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「天国への扉」
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    昨日、入院中のAさんのところへ

    妻とお見舞いに伺おうと

    思案していました。

     

    Aさんはすでにイエスキリストを

    信じて、罪のゆるし、永遠のいのち

    そしてからだのよみがえりの望みを

    抱いておられました。

     

    ただ、まだ洗礼(バプテスマ)を

    お受けには

    なられていませんでしたので

     

    昨日

    病床での洗礼のご意思を伺おうと

    祈っておりましたら

     

    Aさんが

    前日の晩に

    主イエスのもとに

    召された知らせが

    飛び込んできました。

     

    前回お見舞いに

    伺ったのが12月4日でした。

    まさか、こんなに早く・・・

     

    前回Aさんにお会いした時

    Aさんは

    肉体の苦痛に対して

    かなりおつらそうでしたが

     

    それでも、いつ

    この世を離れても

    主イエスのところへ

    行けることを確信されていて

    苦痛の中でも

    笑顔が輝いておられました。

     

    見舞う方から

    「がんばってね」と言われるたびに

    それをプレッシャーに

    感じておられることを

    おっしゃっておられました。

     

    「早く良くなりますように」

    という言葉は

    たとえ善意から発したものであっても

    時と場合によっては

    病む人を追い込んでしまうことに

    私たちは

    気づきずらいようです。

     

    「癒されるように祈っています。」

    という言葉さえも

    信仰の励ましという

    動機から発したとはいえ

     

    やはり、この言葉もまた

    時として

    病む人を追い込む言葉

    となりかねません。

     

    病む人を見舞う場合に

    その人の心の声に耳を傾けつつ

     

    見舞う自分の願望以上に

     

    主イエスが

    その人に何を語られたいのか

    を問いつつ

    語らせていただく

    ように努めています。

     

    12月4日の場合

     

    Aさんには

    「天国がどんなところか」

    聖書から

    シェアさせていただきました。

     

    Aさんは嬉しそうに

    聴いてくださいました。

    「自分はこれから

    そういうところへ行けるんですね。」と

    目を輝かせながら

    聴いてくださいました。

     

    そして、ドラえもんの「どこでもドア」の

    お話を

    させていただきました。

     

    「Aさん、イエス様を信じている人はね、

    この世を離れたら

    天国に向かって

    長い旅を始めるんじゃないんですよ。

     

    天国へ向かって旅立つ

    ということで

    はないんですよ。

     

    天国に移されるのです。

     

    イエス様のところに

    瞬間移動するんですよ。

     

    この地上生活は

    旅のようですけど

     

    この地上の旅路を終えた

    と思ったら

    また次の旅だとしたら

    旅続きでへとへと

    たまったものではありませんよね。

     

    主イエスが、

     

    この地上の人生を閉じる前も

    閉じる瞬間も

    閉じた後も

    ずーっと

    ずーっと

    ともに居続けてくださるんですよ。

     

    ですから

    詩篇の著書は

    「たとえ死の陰の谷を歩むことがあっても

    私はわざわいを恐れません。

    あなたが私とともにおられますから」

    祈ることができたんですよ。」

     

    私たちの祈りに続けて

     

    Aさんは

    次のように

    主イエスに

    祈られていました。

     

    「イエス様、夫は

    1日3回

    お見舞いに来てくれて

    とても

    ありがたいですが

     

    しかし

    24時間ともに

    居ることはできません。

     

    病院に来ても

    帰らなければなりません。

     

    しかし、イエス様

    あなたは

    片時も私から

    離れないでいてくださいますから

    感謝します・・・。」

     

    その祈りを聴きながら

     

    ああ、Aさんは

    主イエスがそばにおられることを

    確かに感じておられる

     

    痛みの中でも

    その手ごたえを

    感じておられる

    ああ、よかった・・・

     

    「苦しい時に

    イエス様、助けてくださいって

    祈ると

    痛みがちょっと

    和らぐんです。

    そうすると

    ああ、イエス様が

    おられるんだって

    わかるんです。」

    微笑むAさん

     

     

    Aさんは

    2018年

    クリスマスを数日前にして

     

    ケーキも

    ごちそうも食べられないまま

    主のもとへ

    こころのふるさとへ

    私たちより一足さきに

    帰られました。

     

    この地上では

    味わうことができない

    最も良いところへ

     

    この地上で

    クリスマスの日を

    迎えられませんでしたが

     

    クリスマスの

    本当の意味を

    すでに知っているばかりか

    味わいつつ

    主のもとへ

    帰られ

    主のもとで

    真のクリスマスを

    満喫されています。

     

    この世のクリスマスパーティーは

    せいぜい1〜2時間

     

    しかしAさんは

    天において

    永遠のパーティーに

    招かれています。

     

     

    12月4日の時点で

    神が

    私たちとともにおられる

    という聖書のクリスマスメッセージは

     

    Aさんには

    もはやあえてお伝えする必要は

    ありませんでした。

     

    それよりも

    お伝えすべきことは

    その主イエスがおられるところは

    どんなところか、でした。

     

    そこに集中することができたのは

    幸いなことだったと今

    思います。

     

    その後Aさんは

    お見舞いに来られた方に

     

    何度も

    どこでもドアの

    お話をされていたことなども

    伺い

     

    ああ、

    今Aさんは

    希望を抱きながら

    今の私たちよりも

    はるかに

    良いところへ移されたのだ

     

    これから

    Aさんの愛する

    ご遺族の皆さまに

    主の慰めが

    あるように祈りつつ

     

    Aさんが

    今おられるところが

    どんなに素晴らしいところかを

    お伝えする使命

     

    そして

    Aさんと再会する

    方法があることをも

    お伝えする使命が

    残されています・・・・

     


    ・・・・・「見よ、神の幕屋が人々とともにある。

    神は人々とともに住み、

    人々は神の民となる。

    神ご自身が彼らの神として、

    ともにおられる。
    21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

    もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。

    以前のものが過ぎ去ったからである。」

    (新約聖書 ヨハネの黙示録21:3〜4)

     

     

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