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お互いに「ありがとう!」(結婚記念日)
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    2020.9.15

    昨日は

    結婚28周年記念日

     

    敬老の日

     

    ささやかにケーキでお祝い

     

    お互いに

    「結婚してくれてありがとう」

    コーヒーで乾杯

     

    25周年は銀婚式

    30周年は真珠婚式(パール婚式)だそう

    1〜15周年までは毎年

    名称があるのに15周年以上になると

    なぜか5年おきになるようですね。

     

     しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。

    彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。

    (旧約聖書 箴言31:10)

     

    真珠よりもはるかに尊いのだから

    真珠婚式を越えないと・・・

    と思わされます。

     

    それにしても結婚に導かれたことも

    結婚生活が今日まで

    続けられていることも

    どちらも

    神様の憐み以外の何ものでもありません。

     

    もし私たち夫婦がキリストの十字架による

    ゆるしの世界を知らなければ

    今日まで結婚生活が維持されることは

    なかったに違いありません。

     

    「真珠」といえば

    今日の聖書通読箇所の

    ヨハネの黙示録の21章に「真珠」が出てきました。

     


     十二の門は十二の真珠であり、

    どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。

    都の大通りは純金で、

    透明なガラスのようであった。

    (新約聖書ヨハネの黙示録21:21)

     

    使徒ヨハネが

    パトモス島で見た

    天の都の幻の情景

     

    天の城壁の12の門の

    一つ一つが

    一つの真珠からできているという

    描写がいつも

    印象的に心に残ります。

     

    神によって贖われた民は

    キリストの花嫁として

    描かれ

    その花嫁なる民を迎える

    城壁や門は

    究極的な安全と美しさでおおわれている・・・。

     

    イザヤ書26:1〜3

    54:11〜12の預言的な成就の

    光景として黙想すると

    ヨハネの黙示録21章21節が

    より立体的に見えてくるようで

    ため息が出てきます。

     

    「あなたの門をきらめく石にする」

    (イザヤ書54:12)

     

    門や城壁が

    究極的な安全を象徴することを

    考え合わせると

     

    このヨハネが黙示録を書いていた当時

    ローマ皇帝デュオクレティアヌスによる

    組織的迫害

    (それはかつてのネロ皇帝の時代を

    はるかにしのぐ規模で行われていた)の中で

    生きることが死と隣り合わせだった

    クリスチャンたちにとって

    どれほど大きな慰めと励ましだったことでしょう。

     

    そしてその黙示録は

    今日も

    多くの苦難の中にあって

    主を見上げる以外に

    なすすべをもたないクリスチャンたちにとっても

    どれほどの

    慰めと励ましでしょう。

     

    天の都を指差しながら

    歩むことの大切さを覚えさせられます。

     

    結婚記念日に

    あたり

    やがて教会が

    キリストの花嫁として

    整えられて

    花婿を迎える日

    究極的な婚姻・祝宴の日が近づいていることに

    思いをはせ

    その日を忍耐をもって

    待ち望む者とされていることを
    改めて感謝します。

     

    北海道の某村で

    「核のごみ」最終処分場の選定に

    かかわる議会審議の様子が

    連日のように報道されています。

     

    私たち人類は

    創造主が美しく創造された

    海も土も川も空も

    汚してしまっている。

     

    毎日、ウオーキングしていて

    路上に無造作に捨てられた

    マスクを見かけない日がないほどです。

     

    空が泣いている

    大地も泣いている

    海も川も泣いている

     

    イエス・キリストは
    私たち人間が心から排出する

    無数の罪という臭い廃棄物の

    最終処分するために

    十字架にかかられました。

     

    釧路市高山の

    ゴミ処理場の煙突が目に入ると

    いつもイエス・キリストの

    十字架を思い出します。

     

    キリストも一度、

    罪のために苦しみを受けられました。

    正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。

    それは、肉においては死に渡され、

    霊においては生かされて、

    あなたがたを神に導くためでした。

    (新約聖書 1ペテロ3:18)

     

    結婚と言えば

    コロナ禍の中で

    釧路市内も結婚式を挙げる方が

    激減しているよう・・・


     

     

     

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