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「クリスマス」と「硫黄山」
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    (この思いからスタートしたのが

    明治時代日本人最初のクリスマスパーティー!)

     

     

    キリスト教が解禁になって

    間もない明治7年(1874年)10月18日に

    東京築地で洗礼を受けた

    原胤昭氏が、

     

    入信のしるしに

     

    「クリスマス(キリストマス)を盛り上げよう!」

     

    これがきっかけで

     

    その年の12月25日に

    同東京築地女子学院で

    クリスマスのお祝いをしたというのが

    史料に基づく

    日本人主催の最初のクリスマス会

    と言われています。

     

    つまり

    イエスの誕生を祝わないクリスマス会は

    「クリスマス会」とは言えませんね〜。

     

    原氏主宰のクリスマス会では

     

    殿様風のサンタクロースが登場したり

    天井からミカンを吊るした

    十字架などが飾られたり

     

    それはそれは

    和風なお祭りだったよう

     

    神田明神の祭礼をイメージしながら

    企画したとのことでした。

     

    (これに対し米国公使たちから事前チェックが入り

    ダメ出しをずいぶん

    いただいたそう)

    これは明治33年(1900年)教文館発行

    日本風にリメイクされた

    三太九郎ものがたり

    (鶴の恩返しと似ている)

    明治時代のクリスマスパーティーの

    レアな記念写真(男ばっかり!!)

     

    ところで

    若干22歳の原氏が

    最初のクリスマス会主催者

    となったのは驚きです。

    中村正直なども出席しています。

     

    原胤昭は、

    新進気鋭かつ柔軟な人で

    宣教師から洗礼を受けましたが

     

    宣教師によらない

    日本人だけによる

    最初のキリスト教会を開拓した人

    としても知られています。

    原氏は、西欧文化的キリスト教には

    違和感を覚えていたよう

     

    福音を伝えてくれるだけなら

    感謝で・大歓迎ですが

     

    文化の押しつけは嫌だよね〜

    ということ

     

    日本風のクリスマス会に

    米国人から

    ダメ出しを食らったことも一因と

    思います。

    日本人には日本文化にあったお祝いの仕方があっても

    いいじゃないか!ということです。

    私も原氏に賛成!!

     

    ところで

    この原胤昭氏は

    クリスマスパーティーばかりに関心を

    もっていた

    わけではありません。

     

     

    日本人初のクリスマスパーティー主催から

    13年後

     

    北海道、道東、弟子屈町の

    硫黄山を訪ね

    田中正造の働きにも類似した

    きわめて人道的な

    働きに携わります。

     

    2019.11.28

    クリスマスの時期(待降節)を迎えるにあたり

    妻と

    硫黄山に立ち寄りました。

     

    観光旅行ガイドの方ならば

    「ここは、アイヌ語でアトサヌプリという

    硫黄山で、

    明治のころ、ここで硫黄の採掘をしていた囚徒が

    厳しい扱いを受けて

    たくさんの人が病気になったり、死んだりしました・・・」

    というような説明をするかもしれません。

     

    そして

     

    温泉卵を食べ

    記念写真を撮って

    観光土産を買って

    時間があって

    硫黄の刺激臭が苦手でなければ

    少し硫黄山の方に近づいてから

    踵をかえして、

     

    次の観光地スポットへ

     

    向かっていくのが

    スタンダードな旅という

    ところでしょうか。

     

    硫黄山

    明治21年

     

    当時、標茶にあった釧路集冶監(昔の刑務所施設のこと)

    の囚徒の教誨に

    あたっていた原胤昭という方(クリスチャン)が

    人道上の見地から

    大井上典獄(この方もクリスチャンになる:今でいうところの刑務所長)

    に進言して、囚人の硫黄採掘中止を

    政府に進言して

    実現させました。

     

     

    明治18年からやっていた囚人の硫採掘は

    21年11月に外役所(集冶監から離れたところにある労働拠点のこと)

    閉鎖にともない中止が実現します。

     

    原胤昭は明治17年より

    兵庫の仮留監で

    教誨師をしていましたが

     

    兵庫から北海道へ移送される囚人たちが

    「北海道に送られたら生きて帰れぬ」という

    恐怖心に包まれていたため

     

    北海道の行刑状況を視察すべく

    明治20年8月に

    道内をめぐり

    釧路集冶監の視察にも

    訪れました。

     

    当時釧路集冶監は

    標茶町にありました。

    (当時の政府は、

    なるべく内地(本州)から離れたところ

    ということで今の北方領土を候補地にも

    考えたそう)

     

     

    原胤昭が標茶に着いたその夜、

     

    標茶集冶監の

    農業主任の小野田卓哉氏(この方もクリスチャンで

    札幌農学校の出身)が来訪します。

     

    原氏は

    小野田氏から、囚人たちの

    過酷な労働実態の様子を聴きます。

     

    翌日獄内視察を終えた原胤昭は

     

    その翌日

    典獄の中止勧告をふりきって

    集冶監から10里離れた山中の

    アトサヌプリへと向かいます。

     

    (このあたりが危険を恐れず

    主に信頼する原氏の勇ましさ)

     

     

    硫黄山には仮小屋が設けられ

    これに出没している囚徒は

    約300人、

     

    囚徒は全員、足に鎖に繋がれた状態

    (鎖そのものはやたらと重い)で

     

    重い硫黄の塊や粉の

    入った俵を背負わされて、

    道ともいえぬ急瞼を下る。

     

    躓いて倒れれば起き上がることが困難

    立ちあがることが遅かったり

    口答えでもしようものなら

    看守はたちまち

    「命令に背く」という名のもとに

    サーベルで斬って捨てる。

     

    そのような場合でも

    人員帳には

    「すべって転んで即死した。」と

    記録されたそうです。

     

     

    その生々しい血まみれの死骸を見ながら

    囚徒は、黙々と運搬に従事させられる。

     

    この硫黄山での苦役によって

    眼を病み、ついに失明に至った者、

    呼吸器疾患にかかり死に至った者も

    少なくなく、

     

    中にはかつて

    兵庫仮留監から送り出すにあたって

    原胤昭自身が

    慰撫して送り出した者の名前も

    その死亡者名簿にあったということで

    原氏は胸が引き裂かれる思いだったことでしょう。

     

    明治19年1〜6月のわずか半年だけでも

     

    硫黄山に派遣された囚人300人中

    145人が水腫病、消化器病、呼吸器疾患、眼病などに

    罹患し

    42人死亡15名失明

    という記録があります。

     

    視察後、ただちに原胤昭は大井上典獄に

    わが目で見た事実を報告し

    硫黄採掘中止を勧告します。

     

    当時36歳の

    原胤昭は「緩慢な死刑」

    「殺人労働だ!」と非難し

    当時の警保局長清浦圭吾氏にも

    報告しています。

     

    今日でいうと

    法務省矯正局長に

    報告したようなものです。

     

     

    当時囚人の硫黄山における

    採掘事業は

     

    国と安田財閥の契約によるものでした。

    財閥は

    この硫黄採掘によって

    莫大な利益を上げていたそうです。

     

    契約期間中であったにも関わらず

    原胤昭の懇請と大井上の英断によって

    悪名高き硫黄山の囚人労働は

    廃止されることになります。

     

     

    今日、令和の時代になっても

    明治のころと形は違えども

    ブラック企業や

    職場における各種ハラスメントの被害で

    苦しんでおられる方

    自らのいのちを

    すり減らされている方は

    少なくありません。

     

    労災・公害をめぐる裁判

    企業や国を相手取って

    労災認定が下るのに

    長い年月を要している市井の知人が

    私の周囲にもおります。

     

    いつ、裁判所に呼ばれるか分からない

    という緊張状態が1年365日

    続いていると

    その知人は先日

    おっしゃっていました。

     

    教会に来られる方にも

    過酷な労働環境の中

    ハラスメントによる

    苦しみを

    耐えておられる

    方がおられます。

     

    原胤昭のように

    神のみを

    恐れて

    声を発すべき必要が

    あると思わされます。


    口のきけない人のために、

    口を開きなさい。

    すべての不幸な人の訴えのために。
    31:9 口を開いて、正しくさばき、

    苦しむ人や貧しい人のためにさばきを行いなさい。

    (旧約聖書 箴言31:8〜9)

     

    今年の夏

     

    日本キリスト教団

    という日本のプロテスタント教会の

    最大のグループの

    教誨師会からお招きを受けて

    「北海道におけるキリスト教の宗教教誨」について

    語ってほしいと

    講演依頼を受けて

     

    標茶町図書館長さんからの

    ご厚意で

    さまざまな史料提供をいただき

     

    硫黄山での囚徒労働についても

    調べる機会が

    与えられました。

     

    この学びをする前と

    した後では

    硫黄山に訪れる時の

    思いは

    まるで異なりました。

     

    原胤昭が抱いた

    悲しみと怒り

     

    時代を越えて

    同じ聖霊を受けた者として

    自分自身も

    抱きながら

    社会に遣わされていきたいと

    思わされます。

     

     

    強い硫黄の刺激臭の中で

    頭をよぎる聖句があります。

     


    しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、

    人を殺す者、淫らなことを行う者、

    魔術を行う者、偶像を拝む者、

    すべて偽りを言う者たちが受ける分は、

    火と硫黄の燃える池の中にある。

    これが第二の死である。」

    (新約聖書 ヨハネの黙示録21:8)

     

    原胤昭氏は

    硫黄で

    むせび苦しむ人々を助けるために

    声を上げまくりました。

     

    私たち今日のキリスト者は

    愛する隣人が

    主イエスに背を向けたまま

    永遠の硫黄で

    むせび苦しむことが

    ないように

    宣教の声を

    もっともっと上げまくりたい!

     

    クリスマスは

    教会の中でも外でも

    ほっこりするお話が

    求められがちですが

     

    聖書を読む限り

    イエスキリストを信じる者に備えられた

    罪のゆるしと永遠のいのちの約束と同時に

     

    神のひとり子を信じようとしない者が

    その身に受けようとしている

    恐ろしく悲惨な厳粛なさばきの約束もあります。

     

    後者については

    「火と硫黄の燃える池」という

    象徴的な表現で描写されています。

     

    しかもその苦悩は

    永続的であることも

    聖書では

    描写しています。

     

    前者の話ばかりが

    語られて

     

    後者の話が

    封印、敬遠、倦厭、嫌悪、忌避されているのが

    今日の時代

     

    片手落ちの

    クリスマスメッセージ

    居心地の良さ、聴き心地の良さだけが

    求められる時代

     

    クリスマス

    わたしたちは

    私たちが想像している以上に罪深いと同時に

    私たちが想像している以上に愛されていることを

     

    飼い葉おけの主イエスをイメージしながら

    覚えられたら感謝!

     

     

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