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男たちのクリスマス2018
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    2018.12.13

    グループ名「だんでぃ」

     

    ピザと寿司と

    サラダで

    お祝い

     

    男たちだけで歌う讃美歌も

    いいものです。

    クイズがあったり・・・

     

    2018.12.18

    グループ名「ジーザス」

     

    こちらのグループは

    焼肉でお祝い

     

    わたしどもの教会には

    ほかにもいくつか

    男たちの集まりがあります。

     

    たとえお酒がなくても

    お酒を飲む人たち以上に

    酔えるのは

     

    主イエスが心に住まうから

     

    主イエスを

    救い主として洗礼を受けて

    イエスの愛に「浸水」すると

    イエスの愛に「心酔」できる

     

    二日酔いの頭痛に悩むこともなく

    肝臓を傷めることもなく

     

    ヘルシーな「酔い」を体験できるのは

    実に「良い」こと

     

    ノーエル ノーエル ノーエル ノーエル

    というクリスマスキャロルがありますが

     

    主イエスを信じる者は

    年中

    ヨーエル ヨーエル ヨーエル ヨーエル状態

     

    男たちのクリスマスに

    集われたゲストのお一人が

     

    毎朝30分

    聖書を

    音読される習慣をもち始めた

    ことをうかがって

     

    ああ〜なんと

    幸いなことかと

    うれしく

    主をほめたたえました!

     

    男性はえてして

    悩みを一人で抱えがち

    あのヨセフも

    婚約者マリアが

    まだ肉体関係をもたない段階で

    身ごもったことを

    知った時に

    一人きりで悩みました。

     

    しかし

    主の使いが

    そのタイミングで

    夢の中で

    語りかけました。


    1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、

    見よ、主の使いが夢に現れて言った。

    「ダビデの子ヨセフよ、

    恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。

    その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
    1:21 マリアは男の子を産みます。

    その名をイエスとつけなさい。

    この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

    (新約聖書 マタイの福音書1:20〜21)

     

    このブログを

    ご覧いただいている男性の方が

    もしお一人で

    悩んでおられたら

     

    聖書の言葉を通して

    天からの声に耳を

    傾けてみませんか!

     

    必ず、神様が備えてくださる脱出の道が

    見えてくるはずです。

     

    あの西郷隆盛も

    悩める時

    漢語で読んだ聖書から

    導きを得ていたことが

     

    さまざまな史料、

    証言等から

    明らかになってきています。

     

    幕末明治維新という時代のはざまで

    針路を探し求めていた男たちの

    多くが聖書の言葉の影響を

    多かれ少なかれ

    受けていたようです。

     

    私たちも

    平成と次に来る世のはざまに

    生きる男たちとして

    聖書のことばに耳を傾けていきたいものです。

     

    2019年

    釧路の明日を担う男たちのための

    「聖書を読む会」

    をぜひ開きたいですね〜。

     

    関心のある男性の皆さま

    ご一報くださいませ!

     

    ちなみに、

    今日は12月25日

    「イエスキリストの誕生をお祝いする日」であって

     

    この日が

    イエスキリストの誕生日ということでは

    ありません。

     

    では

    なんでこの日なのかといえば

     

    かつてローマ帝国では、

    太陽神を拝む土着信仰がありました。

     

    冬至の後に太陽が「元気になる」ように

    感じた当時の人々が

     

    その時期に太陽神を祭る

    習慣をもっていたのですが

     

    ローマ帝国じゅうに聖書の教えが

    広がるなかで

     

    「太陽」は拝む対象ではなく

    「太陽」を造られた方こそが

    拝む対象であることを

    知らされます。

     

    創造主に変えて

    被造物を拝むことは

    むしろ

    創造主を悲しませる

    偶像礼拝の罪

    であることがわかり

     

    祭りごとそのものは続けながらも

    祭る対象を変えようという

    ことになりました。

     

    そこで

    神の一人子であり「わたしは世の光」であるといわれた

    イエスキリストがこの地上に

    来られたことを記念して

    お祝いしよう

     

    ・・・ということで

    拝む対象が「太陽」から「イエス」に変わった

    ということなのです。

     

    日本でも、元旦の朝

    「ご来光」を拝むと言って

    初日の出を拝む風習が

    一部であり

     

    太陽に向かって

    ありがたいありがたいと

    手を合わせたくなる

    心情がありますねえ

     

    どこの民族でも土着信仰の中に

    共通していあるのは

    ありがたい対象としての光を

    拝むという風習

     

    命をはぐくむ光を発する太陽こそ

    祝福の源、と思われて

    拝む対象とされてきたようですね。

     

    しかし本当に拝まれるべきは

    そのありがたいものさえも

    創造された「創造主」

     

     

    日本では、太陽神崇拝のみならず

    祖先崇拝も盛んですが

     

    いのちのルーツを大切にしたい

    という思いが根にあると思います。

     

    祖先は尊ぶ対象ではありますが

    決して

    拝む対象ではありません。

     

    拝む唯一の対象は

    そのありがたいご先祖さんさえも

    創造された創造主だけだ

    そう

    聖書は教えています

     

    拝まれてしまう、当事者であるところの

    ご先祖さんたちも

    ちっとも

    自分たちが拝まれることを

    あの世で

    嬉しがってはおられません。

     

     

    「わたしらが死んだら、おがんでくれやんせ!」

    と懇願したわけでもありませんし

    むしろ次のような思いが本音でしょう。

     

    「おい、おい、子孫たちよ。よく聞いておくれ!

    私らを拝むのは的外れじゃ!

    私らではなく

    私らを造られた創造主を

    拝んでおくれ。」

     

     神は人をご自身のかたちとして

    創造された。

    神のかたちとして人を創造し、

    男と女に彼らを創造された。
    (旧約聖書 創世記1:27)

     


    20:2 「わたしは、あなたをエジプトの地、

    奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。
    20:3 あなたには、わたし以外に、

    ほかの神があってはならない。
    20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。

    上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、

    地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
    20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。・・・

    (旧約聖書 出エジプト記20:2〜5)

     

    あなたがたは自分のために

    偶像を造ってはならない。

    また自分のために

    彫像や石の柱を立ててはならない。

    あなたがたの地に石像を立てて、

    それを拝んではならない。

    わたしがあなたがたの神、主だからである。

    (旧約聖書 レビ記26:1)

     

    これらのクリスマスの

    由来歴史背景を知るときに

     

    クリスマス12月25日

     

    私たちに

    とってどういう日とするか?

     

    それは、

    本当に拝むべきものだけを拝むこと

    (大切にするべきものだけを大切にすること)

    決意する日とすること

     

    拝む必要のないものを

    拝まないこと

    (こびる必要のないものに、こびないこと、

    怖がる必要のないものを怖がらないことを)

    を決意する日

     

    そういう決意をする日となれば

    幸いです。

     

    西郷どんこと

    西郷隆盛も

    そのことを決意されたからこそ

    洗礼に導かれたのでしょう!

     

    きばれ〜!!

     

    メリークリスマス
     

     

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