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「臨済宗」から「臨在宗」へ
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    日本の神仏基の

    在来宗教家たち「だけ」が

    一同に集まれる機会は

     

    私が体験して知る限り

    おそらく

    「全国教誨師大会かなあ」

    と思います。

     

    カルト宗教は

    そこにはもちろん

    入り込めないばかりか

     

    膨大な信者数を抱え

    政治的影響力を兼ね備えた

    新興宗教団体でさえも

    日本の現在の矯正施設での

    宗教教誨には

    入ることが

    できない仕組みに

    なっています。

     

    世界宗教に分類される

    イスラム教や

    ヒンズー教や

    ユダヤ教も

    日本の宗教教誨には

    入り込めない

    仕組みになっています。

     

    今回、広島での全国教誨師大会の

    シンポジウムで

    お隣に座られた僧侶に

    「失礼ですが、宗派はどちらですか?」

    とお尋ねしましたら

     

    「臨済宗です。」と

    お答えくださいました。

     

    名古屋にお住まいの

    臨済宗の僧侶Aさんです。

     

    「釧路の近くで言うと

    厚岸の国泰寺が

    臨済宗ですよ。」

     

    と聴かされ、

    ああ、そうだったか〜

    北海道遺産に

    このたび

    新たに選ばれた国泰寺が

    臨済宗のお寺であることを

    知らない地元人は

    意外と多いかもしれません。

     

    全く灯台もと暗し

    だったなあと

    痛感

     

    限られた時間でしたが

    A僧侶から

    優しく

    曹洞宗との違いについても

    ご説明いただきました。

     

     

    臨済宗で思い出すのは

    一休さん、

     

    そして

    私にとっては

    尾関宗園さん

    高3の夏

    クリスチャンになる前

     

    それまで

    私にとってバイブルのような存在だったのが

    臨済宗の

    大徳寺の

    尾関宗園さんの御著書の

    懐かしい文庫本シリーズでした。

     

    短く、単純明快なフレーズが

    当時の迷える高校男児の心を

    鼓舞し

    発奮させる

    刺激剤のような役割を

    担ってくれていました。

     

    尾関宗園さんの言葉は

    当時の私にとって

    宗教の言葉としてよりも

     

    むしろ

    自己啓発の言葉として

    響いていたかなあと

    思います。

     

    そのせいか

     

    なんて励まされるフレーズだろう!

     

    と感銘を受けながらも

    では私も尾関宗園先生のように

    そのことばの根底に流れているかもしれない

    臨済宗を学んでみようかなあとか

    禅寺に行ってみようかなあとは

    思うに至りませんでした。

     

    不謹慎ながら

    真理の

    つまみぐいの態度でした。

     


    ところで

    尾関宗園さんがおっしゃることと

    似たようなことを

    仰る方は

    他宗教にもおられるように思います。

     

    たとえば

    上の「心」についていえば

     

    マザーテレサさんは

    次のように

    語っています。

     

    思考に気をつけなさい、
    それはいつか言葉になるから。

    言葉に気をつけなさい、
    それはいつか行動になるから。

    行動に気をつけなさい、
    それはいつか習慣になるから。

    習慣に気をつけなさい、
    それはいつか性格になるから。

    性格に気をつけなさい、
    それはいつか運命になるから。

     

    尾関さんが

    「あなたの心が

    あなたの運命を決定します。

    要は、あなたの心次第なんですよ。」

    と言っているよう・・・

    のに対して

     

     

    マザーテレサさんは

    「あなたの思考が

    あなたの運命を

    方向づけてしまいますよ。」

    と言っているよう。

     

    どちらにも

    類似してあるのは

     

    「あなたの運命のカギを

    握っているのは

    実のところ

    他者ではなくて

    あなたなんですよ。

    あなた次第なんですよ。」

    という

    自律を促すような

    メッセージ

     

    うーむ

    なるほど・・・

     

    でもねえ・・・

     

    現実に多くの人生模様を

    観察したり

    日々聖書を読んでいると

     

    「果たして、本当にそうかな?」

    と首をかしげざるを得ません。

     

    「あなたの人生は

    あなた次第でどうにでもなるんですよ・・」

    と果たして言いきれるかどうか・・・。

     

    実際のところ

    私たちの人生は

     

    私たちの心の持ち方や、思考によって

    導かれないことの方が

    圧倒的に

    多いように思うのですが、いかがでしょう。

     

    「私たちの人生は、

    結局のところ

    私たちの心のあり方や思考を

    すべてご存知であられる

    天地の創造主の

    ご意思次第である

     

    この表現の方が

    よりすっきりするように

    今の自分には

    思えます。

     

    尾関宗園さんの名言の「道」も

    一見、なるほどなあ

    思う面もありますが、

     

    その「道」が、

    果たして「確かな道」なのかどうかが

    定かでないのに

     

    「危ぶむなかれ」

    と言われて

     

    危ぶまないで

    一踏み出すことが

     

    果たして

    称賛されるべき

    勇気と言えるのかなあ?

     

    もしかすると

    拙速な無鉄砲さと

    とらえかねないかも・・・。

     

    きわめて

    不透明で

    不確かで

    相対的とも思える価値観を

    前提としながら

     

    とにかく頑張って

    前へ前へ進めと

    駆り立てているような印象すら

    感じて受ってしまうのは

    うがった見方でしょうか。

     

    とどのつまり

    自分自身の歩みこそが

    「道」となりうるのだ!

     

    それは極端に

    言い換えると

    「何を信じるかが問題ではない

    とにかく信じさえすればいいのだ」

    と言っているかのようにさえ

    感じます。

     

    大切なのは

    「何を信じるかが

    はるかに重要。」

    だと思うわけです。

     

    聖書では

     

    イエスは彼に言われた。

    「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

    わたしを通してでなければ、

    だれも父のみもとに行くことはできません。

    (新約聖書 ヨハネの福音書14:6)

     

    「わたしが道」

    そう

    言い切ることがおできになった

    主イエスご自身

     

    もし、

    自分こそが唯一の

    「確かな道」であることを

    単に大胆に宣言するだけだとしたら

    虚言、妄想、精神疾患・・・

    と思われかねませんが

     

    主イエスは

     

    そのことを

    具体的に実証すべく

     

    預言通り

    罪なきお方として

    この地上に

    処女マリアの胎を通して誕生され

     

    罪なき生涯を送りつつ

     

    あらゆる病をいやすわ

    悪霊を追い出すわ

    嵐や風を叱りつけて鎮めるわ

    死人をよみがえらせるわ・・・

     

    そして預言通り

     

    私たちへの煮えたぎる情熱的な

    愛を惜しみなく表すべく

     

    私たちの罪の呪いと

    裁きを

    身代りに引き受けるべく

     

    自ら進んで

    十字架上で

    釘づけられて

    死なれて後

     

    これまた預言通り

    三日後によみがえられ

     

    しかもこのこと(復活)を

    荒唐無稽な

    作り話でないことを

    確証させるべく

     

    空っぽの墓という物証と

    弟子たちの命がけの殉教の証言

    を残されました。

     

    この主イエスの生涯

    そしてその証言、わざ、教えの数々を

    総合すると、

     

    まさに

    この方をして「道」と言わないならば

     

    一体何が、

    一体誰が

    道と言えよう

     

    そう思わせる

    比類なきユニークな

    存在としての

    イエスキリスト

     

    あまりにも

    強固なインパクト

     

    高3の

    私の人生観は

    主イエスのことばとわざによって

     

    コペルニクス的転換期を

    迎えることとなりました。

     

    ああ、この主イエスという道を

    信じて

    歩ませていただく決断は

     

    「私は道を求めている(求道者)である」

    と語ったとされるお釈迦さんの

    人生観に身をゆだねるよりも

     

    はるかに

     

    確かなことに違いない

     

    そのように考えるにいたりました。

     

    あなたのみことばは

    私の足のともしび

    私の道の光です。
    (旧約聖書 詩篇119:105)

     

    聖書の「みことば」という光を通して

    主イエスという「道」を知ることができたことは

    幸いでした。

     

    壁に向かって座禅を組む

    只管打座の曹洞宗に対し

     

    壁に背を向ける臨済宗は

    人と向き合って

    対話をすることの意義を

    強調しているそうです。



     

    禅問答などの

    文化はそういう中で

    育まれてきたのかもしれないなあと

    思いました。

     

    主イエスも

    一人きりになって

    父なる神と

    一対一で対峙されることを

    欠かさない一方で

     

    それと同時に

     

    弟子たちとよく対話され

    質問を投げかけながら

    真理を解き明かされている点で

     

    曹洞宗の道元や

    臨済宗の栄西らが

    求めたものの

    究極的な理想の

    本体は

     

    主イエスが

    具現化されたのではないかと

    思わされます。

     

    私にとっては

    臨済宗は

     

    異性関係にたとえてみるとすれば

     

    婚約者と交際する前に

    ちょこっとの期間

    交際までは行かないまでも

    ちょっと

    憧れを覚えたことがある人

    ということになるでしょうかねえ。

    ・・・

     

    聖書の信仰は、

     

    実際に

    主イエスが

    「臨在」されておられること

    共にここにいてくださるんだということを

    信じ強調する

    信仰と言う点で

     

    言い替えると

    「臨在宗」と

    言ってもいいかもしれません。

     

    基督教是真臨在宗也

    吾臨在与汝休息

     

    主は言われた。

    「わたしの臨在がともに行き、

    あなたを休ませる。 」
    (旧約聖書 出エジプト記33:14)

     

    厚岸の国泰寺が

    このたび北海道遺産に選ばれたと

    申し上げましたが

     

    日本で最も遅い開花宣言で有名な

    根室の清隆寺の桜(千島桜)も

    同時に

    北海道遺産に選ばれましたね〜。

     

    ちなみに清隆寺は

    真言宗智山派

     

    私には真言宗の僧侶の

    知人がいることも

    感謝しています。

     

    いつか真言宗とキリスト教の

    興味深い関係についても

    拙ブログでご紹介できたらと

    思います。

     

    宗旨は異なっても

    何かを熱心に

    信じている方々と接して

    お話をうかがうことは、

     

    いつも

    興味深く

    学ばせていただけることが

    山ほどあり

    感謝だなあ、と

    思わされます

     

     

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    カテゴリ:- | 10:03 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    もんじパパさま、おかえりなさ〜い!また食事しましょう!曹洞宗の釧路の定光寺の先代の御住職(故人)が、総持寺の総主管をされていました。釧路には、定光寺から分離と言うか、株分けされたお寺が結構多いようですね。定光寺の現住職さんとはしばしばご一緒の機会があります。ここ数年毎年ゴスペルクワイヤに寺の敷地で唄わせてくださったり、寛容な方でいらっしゃいます。とにかく納骨堂が巨大です!
    | HiIro | 2018/11/06 12:52 PM |
    おはようごさいます。バス待ちで釧路空港に居ます。

    曹洞宗でも総本山が永平寺と鶴見の総持寺と別れています。?何故と聞かれると?解りません。チコちゃんに聞かないとだめですね。
    | もんじパパ | 2018/11/06 10:21 AM |
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