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「草むしりも恵み」
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     父と母を敬え。

    あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。
    (新約聖書 マタイの福音書19:19)

     

    昨日、庭の草むしりを

    しておりましたら

     

    ご近所のご婦人Aさんが洗濯物を

    取り入れ中で

    お姿を拝見したので

     

    やや遠くから

    「Aさん、こんにちは。

    お元気でいらっしゃいますか?」

     

    「それが、全然元気じゃないんです。」

     

    小鎌を手にしながら

    近寄り

    「どうされましたか?」

     

    「実は・・・」

    ということで

    様々なお悩み事を吐露されて

    涙されたAさん

     

    「ところで、山形さん、お忙しいと見えて

    2〜3か月お留守だったようですね。」

     

    「いえ、そんなことありませんよ。

    普段おりますよ。」

     

    「もし何かあったら

    いらしてください。」

     

    とはいえ、

    何かあったからといって

    わざわざ

    他人の家の玄関に来て

    呼び鈴を鳴らして

    「相談があるんで・・・」

    というのは

    難しいことかもしれません。

     

    庭で顔を合わせられるから

    気軽に話せることなの

    かもしれません。

     

    Aさんが「山形さん、・・・2〜3か月、お留守だったよう」

    というのは

    たまたまAさんが

    日中洗濯物を干したり

    庭仕事をするついでに

    我が家の庭を覗きこんで

    そこに私の姿を見かけない

    期間が2〜3か月続いて

    「留守」ととらえたようですね。

     

    私にとっては

    たかが草むしりと思えたことも

     

    現在お一人でさびしくされている

    Aさんにとっては

     

    小さき私が

    草むしりする姿を

    認めるだけで

    安心していただけたということで

     

    そう考えると

    草むしりも

    主の恵みなのだなあと

    改めて思わされました。

     

    自分の家の草むしりなんか

    誰の役にも立たないこと

     

    と勝手に

    思っていましたが、

    必ずしも

    そうでもないことを知って

    恵みの神様を崇めました。

     

    「草むしりする暇があったら〜したら」という

    内外の声が吹き飛んでいくよう・・・

     

    そのようなことなどを

    その日の晩の

    蕎麦屋のマリッジタイムで

    妻と分かち合いました。

     

     

     

    妻は温めん

    私は冷めん

     

     

     

    やっぱり

    私は梅おろしそば

     

    夕食前に

    今年初の30キロランのロングラン

    しかも、気温が高くなかったせいもあり

    初めての3時間切り

    5歳からぜんそく持ちで虚弱児施設出身

    1キロ走ろうものなら

    喘鳴であえぐ私でしたが

     

    ここまで心肺機能が支えられているのは

    主の恵み

     

     

     

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    カテゴリ:- | 11:26 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    ハレルヤ!真野兄、コメント感謝します。ユダは、たとえ罪を犯した後でも、裏切った後でも主イエスに愛され続けていたことは聖書で「友よ」(マタイ26:50)明記されていることからもうかがえます。主は、私たちがこの世を去るまで愛し続けるお方、招き続けるお方と信じます。ペテロもユダも主イエスを裏切るという「罪」を犯した点では共通していますが、ペテロは、主イエスのゆるしを信じ、ユダは自らを罰する道を選び取りました。使徒1:25には「ユダが自分の場所に行くために離れてしまった」(新改訳2017)という表現がありますが、この「自分の場所」が何を指すのかは明白ではありません。聖書で明確に書いていないことは、明確にする必要がないことが主のみ心かなと思わされます。「ONCE SAVED ALWAYS SAVED」=「一度救われたら永遠に救われている」=「いったん神のこどもとなったら神のこどもであり続ける」という理解がヨハネの福音書10:28などのみことばからもうかがえ、「信じること」によって「恵みによって」救われた私たちが、救われた後の「罪の行い」によってその救いを失うことがないほどに、神の恵みは絶大なものであると思われます。この手の問題は、ローマ10:6〜7を念頭に置きながら、聖書で明言していないことについては、人の考えを越えた(イザヤ55:8〜9)神の主権と摂理におゆだねして、むしろユダの行き先が気になる方が、本当に知りたいこと、不安を覚えていることは何なのかを聴きつつ、その方に福音の醍醐味を味わっていただけると幸いと思います。引用されていた「」内の文章で「積り積もった罪が原因・・」と言う表現がありましたが、注意しないと「積り積もった罪によって地獄に行く、救いを失う」という不安をかりたてかねない表現となりえます。
    7を70倍するほどに罪をゆるされる(マタイ18:22)のが主イエスの無尽蔵のゆるしの力と私は信じています。聖霊によって示された罪は告白することで、ゆるしきよめられます(1ヨハネ1:9)が、その場合の告白は「そうしないとさばかれて地獄へ行くから」という理由での告白ではなく、「何度でも赦して下さる主への愛の信頼のしるし」としての告白でありたいと思います。キリスト者の中で(さばかれないように過敏に)「強迫観念」にしばられている方の信仰には、あまり喜びが感じられません。むしろ憐れみ深く情け深い神様への信頼をもちつつ「キリストの愛がわたしたちをとりかこんでいる」感をもって歩む者でありたいですねえ。
    | Hiro | 2019/06/11 4:22 PM |
    敬愛する山形兄様
    いつも、ブログ拝見させて頂いています。ありがとうございます。

    さて、「」以下のような書き込みがありました。
    イスカリオ・テユダは、主を裏切り自殺しましたが、赦され、救われましたか?
    という内容です。

    聖書には、ユダの霊も滅んだと明確に記述されていません。肉の命は自殺によって取られたと解ります。
    実はコラも神様に反逆して肉の命が奪われましたが、コラの子供たちは、詩編で主を讚美しています。これは、コラの霊が滅びずコラの子供達に受け継がれたと解釈できます。
    ユダの霊については、どうでしょうか?

    「イスカリオテのユダは主であるイエス様と生活を共にしていました。まさか自分が主を裏切ろうなどとは考えもしなかったでしょう。しかし主を裏切り主を売ったのです。ナゼでしよう。積もり積もっていった罪が原因です。彼は許され救われましたか?地獄の火の中に自ら飛び込んだのです。もう一度、身の周りを点検してみましょう。罪、共存していませんか?」
    | 真野 敬大 | 2019/06/11 12:56 PM |
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