<< お互いに「ありがとう!」(結婚記念日) | main | マスク考(「科学的な根拠」と「科学的な態度」) >>
「銀行にあって、天国にないもの」
0

    常務「わざわざ掘り起こして何になる!」

     

    半澤「警察にあって、銀行にないものが一つあります。」

     

    常務「銀行にないもの?」

     

    半澤「時効ですよ。」

     

    半澤「・・・隠ぺいが隠ぺいを生み、その原因は組織の体質にある。・・・

    過去を正してこそ、未来は正しく拓かれる。・・・」

     

     

    だあれも知らないように倉庫に

    隠している機密文書

     

    私たちの人生でも、思い出したくない過去のさまざまな履歴は

    心の中の見えない倉庫の引き出しにしまっているかもしれませんね

     

     

    誰にも知られないところに

    隠しているつもりでほくそ笑んでいても

    全知全能の神はすべてをお見通し

     

    私たちの人生の過去の履歴はすべて

    全知全能の神の前で明らかにされるのみならず

    その履歴に応じて裁かれる時が来る

     

    棺に納めたくても、納められないものがあります。

     

    過去の履歴です。

     

    聖書の中には、私たちがやがて死後

    神の前に立って裁かれる時のことについて

    ヨハネが地中海のパトモス島で幻として観て記録しています。


    また私は、

    死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。

    数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、

    それはいのちの書であった。死んだ者たちは、

    これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
     海はその中にいる死者を出した。

    死とよみも、その中にいる死者を出した。

    彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
    それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。

    これが、すなわち火の池が、第二の死である。
    20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

    (新約聖書ヨハネの黙示録20:12〜15)

     

     

    この聖書箇所を読んでわかることは、私たちが最後の審判を受ける際に

    数々の書物プラスいのちの書があるということですね。

     

    いのちの書に名前が記されていなければみな、一人残らず

    悲しいことに、火の池に投げ込まれるというのです。

     

    上の聖書箇所で「自分の行いに応じて裁かれる」人とは

    いのちの書に名前が記されていない人のことで、その人たちは

    そのほかの「数々の書物」に記録されている

    過去の履歴に応じて神の前にさばかれるというのです。

     

    私たち人間は生まれながら罪深いので、無数の罪を犯します。

     

    思いの中で、考えの中で、言葉を通して、行いを通して

    なすべきことをしなかった罪、すべきでないことをしでかした罪

    自分で記憶している罪も、忘れている罪もすべて含めて

    この聖書箇所で言う「数々の書物」に記録されているので

    本来であれば、全人類一人残らず火の池行きのはずです。

     

    この「数々の書物」の中には、私たちが「話した言葉の履歴」が含まれます。

    この「無益なことば」の中には、独り言も含まれます。

    すべてをお聞きになる神がおられる以上完全な独り言は、ありえないのですね。

     

     わたしはあなたがたに言います。

    人は、口にするあらゆる無益なことばについて、

    さばきの日に申し開きをしなければなりません。

    (新約聖書 マタイ12:36)
     

     

    しかし、神は実に

    そのひとり子イエスを与えるほどに私たちツミビトを愛されました。

    それは御子を信じる者が一人として「数々の書物」に

    書かれたところに従って裁かれて永遠の滅びることなく

    「いのちの書」に名前が記されて永遠のいのちを得るためでした。

     

    神は一人の人が滅びることも望んでおられません。

    すべての人が悔い改めて真理なるキリストを信じて救われて

    いのちの書に名前が記されて、永遠のいのちに回復されるようにと

    願っておられます。

     

    創造主なる神の前で、自分がツミビトであることを認めて

    イエスが自分の罪のために十字架で死んで葬られてよみがえられたことを

    信じるなら、罪なきイエスが十字架で流された償いの血に免じて

    罪ゆるされ神の子供とされて

    いのちの書に名前が記されることになります。

     

    「いのちの書」に名前が記されている人にとって、

    「数々の書」の記録はもはや効力を持ちません。

     

    イエスの血によって悔い改めた人の過去の罪は完全抹消される

    「わたしはあなたの不法を思い出すことはしない。」

    そう神様はおっしゃってくださるから。

     

    「数々の書」を恐れるのは、イエス・キリストを信じていない人です。

    その中に書かれていることが、ひとつ残らずやがて暴露されるからです。

     

    隠れているもので、あらわにされないものはなく、

    秘められたもので、明らかにされないものはありません。

    (新約聖書 マルコ4:22)

     


    しかし、

    すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
    (新約聖書エペソ書5:13)

     

     

     ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、

    ほかの人たちの罪は後で明らかになります。

    (新約聖書 汽謄皀藤機В横粥

     

    やがていつかは明らかになるのですから

    一刻も早く神様の前で正直に告白することが得策でしょう。

     

    この世では罪を認めたら

    「そんなことをしたのか!とんでもないやつだ!」と

    責められることが少なからずあるでしょうが

    神の前で、罪を求めて「こんなツミビトを憐れんでください。」

    とへりくだってキリストの十字架の愛にすがるならば

    赦ししかありません。

     

    それにしてもドラマ半澤直樹の登場人物の顔の表情はとても豊かですね。

    顔を近づけ合って大声で怒鳴る場面が多いですね。

    テレビモニターの

    画面に占める顔の面積比率がやたらと大きいよう

     

    幼子たちが音声抜きで観ていたら

    「おじちゃんたち、にらめっこすきね〜!」

     

    「にらめっこしましょ。わらったらまけよ、あっぷっ〜」

    「ぷ〜」

     

    「銀行にあって、天国にないものなあに?」

     

    「お金カネ!!」

     

    「天国にあるものは、ぜんぶ、無料!感無量!」

     

    みなさまのワンクリックは
    大きな励ましとなります!

     にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 釧路情報へにほんブログ村

    カテゴリ:- | 11:37 | comments(0) | - | - | - |
    コメント
    コメントする