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「肩身が狭いところ」と「肩身が広いところ」
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    主は私を広いところに

    導き出し

    私を助け出してくださいました。

    主が私を喜びとされたからです。
    (旧約聖書 詩篇18:19)

     

    今日は、午後3時より

    信仰の友の納棺式に臨みます。

     

    昨日

    葬儀社の方が

    棺の大きさを

    どうするか

     

    御遺族の方に

    お尋ねされていました。

     

    葬儀社の方が

    「もし棺が小さいと

    肩をこんなふうに

    すぼめる感じになってしまいます・・・」

    とジェスチャーで

    説明されておられました。

     

    故人は

    生前筋トレに励み

    がっちりした

    肩幅の体格

     

    生前

    私によく筋トレ法

    とりわけ

    チューブを用いた肩甲骨の

    トレーニング法を

    丹念に

    ご指導くださいました。

     

    葬儀社さんの

    会話をうかがいながら

    冒頭の聖句を

    思い出していました。

     

    そう、

    主イエスは

    故人を、すでに

    とてもつなく

    広いところに

    お移しになられている。

     

    肩をすぼめるなんて

    必要のないところで

    憩っておられる。

     

    棺は

    大きくても小さくても

    明日

    火葬によって

    跡形もなくなる・・・

     

    最も大切なのは

    故人の魂が

    今、どこにあって

    どんな状態かということ


    聖書によれば

    故人は、生前主イエスを信じていたので

    今、最も快適な場に

    すでにいる・・・。

     

    満ち足りる

    天の養いがあるので

    私たち地上世界の私たちが
    もはや

    供養の心配をする必要がない。

     

    いや、もしかすると

    この娑婆の世界に生きる

    私たちの方が

     

    棺の中にいるヒトよりも

    むしろ

    「肩身の狭い思い」を

    しているのかも知れない。

     

    肩身の狭さ=窮屈感=ゆるされていない感

    =罪責感、負い目、引け目、申し訳なさ、

    世間の評価と言うプレッシャー、

    このままではだめだ感、等々

     

    肩身の広いところ=ゆるされている感

    =解放感、自由、安らぎ、ありのままで大丈夫だ感、

    神様のまなざしの中での、のびのび感

    このままでOKだ感

     

    主イエスを信じるだけで

    誰でも

    罪のゆるしを受けて

    「肩身の広さ」に感動、感謝

    できる、

    主よ、

    なんてありがたいことでしょう。


     幸いなことよ

    その背きを赦され罪をおおわれた人は。

    (旧約聖書 詩篇32:1)

     

     


     

     

     

     

     

     

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