ピカチュウの「耳らしき部分」は
実は、耳ではなく、
触覚だッたとは知りませんでした!
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
2024.3.17
教会堂にて
日曜の第2礼拝後
会堂にて
小学3年生のAくんが
ピカチュウをまたに挟んで
おにぎりランチタイム
懐かしいね〜
Aくんが
ピカチュウの耳を持ち上げて
「これね、耳じゃないんだよ!
触覚なんだよ。」
「へ〜」
「耳はこの辺にあるんだよ」
「へ〜」
ピカチュウって
「チュウ」と言うくらいだから
さぞかしネズミをモデルにしているかと思ったら
実は「リス」がモデルであることを
聴いて驚きました。
ピカチュウって
知っているつもりが
全然知りませんでした。
今のこどもたちは
色々なことに詳しいですね〜
Aくんは
良く知っているなあ〜
私たちの教会のスローガンは
「光を放つ愛の群れ」
なので
ニックネームは
ピカチュウのようかな〜などと
勝手にイメージしていました。
もちろん進化などしませんが。
光を放つ=ピカピカ
愛の群れ=チュウチュウ
なんちゃって
このキャラクターは
愛嬌があって
かわいいと純粋に思いますが
いろいろな宗教グループからは
様々な理由から
危険視されてきた歴史も
あるそうですが
世界に影響を与えている
日本のサブカルチャーの
様々なキャラクターやシンボルを
媒体にして
イエスキリストの
十字架と復活に込められた
罪の赦し
永遠のいのち
からだのよみがえりの
福音を伝えられたら
素晴らしいと思うんですがね〜
「てっきり〜だ」と思い込んでいて
「実は・・・だった!」と気づかされることは
多々ありますね〜
聖書を読んでいても
あります、あります。
JOYFULのスペシャル賛美練習!
日曜の午後は
素晴らしい
聖霊に満たされた
聞きなれない曲の賛美が
会堂にあふれて
感動しました。
脳内から
ドーパミンとか
エンドルフィンとか
オキシトシンとか
良き物質が
どんどん
分泌されるかのようでした。
2階でミーティングしていた
私は、階下の賛美を聴きながら
天にでも上るような気持でした。
会堂では、このように
いつも賛美があふれ
絶えず祈りが
なされているって
それって、素敵ですよね!
この日は
根室管内の
中学校のB先生ご家族4人が
お久しぶりに
礼拝に集われ
懐かしいやら嬉しいやら
Aさんは
この日の午後
TOEICの試験を受けるそう
国立大学医学部への
入学を目指しておられるとのこと
児童精神科医となって
キリストの福音を中心に
医療、教育、福祉を
統合した
ミニストリーを
展開するという壮大なヴィジョンを
お持ちだそうです!
聞いて、わくわくして
励まされました。
ヴィジョンをお持ちの人と
話をしていると
時間を忘れて興奮してしまい
第2礼拝直前まで
話し込んでしまいました。
Bさんの
ご長女(高校生)に
「父さんのヴィジョンどう思う?
すごいね!」
と感想を聞くと
笑みを浮かべて
「ばかばかしい〜」
と優しそうに言うので
私は、即座にフォローに回り
「あ〜、そう言って
お父さんにプレッシャーを与えない
のは、さすがに、娘さんの優しさの表れだね!
ここで
『はい。父のヴィジョンは
素晴らしいと思います。
父のヴィジョンが実現できるように
真剣に祈っています』などと
歯に衣を着せたように
言おうものなら
パパはプレッシャー感じるかもね〜」
北海道には
かつて日本を代表する児童精神科医の
クリスチャンがおられて
私たちの教会にも講師として
お呼びしたことがありましたが
現在
北海道には、児童精神科のクリスチャン先生は
おられないので
Bさんのヴィジョンが
かなうと素晴らしいと思いました。
ピカピカしたイエス様の愛が
Bさんをとおして
Bさんのご家族を通して
こどもたちの心に
チュウチュウ
注入
されていきますように
127:3 見よ子どもたちは
主の賜物胎の実は報酬。
127:4 若いときの子どもたちは
実に勇士の手にある矢のようだ。
(旧約聖書 詩篇127:3〜4)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
いよいよ2024年3月31日まで
あと2週間となりました!
主イエスは、
私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられました。
(新約聖書 ローマ書4:25)
イエスは彼女に言われた。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
(新約聖書 ヨハネの福音書11:25)
ごく一般の仏教(浄土真宗)の
家庭で
生まれ育った私は
18歳の時に
十字架で私の罪のために死んで蘇られたイエス様を
自分の救い主として
心で信じて
口で告白して
クリスチャンとなりました。
クリスチャンになって今年で44年となりますが
本当にイエス様を信じて
良かったなあと
思わない日は1日もありません。
クリスチャンになって後悔した日は
1日もありません。
クリスチャンになって
損したと思った日も
1日もありません。
無償の愛を受け取れた恵み
は計り知れないものです。
罪赦された平安
永遠のいのちをいただいた喜び
身体のよみがえりの望みに
あふれた毎日を送れるということは
どれほど幸せなことでしょう。
この幸せを一人でも多くの人と分かち合いたく
「キリストの復活記念礼拝」が
備えられています。
皆さんのご来館を心から
お待ちしています。
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.14
ウルトラマリンブルー
早朝教会堂で
お祈りの後
外に出て自宅に帰る途中
空があまりにも
澄んできれいでしたので
ひたすら上ばかり観ながら
歩きました。
信仰の歩み
それは上を向いて
歩むこと
そうすれば
転ぶことはない・・・・
【信仰的逆説】
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
(旧約聖書 詩篇19:1)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
]]>
2024.3.15
標茶原野での聖書学び会を終えて
雪原に反射する太陽の陽射しが
まぶしいこと
原野でイエス様への信仰を保つ皆さんも
まぶしい
毎月いただく
黄金カツカレーの味も
まぶしい
お一人暮らしのAさん宅訪問
とってもお元気そうでした。
笑顔がとってもまぶしい!
週2回のデイサービスも
楽しんでおられます。
礼拝の説教原稿も
郵送で送られてきて
いつも読んでくださっています。
Aさんはご自宅の居間で、小松菜を
栽培されていて
時々むしっては
食されています。
とっても手触りの良い
みずみずしい新鮮お野菜が
ぴかぴか光って
眩しい!
私と妻のためにと少し
もいで持たせてくださいました。感謝。
JR標茶駅前のポストに
封書を投函しようとしましたら
レトロな郵便ポストが
とってもかわいく
陽射しをあびて眩しい!
いつもはひっそりしている標茶駅
この日は、ずいぶんとにぎわっていて
何事かと思い
人の群れに釣られて
向かうと・・・
SL冬の湿原号の
出現!
うお〜!
まぶしい黒光りのSL冬の湿原号
SLファンの大集合「ただ眺めているだけで幸せ」
「同じ空間に身を置いているだけで幸せ」
職員さんは
サービスでしょうねえ
時折、煙を
出したり
ポッポーと音を出してくださり
そのたびに、静かに歓声が沸き起こる
ああ、なんと平和な標茶町
それにしてもSLファンの方の
満足そうな表情を見ていると
動物園で
動物を鑑賞している方々の表情と
どことなく似ているようで
興味深く思いました。
SL(スティーム蒸気、ロコモーティヴ機関車)冬の湿原号が
あたかも生き物のよう
石炭をむしゃむしゃ食べ、
水をガブガブ飲み、
煙と蒸気を、ハッハッ
吐息のごとく
噴き出しながら
全力で走る姿は、
あたかも真冬のマラソンランナーのよう。
上り坂では
苦しげな吐息を吐きながら速度が緩み、
峠を越えれば
汽笛という名の
口笛を吹きながら
颯爽と疾駆する。
それは、まさに、懸命に走る
マラソンランナーのよう。
なぜ2時間近くも
フルマラソンの
テレビ放映が流れるのか
なんとなくわかるような気がします。
若い時は、
マラソン中継というのが
理解できませんでした。
他人が走っているのを見て
どこがおもしろいんだ
未熟な青春時代は
そんな穿った見方しかできませんでした。
現代は生成AIの時代ですが
生成AIは、私には非人間的に思えてしまいます。
SLは機械の中で
最も人間らしいと言われるそうですが
うーむ
わかるような・・・気もします。
駅前には
幟が立てられ
無料の送迎バスが
往来していました。
官民が一体となって
標茶町を
盛り上げようという試みですね。
標茶の街が繁栄しますように!
駅横の
陽だまりでは
スナフキン風の
お兄さんが
ユニークな形状の
アコーディオンで
生演奏していました。
とってもお上手でした。
寒いと手がかじかむでしょうが
この日のこの時間帯の
外気温は
5度くらいでしたかな〜
旅人風でした。
どうも標茶の人っぽくは見えませんでしたが
次回お会いできたら
お声かけさせていただきたいですね〜。
標茶原野には
残雪がまだ見られます。
早春の雪原も
空も眩しいです。
標茶の皆さんが
イエス様の眩しすぎる愛を信じて
救われますようにお祈りしています。
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
28:5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
28:6 あなたは入るときにも祝福され、
出て行くときにも祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜6)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
北九州市の牧師さんが
中心となったNPOのプロジェクトが
実を結びつつあります。
この方は牧師さんですが
宗教の枠を越えて
このプロジェクトへの
賛同者が増えて
例えば
立正●成会は1千万円を
寄付されたそうです。
全国に広がるようにというモデルとして
始めたそうですね。
釧路版「希望のまちプロジェクト」も
始動できるといいですね。
少子高齢化、
人口減少加速化
右肩下がりの町内会加入率
表札の出さない家が多くなり
近所の人の名前も顔も
わからなくなってきた昨今
分断化がますます進む今日
釧路市東部南地域の
高齢化率は44.4%
今朝の釧路新聞には
18歳までの通院無償化が
年内実現することが
取り上げられ、
同じ新聞の今日の「余塵」では
子育てを応援する
祖父母の体力の悲鳴の声も
上げられていました。
そういう中にあって
釧路市にある
さまざまなNPO団体の活動力は
創造性の宝庫
結託すれば
この町にあったユニークな
コミュニティーが
築かれるのではないでしょうか。
もはや行政まかせでは
物事が進みずらいようです。
行政は「予算」
「関係団体との調整」
「システムの改修」の三つが
絶えず障壁となり
ものごとがなかなか
進みずらいのが実態のようです。
クラウドファンティングなどの
民間活力の発揮が
期待されているようにも思います。
釧路市民の多くが
「それは、いいんでないかい」と思えるような
わくわくした夢あるヴィジョンが
まず必要なのですね。
釧路で結婚したい
釧路で子供を出産したい
釧路で子どもを育てたい
釧路の学校へ行かせたい
釧路で才能を伸ばしたい
釧路で就職したい
釧路で老後を過ごしたい
ゆりかごから墓場まで
釧路で!
そんな釧路に
釧路にしかないものがある
釧路だからこそあるものがある
それを結集させれば
きっと釧路の未来は
祝福で満ちたものになるに違いない。
主がこの町を祝福されますように!
28:3 あなたは町にあっても祝福され、
野にあっても祝福される。
28:4 あなたの胎の実も大地の実りも、
家畜が産むもの、
群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
(旧約聖書 申命記28:3〜4)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
]]>
2024.3.13
毎週お訪ねしているAさん宅にて
聖書の紙芝居は
今回で第9回目となりました。
娘さん(ご長女)は
毎週、美幌から
美幌峠を越えて釧路まで来られ
数日間ご両親の
ご介護をされて
往復されておられます。
本当に頭が下がります。
親孝行な娘さんに支えられています。
この日は、風が強くて
真冬並みの体感気温でしたねえ。
今年6月に91歳を迎える
Aさんは
先週5日間の
入院手術を
終えてご無事に退院されたので
快気祝い写真としてパチリ
この日の紙芝居が「うちに帰ろう」
入院していた病院から
帰ってきたAさんのために
イエス様が備えられたかな
Aさんは甘いものがお好きで
羊羹は1本ごと
ぺろりとたいらげてしまうと聞いて
驚きました。
2時間ほどの滞在
あっという間でした。
帰りにミカン農家さんからいただいた
おみかんのおすそわけをいただき
感謝。
帰り道坂道を
片手に紙芝居
片手にミカンの入った紙袋を
抱えててくてくと下っていくと
パート帰りの妻が
軽四で通りかかり
「どこのおじいちゃんが歩いているのか」と
私の足どりが
高齢者ふうに見えたよう
もう少し胸を張って歩こう!
4:16 ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
4:17 私たちの一時の軽い苦難は、
それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、
私たちにもたらすのです。
4:18 私たちは見えるものにではなく、
見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠に続くからです。
(新約聖書 2コリント4:16〜18)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.13
春嵐か ビュービュー
強風吹き荒む
今朝の釧路です。
東京にお住いの縁戚Aさんから
川柳が贈られてきました。
拙ブログも
川柳調でまとめようとしますが
釧路にいるせいか
いつもタンチョウに
なりがちです。
Aさんのお父さんは
戦後の
英語通訳兼デザイナーとして
ご活躍された方で
数年前にお亡くなりに
なりましたが
尊敬できる紳士で
GHQの指導の下
映画の検閲なども
手がけられました。
興味深い話としては
「朝鮮戦争」のことを
あえて「朝鮮動乱」と
訳したのはAさんの
お父さまでした。
逸話としては
来日したビートルズの
ポール・マッカートニーが
東京銀座山形屋で
洋服の仕立てをお願いした時
ポールの英語のなまりがあまりにもひどかったので
Aさんのお父さんが
「もっと、ちゃんとした英語を話しなさい!」
とたしなめたという話
相手がスーパースターであろうと
国賓であろうと
物おじしないで
びしばしものを言う
これぞ、神だけを恐れる
日本人の精神だなと
思いました。
息子さんの
Aさんもそのような方で
長年、銀座山形屋ロンドン店で
英国人紳士と対等に渡り合いました。
戦後の
日本人の中にいまだに
白人コンプレックスや
英語コンプレックスがあるとしたら
1日も早く払しょくして
神が日本人に賜った
日本人としてのアイデンティティを
貴びたいものですね〜
川柳と言うのは
日本文化の奥ゆかさのひとつかもしれませんね〜
お楽しみ下さいませ
日帰りで 行って見たいな 天国へ
延命は 不要と書いて 医者通い
三時間 待って病名 『加齢』です
目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
起きたけど 寝るまで特に 用もなし
改札を 通れず よく見りゃ 診察券
誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
万歩計 半分以上 探し物
この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
留守電に『ゆっくりしゃべれ』と どなる父
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
マイケルの 真似を発作と 間違われ
名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
探し物 やっと探して 置き忘れ
歳重ね もう食べられぬ 豆の数
LED 使い切るまで ない寿命
クラス会 食後は薬の 説明会
立ち上がり 用事忘れて また座る
無農薬 こだわりながら 薬漬
妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に
眼薬を 差すのになぜか 口を開け
少ないが 満額払う 散髪代
景色より トイレが気になる 観光地
厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
カード増え 暗証番号 裏に書き
妻旅行 おれは入院 ねこホテル
恋かなと 思っていたら 不整脈
深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
へそくりの 場所を忘れて 妻に聞く
これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
腰よりも 口につけたい 万歩計
何回も 話したはずだが『初耳だ』
婆さんよ 犬への愛を 少しくれ
実に痛快な川柳ですね。
これらを
心から納得したり
共感する年齢にはいってきたなあと
思います。
それにしても
幼少のころから
気管支喘息歴55年の
私は
腹を抱えて笑うこと
を自粛してきました。
大声で笑うと
咳き込んで
気道が収縮し
喘鳴症状が出てくることを
何度も経験してきたので
いつも遠慮して
笑うように
してきたわけです。
しかしそんな私でも
最終的には
大声で笑える時が来ると
聖書では
約束していることは
慰め以外の何ものでもありません。
そのとき私たちの口は笑いで満たされ
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき諸国の人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなさった。」
(旧約聖書 詩篇126:2)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
雪が溶けて、よかったワン!
2024.3.10
日曜の昼さがり
教会の近くをご近所の方が
ワンちゃんと
仲良くおさんぽ
ワンちゃんは
もっくん(10歳)
そとのお散歩、楽しいワン!
かわいいですね〜
なでなでさせていただきました。
しっぽをあげて
喜びを
表現してくれましたよ。
トイプードルのもっくんです。
釧路も早春を迎え
ワンちゃんとお散歩する
おじさんたちが
増えてきましたね〜
愛犬とともに
歩む
おじさんたちは
みんな嬉しそうな顔をされていますね。
「すごく、かわいいですね。」
と言うと皆さん
とっても自慢げに
喜ばれますね。
実は、このもっくんの
ご主人様は
我が家でかつて飼っていた
北海道犬(ほっかいどうイヌ)の
マリが9歳にして亡くなったときに
わがことのように
とっても悲しんでくれた
やさしい心の持ち主です。
愛犬と一緒に
散歩する
喜び楽しみ
私は
マリの存命中は
一緒に走ったり
歩いたりしましたが
マリが亡き今は
歩く時も
走る時も一人で
ちょっぴり寂しい・・・。
主が共におられる、とはいえ・・・ね。
聖書の中で
神と共に歩んだ最初の人として
紹介されるのが
エノクさんでした。
エノクはメトシェラを生んでから三百年、
神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
(旧約聖書 創世記5:22)
人間だけが神のかたちに似せて創造された
唯一の被造物ではありますが
しかし
聖書には
神様が人と同様に獣にも
心を留めておられることを
示唆する聖句が随所に見られます。
「主よ。あなたは人や獣を救ってくださいます。」
(旧約聖書 詩篇36:6)
犬とお散歩する姿が
ここそこにみられる
これは釧路に春が来たことの
しるしのひとつですね〜。
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.10
私たちの教会で今年に入って
第3回目の賛美集会
10代から60代の仲間たち
世代を超えて!
午前中2回の礼拝で
さんざん歌っても
なおもっと主を賛美したい
という思いで満ちた方々が
集まって
この日は午後2時からの賛美集会
高校生のAさんは
「毎週、日曜午後は
賛美集会をしたい!」と
目を輝かせていました。
私はと言えば
「毎週、日曜午後は
(ミーティング疲れで)
頭ガンガン
ぼーっとまどろみたい」
次世代の霊的パッションは
素晴らしい!
しっかり信仰の情熱と宣教の情熱の
バトンを手渡さないと
大いなる会衆の中での私の賛美は
あなたからのものです。
私は誓いを果たします。
主を恐れる人々の前で。
(旧約聖書 詩篇22:25)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.9
釧路朝祷会が
釧路市鳥取にある
日本メノナイト
鳥取キリスト教会で行われました。
4つの教会から
集まりました。
レント(キリストの受難節)にふさわしく
イエス・キリストが
私たちの罪のために
十字架で苦悩の叫びを
上げる聖書箇所(マルコ15:34)について
皆さんで黙想しました。
「わが神、わが神
どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
イエス様が十字架上で遺された7つの言葉のうち
第4番目のことば
この言葉は
旧約聖書詩篇22篇1節で
イエス様がこの地上に来られる1000年ほど前に
ダビデの口から出てきた言葉で
主イエスは
その言葉を
自分のことばとして
十字架上で叫ばれました。
この詩篇22篇の後半を見ると
主への賛美で結ばれていることから
苦悩から始まって主への賛美へ向かう
文脈の中で発せられました。
「イエス様は私の罪のために十字架で死んでくださった。」
と一言で言ってしまいがちですが
どれだけ私の罪が深刻な結果をもたらしているか
そのことに
あまりにも鈍感である
と思わされます。
十字架で主イエスが払われた代価が
いかに絶大なものであるか
言い替えると
神の前で
私個人が負っている負債額の大きさが
いかに大きいことか
犠牲の代価の大きさ
通られた苦悩の大きさが
いかに壮絶であったか
罪の贖いしろ
言い替えると
私の罪の刑罰の代償=身代金は
罪なき神の一人子の
いのちに等しいということ
それ以上でも
それ以下でもないということ
主イエスにとっての苦悩
それは単に肉体的、精神的苦痛以上に
この世から捨てられるだけでなく
今まで一つであった親密な父なる神から
見捨てられるという体験を
通らなければならないという
苦痛、苦悩、煩悶
およそ、古今東西
後にも先にも
このレベルの
喪失体験の苦悩を
味わった人間は
イエス・キリスト以外にはおりません。
それほどまでに、天の父、
そして主イエスキリストは
私たち一人一人を惜しみなく愛して
やまないということですね。
私たちは、死んだイエスを拝んでいるのではなくて
死んで復活して今も生きたもうイエスを
礼拝しています!
再びお会いできる望みを抱いて
鳥取メノナイト教会では
毎週日曜日午前10時半から礼拝があります。
お近くの方はぜひおいでくださることをお勧めします。
とてもやさしい牧師さんご夫妻始め
教会の皆様が笑顔とやさしさをもって
お迎えくださいます。
昨日の朝は、真家の晩に降った雪が
うっすらと積もっていました。
どんなに泥だらけの車でも
すっぽりと雪に囲まれると
純白のきよらかさに
私たちも
どれほど罪深い者であっても
主イエスを
自らの罪からの救い主であると
信じさえするなら
主イエスの血によって
雪よりも白くされます!
ハレルヤ!
イエス様の血によって
赦されえないほど
大きすぎる罪は一つもありません。
それと同時に
イエス様の血潮の力を必要としないほど
小さい罪も一つもありません。
主が一人でも多くの釧路市民を
罪と罪の結果である
死の向こうで待ち構えている
世の終わりのさばきの
苦悩から救い出してくださいますように!
ヒソプで私の罪を除いてください。
そうすれば私はきよくなります。
私を洗ってください。
そうすれば私は雪よりも白くなります。
(旧約聖書 詩篇51:7)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.2夕方
釧路市興津の
コールマイン(日本最後の唯一の海底炭鉱、
写真上部の傾斜した建物内には、左手南の海底方向への
坑道があります)の
敷地に鹿たちの群が憩っていました。
この柵内は
会社関係者以外立ち入り禁止
ですが
鹿さんたちは
柵をさっそうと飛び越えて侵入
鹿さん曰く「立ち入り禁止であっても
飛び入り禁止ではないので、
叱(鹿)らないでね・・・」
私が立ち停まって
スマホを向けると一斉に走って
逃げだそうとしたのですが
「鹿さんたち、ちょっと待って
写真撮って、ブログに上げるだけだから逃げないで。」
そう、まじめに声をかけると停まって
踵を返してくれた鹿さんまでいました。
それにしても
立派な角ですね〜。美しいですね〜。
聖書の中でノアが箱舟を
作ったとき
動物たちは
つがいごと
見事なまでに
ノアの指示に従って
入ることができました。
「はい、鹿さんたち、入りなさい〜」
と言えば
かぽかぽと入ったのでしょうね。
本来、動物は
神を畏れる人間の指示に従って生きるようにと
デザインされたにもかかわらず
人間の罪のゆえに
じょじょに人間を警戒し、
人間を避ける本能の方が
強くなったように思います。
本当は、故犬養毅の言葉ではありませんが
「話せばわかる」はずの関係性が
あったに違いありません。
鹿さんたちのお尻の白さは
後に続く仲間が
迷子にならないための
目印だと聞いたことが
あります。
神様は、鹿さんたちが群れを大切に
生きるようにと
デザインしてくださったのですね。
人間はなおさらそうですよね。
鹿のお尻を見ただけでも
偶然今のようになったと
考える進化論よりも
創造主が
愛の計画をもって、そのように造られたとする
創造論の方がはるかに
理にかなっているように思います。
鹿が、クマのように獰猛な性質ならば
怖くてスマホ向けられませんね。
もし、鹿たちが
あの鋭い角を突き出して
こちらに突進して来られたら
逃げるのに
窮してしまいますね。
42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように
神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。
いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。
(旧約聖書 詩篇42:1〜2)
それにしても鹿さんたちの角の
先端のグラディエイションの
白さの美しいこと
創造主の愛のデザインが角の形状や色にも
満ちていますね〜
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.7
午後に、優しく温かい日差しが
Aさんを包み込んでいます。
今年79歳をお迎えになる
Aさんがご自宅で
闘病生活を送られています。
お訪ねして
Aさんのお話を
伺いました。
ご病気のこと
お若い時、
出稼ぎで
内地(埼玉、大阪、名古屋など)
に行かれた時のお話など
たくさんお話しくださいました。
ただし、Aさんのご発声の言葉が
私にとって聞き取りずらく
さらにAさんは、テレビを結構な音量で
つけておられましたので
ごく一部しか
理解することができず
申し分けなく思いました。
Aさんは
九州のお芋のお菓子と
静岡のお芋のお菓子を
お持ちしましたら
たいそうおいしそうに
ピリポリと
口に運ばれていたので
ああ、良かったなあ、と
感謝しました。
Aさんは
いくつかの内臓に
爆弾をかかえておられ
苦悩されておられ
せき込む回数も
徐々に増えてきているようです。
最近は咳するたびに
その咳もやや長引くので
背中をさすらせていただきました。
私も喘息もちで
呼吸が苦しい時は
背中をやや強めにさすられると
少し楽になることを
幼少のころから
体感して
知っておりましたので
この日も何回も
さすらせていただきました。
さすりながら
虚弱児施設「有珠優健学園」入所時代のことを
思い出していました。
呼吸器疾患の苦しみ歴は
私は松井選手の
背番号ではありませんが
55年選手
Aさんは、体力づくりのために
少しでも散歩しようとしましたが
短い距離で
息が続かなくなってきたようです。
またスコップを抱えての
除雪作業ももう
腰以前に
息が続かず
体力的に限界だそうです。
階段の上り下りも
もうできないそうです。
さぞかしお辛い・・・
ただし、幸いなことに食欲はおありで
睡眠もよくとれるとあって
そのことを
感謝されています。
私たちは肉体的に
精神的に
弱くされ
あれもできなくなり
これもできなくなり
できなくなったことばかり
挙げると
気が滅入るのは
当然のこと
でも、これができてうれしい
でも、ここが調子がいいので感謝だ
というふうに
ほんの小さなことに
感動を覚え
感謝できるなら
本当に
人生を謙遜にさせ
心を穏やかにさせることと
なるでしょう。
最後に短く5分程度で
イエス様のお話を
イラストの絵でご紹介しました。
人間はみんな神様の前に罪があること
罪を持ったままでは天国へ行けないこと
イエス様は私たちの罪を背負って
十字架で身代わりに刑罰を受けて
死んでくださり蘇ってくださったこと
イエス様を救い主として
心で信じて口で告白するなら
イエス様の血に免じて
罪赦され
救われて天国へ行けること
信じないと
永遠のほろびがあること
イエス様をぜひ信じませんか?
とお尋ねしたところ
「そうだなあ・・・」
というところまで
この日は応答をしてくださいました。
焦らず、せかさず
イエス様の救いの招きを
語り続けてまいります。
Aさんは18歳ころ
あるご病気で入院されたことがおありだったそうです。
そのとき
2人部屋だったそうですが、
隣のベッドの方が
新興宗教の
S学会の会員さんだったそうです。
お隣さんから
「ご本尊を信心したら
病気が良くなるよ」と
勧められたそうです。
その時Aさんは
そのS学会員さんに
「それで、あんたは
信心して、良くなったかい?」
するとS学会員さんは
「俺は、信心が足りないからだめだ。
良くなんねえ。」
そう返答されたそうです。
それを聞いたAさんは
それなら、俺も無理だべな〜
そう思ったそうです。
Aさんは、それ以来
「信仰」とか「信心」というのは
どれだけ強く持つかどうかが
重要なのだと
思ってしまったそうです。
Aさん自らその体験談を
分かち合ってくださり
伺えたことは感謝でした。
なるほど、多くの日本人にとっての
信仰イメージは
そういうものかもしれませんね。
そこで私はAさんに申し上げました。
「Aさん、聖書の信仰はですね、
どれだけ強く信じるかではないのですよ。
「イエス様が十字架で死んで蘇ったのは
私の為なんだ」ただそのことを
素直に認めて
信頼するだけでいいんです。」
私たちの罪のために死んで蘇られたお方は
古今東西イエスキリスト
ただお一人で
「この方以外に救いはない」と
聖書に書いているんですよ〜
とご説明しました。
どれだけ強く信じるかではなくて
何を信じるか
信じる対象
それが重要なんですよ〜
信じる対象の確かさ!
それが重要!
来週の訪問の際は、
美味しい
たい焼きを
お持ちする約束を
しました。
(なるべくほかほか状態で)
お祈りをさせていただいて
帰ろうとすると
ちょうどAさんの奥様が
ご帰宅されました。
Aさんは奥様に
「こんど、たい焼き買ってきてくれるそうだよ!」
そう嬉しそうに報告されていました。
来週はAさんとご一緒に
たい焼きをいただきながら
再びイエス様の救いの素晴らしさを
分かち合わせていただきたいと
願っています。
日に日に呼吸が苦しく
胸部の痛みが増しているAさんの
苦痛がなんとか少しでも
和らぎますように
53:4 まことに、彼(イエス)は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼(イエス)は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎のために砕かれたのだ。
彼(イエス)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主(天の父)は私たちすべての者の咎を
彼(イエス)に負わせた。
(旧約聖書 イザヤ書 53:4〜6)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.6
昨晩は、
私が所属する教会の男性セルグループ
「まきびと」の皆さんと
いっしょに会堂掃除をしてから
セル集会を行いました。
毎週お互いに
些細なことでも喜びを
分かち合うことを
習慣にしています。
喜びは分かち合うことで
2倍となりえます。
悲しみは分かち合うことで
半減すると言われますね。
教会の仲間たちは
キリストを中心として
日常生活での
つながり合いを大切にしています。
人は一人でいるのは
良くないと
神様が
創世記の時代から
おっしゃっておられますね。
つながりの大切さと言えば
この午前中は
先週の強風で
ちぎれてしまった我が家の
BSアンテナケーブルの
取り換え工事が行われました。
ちぎれたBSケーブルの断面
痛いよ〜痛いよ〜
ちぎれたBSケーブルが
ぶーらぶら状態
見事な電器屋さんの職人技
昨年の秋
屋根の塗装工事を
したばかりなので
滑らないように気を付けてくださいねと
申し上げました。
電器屋さんとの会話で
UとVの話を伺いましたが
この分野の話は
いくら説明を聞いても
理解が難しい〜
中学時代に
理科の授業で
オームの法則が苦手で
アンペアとかボルトとか
よくこんがりました。
この年になって
血圧と
血流の違いはイメージ沸きますが
電圧と
電流の違いとか
抵抗とか
なかなか苦手
これを契機に復習し苦手意識を克服しましょうかね〜
電器屋さんのお話を伺っていると
専門用語が多くて
まるで外国語講座を聴いて
いるかのようでした。
それにしても電器屋さんは
偉大だなあと思います。
やりがいのある尊いお仕事だと思います。
実に賢い方々です。
説明書も読まず
屋内外の
複雑に絡み合った
難しい配線を
いとも簡単に
つなげるお働きは
見ていると
息を飲むほどの職人技です。
心臓外科医が
血管を区別しながら
接合する技に
勝るとも劣りません。
私は逆立ちしてもできません。
(逆立ちしたらもっとできないか・・・)
それにしても
ケーブル線がつながったときの
喜びはひとしおでした。
神のひとり子、イエス様を通して
私を創造された
天地創造の父なる神様と
つながったときの
喜びは
人生最大の喜びでした。
私たちは、
私たちの罪のために十字架で死んで三日後に
復活されて
今も生きたもう
神のひとり子、唯一の救い主イエス様を通して
天の父とつながることができるという
恵みを
信じるすべての人が
等しく体験できることは
何と幸いなことでしょう。
工事後に電器屋さんに
「このケーブルはどれくらいの期間もちますか?」
「またケーブルを固定している
鉄線の耐用年数はどれくらいでしょう?」
とお尋ねしました。
目に見えるケーブルは
雨風によって
経年劣化を避けることはできません。
しかし!
イエス様を通して
天の父と繋がるこの
目に見えない、INVISIBLE(「相棒」を想い出す人も!)
のケーブルは
決して永遠に摩耗することがありません。
いったん、イエス様を信じるならば
永遠に天の父と繋がり続けることが
できることは未来永劫
究極の安心をもたらします。
ハレルヤ!
だが、愛する者たち。
私たちはこのように言ってはいますが、
あなたがたについては、もっと良いこと、
救いにつながることを確信しています。
(新約聖書 へブル書6:9)
14:6 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれも父のみもとに行くことはできません。
(新約聖書 ヨハネの福音書14:6)
つながるべきものと繋がることで
繋がる必要のないものから
解かれていくことができる、
そういう人生こそが
自由でしなやかな人生なのですね〜
今日、一人でも多くの方が
イエス様を通して
天地創造の主
いのちの造り主と
つながりますように!
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.2.22
この日のランチには
友人から頂いた牛乳がありましたので
妻がフレンチトーストを
作ってくれました。
ふわふわして
美味しかったです。
とりわけランチ前に
10キロランをした直後でしたので
とっても
栄養補給となりました。
フレンチ・トーストは英語表現ですが
フランス語ではPain perdu (パンペルデュ)と呼ぶパンのこと。
固くなったパンを復活させる食べ方=Pain perdu(フレンチトースト)
のことを指すそうです。
その起源は、ローマ4世紀〜5世紀からすでに
始まっていた食べ方に由来し、
主にパンをミルクに浸していた手法が原点。
これがのちに発展して卵も使うようになったのが
17世紀ころだそうです。
ランニングで
水分が抜けきった
パンならぬ固まった体を
浴槽でお湯に浸して
復活させるのと似ているなあ〜
昨日は(3月5日)は暦の上では
啓蟄ですが
釧路はまだまだ地面が固いですが
柔らかくなるのが楽しみです。
6:35 イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。
(新約聖書 ヨハネの福音書6:35)
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村
2024.3.3
私どもの教会メンバーで
最も人生の先輩Aさんのお誕生会が
まなぼっと(釧路生涯学習センター)にある
展望レストラン「まいづる」さんで
行われました。
Aさんは、90代ですが
今でもお元気に
ご自分でお車を運転されて
教会の礼拝や
セル集会などに参加されています。
糸くくりの会の皆さんが
おつくりになった
色紙が贈呈されました。
色紙に添えて
フラワーアレンジメント
同日
同じ建物の別の会場の絵画展で
私どもの教会メンバーの
娘さんの
水彩画が展示されていて
ひときわ目だっていました。
天賦の才能ですね。
Aさんのお誕生日に
ふさわしい桜のお花
釧路で開花するのは5月になりますが・・・
103:14 主は私たちの成り立ちを知り私たちが
土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。
103:15 人その一生は草のよう。
人は咲く。野の花のように。
103:16 風がそこを過ぎるとそれはもはやない。
その場所さえもそれを知らない。
103:17 しかし主の恵みはとこしえからとこしえまで
主を恐れる者の上にあり主の義はその子らの子たちに及ぶ。
(旧約聖書 詩篇103:14〜17)
ちなみに展望レストランまいづるさんから
眺める釧路の夕陽は素晴らしいです。
私どもの教会にお客さんが来られる際には
この展望レストランまいづるさんに
よくお世話になっています。
支配人さんもとてもお優しく親切です。
みなさまのワンクリックは
大きな励ましとなります!
↓
にほんブログ村