2024.3.27
私たちの教会の仲間であるAさん宅での
まきびと集会
パンさき(聖餐式)を行いました。
Aさんは、胃ろうで栄養摂取しているので
シリンジで
液体のパンを
キリストのからだを象徴するものとして
いただきました。
お母様が
Aさんに
シリンジに入ったブドウ汁を
何度も見せながら
イエス様が十字架で流された血潮によって
罪が赦され
きよめられて
神様のこどもとされたことを
覚えました。
キリストの血にあずかる恵みを
シリンジを通して
お腹でAさんは
かみしめました。
とっても重たい鉄製の
十字架
その十字架に
かかっている十字架のペンダントは
Aさんのお父さまが長崎でAさんのために
お土産に買って来てくださったものです。
Aさんのために
おひとりずつお祈りしました。
Aさんは、国内ではたった一人という種類の
難病を抱えながらも
イエス様と共に
平安を抱いて生活されています。
ヘルパーさんは1日3時間
月曜日から土曜日まで来てくださいます。
Aさんを通して
ヘルパーさんたちにも
イエス様の愛が流れています。
声を発することも
あいうえお表による意思表示もできなくなった
今でも
Aさんは
その尊い存在を通してなお
語ってくださるので
私たちは
どれだけ長い時間
滞在しても
時間を忘れるほどです。
今年46歳を迎えるAさんは
とっても
お若く感じられます。
受難週にAさんと共に
イエス様の十字架のみ苦しみを
覚えるパンさき(聖餐式)に
あずかることができて
とっても幸いでした。
私たちの罪のために
十字架で死んで蘇り
今も生きて働かれる主イエスが
Aさんとともにおられます。
私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、
キリストの血にあずかることではありませんか。
私たちが裂くパンは、
キリストのからだにあずかることではありませんか。
(新約聖書 1コリント書10:16)
あなたがたはキリストのからだであって、
一人ひとりはその部分です。
(新約聖書 1コリント書12:27)
私たちはキリストのからだの部分だからです。
(新約聖書 エペソ書5:30)
このみこころにしたがって、
イエス・キリストのからだが、
ただ一度だけ献げられたことにより、
私たちは聖なるものとされています。
(新約聖書 へブル書10:10)
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2024.3.25
釧路市桜ケ岡のパークゴルフ場で
鹿たちが
気持ちよさそうに
憩っていました。
まだシーズンが始まる前で
鹿たちも
我が物顔で占拠しているかのよう
ということで、
この近くを車で運転される方は
ご注意ください。
鹿が谷川の流れを慕いあえぐように
神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
(旧約聖書 詩篇42:1)
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2024.3.25
毎月第4月曜日に行われている
手作りの会の風景
いつもながら
和んだ雰囲気です。
皆さん、お優しいご婦人たちです。
いつも感心するのが
仲がいいこと。
それでいて
べたべたしていないこと
程よい距離間で
仲睦まじさを
保っておられて
いつも感心します。
今回はお茶をいただきながら
ご一緒に「備えあれば、平安あり。」
というテーマで
防災、減災について
考え合いました。
まずは、釧路市民として大切な心得として
釧路市のHpに載っている防災備蓄品について
確認し合いました。
その次に
災害時に
逃げ遅れる
人間の心理について
学び合いました。
ご近所同士
助け合うことも大切ですが
それと同時に
三陸地方の方々が
言い伝えて来られた
「津波てんでんこ」
(津波が来たら、ひとりひとりが、てんでん、ばらばらに
高台に逃げる意識を持つこと)も
重要な視点
たいしたことがないだろうと思って
写真や動画を撮っていたいた人が
犠牲になりました。
まさかここまでは来ないだろうと
思っていた人たち
校舎にいれば安全だと思っていた人たちが
犠牲になりました。
船室にいれば安全と思っていた人たちが
犠牲になりました。
ガスが充満していても
周囲の人が座っているので
自分も座っていて大丈夫だろうと
思っていた人たちが犠牲になりました。
これら4つの災害に共通するのは
正常バイアス
同調性バイアス
確証バイアス
そしてそこに
偽りの情報も
絡み合った結果
逃げ遅れてしまったということ
神の言葉である聖書によれば
「死後にさばきが定まっている」
災害は万が一に備えてですが
神の言葉で言っている「世の終わりのさばき」は
確実に起こることです。
この聖書の言葉を聞いても
依然として「だいじょうぶだろう」
「自分には降りかからないだろう」
「死後のことなんか誰もわからないじゃないか」
という態度をとり続けるなら
とんでもない永遠の後悔を身に招きます。
「キリストが多くの人の罪を負うために一度
ご自分をささげた」
この事実を
どういう態度で受け取るでしょう。
先ほど挙げた韓国の地下鉄放火事件の際は
地下鉄の運転手は、
非常用電源で稼働する
車内の扉を開けることを
しないまま
すなわち、乗客を車両に閉じ込めたまま
自分だけ避難したそうです。
セウォル号沈没の際は
船長さんは
船長服を脱いで
一般人を装い脱出ボートに載せてもらったそうです。
今年1月に羽田空港で起きた日航機の爆破の際は
機長は、最後まで機内を点検して
全員避難の確認してから
避難したのとはきわめて対照的です。
イエス様は
自分ひとりだけが十字架で犠牲になることによって
信じる人を
死後の世の終わりの裁きでもたらされる地獄の禍から
避難させてくださいました。
「キリストは、この私の罪を背負って十字架に
かかって死んでくださったんだ
なんと、ありがたいことだろう」
そう素直に受け止められる人は
幸いです。
イエス様の言葉を聞いて
イエス様を遣わした天の父を信じる者は、
永遠の命をもつ!という約束を
信じる者は幸いです。
先日、日本の大相撲の歴史に残る
千秋楽の大取り組みが
ありましたね。
新入幕優勝は110年ぶりだそうですね。
ケガをして休場もやむなしという
状況下でどのようにして尊富士が
出場を決意したか・・・
・・・引用ここから・・・
・・・救急車で運ばれた大阪市内の病院から、部屋に戻ると、
1度は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に出場を止められた。
「無理だろう」「どうするんだ、力も入らないし」と言われ、断念しかけた。
その後、自室に照ノ富士が「どうだ?」と、たずねてきた。
尊富士は「この状況はきついです。歩けないですし」と答えた。
そして言われた言葉に胸を打たれた。
照ノ富士 「お前ならやれる。記録はいいから、
お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。最後まで出ることが大事。
負けてもいいから。しょうがない。
でも、このチャンスは戻ってこない。
オレもそういう経験があるから」。
この言葉を聞き「言われた瞬間に、
少し自分であるけるようになった。怖いぐらいに。
さっきまで歩けなかったのに。
『立て』と言われたら(歩けるようになった)。
そこで『明日(千秋楽)、頑張ります』と言いました」
という経験をした。
再度、伊勢ケ浜親方のもとをたずね「出させてください」と伝えた。
「横綱に言われて急にスイッチが入った。
第2の自分がいるような感じだった」と、
不思議な力がわいてきたという。
そこから千秋楽の豪ノ山戦の快勝、
そして記録にも記憶にも残る110年ぶりの
新入幕優勝へとつながっていった。
・・・引用ここまで・・・
自分が尊敬する兄弟子から
言われた言葉でスイッチが入って
それまで立てなかったのに
立ったというのは、
聖書中で
それまで歩けなかった人が
イエス様に命じられて
または
イエスの名によって
立ち上がって歩きなさい
と命じられて
立ち上がったという
聖書の記事を想い出します。
人は、自分が愛し、尊敬する人の言葉によって
スイッチが入るものなのですね。
私たちは
イエス様の言葉の約束を聞いて
スイッチが入って
立ち上がらせていただきくことができます!
3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。
しかし、私にあるものをあげよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
3:7 そして彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 躍り上がって立ち、歩き出した。
そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、
神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
(新約聖書 使徒の働き3:6〜8)
私たちは、果たして
誰のことばで
スイッチが入るでしょう?
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2024.3.20
教会のママサロンの
集まりで
生後10か月のAくんの
初お目見え
だっこさせていただき感謝
こちらは今年10歳になる
Bくん
いきなり、背中にどんと
おんぶさってきました。
腰が〜!!!
それでも必死に笑顔をキープ
Bくんは、
会堂駐車場で
別れ際、
おじさん〜、肩車できる〜?
すかさず、Bくんの
お母さんは
「やめなさい!!」
しかし、私は、
内心久しぶりだな〜と思いつつ
いとも簡単だと言わんとばかりに
何喰わぬ顔で
「ああ、大丈夫だよ!」
「大丈夫ですか」と案じるお母さん
見事、肩車成功、
達成感で脳内からドーパミンが放出された手ごたえに
一人密かに酔いしれていました。
この日の晩、そのせいかどうかわかりませんが
腰が~腰が〜
この日を最後に
ママさんのご主人のご転勤で
引っ越しされる2組の親子さんの
送別会となりましたが
こどもたちは
とっても仲良くはしゃぎまわっていました。
Aくん、Bくんのママさんは
教会メンバーのママさんと
出産のとき
同じ病院で知り合ったママ友
後で知ったことは
私と同じ
札幌山の手養護学校のご出身であった
ことを伺い
とても親近感を覚えました。
もう一人のママさんは
ゴスペルを通して
教会メンバーとつながりを
お持ちになりました。
これからご引っ越しされる地で
ママさんたちは
パパさんたちと違って
孤独になりやすいので
子育てサークルのある教会と
おつながりができることを
望んでおられるので
ご紹介させていただこうと思っています。
これからの時代
少子化で
教会に集う子どもたちの数も
少なくなる傾向にありがちなので
どこの教会にも
子どもたちが
あふれるといいなあと願っています。
そして子どもたちと
戯れて遊べる上の世代もまた
あふれるといいなあと
思います。
イエス様は
子どもたちが大好きですから。
しかし、イエスは言われた。
「子どもたちを来させなさい。
わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。
天の御国はこのような者たちのものなのです。」
(新約聖書 マタイの福音書19:14)
いつでも、教会に訪れる
子どもたちを
おんぶ、だっこ、肩車できるよう
ふだんから
筋トレに励みましょうっと!
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2024.3.22
召天前夜式を終えた後の会堂内
棺の手前の
オアシスには
参列された方々
おひとりおひとりが挿された
飾花による花園です。
奨励【聖書説教】のテーマは
故人の愛唱聖句から
「わたしの目に、あなたは高価で尊い」
ここでいう「わたし」とは
いかなる存在の「わたし」であるか
をイザヤ書43章1〜3節から
確かめ合いました。
天地万物、そして私たちを
母親の胎内で
形づくられた創造主
私たちを、滅びから
贖い出すために十字架で
身代わりに
死んで蘇られ
私たち一人一人の名を呼び
私たちを
ありとあらゆる苦難の中でも
見放さず
見捨てず
ともにおられるお方が
「わたしの目にあなたは高価で尊い」
と、呼びかけ続けてくださる。
2023.3.23
召天告別式前の会堂
奨励のテーマは
故人の愛唱聖歌から
「御国の心地す」
この日、故人から見て
5人のお孫さんが参列されたので
お一人ずつに
「おじいちゃんは、この地上で
どんな時に
御国の心地がしたと思いますか?」
自己紹介も含めて
語っていただき
5つの角度から
故人のお人柄を
伺うことができて
笑いあり、涙あり
和んだ雰囲気が
告別式会場を包み
天国がいっそう身近に感じられる
告別式となりました。
私たちが、この地上にあって
御国、すなわち天国にいる心地がすると思えるのは
どんな時でしょう。
ある人は、おいしいごちそうを食べているとき
ある人は、愛する人と楽しい時を過ごしているとき
ある人は、美しい景色を見ているとき
ある人は、重い病気が完治したとき
ある人は、温泉に浸かっているとき
ある人は、何かの夢
がかなえられ
目標を達成したとき
そんなとき、御国の心地をする
様々な答えが予想できますが、
聖歌の「みくにのここちす」の
歌詞には
「ハレルヤ!罪咎消されしわが身は
いずくにありても御国の心地す」
とあります。
イエス様が
私の罪(創造主なる神を中心として生きていないこと)と
私の咎(罪ゆえに、さまざまな人生のゆがみを
神、人、環境との間で
生じさせていること)
のゆえに
罪なき神のひとり子イエス様が
十字架で身代わりに死に
その十字架上で流された血によって
信じる自分の罪が償われて
神の前に赦され
イエス様の復活を通して
神の前に義(正しい者)と認められることを
知って、その恵みを
味わったとき
「自分の罪咎が、イエス様の十字架の血で
消しされた、そう見なされたのだ」
そこで味わった心地よさは
この地上で味わう
その他の心地よさをはるかに
凌駕するレベルの
心地よさ。
私は保護司をしていて、
保護面接で
覚せい剤、大麻、LSD,MDAなどを
乱用したことがある人から
それを摂取した時に
「どんな心地がするの?」
質問したことがあります。
彼らは、とても
わかりやすく説明してくれますが
そこで彼らが話してくれる「心地良さ」は
彼ら自身も認めていることですが
すべて
一瞬であり、儚いものであり
恐るべき副作用やひずみや
害悪が自分と周囲に及ぶことを
一様に語ってくれます。
薬物依存に限らず
今日、私たちの多くの人がとらわれている
ギャンブル依存、買い物依存、ネット依存、
ゲーム依存、性依存・・・・は
どれもこれも
欺瞞と虚偽と害悪と
空虚感に満ちた
欲望に満ちた「一瞬の心地よさ」であり、
決して長続きせず
結果として
罪悪感と敗北感と
自己嫌悪しかもたらしません。
イエスキリストを
信じて
それまでの人間(自己であれ、他者であれ)中心の生き方から
神中心の生き方に
人生の向きを変えること
(これを「悔い改め」と言います。)
イエスキリストを
自分の罪からの救い主として信じ
主の前で告白して
そこで得られる魂の救いを味わう時に
得られる「心地よさ」は
永続的で
良きものばかりを
生み出します。
愛、喜び、平安
寛容、親切、善意、
誠実、柔和、自制
真の幸せを味わえます!
一人でも多くの方がそのような
幸せを、イエス様を信頼して
味わえますように。
32:1 幸いなことよ
その背きを赦され
罪をおおわれた人は。
32:2 幸いなことよ
主が咎をお認めにならず
その霊に欺きがない人は。
(旧約聖書 詩篇32:1〜2)
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昨日91歳で召天されたAさんの
葬儀が会堂で行われました。
すべての葬儀がユニークですが
今回のユニークな点は
斎場のレイアウト、飾りつけ
お花の位置など
御遺族の皆さんが
なんと、
自分たちで話し合いながら
作ってしまわれたこと。
葬儀社の人は
ほぼほぼ
ただただ材料等を運ぶだけ
故人の衣装に
ネクタイを締めるのを
故人Aさんのご長男と
そのご長男が
協力されて
行われたことも
ユニークでした。
とにかく
今回のAさんのご遺族は
実に
機敏に動く方々が多く
まるで
葬儀屋さんになれるんじゃないか
と思うほどでした。
クリスチャンにとって
葬儀は
天国への凱旋式です。
故人Aさんは
お亡くなりになる1週間ほど前に
病院にお見舞いに来た
奥様に向かって
「どちら様ですか?」
奥様が「〜ちゃんだよ!」
と言うとAさんは奥様に向かって
「まあ、なんとお美しいことでしょう。」
その時、ご一緒にお見舞いに来られた
Aさんのご長女に
「あなたは、どちらさまですか?」
「〜だよ。」
と言うと
「まあ、なんとかわいらしいことでしょう。」
と応答されたそうです。
Aさんの
愛唱聖句が旧約聖書イザヤ書43章4節
「わたしの目にあなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」というのは
とてもうなづかされます。
いつも、イエス様から
「お前は、私の目に高価だよ〜」
「尊いよ〜」
そのように言われ続けたAさんだからこそ
最後の最後まで
奥様や
娘さんに
温かい愛のまなざしと
愛の言葉をおかけになれたのですね。
この話を
昨日
90歳89歳の
カップルさんに
分かち合ったところ
ご主人さんがとっても感動されて
「おれは、唯物論者であり
クリスチャンではないけど、
そういうふうに妻に言うことが
できたらいいなあと思う」そう
仰っていました。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。
(新約聖書 ヨハネの福音書15:12)
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2024.3.20
今年、卒寿をお迎えになる
お一人暮らしをされているAさんを
お誘いして夕食をご一緒しました。
お食事しながら
いろいろなお話を伺いました。
すでに天に召されているご主人との
出会いの
ごきっかけとか
ご主人との思い出話とか
故郷のこととか・・・
この日は
武佐のお蕎麦屋さんですが
ひっきりなしに
お客さんが出入りして
とても繁盛されていました。
Aさんは、この日
とっても食欲がおありで
親子どんぶりを
完食とまではいきませんでしたが
8分ほど召し上がり
とっても満足されておられて
感謝でした。
私は完食しましたが
食後に正露丸と
太田胃散のお世話になりました。
Aさんのご年齢になったら
私もきっと完食は無理だろうなと思いました。
青森県の下北半島のご出身のAさんは
青年時代
地域青年部のリーダーとして
ご活躍されました。
お一人暮らしの
Aさんにとっての
癒しの猫ちゃんの
レオくんは
ストーブの前の
カーペットに
寝転んで気持ちよさそうです。
あくびしていますね〜
レオくんの寝そべっているカーペットの柄と
レオくんのからだの縞模様の柄が酷似していて
レオくんの寝そべる角度によっては
どこにいるのかわからなくなりそう
レオくんは
まどろんでは
ストレッチし
そして再びまどろんでいます。
Aさんのご自宅は
いつ、ご訪問させていただいても
塵一つ落ちていないほど
整理整頓が行き届いていて
いつでもお客さんを迎えられる
ほどに整然としているので
いつも驚かされ
学ばされます。
私はまだまだ身についていません。
物理的にAさんの最も身近にいる
レオくんは
ひまさえあれば
寝そべって
眠っているか
微睡んでいるかですが
レオくんよりも
もっとAさんのおそばにおられる
イエス様はといえば
レオくんとは異なり
眠ることもなく
微睡むこともなく
四六時中
Aさんのことを見守っていてくださるので
Aさんはいつも
平安です。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず
あなたを守る方はまどろむこともない。
121:4 見よイスラエルを守る方は
まどろむこともなく眠ることもない。
121:5 主はあなたを守る方。
主はあなたの右手をおおう陰。
(旧約聖書 詩篇121:3〜5)
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2024.3.20 春分の日
今朝は風がやや強いですが
春の陽射しで心はぽかぽか陽気
昨日は、風が強くなかったので
10キロランを試みました。
久しぶりに良い汗をかくことができて
感謝でした。
それでも疾走前は
気管支吸入器を使用しました。
いつもこのコースなので
今度は新コースを考えてみようかな。
妻が、スマホの写真を整理していて
9年前の別保公園での
写真を見せてくれました。
今朝は、センバツ高校野球で
21世紀枠で出場した
別海高校の試合を
妻とテレビ観戦しました。
緊張感はあったと思いますが
はつらつとした
元気なプレーは感動を
与えてくれました。
帰道してから
夏の甲子園目指して
さらに鍛えられることでしょう。
試合はワンサイドゲームとなりましたが
解説者は、ノーサイドで
とてもよく両チームを
肯定的に温かいまなざしで
ほめておられました。
「甲子園のテレビ解説者は
総じて優しい解説をするよね。」と
妻と話していました。
試合後に、解説者の方が
別海高校に対して
優しく「キャッチボールの練習」を
勧めておられました。
後逸や落球の場面が
ありました。
ボールを取りそこなう場面が
何度かあったからでしょう。
信仰生活で例えるなら
神様からの、「聖書のみことば」という
ボールを
まず受け取る基本練習の大切さ
心のミットを
しっかりと
ボールならぬ
「神のみことば」
の方向に向けて
全身全霊で
自分の全人格のど真ん中で
受け止められるように
み言葉を後逸したり
落球しないように
しっかりと開くことが
大事ですね。
神様は、
私たちに「み言葉」と言うボールを
投じるときに
私たちが受け取れない
悪送球を
投げることはありません。
受け取る私たちが
み言葉を
投じる
神様の方向にいつも
視線を向けていることが大事
神様ではないものに
目を逸らして
よそ見していると
神様からのみことばを
後逸、もしくは落球
してしまいかねません。
いつも胸の前で、
体の中心部で
みことばを捕球できる
心の姿勢を保つ必要がありますね。
みことばなるボールを
自分の方に引き寄せる(我田引水)
のではなくて
みことばなるボールの方に向かって
自分のからだを
引き寄せていくように
したいものです。
そして
いったん受け取った
みことばなるボールを手にした恵みを
いつまでも自分ひとりの心と言う
ミットの中に
しまい続けておくのではなくて
他の方々の心と言うミットにも
シェアしていく(投げていく)
ことが大事ですね。
甲子園の
高校球児たちから
多くのことを学ばされて感謝です。
夏の甲子園
釧路根室地区の
高校から
ぜひ
出場できたら素晴らしいと
願っています。
別海高校の皆さま
の今日にいたるまでの
熱い取り組みに感謝をこめて
こうして終わりの日に、
これらすべてのことがあなたに臨み、
あなたが苦しみのうちにあるとき、
あなたは、あなたの神、主に立ち返り、
御声に聞き従う。
(旧約聖書 申命記4:30)
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ピカチュウの「耳らしき部分」は
実は、耳ではなく、
触覚だッたとは知りませんでした!
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
2024.3.17
教会堂にて
日曜の第2礼拝後
会堂にて
小学3年生のAくんが
ピカチュウをまたに挟んで
おにぎりランチタイム
懐かしいね〜
Aくんが
ピカチュウの耳を持ち上げて
「これね、耳じゃないんだよ!
触覚なんだよ。」
「へ〜」
「耳はこの辺にあるんだよ」
「へ〜」
ピカチュウって
「チュウ」と言うくらいだから
さぞかしネズミをモデルにしているかと思ったら
実は「リス」がモデルであることを
聴いて驚きました。
ピカチュウって
知っているつもりが
全然知りませんでした。
今のこどもたちは
色々なことに詳しいですね〜
Aくんは
良く知っているなあ〜
私たちの教会のスローガンは
「光を放つ愛の群れ」
なので
ニックネームは
ピカチュウのようかな〜などと
勝手にイメージしていました。
もちろん進化などしませんが。
光を放つ=ピカピカ
愛の群れ=チュウチュウ
なんちゃって
このキャラクターは
愛嬌があって
かわいいと純粋に思いますが
いろいろな宗教グループからは
様々な理由から
危険視されてきた歴史も
あるそうですが
世界に影響を与えている
日本のサブカルチャーの
様々なキャラクターやシンボルを
媒体にして
イエスキリストの
十字架と復活に込められた
罪の赦し
永遠のいのち
からだのよみがえりの
福音を伝えられたら
素晴らしいと思うんですがね〜
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
聖書を読んでいても
あります、あります。
JOYFULのスペシャル賛美練習!
日曜の午後は
素晴らしい
聖霊に満たされた
聞きなれない曲の賛美が
会堂にあふれて
感動しました。
脳内から
ドーパミンとか
エンドルフィンとか
オキシトシンとか
良き物質が
どんどん
分泌されるかのようでした。
2階でミーティングしていた
私は、階下の賛美を聴きながら
天にでも上るような気持でした。
会堂では、このように
いつも賛美があふれ
絶えず祈りが
なされているって
それって、素敵ですよね!
この日は
根室管内の
中学校のB先生ご家族4人が
お久しぶりに
礼拝に集われ
懐かしいやら嬉しいやら
Aさんは
この日の午後
TOEICの試験を受けるそう
国立大学医学部への
入学を目指しておられるとのこと
児童精神科医となって
キリストの福音を中心に
医療、教育、福祉を
統合した
ミニストリーを
展開するという壮大なヴィジョンを
お持ちだそうです!
聞いて、わくわくして
励まされました。
ヴィジョンをお持ちの人と
話をしていると
時間を忘れて興奮してしまい
第2礼拝直前まで
話し込んでしまいました。
Bさんの
ご長女(高校生)に
「父さんのヴィジョンどう思う?
すごいね!」
と感想を聞くと
笑みを浮かべて
「ばかばかしい〜」
と優しそうに言うので
私は、即座にフォローに回り
「あ〜、そう言って
お父さんにプレッシャーを与えない
のは、さすがに、娘さんの優しさの表れだね!
ここで
『はい。父のヴィジョンは
素晴らしいと思います。
父のヴィジョンが実現できるように
真剣に祈っています』などと
歯に衣を着せたように
言おうものなら
パパはプレッシャー感じるかもね〜」
北海道には
かつて日本を代表する児童精神科医の
クリスチャンがおられて
私たちの教会にも講師として
お呼びしたことがありましたが
現在
北海道には、児童精神科のクリスチャン先生は
おられないので
Bさんのヴィジョンが
かなうと素晴らしいと思いました。
ピカピカしたイエス様の愛が
Bさんをとおして
Bさんのご家族を通して
こどもたちの心に
チュウチュウ
注入
されていきますように
127:3 見よ子どもたちは
主の賜物胎の実は報酬。
127:4 若いときの子どもたちは
実に勇士の手にある矢のようだ。
(旧約聖書 詩篇127:3〜4)
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いよいよ2024年3月31日まで
あと2週間となりました!
主イエスは、
私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられました。
(新約聖書 ローマ書4:25)
イエスは彼女に言われた。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
(新約聖書 ヨハネの福音書11:25)
ごく一般の仏教(浄土真宗)の
家庭で
生まれ育った私は
18歳の時に
十字架で私の罪のために死んで蘇られたイエス様を
自分の救い主として
心で信じて
口で告白して
クリスチャンとなりました。
クリスチャンになって今年で44年となりますが
本当にイエス様を信じて
良かったなあと
思わない日は1日もありません。
クリスチャンになって後悔した日は
1日もありません。
クリスチャンになって
損したと思った日も
1日もありません。
無償の愛を受け取れた恵み
は計り知れないものです。
罪赦された平安
永遠のいのちをいただいた喜び
身体のよみがえりの望みに
あふれた毎日を送れるということは
どれほど幸せなことでしょう。
この幸せを一人でも多くの人と分かち合いたく
「キリストの復活記念礼拝」が
備えられています。
皆さんのご来館を心から
お待ちしています。
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2024.3.14
ウルトラマリンブルー
早朝教会堂で
お祈りの後
外に出て自宅に帰る途中
空があまりにも
澄んできれいでしたので
ひたすら上ばかり観ながら
歩きました。
信仰の歩み
それは上を向いて
歩むこと
そうすれば
転ぶことはない・・・・
【信仰的逆説】
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
(旧約聖書 詩篇19:1)
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2024.3.15
標茶原野での聖書学び会を終えて
雪原に反射する太陽の陽射しが
まぶしいこと
原野でイエス様への信仰を保つ皆さんも
まぶしい
毎月いただく
黄金カツカレーの味も
まぶしい
お一人暮らしのAさん宅訪問
とってもお元気そうでした。
笑顔がとってもまぶしい!
週2回のデイサービスも
楽しんでおられます。
礼拝の説教原稿も
郵送で送られてきて
いつも読んでくださっています。
Aさんはご自宅の居間で、小松菜を
栽培されていて
時々むしっては
食されています。
とっても手触りの良い
みずみずしい新鮮お野菜が
ぴかぴか光って
眩しい!
私と妻のためにと少し
もいで持たせてくださいました。感謝。
JR標茶駅前のポストに
封書を投函しようとしましたら
レトロな郵便ポストが
とってもかわいく
陽射しをあびて眩しい!
いつもはひっそりしている標茶駅
この日は、ずいぶんとにぎわっていて
何事かと思い
人の群れに釣られて
向かうと・・・
SL冬の湿原号の
出現!
うお〜!
まぶしい黒光りのSL冬の湿原号
SLファンの大集合「ただ眺めているだけで幸せ」
「同じ空間に身を置いているだけで幸せ」
職員さんは
サービスでしょうねえ
時折、煙を
出したり
ポッポーと音を出してくださり
そのたびに、静かに歓声が沸き起こる
ああ、なんと平和な標茶町
それにしてもSLファンの方の
満足そうな表情を見ていると
動物園で
動物を鑑賞している方々の表情と
どことなく似ているようで
興味深く思いました。
SL(スティーム蒸気、ロコモーティヴ機関車)冬の湿原号が
あたかも生き物のよう
石炭をむしゃむしゃ食べ、
水をガブガブ飲み、
煙と蒸気を、ハッハッ
吐息のごとく
噴き出しながら
全力で走る姿は、
あたかも真冬のマラソンランナーのよう。
上り坂では
苦しげな吐息を吐きながら速度が緩み、
峠を越えれば
汽笛という名の
口笛を吹きながら
颯爽と疾駆する。
それは、まさに、懸命に走る
マラソンランナーのよう。
なぜ2時間近くも
フルマラソンの
テレビ放映が流れるのか
なんとなくわかるような気がします。
若い時は、
マラソン中継というのが
理解できませんでした。
他人が走っているのを見て
どこがおもしろいんだ
未熟な青春時代は
そんな穿った見方しかできませんでした。
現代は生成AIの時代ですが
生成AIは、私には非人間的に思えてしまいます。
SLは機械の中で
最も人間らしいと言われるそうですが
うーむ
わかるような・・・気もします。
駅前には
幟が立てられ
無料の送迎バスが
往来していました。
官民が一体となって
標茶町を
盛り上げようという試みですね。
標茶の街が繁栄しますように!
駅横の
陽だまりでは
スナフキン風の
お兄さんが
ユニークな形状の
アコーディオンで
生演奏していました。
とってもお上手でした。
寒いと手がかじかむでしょうが
この日のこの時間帯の
外気温は
5度くらいでしたかな〜
旅人風でした。
どうも標茶の人っぽくは見えませんでしたが
次回お会いできたら
お声かけさせていただきたいですね〜。
標茶原野には
残雪がまだ見られます。
早春の雪原も
空も眩しいです。
標茶の皆さんが
イエス様の眩しすぎる愛を信じて
救われますようにお祈りしています。
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
28:5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
28:6 あなたは入るときにも祝福され、
出て行くときにも祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜6)
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北九州市の牧師さんが
中心となったNPOのプロジェクトが
実を結びつつあります。
この方は牧師さんですが
宗教の枠を越えて
このプロジェクトへの
賛同者が増えて
例えば
立正●成会は1千万円を
寄付されたそうです。
全国に広がるようにというモデルとして
始めたそうですね。
釧路版「希望のまちプロジェクト」も
始動できるといいですね。
少子高齢化、
人口減少加速化
右肩下がりの町内会加入率
表札の出さない家が多くなり
近所の人の名前も顔も
わからなくなってきた昨今
分断化がますます進む今日
釧路市東部南地域の
高齢化率は44.4%
今朝の釧路新聞には
18歳までの通院無償化が
年内実現することが
取り上げられ、
同じ新聞の今日の「余塵」では
子育てを応援する
祖父母の体力の悲鳴の声も
上げられていました。
そういう中にあって
釧路市にある
さまざまなNPO団体の活動力は
創造性の宝庫
結託すれば
この町にあったユニークな
コミュニティーが
築かれるのではないでしょうか。
もはや行政まかせでは
物事が進みずらいようです。
行政は「予算」
「関係団体との調整」
「システムの改修」の三つが
絶えず障壁となり
ものごとがなかなか
進みずらいのが実態のようです。
クラウドファンティングなどの
民間活力の発揮が
期待されているようにも思います。
釧路市民の多くが
「それは、いいんでないかい」と思えるような
わくわくした夢あるヴィジョンが
まず必要なのですね。
釧路で結婚したい
釧路で子供を出産したい
釧路で子どもを育てたい
釧路の学校へ行かせたい
釧路で才能を伸ばしたい
釧路で就職したい
釧路で老後を過ごしたい
ゆりかごから墓場まで
釧路で!
そんな釧路に
釧路にしかないものがある
釧路だからこそあるものがある
それを結集させれば
きっと釧路の未来は
祝福で満ちたものになるに違いない。
主がこの町を祝福されますように!
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、
群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜4)
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2024.3.13
毎週お訪ねしているAさん宅にて
聖書の紙芝居は
今回で第9回目となりました。
娘さん(ご長女)は
毎週、美幌から
美幌峠を越えて釧路まで来られ
数日間ご両親の
ご介護をされて
往復されておられます。
本当に頭が下がります。
親孝行な娘さんに支えられています。
この日は、風が強くて
真冬並みの体感気温でしたねえ。
今年6月に91歳を迎える
Aさんは
先週5日間の
入院手術を
終えてご無事に退院されたので
快気祝い写真としてパチリ
この日の紙芝居が「うちに帰ろう」
入院していた病院から
帰ってきたAさんのために
イエス様が備えられたかな
Aさんは甘いものがお好きで
羊羹は1本ごと
ぺろりとたいらげてしまうと聞いて
驚きました。
2時間ほどの滞在
あっという間でした。
帰りにミカン農家さんからいただいた
おみかんのおすそわけをいただき
感謝。
帰り道坂道を
片手に紙芝居
片手にミカンの入った紙袋を
抱えててくてくと下っていくと
パート帰りの妻が
軽四で通りかかり
「どこのおじいちゃんが歩いているのか」と
私の足どりが
高齢者ふうに見えたよう
もう少し胸を張って歩こう!
4:16 ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、
それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、
私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、
見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠に続くからです。
(新約聖書 2コリント4:16〜18)
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2024.3.13
春嵐か ビュービュー
強風吹き荒む
今朝の釧路です。
東京にお住いの縁戚Aさんから
川柳が贈られてきました。
拙ブログも
川柳調でまとめようとしますが
釧路にいるせいか
いつもタンチョウに
なりがちです。
Aさんのお父さんは
戦後の
英語通訳兼デザイナーとして
ご活躍された方で
数年前にお亡くなりに
なりましたが
尊敬できる紳士で
GHQの指導の下
映画の検閲なども
手がけられました。
興味深い話としては
「朝鮮戦争」のことを
あえて「朝鮮動乱」と
訳したのはAさんの
お父さまでした。
逸話としては
来日したビートルズの
ポール・マッカートニーが
東京銀座山形屋で
洋服の仕立てをお願いした時
ポールの英語のなまりがあまりにもひどかったので
Aさんのお父さんが
「もっと、ちゃんとした英語を話しなさい!」
とたしなめたという話
相手がスーパースターであろうと
国賓であろうと
物おじしないで
びしばしものを言う
これぞ、神だけを恐れる
日本人の精神だなと
思いました。
息子さんの
Aさんもそのような方で
長年、銀座山形屋ロンドン店で
英国人紳士と対等に渡り合いました。
戦後の
日本人の中にいまだに
白人コンプレックスや
英語コンプレックスがあるとしたら
1日も早く払しょくして
神が日本人に賜った
日本人としてのアイデンティティを
貴びたいものですね〜
川柳と言うのは
日本文化の奥ゆかさのひとつかもしれませんね〜
お楽しみ下さいませ
日帰りで 行って見たいな 天国へ
延命は 不要と書いて 医者通い
三時間 待って病名 『加齢』です
目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
起きたけど 寝るまで特に 用もなし
改札を 通れず よく見りゃ 診察券
誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
万歩計 半分以上 探し物
この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
留守電に『ゆっくりしゃべれ』と どなる父
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
マイケルの 真似を発作と 間違われ
名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
探し物 やっと探して 置き忘れ
歳重ね もう食べられぬ 豆の数
LED 使い切るまで ない寿命
クラス会 食後は薬の 説明会
立ち上がり 用事忘れて また座る
無農薬 こだわりながら 薬漬
妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に
眼薬を 差すのになぜか 口を開け
少ないが 満額払う 散髪代
景色より トイレが気になる 観光地
厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
カード増え 暗証番号 裏に書き
妻旅行 おれは入院 ねこホテル
恋かなと 思っていたら 不整脈
深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
へそくりの 場所を忘れて 妻に聞く
これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
腰よりも 口につけたい 万歩計
何回も 話したはずだが『初耳だ』
婆さんよ 犬への愛を 少しくれ
実に痛快な川柳ですね。
これらを
心から納得したり
共感する年齢にはいってきたなあと
思います。
それにしても
幼少のころから
気管支喘息歴55年の
私は
腹を抱えて笑うこと
を自粛してきました。
大声で笑うと
咳き込んで
気道が収縮し
喘鳴症状が出てくることを
何度も経験してきたので
いつも遠慮して
笑うように
してきたわけです。
しかしそんな私でも
最終的には
大声で笑える時が来ると
聖書では
約束していることは
慰め以外の何ものでもありません。
そのとき私たちの口は笑いで満たされ
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき諸国の人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなさった。」
(旧約聖書 詩篇126:2)
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