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天国は「カムイコタン」
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    2018.8.23

    Aさんの告別式で

    スクリーンに

    投影された

    ヒマワリ畑は

    Aさんの生まれ故郷

    北竜町のもの

     

    わたしたち

    ひとりひとりに

    「おかえりなさい」

    そう

    言ってくれる人が

    必ずいる

     

    Aさんは

    この地上では

    お一人暮らし

     

    早くお帰りになっても

    遅くお帰りになっても

     

    家の中から

    「おかえり!」とお声を

    かけてくださる方は

    おられませんでした。

     

    いつも家の中は

    静まり返っていました。

     

    しかし

    今は違う・・・

    「娘よ、お帰り。」

    とねんごろに労をいたわってくださる

    主イエスが

    ふるさとそのものとして

    迎え入れてくださっている。

     

     

    Aさんが

    お生まれになった時

     

    日本は

    「贅沢は敵」

    「産めよ増えよ」

    が合言葉の時代

     

    塩、砂糖、しょうゆ、コメ、みそ、

    マッチ、木炭などの日用品は

    みな

    切符販売制

     

    10人以上の子持ち家庭は

    優良多子家庭として表彰の対象

    の時代

     

    当時、北竜町は水稲が害虫被害で

    困難を極める時代

     

    そんな困難と緊張感の漂う中で

     

    生を創造主から賜った

    Aさんの人生も

    困難と緊張感の連続だったよう

     

    人生の後半

    親、配偶者、兄弟・姉妹、子が

    おられなくても

     

    ヒマワリのように

    元気な人生を

    送られました

     

    告別式の中では

    ご会葬者の皆様とご一緒に

    岡野貞一さん作曲

    文部省唱歌「ふるさと」を

    ピアノ伴奏で

    大きな声で

    唄いました。

     

    Aさんが所属されていた

    複数のカラオケサークルの

    方々がおられたこともあり

    とても美しい歌声でした。

     

    礼拝堂一杯に

    ふるさとをたまわる

    あったかい創造主の愛が

    漂っているようでした。

     

    「ふるさと」の作曲者

    岡野さんご自身

    キリスト者で

    教会のオルガン奏者でもあり

     

    讃美歌の指導や

    讃美歌の伴奏をされていました。

     

    ご自分がふるさとの

    作曲者であることを

    自分の子供たちにも

    明かしませんでした。

     

    名誉欲からは

    無縁の岡野さん

     

    謙遜だからと言うだけでなく

     

    自分の名前を伏せることによって

    唄う一人一人が

    自分自身の故郷を

    イメージできるようにと言う

    配慮をされたということです。

     

     

     

    (北竜町を流れる雨竜川)

     

    前夜式(仏式では通夜にあたります)では

    イエス様信じるだけで

    誰でも罪ゆるされて天国へ行けることを

    ご会葬者の方々は

    お知りになりました。

     

    そして告別式では

    その天国とはどんなところかを

    聖書の言葉から

    知る機会となりました。


    21:3 私はまた、

    大きな声が御座から出て、

    こう言うのを聞いた。

    「見よ、神の幕屋が人々とともにある。

    神は人々とともに住み、

    人々は神の民となる。

    神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
    21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

    もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。

    以前のものが過ぎ去ったからである。」

    (新約聖書 ヨハネの黙示録21:3〜4)

     

    Aさんがおられる天国には、

    死、悲しみ、叫び、苦しみがないことを

    確認し合いました。

     

    とりわけ「もはや・・・ない」という言葉から

    二度と、そういう目には遭わないということを

    強調させていただきました。

     

    輪廻の人生観では

    「繰り返し」の可能性が示唆されるので

    「再び・・・あるかもしれない」

    という不安定感が

    つきまといますが

     

    しかし聖書の人生観では

    二度と・・・苦しまなくてよい、という

    絶対的安定感が

    天国の性質として

    保障されています。

     

    会葬者の皆さま

    このことを

    お話させていただくと

    目をまんまるにして

     

    そうなのかあ!そりゃいい!

    とうなづいてくださいました。

     

    (北竜川のせせらぎ)

    天国は「神は彼らとともに住み、」

    とあるように

     

    創造主なる神

    われらの罪のために

    十字架でいのちをささげ

    よみがえられた主イエスが

    住まうところ

     

    アイヌ語で

    神が住まう場所のことを

    カムイコタンと言いますが

     

    聖書が語る天国こそ

    究極的な意味での

    「カムイコタン」であることも

    会葬者の皆様と確認いたしました。

     

    「聖書ってすごい!

    まるで初めて読む私の心にも

    迫ってくる!」

     

    (雨竜川は多くの魚が獲れる栄養分豊かな川)

     

    告別式の中で

    もう一か所の聖書の言葉が

    読まれました。

     

    今度はわくわくするような

    天国の情景

     

    ヨハネが地中海の

    パトモス島で見させられた

    実在する天国の

    情景とは・・・
    22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、

    いのちの水の川を私に見せた。

    川は神と子羊の御座から出て、
    22:2 都の大通りの中央を流れていた。

    こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、

    毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
    22:3 もはや、のろわれるものは何もない。

    神と子羊の御座が都の中にあり、

    神のしもべたちは神に仕え、
    22:4 御顔を仰ぎ見る。

    また、彼らの額には神の御名が記されている。
    22:5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、

    ともしびの光も太陽の光もいらない。

    彼らは世々限りなく王として治める。

    (新約聖書 黙示録22:1〜5)

     

    そうです!

    天国には

    「いのちの水の川」が流れている!

    浄土の教えにも

    極楽の「池の水」の記載は出てきますが

    そこは

    あくまでも

    「体を洗う」場として

    描かれています。

    しかし、

    聖書が約束する天国の

    いのちの水には

    「流れ」がある

    すなわち

    新鮮さといのちが

    みなぎっている

    という点において

    別格なのです。

     

    「へ〜!極楽も天国も

    てっきり、同じもんかと思ったら

    そんなに違うとは

    知らなんだな〜」

     

     

    Aさんの生まれ故郷北竜町を流れる川

    雨竜川は

    大地を潤し

    水田の稲を実らせる大切な川ですが

     

    しかし

    しばしば豪雨による洪水という

    わざわいも引き起こす可能性に

    満ちている川であるのも事実

     

    それがこの地上の河川の限界

     

    しかし

    天国のいのちの水の川は

    ひたすらいのちのみを

    注ぐもので

    氾濫したり

    溺れることもない

    「のろわれるものがない」川です。

     

    聖書のことば


    しかし実際には、彼らが憧れていたのは、

    もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。

    ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。

    神が彼らのために都を用意されたのです。

    (新約聖書 ヘブル人への手紙11章16節)

     

    Aさんが真に憧れていた故郷は

    生まれ故郷の「北竜町」以上に

    もっと「良い故郷」

     

    聖書が約束する

    天の故郷

     

    ああ、自分はここに帰りたかったんだなあ〜

    そんな思いで今は憩っておられるAさん

     

    Aさんの生まれ故郷北竜町の「木」は

    「イチイ」の木

    別名アララギ

    われわれ北海道の民は

    それを「おんこの木」と呼びます。

     

    おんこの実は

    甘酸っぱくておいしく

    焼酎漬けにも

    できます。

     

     

    おんこの実はエゾリスの大好物

     

     

     

     

    しかし、おんこの種は

    有毒アルカロイドを含み

    多く摂取すると

    けいれん発作、中毒

    そして死にさえも至るというのが

    事実

     

    この地上にあるものは

    たとえ良いと思えるものでも

    すべて「のろい」の影響下にある

    それは

    わたしたち人間がみな「善人」のように

    見えても

    皆罪の影響下にあるのと同じよう

     

    しかし先ほどの聖書の描く天国には

    「いのちの木の実」があり

    その実は

    12種類の実を実らせ

    その葉が民を癒し

    「もはやのろわれるものはない」すなわち

    中毒性とは無縁

    無害であるということ

     

    「いちいの木の実」と

    「いのちの木の実」は

     

    わずか2字違いですが

    大きな隔たりがあるのですね。

     

    天国は「もはや夜がない」

    「ともしびの光」も

    「太陽の光」もいらない

     

    キリスト教葬儀では

    ろうそくの光を絶やさないように

    しましょう

    ということは

    勧めません。

     

    創造主が光として故人を

    照らし続けていることを

    信じるゆえです。

     

    まさにAさんにいのちを与え

    そのいのちを取り去られて

    みもとにひきよせたもう神は

     

    北竜町のヒマワリのごとく

    Aさんをあたたかく

    あたたかく

    照らし続けておられる。

    ・・・

     

    私たち夫婦にとって

    この春から

    埼玉県の浦和と

    タイのチェンマイは

    遠くにあっても

    最も身近な場所となりました。

     

    愛する息子たちが

    今いる

    ところだからです。

     

    たとえば

    夏の甲子園

    高校名に

    「浦和」という文字が

    出るだけで

    強い親近感を覚えてしまいます。

     

    葬儀のたびに

    天国が身近な場所に

    思えてくるのも

    似ています。

     

    その場所が実在すると

    私は強く確信しています。

     

    もし、浦和にしても

    タイのチェンマイにしても

    実在するか

    わからない町でしたら

    どれほど不安でしょう。

     

    その町が確かにあると

    信じているのです。

     

    たとえ、自分が行ったことがなくても・・・

     

    私たち夫婦は埼玉の浦和は

    先月行きましたが

     

    タイのチェンマイは

    まだ行ったことが

    ありません。

     

    まだ行ったことがなくても

    その町があることを

    信じています。

     

    なぜなら

    そこに住む息子から

    写真や動画が送られて来て

    見ることができ

    ラインで

    そこにいる本人の声さえも

    聴こえるからです。

     

    天国の実在性を

    どのようにして

    私たちは信じることができるか

    同じです。

     

    そこにおられる主イエスが

    み使いや

    預言者を通して

    私たちに

    聖書のことばを送ってくださり

    また

    イメージを見させて

    くださるからです。

     

    キリストは

    死んでよみがえり

    仏舎利塔には

    仏の骨があっても

    主イエスの墓には

    骨がない!

    よみがえって天にもどって

    今もそこに居られる証拠

     

     

    葬儀の司式を

     

    何度もさせていただく中で

    毎度のことながら

     

    今回もさまざまな

    ユニークな点が

    ありました。

     

    まず天に召された日の晩に

    前夜式を行ったこと

    短時間の

    準備でしたが

    護られました。

     

    親、兄弟姉妹、配偶者、子が

    一人もいないにも

    かかわらず

    大勢の方々が

    お盆の真っただ中にありながら

    しかも雨天の中

    ご遺族意識をもって

    集われたこと

     

    クリスチャンがほとんど

    おられない

    キリスト教葬儀であるにも

    かかわらず

    誰一人とまどうことなく

    大きな声で讃美歌が唄われ

    大きな声でアーメンと唱和がなされ

     

    特に

    炉に棺が入る直前

    棺に手を置いてくださいと

    言わなくても

    皆がさっと手を置かれたとき

     

    これはまさに

    慰めの主イエスこそが

     

    喪主であり

    施主であり

    司式者であるところの

    奇跡の葬儀に

    違いない

     

    そう思わされました。

     

    天国が今まで以上

    一層身近な場所に

    なりました。

    ・・・

     

    昨晩は

    新釧路川で

    60周年記念花火大会

     

    (釧路新聞 2018.8.18)

     

    釧路市桜ヶ岡まで

    花火の音が響いて来ました。

    ナイアガラの滝を彷彿させる

    長さ1キロの花火

     

    新聞紙面で見て

    すごかったんだなあと

    思いました。

     

    花火はどんなに感動しても

     

    後に言いようもない

    寂しさが襲ってくるのは

    私だけでしょうか

     

     

    どでかい花火も

    すごい迫力ですが

    むしろ線香花火が

    好きな私です。

     

    もう消えたかな

    と思うと

    まだちりちりちりちり

     

    最後の最後まで

    必死に断続的に光り続けて

     

    最後に

    小さな火の玉がぽトンと

    落ちる瞬間というのが

     

    何か

    人間の一生を

    象徴するかのように

    風情が

    感じられます。

     

    Aさんの場合も

     

    今週月曜日に

    心停止して

    ああ〜

    と思われた時

     

    息を吹き返し

    二日間必死に

    生きて

     

    愛する仲間たちとの

    別れの時

     

    そして

    聖書のことばから

    天国のお話を聞く時を

    与えられてから

     

    最も良い所へお帰りになられた・・・。

     

    ショパン ノクターン 第20番イン嬰ハ短調「遺作」を聴きながら・・・

     

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