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釧路川の岸壁でほほ笑む
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    2019.12.10(火) 夕刻時

    この日は、午後MOOの会議室にて

    釧路保護司会研修部会が

    開かれて約2時間のミーティングを終えて

    施設の外に出ましたら

    ちょうど日没近くでした。

     

    空気が澄んで

    おいしい

    冷気も

    やわらいでる

     

    釧路川の岸壁に立って

     

     

    パノラマ撮影しながらほほ笑む

     

    この光景を見ると

    ほほ笑みと

    ため息しか出ません。

     

    世界三大夕日と言いますが

    誰もが

    自分の故郷で眺める夕日が

    その人にとっては

    世界一なのかもしれない



     まことに御怒りは束の間

    いのちは恩寵のうちにある。

    夕暮れには涙が宿っても

    朝明けには喜びの叫びがある。

    (旧約聖書 詩篇30:5)
     

     

    この日の午前中

    我が家の玄関口に

    不安なお顔で

    来られたAさん

     

    弟さんが

    病床にあって

    かなり困難な状態の中に

    おられるので

    お祈りしてほしいと

    懇願されました。

     

    自分の

    きょうだいが

    とりわけ

    弟や妹が

    死線をさまようというのは

    兄として姉として
    想像を絶する

    痛みであろうと

    推察します。

     

    もっと

    いろいろなことを

    話し合っておけば

    よかったとか

    いろいろなことが

    心を去来することでしょう。

     

    それにしても

    人間は

    自分のいのちを

    コントロールすることができない

    はかなく弱い者

     

    どんなに医療が発達し

    高度医療技術や名医の恩恵に

    あずかったとしても

     

    わたしたちは

    創造者が

    私たちに定めておられるいのちを

    1秒たりとも

    ずらすことができない。

     

    私たちにとって

    避けられないこと

    お暇しなければならない時が

    あるということ

     

     

    イエスキリストは

    創造主なる神でありながら

    私たちと同じ人間の姿をとって

    この地上に来られ

     

    身を低くして

    飼い葉おけの中で産声を

    あげて

     

    もっとも弱い姿をあえてとられました。

     

    そしておよそ33歳のときに

    私たちの罪を償うために

    十字架で

    身代りに

    刑罰を受けて

    死んで葬られて後

     

    三日後に預言どおりに

    よみがえりました。

     

    主イエスは

    死の力をもつ者、

    すなわち悪魔をご自分の死によって滅ぼし

    死の恐怖によって

    一生涯奴隷として

    つながれた人々を

    解放するために

    私たちと同じ肉体を

    もたれ

    十字架で

    死を味わわれました。

     

    主イエスが誕生された洞窟は

    当時、遺体を保管する

    今日でいうと

    霊安室の用途としても

    使われていましたので

     

    そこには

    家畜飼育用の

    飼い葉おけのほかに

    しばしば

    遺体を包むための

    「亜麻布」がおかれていました。

     

    主イエスは

    赤ちゃん用の産着を着せられたのではなくて

    ご遺体を巻くための亜麻布で

    包まれたことになります。

     

    それは

    言い方を換えると

    主イエスはこの地上に

    生きるために生まれたというよりも

    死ぬために生まれたという

    ことを暗示しているようでも

    ありました。

     

    主イエスに信頼するものは

    罪のゆるしと

    永遠のいのちと

    からだのよみがりの

    希望が

    与えられます。

     

    これは、私のように

    仏教の家庭で生まれた人にも

    神道の家庭で生まれた人にも

    誰にでも

    信じるならば

    有効になる約束です。

     

    聖書には

    イエスの死について

    「その死は、

    神の恵みによって

    すべての人のために味わわれたものです。」

    (新約聖書 ヘブル書2:9)

    と書かれています。

     

    そうです。

    「私をゆるすための十字架」

    「私の罪を償うための十字架」

    「私のためお救い主」なのです。

     

    一言

    「イエス・キリスト・私の・救い主」

    そう信頼して告白するだけで

    救われます!

     

    罪ゆるされ

    永遠のいのち

     

    人生の日没を迎える時

    この地上という岸壁に

    佇むとき

    やがて来たるべき朝が来ることを

    待ち望んでほほ笑む者で

    ありたいですね。

     

     

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    カテゴリ:- | 10:15 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    長時間にわたる検査、身も心もお疲れになることでしょう。最善の治療がなされて少しでも楽に生活できますようにお祈りしています。

    | Hiro | 2019/12/12 9:44 AM |
    まだ釧路の夕陽をじっくりと見たことがありませんが、何故か懐かしく思います。
    今日1日掛けて検査漬けで夕方には結果も解ると思います。まずは造影剤注射、昼前にCT検査、15時にMRI間がながーい!
    | 森泰之 | 2019/12/12 9:17 AM |
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