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「謹賀新年・恭賀新年・敬頌新禧・元旦新生」
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    正月の4字熟語で

    丁寧なことば

     

    謹賀新年

    恭賀新年

    敬頌新禧(けいしょうしんき)

     

    下になるほど

    より丁寧で、うやうやしく、かつ

    喜び感も大きいよう

     

    ことばの遣い方は

    難しいもの

     

    たとえば「元旦ベイビー」とは

    元旦に出生したベイビー

    のことかと思いましたら

     

    そうではなく

    元旦に受精したベイビー

    のことのようですね。

     

    元旦に霊的に誕生された方々

    心からお祝い申し上げます!

     

    わたしどもの教会で

    今年の元旦礼拝の最中

    教会に

    留守電が入っていた

    ことに、のちに気づき

     

    ナンバーディスプレイで

    示されていた番号に

    つないだところ

     

    「私は、クリスチャンではないのですが

    お祈りしていただきたいのですが、

    よろしいでしょうか?」

     

    「どうぞ、お待ちしています。」

     

     

    Aさんを教会に

    お迎えして

     

    Aさんは

    天地創造の神様を信じて

     

    その神様の前に

    自分自身が罪ある者であることを認め

     

    自分の罪のために

    主イエスが身代りに十字架で死んで

    死後によみがえられたことを信じて

    主イエスを

    自分の救い主として信じて

    従っていく決意が

    与えられ

     

    信仰告白の

    お祈りに導かれました!

     

    今年、元旦から

    台風第一号が発生したそうで

    これは

    記録的な速さだそうですが

     

    主イエスを心で信じて

    口で「主」と告白する人が

    元旦から

    起こされたことも

    神様の与えたもう

    天的おとし玉か

    福袋のような恵み

     

    まさに敬頌新禧

     

    嬉しくて嬉しくて

    主をたたえるばかり。

     

    元旦の日

    主イエス信じる決心をされたAさんは

    以前ある宗教団体に

    属する御両親のもとで

    生まれ育って

    集まりに定期的に

    出ておられたそうですが

     

    心に平安が

    なかったそうです。

     

    選挙のたびに

    応援活動が勧められ

     

    みんなの前で

    営業結果発表のような

    プレッシャーが

    あったり

     

    その半面

    自分の心の悩みを

    分かち合う場や

    相談してかかわり合ってもらう場が

    ないため

     

    魂が枯渇状態に

    陥っていたとのことです。

     

    同じような渇きをもたれた方々が

     

    今日も

    明日も教会に来ていただきたいなあと

    願っていますし

     

    そのような渇きを

    もたれている方々のところへ

     

    出向いてまいりたいと願っています。

     

    もしAさんのように

    魂の枯渇状態におありの方は

    御連絡いただけると嬉しいです。

    090-6874-6372

     

    昨日は、友人のお父様の御葬儀に

    参列させていただきました。

     

    私の家と同じ、

    浄土真宗本願寺派の

    お経が読まれました。

     

    お経は

    私の現時点での理解としては

    教訓を多く含んだ

    すぐれた人生哲学ではあっても

     

    人間がどこから来て

    どこへ行くかという

    ことを取り扱うもの

    ではありません。

     

    昨晩読んだお経の中に

     

    「己がその責めを負い

    誰しも

    これに代わることを能わず・・・・」

     

    とありました。

     

    自分の罪の責任は

    所詮、自分で負うしかない

    誰かそれを代わりに

    背負ってくれることができる人

    なんかいない・・・・

     

    確かに

    人間は皆

    罪人なので

     

    罪人が罪人の身代りに

    なることは「能わず」

    (できっこない)です!

     

    借金を背負っている人が

    借金を背負っている人の

    肩代わりになれないの

    と似ています。

     

    罪人の罪を代わりに

    負うことができる人が

    もしいるとしたら

     

    その人は「罪がない人」

    であることが絶対条件です


    もし

    罪が赦されず

    罪の責め苦を一人で

    背負い続けるとしたら・・・・

     

    いつも罪の責め苦を負った

    償いの人生・・・

     

     

    いつもうつむいて

     

    「すみませんでした。

    私が悪かったんです。

    私がいけないんです・・・。」

     

    という生き方を

    しなければならなくなります。

     

    しかし

    聖書では

    「キリストは自ら十字架の上で、

    私たちの罪をその身に

    負われた。」

    (新約聖書 1ペテロ2:24)

     

    主イエスを信じる人は

    ゆるされた喜び、解放感で

    生きていくことができます。

     

    新年の幕の内も

    残りわずかとなりました。

     

    「ゆるされない感」を抱きながら

    幕の内から出て

    職場、学校、家庭、地域で

    生活されるとしたら

     

    さぞかし、

    お辛いことと

    思います。

     

    一方

    「ゆるされた感」を抱いて

    幕の内から出て

    生活できる方は幸いです。

     

    新年になって

    心も新しくされたい方

     

    ぜひ、Aさんのように

    主イエスを自らの救い主として

    心にお迎えされることを

    心からお勧めします。

     


     ですから、

    だれでもキリストのうちにあるなら、

    その人は新しく造られた者です。

    古いものは過ぎ去って、

    見よ、すべてが新しくなりました。

    (新約聖書 競灰螢鵐硲機В隠掘

     

    明日は

    今年最初の日曜礼拝です。

     

    第1礼拝 午前9時

    第2礼拝 午前10時45分

    第3礼拝 午後5時

     

    皆さんのご来館を

    心からお待ちしております!

     

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