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「わがゆくすゑの・・・・」
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    いつの間にか

    我が家の栗の木が葉っぱで

    覆われていました。

    毎日目にしているはずなのに

    気づきませんでしたね〜。

     

    夏の日差しが強い時は

    この木陰に身を寄せるだけで

    癒されます。

     

    ただし釧路においては

    夏の強い日差しでくらくらすることは

    めったにありませんが・・・。

     

    我が家にはまだエアコンもなければ

    扇風機も網戸もありません。

     

    今朝の釧路新聞の余塵で

    石川啄木が1908年に

    長万部を通った際に詠ったものが

    紹介されていました。

     

    「かの旅の夜汽車の窓におもひたる

    わがゆくすゑの

    かなしかりかな」

     

    うーむ

    啄木の詩には

    言いようもない

    悲しみとか孤独とか

    わびしさとかが

    感じられるものが

    多いように見受けられますが

     

    この歌碑のことばもしかり

     

    「わがゆくすゑの

    かなしかりかな」

     

    私も聖書を通して,永遠の世界について

    創造主が語られる

    ことばを知って信じて平安をいただくまでは、

     

    「ゆくすゑ」を案じるのみの人生でした。

     

    もし、自分の人生が現在の我が家の栗の木の葉のように

    どれほど青々と茂るがごとく繁栄していたとしても

     

    同時に

    「わがゆくすゑ」を案じて「かなしかりかな」の心境にも

    襲われてそれを振りほどくために

    さまざまなあがきをしているなら

    どれほど切ないことでしょう。

     

    人間は

    そもそも永遠を思う存在として

    生かされているので

    今だけの人生なら刹那的で、虚しさ、悲しさ

    に押しつぶされてしまうことでしょう。

     

    聖書を通してイエスキリストを通して

    得られるつみのゆるしと

    永遠の命の希望があることに

    気づかされるなら

     

    青々とした葉っぱで,おおわれる栗の木を見る時

     

    ああ、天国では、このようにいつまでも

    青々と生き生きできるのだなあ

     

    キリストにありて

    「わがゆくすゑの

    たのしかりかな」

    そう詠わずにはいられません。

     

    啄木は1903年から1907年まで

    キリスト教や聖書に接近し

    それが彼の文章のあちこちに出てきます。

     

    1905年に啄木の妹光子が盛岡女学校へ

    入学する時などは、「これを読め」と言って

    妹に旧新約聖書をプレゼントしたほどでした。

     

    光子は、のちにキリストを救い主として信じて

    伝道者となります。

     

    1907年の元旦の啄木の日誌には

    「起き出でて、

    机辺を浄め、

    顔を洗ひ、

    約翰(ヨハネ)伝をよむ」

    と記し、朝早く聖書のことばに

    耳を傾けたこともあった啄木でした。

     

    そんな啄木の日記や書簡から

    キリスト教に関する文言が忽然として消えるのが

    北海道へ渡って来てからでした。ミステリ〜!!

    (その理由については拙ブログでいつか考察してみたいと思います。)

     

    啄木は死の病床で、キリスト教伝道者となった

    妹光子から、「宣教師を行かせる」

    という手紙に対して「絶対に来させるな、

    来ても会わぬ、不必要な手紙は今後書くな」と

    怒りをぶちまけた返信をしました。

     

    啄木は、その後1912年4月13日

    帰らぬ人となりますが

    亡くなる前年9月に発表し、死の直後に出版された

    第2歌集「悲しき玩具」の作品の一つとして

     

    クリストを人なりといへば、

    妹の眼が、かなしくも、

    われをあはれむ。

     

    を残しました。

    この歌が石川啄木の生涯のほとんど

    最後の作品になったといわれます。

     

    石川啄木の残した歌の中で、これほど悲しい歌はない

    と思える歌です。

     

    わかりやすく言うと

    「キリストはしょせん、人間にすぎない

    (神なんかじゃない)そう、言うと

    伝道者である妹が、とても悲しい表情で

    こちらを見つめた」ということになるでしょう。

     

    石川啄木が、最後の最後までキリストを拒み続けて

    この世を離れたかどうか、誰も知ることができません。

     

    ただ、私が願い、望みを抱くのは、最後の最後で

    死の淵での神との対話の中で

    「わが罪をおゆるしください。

    愛する人への裏切りの罪を、

    愛する神への裏切りの罪を、

     

    十字架にかかりしクリストを

    わが罪からの救ひ主として

    信じ受け入れます。

    わが行く末を

    あなたの手の中に

    おゆだねいたします・・・」

    そういう祈りの歌を、後世の人には遺さなくても

    憐れみ深いクリストの耳に遺されたということ。

     

    この歌碑こそが、釧路をはじめ全国にあるすべての彼の歌碑に

    覆い尽くし凌駕する歌碑に違いない。
    14:1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
    14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
    14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

    (新約聖書 ヨハネの福音書14:1〜3)

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