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標茶の羊、釧路へ!
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    今年初めてチャレンジ

    春先、裏庭に

    キャベツの種を蒔いて

    発芽しました。

    嬉しい!

     

     

    キャベツの苗を一つだけ購入し

    こちらはハウスの中に移植しました。

    葉っぱが、でかくなるなる

    もう食べちゃいましょうか?

    この葉っぱ食べていいんですよね?

     

    今日はこれから標茶原野での聖書学び会にまいります。

     

    標茶と言えば

    今朝の釧路新聞の1面に

    標茶の育成牧場から

    2頭の雌羊が

    昭和小学校に飼育用として

    10月までの期間届けられた

    ほのぼのニュースがのっていましたねえ。

     

    おっと

    昭和小学校の

    校長さん

    大学在学中同期だった

    英語研究室のSくんでは

    ありませんか!

     

    聖書には

    愛は礼儀に反することをせずとありますが

    それと同時に

     

    同期同士というのは

    お互いに何歳になっても

    この世の肩書を横に置いて

    どこに行っても「〜くんじゃないか!」

    そう呼び合うことが許されているようで

    嬉しいものですね。

     

    我が家でも飼いたいなあ〜

    私どもの教会でも飼いたいな〜

    雑草食べていただいて・・・

     

    あっでも教会では

    私たちが牧者なるイエス様の

    羊でしたから

    文字通り

    この新聞の見出しどおり「仲間」ということですね。

     

    羊が羊の飼育をするってことに

    なりますかね。

     

    イエス様のおことばを

    かみしめましょうか。


    10:7 そこで、再びイエスは言われた。

    「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
    10:8 わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。

    羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
    10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。

    また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
    10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、

    滅ぼしたりするためにほかなりません。

    わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、

    それも豊かに得るためです。
    10:11 わたしは良い牧者です。

    良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。

    (新約聖書 ヨハネの福音書10:7〜11)

     

    イエスキリストは

    「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため」

    「良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」と

    語られましたが

     

    これはイエス様が

    私たちの罪を背負って

    十字架で身代りに刑罰を受けるべく

    死んでくださることを

    自ら預言されたものでした。

     

    イエス様がもし死んで葬られて

    それで、おしまいでしたら

    ああ、かわいそうだった、ということに

    なるだけで

    わたしたちに命は伝わりませんでしたが

    イエス様は預言通り

    三日後によみがえり

    死に勝利されましたので、

     

    イエス様を信じる者には

    死後にも続く永遠の命が保障されることになりました。

    というか、もっと正確に言うと

    イエス様を

    信じる人は肉体が滅んでも

    魂は永遠に牧者なるイエスと共に

    生き続けるということになるわけです。

     

    コロナウイルスで召されるか

    がんで召されるか

    どんな病気で召されるか

    わからないのが

    私たちですが

    イエスを信じる者は

    死んでも生きるのですから

    これほど良い知らせはありません。

     

    なぜ信じる者は救われるのか

    イエスが流した血に免じて

    信じる者の罪が赦され

    死後のさばきが

    赦免扱いとなるためです。

     

    自分で自分の罪を償えない私たち

    それは

    赤ちゃんが自分のおむつを自分で

    取り換えることができないのと

    同じです。

     

    イエスが

    十字架で

    私の罪償ってくださった。

     

    私がこの真実を信じることができたのが

    17歳の時

    そして18歳で

    釧路市千代の浦海岸で

    洗礼(バプテスマ)にあずかりました。

     

    「ああ、あれから40年」

    (あやのこうじきみまろさんのセリフ拝借)

     

    イエス様は

    「わたしはよみがえりです。いのちです。

    わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」

    と語られている言葉の約束どおりです。

     

     

    これから標茶原野へ

    車でまいります。

     

    コロナ禍の世界

    礼拝や聖書の学び会が

    リモート化され

    あちこちで

    インターネット、スマホを介して

    zoom,youtube、lineなどを

    通して福音が

    爆発的に浸透して感謝ですが

     

    しかし、その一方で

    ネット環境がない人々、スマホを所有している人が

    世帯の中で一人もいない

    そういう例も日本国にあっても

    少なくない現状も

    忘れてはいけません。

    少なくとも牧者なるイエスは忘れていません。

     

    私が今日これから向かう標茶原野の

    クリスチャンたちも

    そのような方々です。

    ネット環境があろうとなかろうと

     

    キリストの羊たちが

    聖書の牧草を欲しています。

    聖書の牧草を必要としています。

     

    イエス様のことばの

    牧草をお届しに

    これから

    準備してまいります。

     

    インターネットは便利ですが

     

    空間を共にして

    一緒に食事をして

    一緒に

    聖書を開いて

    一緒にその場の空気を

    感じながら

    その場におられるキリストを

    一緒に感じ合うことは

    インターネットでは

    味わえない神の恵みのひとときと

    感謝しています。

     

    道中守られますように

    車が鹿に遭遇しませんように!

     

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