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クライマックスは「土下座」じゃない(半沢直樹総集編前篇を観て)
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    昨晩は、妻とTVドラマの半沢直樹の総集編前篇を観ました。
    聖書の「自分で復讐してはいけません」
    「復讐はわたし(神)のもの。わたしが復讐する。」
    「悪に負けてはいけません。むしろ善をもって悪に打ち勝ちなさい。」
    などの聖書の価値観に照らし合わせてみると、
    フィクションではあれ、主人公の思考パターンは、
    正されるべき部分はいろいろあることでしょうが、
    そういうクリスチャンである自分が、
    もし銀行員で半沢直樹の立場だったらするか?
    という視点で観るととても考えさせられます。
     それと、このテレビドラマはともすると
    流行語にもなった「倍返し」「やられたらやりかえす」
    というコンセプトばかりが印象強く強調されがちですが、
    昨晩の総集編前篇で、
    大阪の夜景を見ながら
    半沢氏が奥さんに語るシーン
    正確に言うと
    夫婦の対話のシーンが
    最も重要な山場と思いました。
    TVドラマのクライマックスが
    最後に来るとは限らない
    そもそも
    クライマックスを決めるのは
    視聴者一人一人の自由
     自分の父親が亡くなったのは、
    当時銀行からの借り入れを拒否されて
    行き詰っての自殺であったことを正直に打ち明けると同時に、
    自分の父親を追い詰めた銀行に入行したのは、
    単に復讐という消極的理由のためだけはなくて、
    むしろそれ以上に、苦しんでいる中小、零細企業を
    応援するためであると打ち明ける場面は、
    私なりに、昨晩の総集編前篇のクライマックスであると思いました。
    出世の目的もそこにあるということですね。
    この部分をもっと強調したドラマの展開を
    期待したいものだと思いました。
     観たくなかったシーンは、
    自分を貶める者を土下座させるシーン。
    録画なら早送りしたかったところ。
    聖書を読むと、ノンフィクションの世界では、
    どんなに理不尽なことがあっても、
    最終的には、すべてを公平にさばかれる神が、
    私たちの見えないところで行われているすべてのわざも
    最終的にさばかれること、
    私たち一人一人は、死後、
    すべてをご存じの神の前に立って、
    自分自身のことのみを、
    言い開きをしなければならないことが
    明記されていることを考えると、
    この地上で自分が神に代わって、
    相手を成敗しようとか、
    さばこうという執着心から自由になり、
    それに向けるエネルギーをもっと別なことにために
    費やすことができることがわかります。
    神が他人のみならず
    自分自身の見えないところも
    裁かれることを
    考えると
    他人が自分にどんな悪を働いたか
    考えたり、思い出したり、記録している暇がなくなります。
    そのこと以上に
    自分が
    心の中で
    または言葉と行動で
    どれだけ周囲の人を傷つけ
    そしてそのことを通して
    その人を神のかたちに創造された
    神を傷つけているか
    そのことの重大さを考えると
    主よ、ツミビトの私を憐れんでください!
    そう胸を叩きながら
    主イエスの十字架の死
    犠牲によるゆるしの前に
    それこそただただ土下座するばかりの
    自分であると思わされます。
    誰かに
    土下座して
    謝ってもらいたい思いなどから
    完全に切り離れた状態に
    おかれている人は
    幸いです。
    皆が
    復活のキリストの前に
    膝まづく時が来る
    いずれにしても、
    このドラマを観るキリスト者男性は
    「じゃあ、あなたが半沢さんだったらどうしますか?」
    キリスト者女性は
    「じゃあ、あなたが半沢さんのおくさんだったらどうしますか?」
    という問いに対して自問自答してみては、
    どうでしょう。それをシェアすると楽しいかもしれません。
    半沢さんの奥さん、実にすばらしい部分がたくさんあると思いました。
    テレビのフィクションドラマには
    必ずクライマックスが
    あるように
    人類のノンフィクションの歴史にも
    クライマックスが
    あることが
    聖書には明記されています!

    2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、
    神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
    2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、
    人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
    2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
    2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、
    すべての名にまさる名を与えられました。
    2:10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、
    地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
    2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、
    父なる神に栄光を帰するためです。
    (新約聖書 ピリピ書2:6〜11)

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