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「半沢直樹」の「感謝と恩返し」
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    「施されたら施し返す。恩返しです。」

     

     

    「そして、森山、忘れるな。大事なのは感謝と恩返しだ。

    その2つを忘れた未来は、ただの独りよがりの絵空事だ。

    これまでの出会いと出来事に感謝をし、その恩返しのつもりで仕事をする。

    そうすれば、必ず明るい未来が拓けるはずだ。成功を祈る!」

     

    「半沢直樹」が興味深い

    手に汗握る展開

     

    シュレッダーにかけた文章が

    復元できるんだあ〜ということを

    知って驚きましたし

    隠しファイルとかクラウドとか

    いろいろなIT用語も

    勉強になります。

     

    痛そうで

    目をそむけたくなる場面もありましたが。

     

    観た後に

    心にまっさきに

    浮かんだ聖句はこれです。

     


    私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。

    それは人間同士のねたみにすぎない。

    これもまた空しく、風を追うようなものだ。

    (旧約聖書 伝道者の書4:4)

     

    さまざまな企業合併による

    市場の寡占化によって

    富が集中し

    その集中した富が

    分配される方向に向かわなければ

    誰にとっての「明るい未来」なのか

    考えさせられます。

     

    本来、自由主義経済

    資本主義の理念は

    愛と自由意思に基づく

    聖書の価値観を背景とした

    プロテスタンティズムの精神を

    礎としていたはずですが

     

    時代が進むにつれ

    理念と現実のかい離が激しくなり

     

    気づいてみると

    人間の支配欲とねたみという罪によって

    ゆがめられている側面も見えてきます。

     

    釧路で言えば・・・

    かつて庶民から愛されていた

    小売り店舗の皆さんが

    国の法改正による

    海外巨大資本の流入加速

    大規模小売店舗の建設促進などの

    煽りを受けて

     

    価格面と品ぞろえで対抗できず

    身の置き場がなくシャッターを下ろし

    駅前通りのみならず

    桜ケ岡の商店街も疲弊・・・。

     

    古い体質の改善努力不足といって

    ひとえに切り捨ててしまうのは酷・・・

     

    コロナ禍の今日

    狭い場所の密閉空間で

    苦戦を強いられる飲食店の方々

    がテラス営業ができるようにと

    釧路市もいよいよ

    道路占有基準を緩和することが

    釧路新聞で今朝紹介されていました。

     

     

    冷涼な釧路市で

    テラスで飲食できる期間は

    今を含め限られていると思いますが

     

    申請してから2週間程度は

    かかるそう

     

    申請手続きがスムーズに進み

    多くの釧路市で

    苦闘されている

    飲食店さんたちが

    支えられますように。

     

    かつては銀行員

    今回は証券マンとして

    懸命に奮闘する「半沢直樹」の姿から

     

    仕事に対する真摯な姿勢、

    部下に対する信頼

    きめの細かい洞察力と

    瞬時の判断力

    人的ネットワークの構築、

    などなど

    多くを学ばされます。

     

    それと同時に

    社会における「平等」とは何かという問題に

    ついても考えさせられます。

     

    ある人にとっての「明るい未来」というものが

    もし誰かにとっての

    「暗い未来」の土台の上に築かれるのであれば

    それは自分自身だけの独りよがりの

    「明るい未来」になりかねない。

     

    たとえばスマホによって

    「明るい未来」がひらけたと考える人は

    多いかもしれませんが

    素材として使われる希少なレアメタルの争奪戦を巡って

    今日も、コンゴ民主共和国の東部では

    尊い血が流されていることを

    心の隅に置きながらスマホ操作をする人は

    それほどいないかもしれません。

     

    平等とは何かを考察するときに

    どういう立場に立ってものを言うか

     

    聖書は、先進国の人も、途上国の人も

    資本家も労働者も、雇用者も被雇用者も

    株主も非株主も、生産者も、製造業者も、流通業者、

    卸小売り業者も消費者も含め

    すべての人を

    こよなく愛してやまない創造主の目から見た

    「平等」というものについて

    次のように触れています。

     


    8:13 私は、他の人々には楽をさせ、

    あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、

    むしろ平等になるように図っています。


    8:14 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、

    いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、

    そのようにして平等になるのです。


    8:15 「たくさん集めた人にも余ることはなく、

    少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」

    と書いてあるとおりです。

    (新約聖書 競灰螢鵐硲検В隠魁腺隠機

     

    今回の「半沢直樹」では、

    かつての名言「倍返し」に代わり

    新たな名言「恩返し」が出てきたようですね。

     

    私たち日本人の精神風土で

    「恩返し」を尊ぶ価値観は

    古くから育まれてきたよう

     

    「ツルの恩返し」を思い出す人も

    多いでしょう。

     

    「桃太郎」の場合だとちょっと違う

     

    「お腰につけたきび団子

    一つ私に下さいな!」に対して

     

    「あげましょう、あげましょう、

    これから鬼を征伐についてゆくならあげましょう〜」

     

    これは「恩返し」というより「取引」ですよね。

     

    中世の武家社会での土地をめぐる、大名と武士の

    「御恩」「奉公」の構図でも

    そこにはやはり「取引」の構図が見えます。

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    (つづく)

    ↓↓↓

     

     

    見返りを求めて何かをする・・・

    ツルの恩返しにはそれがなかったよう・・・

     

    ギブ アンド テイク の関係には

    一見すると

    負い目を感じたり、感じさせない礼節さと公平感があるようにも思いますが

    相手からの見返りがないと

    また相手へのお返しをしないと

    精神的にアンド(安堵)できないもろさが

    内包されています。

    そこに自発的な営みがないような印象

     

    「あの人に〜してやってんのに、何の感謝もしてもらってない」

    「あの人から〜してもらったけど、まだお返しができていない」

    冠婚葬祭のご祝儀とお返しなども

    その類である。

     

    病院のお見舞いですら

    退院した人が

    まだ完全な回復をしていない体に鞭打って

    お返しに頭を下げてそれ相当のものを持って

    お礼お回りをするというのも

    どうかと思う。

     

    お礼回りされる方は「そんなことしなくていいんですよ。」と口では

    言いながらも、来なければ来ないで

     

    「あの人、退院したのに、何の音沙汰もないな・・」

    これでは、真のアンド(安堵)感がない

     

    聖書が私たちに

    勧めるのは

     

    ギブ アンド テイク ではなくて

    ギブ アンド ギブ である。

     

    「受けるより与える方が幸いである」

     

    この聖句は

    しばしが誤解されることがあります。

     

    これは「受けてはいけない」ことを

    意味していないと思います。

     

    わいろでもない限り

    「受けるべき」ものは大いに受けてよい。

    「受ける」ことも愛の行為

     

    相手が心をこめて、

    与えたいと思っているものを

    心から感謝して受けるのは愛

     

    「いりません」といって

    拒絶するのは

    一歩間違えると

    相手の愛を拒む行為になりかねない

    あなたの愛がなくても

    私は生きていける

    私は、あなたから何もしてもらう必要がない

    という間違ったメッセージを伝えてしまいかねない。

     

    ただし、自分が

    与える時には、受けることを期待しないで与える

    与えることに徹して与える

    見返りを求めないで一方的に与える

    無償の愛、無条件の愛

     

    こういう類の与える愛のことを

    新約聖書のギリシア語では

    アガペーと言います。

    これは神の愛を指す言葉です。

     

    神がその愛する一人イエスキリストを

    与えてくださった愛

    み子イエスが十字架でいのちを与えてくださった愛

    その愛は、無償の愛、無条件の愛

     

    それに比べて

    私たち人間同士の愛は

    条件付きの愛

    心のどこかで

    〜だから愛する

    これだけしたんだから、あなたも・・・すべき

    というように

    相手に何かを要求したり期待したりする愛

     

    私たちはキリストを信じることで

    キリストの愛アガペーの愛を

    受けることができる。

    アガペーの愛はいったん受けたと確認できると

    今度はそれを流したくてたまらなくなるもの

     

    なぜなら豊かすぎるからです。

    おすそわけの心理と似ています。

    どんな美味しいものでも

    わずかだとしたら

    自分だけで食べるでしょう。

    しかし、おいしいものを食べきれないほど

    いただいたらどうでしょう。

     

    誰かと分かち合います。

    それと似ています。

     

    聖書では

    恩返しについてどう教えているでしょう。

     

    そもそも私たちは

    神様の愛と恵みに対する

    恩返しというか感謝の応答のしるしとして

    礼拝をささげ、お祈り、献金、賛美、そして

    自分自身の人生、生き方を持って「恩返し」をしていく

     

    つまり生きること自体が

    創造主の恵みに対する

    恩返しそのものと言っていいかもしれません

     

     

    神様の愛に最も似ているのは

    この地上では

    親の愛でしょうかねえ。

     

    親がわが子に無償の愛を注ぐ

    その親の恩に対して、

    子供が報いることの大切さを

    聖書では語ります。

     

     もし、やもめに子どもか孫がいるなら、

    まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、

    親の恩に報いることを学ばせなさい。

    それが神の御前に喜ばれることです。
    (新約聖書 汽謄皀藤機В粥

     

    親の恩に報いることを学ばせることは

    親を賜った創造主のみ前に

    喜ばれることなのですね。

     

    (※ただし、親からさまざまな虐待ばかりを受けて

    傷つきすぎている場合は例外です。)

     

    私たち人間は

    生まれなら罪深く

    天地を創造し

    私たちを母親の胎内で形づくった神様という

    真の親の恩に対しては

     

    「恩返し」どころか

    むしろ

    「恩知らず」の状態にあるようです。

     

    神様にお祈りするときでさえ

    あれしてください

    これしてください

    こうなりますように

    ああなりますように

    要求や願いのおしつけが多く

    賛美や感謝が乏しいものです。

     

    昨日は

    礼拝の中で

    みんなで自分の手首を触って

    脈の動きを確認しました。

     

    この脈が止まったら

    大変だと思う一方

    脈が動いていること自体を

    当たり前と思い

    脈が動いている事実を

    大変なことが起こっているとは

    思いずらいのが私たち

     

    「脈が動いているのが

    当たり前で

    止まったら大変」と考えるのが

    私であり私たち

     

    しかし本当は

    脈が動いていること自体が、不思議、奇跡、感謝、驚き

    もし神様がお止めになられたら、今まで動かしてくれて感謝します、

    という反応が自然なのかもしれない

     

    (※あくまでも神が与えたもう医療技術を尽くし

    最善の蘇生術を尽くした後でのことを言っています)

     


     しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。

    彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。

    そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、

    あなたがたは、いと高き方の子どもになります。

    いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。
    (新約聖書 ルカの福音書6:35)

     

    神様の御恩を忘れやすい私

     

    しかし、それでも恩知らずの私をなおも

    愛し続けて

    与え続けてくださる

    神のギブで満ちた愛に

    感動しないではおられません!

     

    神が私の心臓を動かしておられること

    神が天地万物を創造し

    歴史を支配され

    さまざまな災厄を

    私たち人間が自らの罪によって引き起こし

     

    コロナ禍で

    てんやわんやしながらも

     

    神の恵みによってなお

    生かされていることへの

    感謝

     

    実にその愛するひとり子イエスを与えるほどに

    私を私たちを愛していて

    くださっているという

    史上最大の御恩に報いるというか

    感謝して応答して

    生きることができますように。


    ハレルヤ。主に感謝せよ。

    主はまことにいつくしみ深い。

    その恵みはとこしえまで。
    (旧約聖書 詩篇106:1)

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