした直後でしたので
とっても
栄養補給となりました。
フレンチ・トーストは英語表現ですが
フランス語ではPain perdu (パンペルデュ)と呼ぶパンのこと。
固くなったパンを復活させる食べ方=Pain perdu(フレンチトースト)
のことを指すそうです。
その起源は、ローマ4世紀〜5世紀からすでに
始まっていた食べ方に由来し、
主にパンをミルクに浸していた手法が原点。
これがのちに発展して卵も使うようになったのが
17世紀ころだそうです。
ランニングで
水分が抜けきった
パンならぬ固まった体を
浴槽でお湯に浸して
復活させるのと似ているなあ〜
昨日は(3月5日)は暦の上では
啓蟄ですが
釧路はまだまだ地面が固いですが
柔らかくなるのが楽しみです。
6:35 イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。
(新約聖書 ヨハネの福音書6:35)
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2024.3.3
私どもの教会メンバーで
最も人生の先輩Aさんのお誕生会が
まなぼっと(釧路生涯学習センター)にある
展望レストラン「まいづる」さんで
行われました。
Aさんは、90代ですが
今でもお元気に
ご自分でお車を運転されて
教会の礼拝や
セル集会などに参加されています。
糸くくりの会の皆さんが
おつくりになった
色紙が贈呈されました。
色紙に添えて
フラワーアレンジメント
同日
同じ建物の別の会場の絵画展で
私どもの教会メンバーの
娘さんの
水彩画が展示されていて
ひときわ目だっていました。
天賦の才能ですね。
Aさんのお誕生日に
ふさわしい桜のお花
釧路で開花するのは5月になりますが・・・
103:14 主は私たちの成り立ちを知り私たちが
土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。
103:15 人その一生は草のよう。
人は咲く。野の花のように。
103:16 風がそこを過ぎるとそれはもはやない。
その場所さえもそれを知らない。
103:17 しかし主の恵みはとこしえからとこしえまで
主を恐れる者の上にあり主の義はその子らの子たちに及ぶ。
(旧約聖書 詩篇103:14〜17)
ちなみに展望レストランまいづるさんから
眺める釧路の夕陽は素晴らしいです。
私どもの教会にお客さんが来られる際には
この展望レストランまいづるさんに
よくお世話になっています。
支配人さんもとてもお優しく親切です。
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チーズフォンデュに浸されたフランスパン
天高く羽ばたくほどの美味しさ
ホームベーカリーで焼いた
フランスパンを用いての
チーズ・フォンデュを
いただきました。
味の決め手は
チーズかもしれませんね。
妻に感謝
チーズフォンデュに
浸されたフランスパンは
もはや
フランスパンであることが
わからず
ただチーズに浸された「なにものか」
同様に
主の愛に全身全霊、
まるごと
浸されるなら
もはや
私が私であることがわからず
イエス様の愛に浸された
「なにものか」
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
今私が肉において生きているいのちは、
私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、
神の御子に対する信仰によるのです。
(新約聖書 ガラテヤ2:20)
耳はことばを聞き分け、
口は食物を味わうからだ。
(旧約聖書 ヨブ記34:3)
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運動不足解消のため
寒かったのですが
桂恋方面を歩くことにしました。
寒いのなんの
風が冷たくて
3月にしては
真冬のようでした。
バス停でと言っても
小屋があるわけでも
風よけがあるわけでも
ありませんが
一休み
バスは1日1回通ります。
桂恋には
漁港があり
内陸には
昆布干し場がありますが
近年、太陽光パネルが
増えて、景色が一変してしまいました。
強風の時には
桂恋方面へのお出かけは
NGです。
遮蔽物がほとんどなく
風をまともに受け
体力の消耗が激しくなります。
嵐と疾風を避けて
私の逃れ場に急ぎたい。
(旧約聖書 詩篇55:8)
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釧路市内の某総合病院の
待合室
いつの間にか
すっからかん
ついさっきまで
ひしめくほどの人で埋め尽くされていましたが
シーンとしています。
どうやら私たちが最後のよう・・・
この日
さまざまな検査(PET,MRI,気管支鏡など)
の総合結果発表の日
私は、患者さんAさんと
ご家族のご依頼で
付き添いでまいりました。
予約予定時刻より
「60分遅れ」のデジタル表記を見ながら
1時間待ちを覚悟し
待合室にあった冊子を読んでおりました。
分子標的薬について
ドライバー遺伝子とか
マルチプロックスとか
ずいぶんと身近なものとなり
進歩したんだなあと
思いながら読みました。
薬物治療=化学療法=抗がん剤
という単純図式をイメージしていましたが
今日、
一言で抗がん剤と言っても
3種類のパターンがあるのですね。
問題は「特有の副作用が出ることがあります。」
の部分ですよね。
副作用の程度によっては
生活の質が著しく低下したり
治療によって寿命が縮まる可能性があることも
考えなければなりません。
長時間待ってから
呼ばれて
診察室に入りました。
医師の横には、パソコンの入力担当看護師がいて
会話内容を細かく入力していました。
キータッチの音が結構大きい。
そしてもう一人の看護師さんがおりました。
約30分の説明
私は、人生で初めて
いわゆる癌の確定診断
告知の場に
居合わせることになりました。
前回は「疑いがある」という
診断場面での
付き添いでした
ステージ4の診断
Aさんご本人とお連れ合い、
そして
私の3名で聴きました。
そして今後の治療方針についての
説明がなされました。
医師の方はとても丁寧に
わかりやすい言葉(専門用語は使わない)で
本人とご家族を気遣いながら
はっきりと(ごもごもせず)
説明をされました。
検査結果について
説明される際
「悪い」と言う言葉を、あえて遣わず
ことごとく「良くない」という
言葉を選んでおられました。
診察室に入ってきた時も、
「今日は、お疲れになったでしょう。」
Aさんご自身を
気遣う言葉を
絶えず、ふんだんに
かけておられました。
患者さんの患部ばかりを
看ようとする医師と
患部のみならず
患部を抱えた
患者さんを一人の人として
看ようとする医師が
おられると聞きますが
今回担当の医師は
後者の医師だったことは
幸いでした。
診察室を出た後
一人の看護師が出てきて
さらに気遣うように
患者さんとお連れ合いに
お声をかけてくださいました。
とても配慮が行き届いていると
思いました。
医師と看護師のチームワークの良さの
一端を垣間見させていただいたようでした。
自分が患者さん本人だったら
家族だったら・・・
さまざまなことを
想像しました。
Aさんご本人は
ご覚悟をされていたようで
冷静に受け止め
検査結果や今後の治療について
ご不安がある様子は示さず
むしろ
「おなかがすいたな〜
今朝は納豆しか食べていないからな〜」
と仰っておられたので
やや安堵しました。
私がAさんならば、
結果説明を聞いたショックで
あたりの風景が
すべて白黒に見えて
さっきまであった食欲も消えて
寝込んでしまうかもしれません。
Aさんのしなやかさから
学ばされたような気がしました。
帰り道は雪模様
車の中で
Aさんと対話をしました。
Aさんは、お辛い検査結果を
聴いた後でありながらも
むしろ車を運転する
私に向かって気遣いをされ再三
「すまないねえ」と
気を配ってくださいました。
後部座席に座っていたAさんに
「そういえば、
Aさんは、かつてハイヤーの運転手さん
されていたことがありましたよね〜」
「ああ、やってたよ〜」
「何年くらい乗っておられたんですか〜?」
Aさんは、間髪入れず
「19年!」
「19年ですか〜いろいろなお客さんがいらっしゃったことでしょうね〜」
「そだな〜」
Aさんの人生について色々
お伺いしたいと、思いました。
暗唱チャレンジ中の
聖書の詩篇103篇が思い出されました。
人の一生は草のよう。
人は咲く。野の花のよう。
(旧約聖書 詩篇103:15)
イエス様の守りと支えと癒しと救いが
Aさんの上にありますように
お祈りしています。
主が病の床で彼を支えられますように。
彼が病むとき寝床から起き上がらせてください。
(旧約聖書 詩篇41:3)
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弟子屈を通過するとき
釧路への帰り途
なぜか
立ち寄りたくなるラーメン屋さん
釧路では
めったにラーメンを
食べなくなりました。
このラーメン屋さんは
ほぼ年中無休
(元旦以外)
妻のお好みは
魚介醤油絞り
私は味噌
令和の時代
日本のラーメンは
群雄割拠、
多様化の時代
いわゆるご当地ラーメンがはやり
この弟子屈ラーメンさんは
なんと近畿地方にも
分店がおありですね。
「その土地で食べるからこそ
美味しい」というこだわりを大切にしたいなあ
と思いますが、
それと同時に、
「それを食べる時、その土地を懐かしく思い出したい。」
という思いもうなづけます。
どこで食べても美味しいものは
美味しいという点では
聖書のみことばは
その最たるもの
あなたがたは、
主がいつくしみ深い方であることを、
確かに味わいました。
(新約聖書 1ペテロ2:3)
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先日、屈斜路の砂湯にまいりました。
多くの中国人観光客の方が
望遠レンズを片手に
湖畔と白鳥ばかりを被写体として
撮影しているのかと思いきしや
カメラマンによっては
落葉樹の枝にとどまる小鳥など
だったり関心の対象は
それぞれなのだなと思いました。
以前、摩周湖に
中国人の方々を
引率した方からの話を
思い出しました。
その方のお話では
摩周湖についたら
中国人の方々が
一斉にカメラを向けたのが
摩周湖ではなくて
綺麗に澄んだ空であったそうです。
中国では
めったに見られない
空の綺麗さだったそうです。
白鳥は優雅です。
寒さの中で
私はとっくりセーターとか
マフラーとかで
首を覆っていないと
耐えられませんが
白鳥さんたちは
マフラーをせずに
長い首を丸出しにしても
平然としていて
すごいなあと
思いました。
あまりにも寒くて、
写真を撮って
すぐさま車に駆け込みました。
148:7 地において主をほめたたえよ。
海の巨獣よすべての淵よ。
148:8 火よ雹よ雪よ煙よ。
みことばを行う激しい風よ。
148:9 山々よすべての丘よ。
実のなる木よすべての杉よ。
148:10 獣よすべての家畜よ。
這うものよ翼のある鳥よ。
(旧約聖書 詩篇148:7〜10)
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2024.2.23
川湯温泉駅前にて
神戸出身の25歳の青年Aさんと
Aさんはほかに2名の仲間と共に
珈琲トラックで
道東各地を巡って
イベントなどで
出店しているそうです。
短期アルバイトで
やっているのかと思いましたら
この仕事が気にいって
ライフワークとしていきたいとのことです。
道東大好き青年です。
それにしても
日中でも氷点下7〜8度の
弟子屈町で
耳を出しながら
野球帽で
チラシ配りするこの若さには
驚かされます。
私なんか、ご覧の通りです。
硫黄山が目の前に見えます。
観光名所の一つですね。
ところで
聖書の中で「硫黄」は
神の怒りの裁きの象徴として
地獄ともゲヘナとも呼ばれる
苦悩の領域に関する文言として
出てきます。
私たち人間を罪に誘惑する存在としての
悪魔は最終的には
火と硫黄に満ちた地獄で
永遠の苦しみに入ることが
決定づけられています。
悪魔は、自分だけでなく
私たち人間も巻き添えにしたいと
いうことで
我らの先祖アダムとエバ以来
今日にいたるまで
私たちを神様の愛から引き離そう
罪を犯させようと
躍起になっています。
私は、クリスチャンになる前は
硫黄山を見るたびに
「ゆで卵できるかな」とか
「息苦しくて、喘息発作おきそう」
などと思ったものですが
今では
神様は、一人も滅びることなく
すべての人が救われて
真理を知ること
すなわち
永遠の命を得ることを望んでおられるなあ。
愛する隣人が
火と硫黄で苦しむことがあってはならない
と思わされ
だからこそ、イエスキリストの十字架と復活の
福音を伝えなければならないなあと
心が引き締められます。
彼らを惑わした悪魔は
火と硫黄の池に投げ込まれた。
そこには獣も偽預言者もいる。
彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。
(新約聖書 ヨハネの黙示録20:10)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに
世を愛された。
それは御子を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(新約聖書 ヨハネの福音書3:16)
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2024.2.25
コロナ禍で
しばらく控えていた
日曜日の礼拝後の
愛餐のときが再開されました。
コロナ、インフル、ノロなど
さまざまな感染症がはびこる昨今ですが
感染症対策をしっかりしながら
まずは毎月1回から増やしていこうね〜
ということで感動の再開初日
写真の壁時計が12時半すぎを示していますが
この日は、12時半から2階で懇談ミーティングもあり
身体が分身できたら
などと思ってしまいました。
イエス様は
罪びとたちと
食事を共にする場面が
数多く聖書では記録されていますね〜
教会堂で、私たちが
食事するとき
その食卓の真ん中に
イエス様がおられる。
微笑みながら。
イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、
見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、
イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
(新約聖書 マタイの福音書9:10)
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2024.2.25
賛美の集いが
日曜午後会堂で行われ
主をたたえる歌声が
響き渡りました。
私はと言えば
2階で懇談会中でしたが
教会堂には
賛美の声が満ちているっていいものですねえ〜
そこには言い知れぬ
憩いがあります。
全地は安らかに憩い、
喜びの歌声をあげる。
(旧約聖書 イザヤ書14:7)
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2024.2.24
教会堂で餅つきパーティーが行われました。
教会のメンズとJhomeの
企画で行いましたが、
世代を超えて楽しみました。
あなたは私にいのちの道を
知らせてくださいます。
満ち足りた喜びがあなたの御前にあり
楽しみがあなたの右にとこしえにあります。
(旧約聖書 詩篇16:11)
日本の正月伝統の餅つきは
聖書の民イスラエルにおける
毎年春に行う
伝統の過ぎ越し祭りにも
相通じるものがあり
神の家族が一体感を
味わう最大イベントの一つといっても
過言ではありませんね。
実際、明治時代
パンになじみのない日本のある教会では
毎週の聖餐式にパンの代用として
餅が使い、
「教会では毎週、餅を分け合って
食べていて
まるで毎週正月のような
陽気な雰囲気だそうだ。!」
といううわさが広がったそうです。
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弟子屈町に行ってまいりました!
戸外の寒さは
釧路よりも厳しいです。
愛の神様が、この厳寒の地に住む方々のために
温泉を賜った恵みを覚えます。
川湯温泉は一つ一つのホテルが温泉の泉を
それぞれもっているそうです。
それは、主イエスを信じる一人一人が
聖霊の泉を内に宿しているのと
似ていますね。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人の内で泉となり、
永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
(新約聖書 ヨハネの福音書4:14)
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2024.2.21
パートの仕事が6連休となった妻が
私を喜ばせるためにと
愛情込めて
新メニューに挑戦してくれました。
ご飯は、白米に十五穀を入れて
炊きました。
メインのおかずは、
SNSで流れていたものをメモして作
ささみ肉を砂糖、塩麹で揉み込み、卵液にケチャップや醤油、
コン
肉や柔らかくて、とても美
今まで「むね肉」は健康にいいと聞いて
よく食べていましたが
「ささみ肉」との違いは知りませんでした。
むね肉は、大胸筋
ささみ肉は、小胸筋(第2胸筋、深胸筋)
ささみ肉は、なぜささみ肉というかといえば
その形状が「笹」に似ているからだそうです。
知りませんでした。
ささみ肉は
むね肉と同様
高蛋白質ですが
むね肉よりも
低脂質のため
高脂質傾向にある方には
お勧めのようです。
103:22 主をほめたたえよ
すべて造られたものたちよ。
主が治められるすべてのところで。
わがたましいよ主をほめたたえよ。
(旧約聖書 詩篇103:22)
毎日腕立て伏せをする時に
むね肉・ささみ肉を
意識しましょうかねえ〜
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パートの休みの妻が
ランチにホットドッグプレートを
準備してくれました。
普段は、昼食は自分で作って
食べていますが
やはり作っていただけることは
感謝です。
半熟の卵の黄身を
パンの切れ端で
ぬぐいながら
美味しく食べきりました。
幼少のころ
ホットドッグを
さまざまな行事で
ほおばった
記憶がよみがえります。
ウインナーソーセージを
パンで挟むのが通例ですが
熱したソーセージそのものも
ホットドッグだそうですね。
でもウインナーソーセージは
やはり
単体で食べるよりも
挟んで食べるほうが好きです。
私たちも、この世にあって
単独で生きているのではなく
多くの人の愛とやさしさに
挟まれながら
包まれながら生かされていますね。
キリスト者の場合は
すでに天に凱旋された信仰者たちも
取り巻いていていることを
意識することで
忍耐をもって
果敢に歩むことが
許されているのですね。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、
雲のように私たちを取り巻いているのですから、
私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、
自分の前に置かれている競走を、
忍耐をもって走り続けようではありませんか。
(新約聖書 へブル書12:1)
今日、一人ぼっちで寂しそうな人がいたら
一人で関わろうとせずに
誰かと一緒に
ホットドッグのように
挟んでさしあげられると
幸い
ホットドッグの厳密な定義は
パンの切れ目に
ウインナーソーセージを挟むこと
わたしはいのちのパンですと言われた
そのまことのパンである主イエスが十字架で
そのみからだを裂かれ
その裂かれた
傷口から流れ出るきよい血潮が
私たちの心を癒すことができ
温めることができる・・・
主イエスの愛で挟まれ、包まれ
身も心もホットにされる
ホットドッグとされますように!
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ご近所のAさんが、なんと真冬の釧路の昼下がりに
半袖一枚で戸外にいらっしゃったので
「Aさん!寒くないんですか!?」
「今、風呂さ、入って出たとこなんだ〜」
「そうでしたか〜」
Aさんが、いとしいまなざしで見つめておられる
ブルーシートの上に置かれた
木の枝の列が目に入りました。
ほぼ、同じ長さに切断されています。
「どこで、集められたんですか?」
「大楽毛とか、益浦とか、いやあ、大変だったわ」
「そうでしたか、海岸は寒いでしょうし。」
「で、これらの木は、何にお使いになるのですか?」
流木の2か所に穴をあけ
5本くらいずつ束にして
針金を通して
飾りとして
高齢者の方の施設で
お使いになられるとのことです。
ちょうど組み合わせやすい太さの流木を
探し集める作業は
結構骨が折れるそうですが
運動にはなり「血行」の方は
よろしいようです。
あまり長く話すと
風呂上がりのAさんを
湯冷めさせてしまってはいけませんので
ご労苦に
称賛とねぎらい言葉を
残し、失礼しようと
踵を返して
帰りましたら
後方から
「はっくしょん!」
組み合わせやすい流木を集められたAさん
主イエスは、私たちを
組み合わせやすいように
愛の針金を通してくださっておられるよう。
主イエスは、いとしいまなざしで
私たち一人一人を
さて、どうやって組み合わせようか
と見つめておられる。
主イエスの手足が
十字架で太い釘が貫かれて
固定された光景とも
重なり合うようなイメージが
目に浮かびました。
愛を貫くことは
命を貫くこと
愛を貫くことは
痛みを貫くこと
組み合わされ
つなぎ合わされる過程で
痛みが伴うもの
そのようにして組み合わされ
つなぎ合わされた者たちのコミュニティは強固なり
キリストによって、からだ全体は、
あらゆる節々を支えとして組み合わされ、
つなぎ合わされ、それぞれの部分が
その分に応じて働くことにより成長して、
愛のうちに建てられることになります。
(新約聖書 エペソ書4:16)
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2024.2.18
「糸くくりの会」をサポートする懇親会
糸くくりの会とは
80歳以上の人生の先輩たちの集い
その糸くくりの会を
励まし、支え、つなげるサポートチーム
たとえば
誕生日を迎えるメンバーのために
温かい手作りの色紙を作成して
プレゼント共に
お届けしています。
遠方にいらっしゃる方のところへも
チームでの訪問を計画しています。
教会の中でなくてはならない
大切な働きです。
彼ら、彼女らの笑顔の訪問を
楽しみに待っている
教会の人生の先輩たちの
お喜びになる姿を見て
イエス様が喜んでおられます。
彼らは年老いてもなお実を実らせ
青々と生い茂ります。
(旧約聖書 詩篇92:14)
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2024。2.28
昨日は、第2礼拝後
会堂二階で
牧会のスタッフとセルリーダーの
グループ懇談と並行して
会堂ではワーシップチームのミーティング
が行われました。
階下を見ると
ワーシップチームの皆さんが
和気藹々と
いかにして神様に最高の賛美をささげられるか
いかにして会衆の皆さんが
主を愛し主をほめたたえることを
励ますことができるか
分かち合い祈り合っていました。
麗しい光景で
見惚れてしまいました。
メンバーは10代から60代まで
幅広く世代を超えて
神に仕える仕えるスピリットが
継承されていることが
素晴らしい。
ワーシップチームが
主によって備えられていること
自体が感謝です。
一体感というか
ただただ主の栄光のためにという
一致がなされている点が
素晴らしい
イエス様が喜んで微笑んでおられるのが
目に浮かびます。
ラッパを吹き鳴らす者たち、
歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、
主を賛美し、ほめたたえた。
そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、
「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と
主に向かって賛美した。
そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。
(旧約聖書 ?歴代誌5:13)
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昨日のお昼は、
お正月のお餅ときな粉が残っていたので、
ゆで卵、きな粉餅、いちご(とちあいか)、
緑茶をお昼にいただきました。
妻曰く、
夜はボリュームのある食事を出すとの事でした。
チーズに浸るウインナー
チーズにどっぷり浸かるウインナー
バプテスマのよう
チーズに絡まるウインナー
チーズに絡まるブロッコリー
チーズに浸る
かぼちゃと
ジャガイモ
夕方ミーティングから帰ると、何やらチーズのいい香り!
妻がチーズフォンデュを作ってくれました。
チーズフォンデュの容器のセットが、
昨年暮れに某店で割引してい
お得意のyoutubeでチーズのソースと材料を
調べて作ってく
このどろっとしたチーズに
からまると
すべての具材が美味しく
感じられます。
イエス様の御霊に
包まれると
どんな人でも
幸せになれるのと
似ています。
前日精神的疲労で
限界を覚えて
睡眠もままならず
かなりまいっていたのですが
昼夜と
妻の愛情に満ちた
手料理で
回復が与えられました。
リア充という現代用語は
こういう瞬間のことを
さすのだなと
改めて実感しました。
チーズがキリストの愛に見えてきました。
これは幻覚ではなく
リア充のしるし
というのは、
キリストの愛が私たちを捕らえているからです。
私たちはこう考えました。
一人の人がすべての人のために死んだ以上、
すべての人が死んだのである、と。
(新約聖書 ?コリント5:14)
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2024.2.16
一昨日の降雪で今日の釧路は雪景色
早朝曇っていたものの日が差して
地面も空もブライト!
心が晴れやかになりますね。
イエス様ありがとう!
標茶へ行く途中
国道には
何台もの除雪車の姿
尊いお働きに感謝!
この日は標茶原野での
聖書学び会
箇所はダニエル書9章24-27節
聖書解釈の難所中の難所と
言われる箇所
解釈もさることながら
標茶原野で
さまざまな病気の痛みを抱えながら
悪戦苦闘されている
方々をこの箇所から
イエス様はどのように励まし慰めようとされているか
真剣に祈らされました。
新鮮な悔い改めときよめの恵みを
私自身が
標茶原野の皆さんの信仰を
通して受けさせていただきました。
学び会後の
いつものカツカレーは
普段にもまして美味しかったです。
お店は、汽車を撮影するために
あちこちから集結されたカメラマンで
ごった返していたようです。
黄金色のカツカレーをいただきながら
新しい天と地の
黄金色は
どんなだろうと
思いました。
それと同時に
共にカツカレーを食しておられる
神のしもべの皆さんは
きらめく黄金で羽根が覆われた
鳩さんたちのように
思えました。
羊の囲いの中に横たわるとしても
あなたがたは翼が銀でおおわれて
きらめく黄金で
羽がおおわれた鳩のようだ。
(旧約聖書 詩篇68:13)
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2024.2.15
マウスが、まったく機能しなくなって
電池を替えたり
PC内の色々な部分を操作しても
変わらず、
パソコン本舗さんに持ち込み
マウスそのものが
もう利かないことがわかり
中古のマウスを
買い換えました。
なるべく今まで使っていたマウスと似たような
形状のものを選びました。
そして帰宅して
遣うと、マウスは機能しますが
今度は、ワイヤレス・キーボードを
叩いても
まったく反応しないので
ふたたびパソコン本舗さんに
お電話したところ
「ドングルが必要ですので取りにいらしてください。」
と言われ「どんぐり?ですか」
「どんぐりって何ですか?」
「ドングルとはUSBのちょこんとしたやつです。」
ええ?自宅からお店まで
2往復しなければならないのかあ〜
「ワイヤレス・キーボード用のドングル」と
「ワイヤレス・マウス用のドングル」の
二つをベースとなるPCのUSBソケットに
装着する必要があることがわかりました。
「ドングル」のことを私は「どんぐり」と聞き間違い
ああ、きっと形状がどんぐりのようだからかな、と
勝手に思い込んでいました。
帰り際、店員さんに念を押して
「ええと、これ、どんぐり、でしたよね?」
「いいえ、ドングルです。」
「あ、そうですか、ドングルですか・・・
てっきり、どんぐりかと思いました。」
ドングルのおかげで
本体から離れていても
シグナルが遅れるのですね。
私たちの
人間関係も
物理的に離れていても
通じ合っている安心感を持てる人は
幸いですよね。
イエス様を信じていると
神様との関係も
物理的に離れていても
聖霊を通して
神様が
傍らでいつも声をかけていてくれるので
安心、幸いですよね。
私は肉体においては離れていても、
霊においてはあなたがたとともにいて、
あなたがたの秩序と、
キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
(新約聖書 コロサイ書2:5)
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イチゴ生産量日本一の
栃木県在住の友人から
「とちあいか」が贈られてきました。
「栃木県で愛される果実」から
「とち・あい・か」と命名されたそうです。
あの甘酸っぱいことで有名な
「とちおとめ」の生産量を抜いて
今年は「とちあいか」が
トップとなったそうです。
「とちあいか」は
イチゴでありながら
酸味がないので
甘味だけが引き立ち
糖度は高いです。
えっこれイチゴなの?
と不思議に思うことでしょう。
900種類もの交配の結果誕生したそうです。
ひたすら甘いのだけが好みで
酸味が苦手な方々にとっては
人気なのだそうです。
私ら還暦世代にとっては
うーむ不思議な感覚かもしれません。
これから、イチゴ好きの80歳のAさん宅に土地「とちあいか」
携えての 牧会訪問に行ってまいりま〜す!
聖書のお言葉は
「とちあいか」よりも
さらに甘いですね〜
あなたのみことばは私の上あごに
なんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。
(旧約聖書 詩篇119:103)
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2024.2.13
釧路の冬茜
眺めているとき、保護観察中の青年から
電話が入ったので
「ところで、今、どこにいるの?」
「釧路市内走っているんすけど」
「西の空見てごらんよ」
「赤いっすね」
「きれいだろ」
「そっすね」
茜色は赤色に少しの黒色と黄色を混ぜた色
赤色の持つ情熱や生命力
少しの黒色が入ることで
内に秘めた活力
を感じさせます。
そしてほんの少しの黄色は希望を。
茜色の空は寒い冬のストレスを感じながらも
季節を乗り越えた先にある希望に向かって
前向きな気持ちにさせてくれる色なのだと
色彩カウンセラーがおっしゃっています。
「さあ、来たれ。論じ合おう。
──主は言われる──
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
(旧約聖書 イザヤ書1:18)
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今朝は、歯科受診日
歯科衛生士さんが
「歯の裏側を見たことがおありですか?」
と言って、
小さな鏡で
裏側を見せてくださいました。
普段治療中は
目をつぶっているので
その状態をイメージすることなく
痛いなあとか、沁みるなあとか
長いなあとか
顎がつかれるなあとか
自分の感覚ばかりに
心が集中していました。
「痛かったら手を挙げて教えてください、」
と言われながらも
痛いと言って
措置の手を緩められるよりも
痛くても
措置をしっかりやってもらえた方がよいと思い
ついつい我慢しがちです。
今までは
自分の痛みばかりに意識を
集中しすぎていました。
自分の歯や歯肉の状態を
イメージすることの大切さを
教えられて感謝でした。
治療が終わって
「今日は痛かったなあ」とか
「今日は、それほど痛くなかったなあ」
という感想のみが
残るとしたら
学習不足としか
言いようがないなあ。
これは、心のありかたについても
同じことがいえるなあと
思いました。
人とのかかわり方や
さまざまな奉仕や仕事の営みについて
自分の気持ちばかり考えて
客観的に
自分の心の裏側のありようを
イメージすることを
忘れやすい自分がいたなあと
思いました。
今日の歯科衛生士さんには
ふだんより
念入りに感謝の言葉を申し上げました。
私の尊敬する精神科の先生が
患者さんが
「回復傾向にあるかどうかは
受診を終えて帰る時の
様子で、ほぼわかる」
と仰っていたのを
想い出しました。
回復傾向にある人の
共通点は
「ありがとうございました」
と感謝するそうです。
感謝の言葉を発することが
できるということは
自分だけに関心が向いていないしるし
相手や周りにも心を向けられる
心理状態の表れなのだそうです。
そうすると脳内から
良い物質が出ているしるし
なのだそうです。
教会で
礼拝後に
玄関口で
お帰りになられる方々の
ご様子でその方の霊的な状態が
想像できるのと
似ているかもしれないなあと
思いました。
なるほど・・・。
歯科に行くたびに
こんどは
歯磨きをもっと、しっかりしなければ
ということを
学ばされます。
いつも念入りに歯を磨いている「つもり」でも
磨き方は、自分流で
十分に磨けていないことが
あるものです。
「毎朝」、聖書を読んでいます。
と言っても
自分流に読んで
主のみ声を聞いた「つもり」になっている場合が
多いのと似ています。
歯科検診が定期的にあるように
自分の心のありようも
誰かに定期的にチェックしてもらうことが
必要のようですね。
「その聖句を読みながら
心の内側見たことがありますか。
どのように見えますか。」というように。
この質問を自分に問いかけたいもの。
クラーク博士の弟子だった
内村鑑三は農学部の出身ということもあってか
「信仰とは実験のようなもの」と言いました。
聖書のことばを
自分の生活で試して
実験すること
の大切さを強調されました。
なるほどと思いました。
今日、歯科衛生士さんから言われたこと
歯科医から言われたことを
「しっか」りと
試してみたいものです。
みことばを聞いても行わない人がいるなら、
その人は自分の生まれつきの顔を
鏡で眺める人のようです。
(新約聖書 ヤコブ書1:23)
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2024.2.11
みなさん、憩いの表情
魂の休息を
味わっておられますね〜
教会堂で
第1礼拝が終わって
階下では第2礼拝の最中
お二階では
セルグループの一つ
カラフルの皆さんが
セル集会をし
楽しい分かち合いをなされていました。
イエス様は
信じる人たちに
休息の場所
休息の時間
休息の仲間を
備えていてくださることは
なんという恵みでしょう。
4:16 キリストによって、からだ全体は、
あらゆる節々を支えとして組み合わされ、
つなぎ合わされ、それぞれの部分が
その分に応じて働くことにより成長して、
愛のうちに建てられることになります。
(新約聖書 エペソ書4:16)
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2024.2.10
いつも1日数回、三毛猫ちゃんを
抱いてご近所を
ぐるりと散歩されるAさん
私は、三毛猫ちゃんの名前を
微妙に間違えては
訂正されることしばし。
「ニャンカ、ヨウアル?」
しばらくAさんと立ち話していると
三毛猫ちゃんが
私に対して怒りを向けました。
Aさん、曰く
「やきもちやいているんだよ」
「知っている人でも
長くご主人と話すと
すぐやきもちやくんだよ。」
「えっ?この三毛猫ちゃん、雌なんですか?」
「三毛猫は、ほとんど雌なんだよ。」
「え?そうなんですか?」
「ああ、雄の三毛猫だったら3千万円もするそうだよ!」
「えっ!三毛猫の雄って、そんなに高いんですか!」
「なんで、そんなに高いんですか?」
「三毛猫の雄は、漁師たちにとっては
とってもありがたいんだ。貴重なんだ。
明日の天候や、海のしけり具合とか
雄の三毛猫は
全部わかって教えてくれるんだ。」
「へ〜、そうなんですか。」
「ああ、しかし、三毛猫はほとんど雌なんだ。
ほとんど生まれてくるのは雌ばかりなんだ。」
驚いて、帰宅して調べてみると
Aさんがおっしゃる通り
三毛猫の雄が生まれる確率は
なんと3万分の1だそうです。
びっくりしました。
しかも、染色体異常などで
突然変異で生まれるケースだけで
たとえ生まれても
生殖機能が弱いそうです。
知らなかったですね〜。
三毛猫については
全く無知でした。
Aさんの話によると
三毛猫は
雌であっても
雄ほどではないにしても
海の状態を
ある程度予測できるそうです。
Aさんは1年じゅう海づりをされて
Aさんのたんぱく源のほとんどは
自ら釣った魚がほとんどです。
海について詳しいAさんですから
三毛猫ちゃんの様子を観察しながら
海の状態を
ある程度予測できるそうです。
「どういうふうに、三毛猫は天候を知らせてくれるんですか。」
「天井向いて寝たりとか
盛んに歩き回ったりとか」
「へええ〜」
私は、三毛猫については
今まで、珍しくもなんともないと思い
特に、野良もたくさんいると
うっとうしいとさえ思ってしまっていましたが
このたび
人間に
さまざまな気付きを与えてくれる
大切な動物として
創造主が
デザインされていたことを
知って三毛猫ちゃんを軽んじていたことを
反省しました。
聖書の中には
犬は登場しますが
猫は、猫と言う名前では登場しませんが。
猫科の「ひょう」とか「獅子」は出てきますね。
ただ紀元前7〜6世紀に
エジプトの王様の名前で
第26王朝のネコという方が登場し
イスラエルの南王国の王ヨシヤは
よせばいいのに
ネコが、アッシリア王のもとに行こうとしたときに
迎え撃ちにしようと
出かけていってしまい
メギドで討死してしまいました。
戦う欲望は
自らの身を滅ぼしてしまうという
教訓を教えてくれた王様ですね。
ネコには手を出すべきでは
ありませんね〜。
Aさんの猫ちゃんの毛並みがきれいなので
なでなでしようとして
手を出してしまいましたら
猫ちゃんから
迎撃パンチをくらいました。
爪が出ていなくて幸いでした。
(熊爪といえば「ともぐい」主人公を想い出しますね。)
彼の時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、
アッシリアの王のもとに行こうと、
ユーフラテス川を目指して上って来た。
そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、
ファラオ・ネコはメギドで
彼に出会った際、彼を殺した。
(旧約聖書 ?列王記23:29)
三毛猫の雄はレオならぬレア
猫科のライオンは
ギリシア語ではレオン
ラテン語ではレオ
中国語で獅子というそうですが
獅子の起源は大きなイヌだそうで、
語源を調べると
頭がこんがらがりそうですね。
確かなことは
創世記によれば、神様は
種類ごとに
創造されたので
メンデルの法則にもならい
「猫科」はいつまでたっても「猫科」です。
そして「ヒト」は、最初の先祖アダム・エバ以来
昔も今も、創造主のイメージに似せてつくられた「ヒト」
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2024.2.9
この日は妻が、
「釧路友の会」の方からいただいた
強力粉があったので、
パンを焼いて
手作りのパンはやはり美味しいものです。
スープもかぼちゃからパンプキンスープを
作ってくれました。
たんぱく質がとれるように
ゆで卵、ギリシャヨーグルトも用意してくれました。
感謝です!
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。
(新約聖書 ヨハネの福音書6:35)
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2024.2.9
まるで、顕微鏡で
雪の結晶を覗き込むよう
今朝、家の前に駐車中の
妻の軽四車両のフロントガラス
についていた結晶
午前6時時点で
マイナス10度で
湿度が100%の釧路
こういう気温と湿度だと
このように美しい造形美を
楽しむことができます。
今朝、教会堂の駐車場の雪の塊に
照らされる陽光で
見事なダイヤモンドのように
雪が照り輝いていました。
神様が光を用いて
自然界に見せるわざには
趣がありますね。
イエス様は
弟子たちに向かって
「あなたがたは世の光です。」
と仰ってくださいましたので
信じる者たちを通して
みわざを今日も見せてくださるのですね。
あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。
(新約聖書 マタイの福音書5:14)
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2024.2.8
昨年の12月30日以来の10キロラン
しばらくぶりに走りましたので
身体が重く感じました。
2024年の初ランとなりました。
汗が冷えないようにと
ダイソーで購入した
サウナスーツ上下を中に着て走りましたら
汗がとめどなく吹き出て
全身びしょぬれになりましたが
さすがにサウナスーつだけあって
汗が冷えることなく守られました。
最初は気持ちよく走れて
走り始めて7キロくらいまでは
行きかう人に
さわやかに大きな声で挨拶ができましたが
後半はさすがに息切れがして
挨拶をする余裕が
ありませんでした。
釧路では、見知らぬ人でも
歩道で行きかう際に挨拶すると
10人中8〜9人は
挨拶を返してくれます。
釧路市民の皆さんは
総じて親和的で優しい方が多く
犯罪も少なく平和です。
よって保護司仲間たちの多くは
保護観察件数が少なくて
手持無沙汰な方も少なくありません。
ある意味で喜ばしいこと
かもしれませんね。
走りながら、
「なんて平和な町だろう」と
つくづく思いました。
しかし
「平和の福音」を必要としている人は
人口減少中の釧路とは言え
現在16万人もいます。
キリストを通して
神との平和を築く方が
釧路市内で
毎日一人新たに起こされても
1年間で
365人です。
誰にでもいつでもどこででも
福音を伝える備えをしたいものです。
足には平和の福音の備えを
はきなさい。
(新約聖書 エペソ書6:15)
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2024.2.7
本日は80代のAさんとの
毎週一回の
聖書学び会
聖書学び会といっても
聖書は使いません。
紙芝居で
聖書のメッセージをお伝えしています。
Aさんは、とても熱心に
聴いてくださいます。
信仰は聞くことから
聞くことは
キリストについてのみことばから
とありますね。
日本人の多くは
あの分厚い聖書を見ただけで
「キリスト教は難しそう」
と思うに違いありません。
仏式葬儀に参列するとき
そこで配られる
お経は
薄くて、小さな冊子ですね。
中身は漢字ばかりですが
一つ一つの漢字が大きく印字されているので
視力の弱いご高齢の
方々でも
たとえその漢字の発音ができなくても
「表意文字」なので
意味を察することができて
易しい印象を与えるようです。
一方、聖書の字は
大多数のご高齢の方々には
小さすぎます。
ある時、教会案内のチラシを
近所にお配りした時に
70代の方が
「チラシを受け取って
字が小さいだけで、
これは
自分には関係ないものだ、
と思ってしまうもんだよ。」
とご指摘されたことが
記憶に残っています。
ですから
ご高齢の方と
聖書を学ぶ場合は
字が大きい読み物を
お持ちするか
もしくは
紙芝居とか
色々、工夫が必要ですね。
ユダヤ人には
ユダヤ人に対するように
ご高齢の方には
ご高齢の方に対するように・・・
何はともあれ
イエス様を信じて
明日のことで
心配なこと、不安なことは
一つもありません、
そうおっしゃっておられたAさん
イエス様にゆだねきった
安心した表情から
こちらが励まされています。
ですから、明日のことまで
心配しなくてよいのです。
明日のことは明日が心配します。
苦労はその日その日に十分あります。
(新約聖書 マタイの福音書6:34)
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2024.1.24
我が家の居間から見える風景
2024.2.6
毎日が異なる景色
カンヌ映画祭で話題になった
「パーフェクトデイズ」を観ました。
ずいぶんと観客さんが多かったのには
驚きました。
あっと言う間に終わりましたが
余韻が残るというか
一つ一つのセリフが鮮明に残る
映画でした。
つくづく礼拝メッセージは
短くしなければと
思いました。
毎日のルーティーンの中で
主のなさる営みに
もっともっと
目を留めて
微笑みを大切にしていきたいとも
思わされました。
世界の巨匠がつくる映画は
さすが質的に違うと思いました。
私たちの地上人生
同じ日なんて
一日もない
ただし、どの日も主が設けられた日だとすれば
毎日がパーフェクト・デイ
なんですね。
もっと、もっと、この日を楽しみ喜ぼう!
これは主が設けられた日。
この日を楽しみ喜ぼう。
(旧約聖書 詩篇118:24)
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2024.2.5
私たちの教会で
集められた
能登半島地震救済献金を
振り込みに
郵便局に歩いて行く際
日差しが温かいので
マスクをかけないで歩を進めましたら
凍れる冷気が鼻から喉を通って
気管支をことごとく
収縮させていきました。
予想外の「気道収縮」にあわてて
両手で
口と鼻を覆いながら
歩きました。
午前10時でも体感温度は
−10度以下の
釧路市桜ケ岡です。
写真の
上部の高山ごみ処理場の
煙突から出る煙が
横にたなびいていることからも
わかるように
相当風が強いようです。
厳寒期は
玄関にマスクを備えて置こうと
思いました。
「ともぐい」(直木賞作品)の
冒頭部分
「鼻から息を吸いこむ。・・・零下三十度の冷気は
鼻毛と気管を凍てつかせ、
氷塊のように体の中を滑り落ちていく。」
を想い出しました。
見事な、表現だなあと
何度読み返しても
改めて感心します。
それに続く
「その外気が肺を冷やして
脳髄を鮮明にしていく。」も
見事です。
いやあ、まさに、そのとおりだなあ
見事な表現にぶつかるたびに
立ち往生して
一向に読み進めることができません。
泳いでも泳いでも
前に前進していない感覚と
似ています。
「ともぐい」をちびりちびり読んでいます。
このペースなら
芽吹きのころ
までかかりそう・・・
それにしても釧路の厳寒期は
体は硬直させられますが
澄んだ大空は
心に元気を与えてくれます。
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
(旧約聖書 詩篇19:1)
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2024.2.3
毎週土曜日の晩6時半に
私どもの教会のワーシップチームの皆さんが
会堂に集まって
お祈りをして
日曜礼拝の備えのための
賛美をささげます。
私たちの教会堂は
住宅街に建って40年以上たちますが
会堂内で楽器を奏でて
歌声響かせても
「うるさい!」と
苦情を言われたためしが
一度もありません。
夏場に窓を解放して
大声で歌っても、です。
そういう意味では
とっても
優しい隣人たち
に恵まれています。
毎週土曜日に
賛美の練習をささげています。
翌日の今日の
日曜礼拝での賛美
今日も、本当に
素晴らしかったです。
何が素晴らしいかって
会衆の声が一つになって天に届いている
という実感が伝わってくるのです。
とりわけ、
こどもたちの元気ではつらつとした
声が加わる第2礼拝は
もう、天国に引き上げられる感じです。
この日、
ベースギターと
アコースティックギターの二本を駆使して
奉仕されたAさんは
かつて釧路の
ライブスタジオで
ロックバンドを率いて
耳をつんざく激しいジャンルの音楽を
ギターで弾いて叫んでおられた
リードボーカルの方です。
イエス様を信じた今は
天の父に向かって心から叫んで
唄うように変えられました。
イエス様は本当に素晴らしいです。
一人でも多くの釧路の皆さんとご一緒に
賛美をささげられたら
素晴らしいなと願っています!
わがたましいよ
主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ
聖なる御名をほめたたえよ。
(旧約聖書 詩篇103:1)
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2024.2.2
昨日は、釧路の某総合病院に入院中の
70代男性Aさんの今後の治療方針について
医師からの説明があるとのことで
Aさんの奥様からのご依頼を受けて
同席させていただきました。
Aさんご夫妻の間に座って
じっくりとお話を
聞かせていただきました。
医師は、
専門用語を極力避け
なるべくわかりやすい言葉で
説明してくださいました。
約40分間ぶっ続けで
医師の説明を聞くというのは
私の人生の中では
めったにないことです。
かつては、患者さん本人には
告げるのに躊躇すると思われるような
内容であっても
今の時代は、本人も家族も一緒に
大切な情報は共有するという
時代になっているのですね。
それにしても
検査をするかどうかという
決断の前に立たせられる
患者さんご本人と
ご家族の心境はいかなるものか
当事者の気持ちを
昨日はとても重く受け止めました。
自分が、患者さんの立場だったら
どうするだろうか?
自分が、ご家族の立場だったら
どうするだろうか?
どう思うか?
一口にご家族と言っても
妻の思いと
息子の思いでは
異なるでしょう。
ご長男は遠く東京におられます。
言わずもがな
御父さんのことを
心配されていて、
お母様の説明だけでは
わからないところもあり
ご心配され
晩遅くメールで
ご連絡をいただき
ご説明させていただきました。
医師の説明を終えて廊下の
待合室で
あれこれ思いめぐらしている時間の
長いこと長いこと
しまいに
息がつまりそうになり
外来の廊下の突き当りの
窓から西の空を見て
ようやく深呼吸をして
心が落ち着きました。
主が病の床で彼を支えられますように。
彼が病むとき寝床から起き上がらせてください。
(旧約聖書 詩篇41:3)
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今朝の釧路新聞の1面で紹介された
釧路管内鶴居村に昨年12月中旬ごろから
飛来したカナダヅル
体長は写真を見てお分かりのように
タンチョウより小さめ
専門家の話によれば
群れから離れて
ガンやハクチョウらの
大型水鳥とともに
北海道に来てしまったのではないか
ということらしいです。
本来はフロリダやテキサスで越冬する
そうです。
日本の方が住みよいのかな?
西日本で見られるマナヅルも
やはり昨年12月から一羽飛来してきていて
野鳥愛好家たちから
マナヅルとカナダヅルを
「マナカナ」と呼んで
注目を浴びているそうです。
タンチョウは「タンちゃん」としましょうか。
タンちゃん「きみさ、見かけない顔だね、誰?どっからきたの?」
マナちゃん「マナちゃんって呼んで!ぼくもどっからきたか、よくわかんないんだ
どうも、家族からはぐれてしまったみたいなんだ。」
タンちゃん「きみたち、遠距離を渡って越冬するツルたちは苦労が多そうだね。
うちらは、年中ここらへんにいるので
はぐれるってことはめったにないんだよねえ。」
(カナちゃん)「ぼくのかぞく、どこいっちゃったのかな?
みんな、ぼくのこと、さがしているだろうなあ」
ずいぶん、遠くに来ちゃったみたいだなあ〜」
(カナちゃん)「みんな、おおきくて、たくましそうだなあ。
心細いなあ。寂しいなあ
なんか、外国にいるみたいだなあ」
(タンちゃん)「群れから離れちゃんだなあ、
大陸渡ってこんなとこまで来て、かわいそうに」
(カナちゃん)「仲間に入れてもらえるかなあ
かれらといっしょにやっていけるかなあ〜
いつか家族のところに帰れるかな〜」
マナちゃん「もう、帰れそうもないから、みんなの仲間に入れてもらうしかないかなあ」
マナちゃんとカナちゃんがくちばしをそろえて
言うことにゃ「群れから離れないように気をつけないとなあ」
ツルの世界にも
基本的には
群れを大切にし
棲み分け本能が
創造主から与えられているでしょう。
群れからはぐれた別なツルたちを
防御本能から
威嚇したりすることが
多少なりともあるようですが
少なくとも、
滅ぼそうとはせず
最終的には
受け入れる
種の中における共生本能も
創造主によって
残されているようですね。
一方、我々ヒトという種は
自分(自分たち)と異なる者たちに対して
徹底的に
お互いに挑み合ったり
排除し合ったり
滅ぼし合ったりしようとする点において
ツルたちよりも
劣っているよう
もっと、創造主を畏れて
ツルたちから学びたいものです。
世界の為政者たちを
厳冬期の
鶴居村にお招きして
ツルたちを、各自、双眼鏡で観察していただき
「平和と共生」について
話し合っていただいてみてはいかがでしょう。
温かい会議室でテーブルをはさんでではなく
釧路湿原の「雪原」で、お互いの手をさすり合いつつ
焚火をたいて身を寄せ合って
温かい甘酒などすすりつつ
話し合っていただいてみてはいかがでしょう。
そうすれば燃料代も「節減」できそう
ですから、私たちは、平和に役立つことと、
お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。
(新約聖書 ローマ14:19)
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先日、とある会合で
参加者お一人お一人に
茶菓子が入った袋が配られ、
感謝して受け取り
帰宅して
中身を開きましたら
底の方から
缶ビールが顔をもたげて
やや困惑しました。
私を含め
我が家ではビールを飲む人がいないので
どうしようかと思い
そうだ!と思い
ご近所で
お一人暮らしをされている
Aさんはもしかすると
お飲みになるかもしれない
と思い
Aさん宅に
お菓子とともに
お持ちしましたら
満面の笑みで喜んでくださいました。
私は日ごろ何かと、Aさんのお世話になっていて
私から「ありがとうございます」
と言わせていただくことは
茶飯事なのですが
「ありがとう」と
Aさんの口から感謝の言葉を
いただけるようなことをできたためしが
今まで恥ずかしながら
なかったので
何か、とてつもなく良いことを
したのかなと
早合点するほどでした。
笑顔のAさんは、「ちょっと、待ってや!」
帰ろうとした
私を引き留めて
Aさんは透き通った水の入った
焼酎のボトルを差し出されました。
「今日、弟子屈町の美留和(びるわ)に行って
汲んできた水なんだ。よかったら飲んでや」
朝からAさんのご自宅前の軽四の車が
見当たらなかったので
ああ、Aさん、今日は
釣りに行かれているのかな
と思っていましたら
美留和(びるわ)まで水を汲みに
行かれていたのですね。
2か月に一度の割合で
美留和(びるわ)に新鮮な摩周湖の伏流水を
汲みに行かれているAさんです。
申しわけないなと思いました。
なんか、私はAさんから健康的な飲み物を
いただき
Aさんには私からあまり健康的とは言えない飲み物を
受け取らせてしまったような
ちょっと後悔が残るような
物々交換となってしまってような感じで
うーむ
でも、あんなに喜ぶAさんの顔は今まで見たことが
ありませんでした。
ところで、Aさんから頂いた美留和(びるわ)の摩周湖伏流水で
いただく珈琲は
さすが、世界一の透明度を誇る水だけに
美味しいです。
次回は、もう美留和(びるわ)まで汲みに行かなくても
良いほどの
素晴らしい命の水を
こちらから
おすそ分け出来たらと願っています。
そして、永遠に乾くことのない水をご賞味いただいて
今まで見たこともないような
Aさんの笑顔を拝見できますように。
4:13 イエスは答えられた。
「この水を飲む人はみな、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人の内で泉となり、
永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
4:15 彼女はイエスに言った。
「主よ。私が渇くことのないように、
ここに汲みに来なくてもよいように、
その水を私に下さい。」
(新約聖書 ヨハネの福音書4:13〜15)
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2024.1.29
釧路保護司会 桜ケ岡分区の
今年初めての
自主研修会
頼もしい仲間たち
様々な職歴の方々によって
構成されている
保護司会です。
皆さんの様々な人生経験が
更生保護に生かされます。
保護司として26年の長きにわたって
更生保護にご尽力されて引退されたAさんへ
花束贈呈
保護司会も
世代交代が求められています。
全国的に保護司不足と
言われています。
新しい新任の保護司希望者を募集中です。
犯罪歴(前科)さえなければ
どのような職業の方でも(無職の方も)大丈夫です。
(法的に犯罪歴があっても、なくても
私たちは、神様の前にはみんな等しく罪あるものです。)
保護司の働きに興味・関心のおありの方は
ぜひご連絡をお待ちしております。
9:11 これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、
「なぜあなたがたの先生は、
取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
9:13 『わたしが喜びとするのは真実の愛。
いけにえではない』とはどういう意味か、
行って学びなさい。わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
(新約聖書 マタイの福音書9:11〜13)
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2024.1.29
釧路のぞみキリスト教会にて
釧路根室地区のキリスト教会の指導者会が
持たれました。
この日参加されたのは
釧路のぞみキリスト教会(JECA)
日本メノナイト釧路鳥取キリスト教会
釧路虹の教会(同盟基督教団)
日本聖公会釧路聖パウロ教会
日本キリスト教団中標津伝道所
日本キリスト教団釧路教会
釧路神愛キリスト教会(日本アッセンブリー教団)
日本ハリストス正教会釧路教会
釧路カトリック教会
そして釧路キリスト福音館の私の
合計12名
日本広しといえども
カトリック
正教会
プロテスタントの
キリスト教の歴史の三大潮流の
リーダーたちが集まる親睦会は
珍しいかもしれません
多様性が豊かで
楽しいです。
会場教会の牧師さんの奥さんが
手作りケーキを
準備してくださり
甘さ控えめ
ちょっぴり塩味が効き
とても美味しくて
紅茶の風味も
フルーティーで
行き届いたおもてなしに
こころが温められました。
お一人お一人が近況報告をされて
お互いの心理的距離感が
一層縮まり、とても濃密なひととき
となりました。
教会のリーダー同志だからこそ
分かり合える内容を
胸襟を開いて語り合うことができました。
信頼し合える仲間で
さばく人がいないからこそ
「そこまで」
分かち合えるんだろうなと
感心します。
この親睦会の親密感は
主が真ん中におられて
主が創出されたものに
ほかなりません。
この世では
親密になることを補うために
アルコールを必要とするかもしれませんが
キリスト者の場合
聖霊によって親密になれるところが
素晴らしいですね。
平和の絆で結ばれて、
御霊による一致を熱心に保ちなさい。
(新約聖書 エペソ書4:3)
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2024.1.18
ついに、宅配で届きました!
第170回直木賞受賞作品
別海町ご出身の方の作品で
作品の舞台は白糠町
両町の間に挟まれた釧路の地にいる
私にとっては、
気にかかる必読の書と思い
一字一句食い入るように読み始めています。
想像力を働かせながら
辞書を引っ張りながら
「圧倒的な文章表現力」と審査員が
評価されたほどの作品を
注意深く味わわせていただいています。
淹れたての珈琲の
酸味を
舌の先で転がす感じで。
かつて、牧師対象の研修会で
牧師の牧師のような方から
「牧師は、キリスト教書籍
以外の書籍をもっと読むべし」と
忠告されたことを思い出します。
経済的に制約のある中
購入する書籍の大部分は
いかんせん聖書関連の書となってしまいます。
聖書関連書籍は、
購読者数が少ないこともあって
値段がべらぼうに高く
とりわけ、日本語のそれは
さらに高く、
英書の日本語翻訳本を購入するよりは
配送料を入れてでも英書を購入する方が
安価となります。
一般の書籍は、
たまに訪れる書店で、
浅く立ち読み
する程度でありましたから
書店に行く足が鈍ると
一層、この世の書籍から遠のいてしまいます。
ちなみに今回購入した本は
2024年の1月25日付の
第4刷のものです。
初日は、
まだ17ページまでしか読んでいませんが
「村田銃」「糞をひり」「他の袋とまぐわって」
「蘇る肉のえぐみ」「むわりと鼻の奥にねばりつく」
「十分な膂力を具えた」
などの表現が,とても新鮮に響いてきます。
自分よりも17年も
人生の後輩の著者が
私よりも数倍生きておられるかのように
思うほどに
その語彙の多さと
表現力の巧みさに
圧倒されます。
私は、礼拝メッセージ準備していて
妻から「あなたは、語彙が少ない」と
しばしば指摘されます。
語彙が少ない方が
一般会衆に
より伝わりやすい
のではないかと
抵抗を示す自分がいるのですが
語彙が少ないと
深みが出ずらいのも
うなづかされます。
励まなければならないと
自戒しているところです。
直木賞作品
毎日ちびちびと読ませていただこうと
思っています。
内容的に言っても
「ともぐい」は
真冬に読むのに
最適の書かもしれません。
今回、読んだ部分で「凍裂」という語の意味を
初めて知りました。
木の幹に含まれる水分が凍り
その膨張によって幹が盾に裂ける現象で
これは、氷点下15度以下とか
かなり低温にならないと
起きない現象なので
厳寒の地でしか
見聞きすることができない
自然現象です。
私は「凍裂」の音をおそらく何度か耳にしたことと思いますが
それが「凍裂」と認識したことは
ありませんでした。
(凍裂:トドマツ)
聖書の中の
マルコの福音書15章で
イエス様が十字架上で
息を引き取ったときに
エルサレム神殿の
幕が上から下まで
真っ二つに裂ける場面を想い出していました。
凍裂は
水が膨張して起こる現象
エルサレム神殿の幕の
断裂は
神と人間の隔たりが
取り除かれたという意味において
さしずめ
神の愛が膨張して起こった
現象と呼べるかもしれません。
「熊爪」が
鹿を食らう
生々しい描写は
まるでその光景が
想像できるほどに
リアルな執筆で感心しますが
同時に、旧約聖書の士師記14章で
サムソンが獅子を引き裂くシーン
その獅子に群がるミツバチをかき集めるシーン
を想い出します。
直木賞作家が
この士師記14章のシーンを
表現してくださると
どうなるだろうと
期待したくなる自分がいます。
これから、貴重な隙間時間を遣って
読書を楽しみたいものです。
「ともぐい」では
熊が登場しますが
熊は聖書にもしばしば
登場したり、言及されていますね。
貧しい民を治める悪しき支配者は、
うなる雄獅子、襲いかかる熊のようだ。
(旧約聖書 箴言28:15)
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2024,1,28
ヴィジョン2024が
礼拝後に持たれました。
一般の教会でいうところの
「年次総会」その中で
セルグループごとに
分かち合いタイムが設けられました。
今年の年間聖句の実現のために
どのような取り組みが
考えられるかを
分かち合っていただき、
発表し合いました。
すばらしい神の家族
麗しいキリストの兵士たち
頼もしい天国の相続人たち
かぐわしいキリストの香り
最高、最強の仲間たちだ!
幻がなければ、
民は好き勝手にふるまう。
しかし、みおしえを守る者は幸いである。
(旧約聖書 箴言29:18)
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米国から民数記の注解書が
宅配で送られてきました。
注文したことすら
忘れていたころに届いただけに
感慨無量でした。
昨年、出版されたばかりの
ほかほか注解
できたてのたい焼きを手にする感覚のよう
あちち
回転寿司で
注文票に書いたものが少し遅れて
板前さんから
出された時に
「あれ、これ注文しただろうか?」
と思う感覚も想い出します。
こういう文章を見るにつけ
著者の奥様に対する愛と
絶妙な聖書箇所とを
絡める巧みさに触れると
感心したり、
ほっこりしたりします。
今の時代、紙媒体が減り
電子書籍に
変わりやすい時代ですね。
私は旧態依然として
紙媒体の恩恵を受けています。
本を持った時の重みに
著者のご苦労の重みを
極力感じて
感謝して開くように努めています。
学者さんが、聖書言語(原語)の意味を
色々解説してくださるご労苦は
どれほどありがたいことでしょう。
今週、生まれて初めて
わたしどもの教会の礼拝に出席された
50代男性の方から
感想のメールをいただきました。
「・・・日曜礼拝とゆうのは初めてでしたが、
堅苦しい感じかなと思ったんですが、
聖書を少しずつ解説してくれる感じなんですね。
とても良かったです。
次回も参加したいと思います。」
聖書を少しずつ
解説してくれる感じがとても良い
と聞いて
より一層
少しずつ解説することに励みたいと
思いました。
昨年2月から始まった
毎週日曜礼拝での
民数記の連続講解メッセージ
イスラエルの民の数は数えられましたが
イエス様は、本の数は数えないように、と
言っておられるよう
しっかり学んで、咀嚼し
目の前の人
その人が
信仰歴数十年の人であれ
初めて聖書に触れる人であれ
聖霊様の働きで
わかりやすく解き明かし
お一人お一人の
生活に適用できるように願いつつ
聖書の言葉の価値観が
私たちの人格に影響を与えて
私達がキリストの似姿へと
日々、回復されていきますように
頭でっかちな信仰者ではなく
イエス様のような姿へと・・・
3:14 けれどもあなたは、
学んで確信したところにとどまっていなさい。
あなたは自分がだれから学んだかを知っており、
3:15 また、自分が幼いころから
聖書に親しんできたことも知っているからです。
聖書はあなたに知恵を与えて、
キリスト・イエスに対する信仰による救いを
受けさせることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、
十分に整えられた者となるためです。
(旧約聖書 ?テモテ3:14〜17)
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臨時ニュースを申し上げます!
も(牛)あげます!
号外です!豪快です!
郷土、釧路根室地方の私たちにとって
喜びの知らせです。
釧路の西の空も
今日は
喜びの茜色!
つい最近
直木賞受賞者も別海町の
ご出身の方で
別海町が
別格な存在として
日本全国に知られつつありますね。
下剋上甲子園か!
別海町は国勢調査によれば
2020年の人口14,380人
2050年推計値人口9,231人(−5,149人)
2020年を100とした指数は
64,2%
But!
これから、別海町でのびのび野球したい高校生や
別海町でのびのび文学を極めたい方が
日本の人口過密地域で
息苦しいところから
ドンドン移住されるかもしれませんね。
かつて人類の救い主イエスが
伝道開始したとき
拠点とされたのは
大都会ではなくて
北のはずれのガリラヤ地方
辺境の地でした。
日本でいうと、
まさに別海町のよう
ヒトより
牛が多い町
別海町に注がれる
イエス様の目は
温かい!
うっしっし!!
うれし〜うっし〜!
4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、
ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。
4:16 闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」
(新約聖書 マタイの福音書4:15〜16)
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2024.1.23
先日、猛吹雪の中
妻の実家新得町から釧路に帰る際に
道東道は、道路規制が行われていて
吹き溜まりなど懸念されましたので
国道38号線を選択して
帰途につきました。
38号線沿いと言えば
浦幌亭の横を
必ず通ることになります。
吹雪もおさまり
緊張感が取れたところで
腹ごしらえをすることに
妻は、エビフライカレーを選択
私は、浦幌亭の看板メニューの人気ナンバーワンの
スパカツを選択するか、
ミート鳥カツどんを選択するかやや迷い、
思い切って後者を初選択しました。
さすがに、ボリューム感があり
満足しました。
味が濃いので
味噌汁はむしろなくても
よいかなと思いました。
吹雪もやんで
緊張感がなくなり
たらふく食べて
気持ちが弛緩して
眠気運転とならないように
言い聞かせながら
ハンドルを握りました。
浦幌亭のメニューはそれにしても
高カロリーものが多いです。
きっとガテン系の
お仕事に従事されている方々が
お客さんに多いから
かもしれません。
この時も
作業着姿の4名の
男性が
スパカツを注文され
お勘定を払うところで
最も若い作業員の方に
中年風の上司らしき人が
「いいから、いいから。」
と言って、
おごられていました。
いい先輩だ!
玄関から出た後、
作業員の方が
おもむろに胸ポケットから煙草を取り出して
一服されて
安堵さっれている姿を見て
ああ、よくある光景だなあと
感慨深く眺めてしまいましたが、
内心、からだ、大事にしてね〜とも
思いました。
浦幌亭で食べた後は
カロリー消費するため
身体を動かさないとな〜
道東道が開通されて
浦幌亭がどうなっちゃうのかなと
心配しましたが
根強い人気を維持していて
ほっとしました。
35年ほど前
教員時代
自転車旅行で
釧路から襟裳岬を目指して走ったときに
浦幌亭で
おにぎりと味噌汁を注文して
腹ごしらえした
思い出がよみがえってきます。
食べた分
しっかり働こうっと!
働く者は少し食べても
多く食べても、
心地よく眠る。
富む者は満腹しても、
安眠を妨げられる。
(旧約聖書 伝道者の書5:12)
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2024.1.25
高山のごみ処理施設に
ごみを排出に行き、
戻る坂道
太平洋の大海原と
白樺地区の住宅
かつて市営住宅が広がっていましたが
老朽化でどんどん取り壊されていきました。
日本海側は暴風雪のようですね。
太平洋側は曇り空
車の荷台に詰め込んだ
大量のごみを排出して
身軽になりました。
日々自らの罪を主イエスの十字架の前に
告白し、ゆるしの平安を賜り
こころが身軽にされる恵みに
似ています。
高山は
さしずめゴルゴタの丘のよう
46:1 神はわれらの避け所また力。
苦しむときそこにある強き助け。
46:2 それゆえわれらは恐れない。
たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。
46:3 たとえその水が立ち騒ぎ泡立っても
その水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ
(旧約聖書 詩篇46:1〜3)
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2024.1.22
新得町で
雪深い道を運転していると
いったん、車を停止すると
埋まってしまい
タイヤが滑って
動かなくなりやすくなります。
特に線路を横断するときは
命がけです。
路肩がどこなのか
判別できず
センターラインも判別できません。
対向車が来ないように
願いながら運転する感じです。
国道に出ると
道路わきに
紅白の↓のサインで
ここが路肩だよと
教えてくれます。
これのおかげで
助かります。
吹雪の中で
運転するときの視線は前方斜め左上の↓に
焦点を置きます。
目の前の路肩を見つめて運転すると
かえってハンドルをとられて
脇に突っ込みやすくなるそうです。
私たちの人生も似ています。
目先のことばかり心配していると
脚をすくわれます。
遠くの方を見ながら
十字架で死んで蘇られた
永遠の主イエスから目を離さないでいると
安定した人生の走行が
守られるようです。
妻は、若いころ
新得町から
帯広市まで
猛吹雪の中でも
毎週日曜日に
一度も欠かさず
この道を通ったそうで
すごいなあと
感心しました。
浦幌町からは
青空が見えてきて
安心しました。
道端の針葉樹林の枝枝の
雪がきれいに映えて見えます。
雪化粧の
針葉樹林を見ると
何かを連想します。
雪化粧の針葉樹林それは・・・
ゴジラの背びれのよう
あちこちにゴジラが出現しているようでした。
気温は−1度より
高かったようですが。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、
目を離さないでいなさい。
この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、
辱めをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されたのです。
(新約聖書 へブル書12:2)
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2024.1.22
新得町にお住いの義母を訪ねました。
いろいろな
家財道具の整理の
お手伝い。
夕食のためご一緒に芽室町まで
まいりました。
駐車場にも
店内にも
お客さんは
私どもだけでした。
その後、徐々に入って来られました。
新得山から吹きおろしてくる風は冷たいです。
防風林が
整然と並んでいます。
釧路市と異なり
新得町は
山が多いこともあって
雪が深いです。
新得町では、多くの一般ご家庭で
除雪機を備えるほどの
降雪量の多さです。
少し義母宅周辺の除雪を
お手伝いさせていただきました。
真冬の降雪量が
多い地域での
生活は、なかなかしんどいものです。
吹雪の中でも
ヤクルトレディーが
運転して
笑顔で
お声をかけながら
ヤクルトを配達されていました。
見守りの使命感をも
帯びておられるのですね。
イエス様も
天候に関わらず
どんな山間の
ポツンと一軒家にお住いの方のところへも
毎日、聖句を笑顔で
お届けくださいますね。
主の御守りは
いつもみ言葉と共に
ヤッテクルト!
37:5 神は御声で、驚くほどに雷鳴をとどろかせ、
私たちの知り得ない大きなことをされる。
37:6 神は雪に対して、地に降れと命じ、
夕立に、激しい大雨にも命じられる。
37:7 神はすべての人の手を封じ込められる。
神の造った人間が知るために。
(旧約聖書 ヨブ記37:5〜7)
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皆さん、いいお顔していますね〜!!!
2024.1.21
第2礼拝後にAさんのバプテスマ式が
執り行われました。
バプテスマ式の後の記念撮影
Aさんの所属するセルグループの
お仲間が聖書の朗読をしています。
Aさんの所属するセルグループのお仲間が
祝福のお祈りをしています。
このお祈りにAさんのみならず
私も心に温かいものを感じて
感動を覚えました。
この後、引き続きAさんのお証がありました。
イエス様が、Aさんにとって
どのように素晴らしいお方かが
とてもわかりやすく伝わりました。
人前で話すのが苦手と仰っていた
Aさんですが、皆さんから
励まされて、イエス様の
素晴らしさを堂々と
お証されていました。
Aさんのセルグループのリーダーが
誓いの言葉の質問をしています。
父とみ子と聖霊のみ名によって
バプテスマが授けられているところです。
聖書では
信じてバプテスマを受ける者は救われます。
そう約束しています。
信じない者は罪に定められるとも。
前日の晩の学び会で
Aさんから
「三位一体」について
ご質問を受けました。
天地創造においても
魂の救いにおいても
信仰生活においても
父と御子と聖霊は
協働しておられます。
役割分担と言う点では
天のお父様が計画され
御子イエス様は、父の計画を実行に移され
聖霊様は、御子の業を完遂させます。
三位一体の教理を
できるだけ
わかりやすく説明する手立てを
絶えず模索しています。
バプテスマ式に続いてAさんが
属するセルグループの皆さんでの
パンさき(聖餐式)が行われました。
キリストのからだを象徴するパンにあずかり
キリストの血を象徴する杯にあずかります。
ちなみに
わたしどもの教会では
毎週毎週
パンさきを行っています。
イエス様が聖書で
お命じになっている
儀式はバプテスマとパンさきの
二つあります。
セルグループのお仲間からの
記念品贈呈がされているところです。
Aさんの実姉さんが
祝福の花束贈呈をしているところです。
Aさんの実姉さんが
妹さんであるAさんに
祝福の言葉を贈られています。
感激でした。
バプテスマのときには
教会恒例のハレルヤ三唱
2階のみんなも窓越しにハレルヤ三唱していました。
会堂の営みが
どこからも見えるっていいですねえ。
2階の人も
心合わせていて嬉しいなあ〜
この一体感がたまらなく嬉しく喜んでいるのが
イエス様
Aさんと1歳のご長男
かわいい息子さん
イエス様が愛してやまない
かわいい幼子
生きるエネルギーが
伝わってくるよう
ほっぺたくっつけたいほどです!
私たちはみな、
ユダヤ人もギリシア人も、
奴隷も自由人も、
一つの御霊によってバプテスマを受けて、
一つのからだとなりました。
そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
(新約聖書 1コリント12:13)
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2024.1.20
夕食にラザニアを食して
翌日の日曜礼拝に備えます。
味わい見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。
幸いなことよ主に身を避ける人は。
(旧約聖書 詩篇34:8)
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