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谷底にもおられる主
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    ご近所でお一人暮らしされているAさんの

    危篤の知らせを受け

    一昨日夕食を後回しにして

    病院へ向かいました。

     

    親、兄弟、姉妹、お子さんが

    いらっしゃらないAさん

     

    それでも

    サークルのお仲間が

    次から次へと

    知らせを聴いて

    かけつけています。

    まるで

    同じ家族をいたわるように・・・。

     

    Aさん

    その仲間たちの支えもあってか

    必死に生きようと

    賢明に呼吸を

    されていました。

     

    Aさんの回復を

    心から

    切に祈ります。

     

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    一昨日は

    私も

    まだ腰痛の鈍い痛みが残る中

    午前中

    約10キロ

    ランニング

     

    ぜんそく持ちで

    気管支が狭くなりやすく

     

    走り始めるや否や

    呼吸が荒くなるのが常

     

    それは登山をするときも同じ。

    登り始めただけで

    ぜーぜー

    フーフー

     

    ビデオでも撮ろうものなら

    自分の荒い息ずかいばかりが

    録音されてしまいます。

     

    Aさんも同じ

    喘息があって

    私と同じ吸入を使用していました。

     

    この日は

    酸素マスクをしながら

     

    荒い息づかい

    苦しそう

     

    モニターの波が少しずつ

    なだらかに

    なってきているのを

    気にされている御親戚

     

    呼吸が苦しい方に

    お話しさせていただくときは

     

    なるべく

    呼吸のリズムに合わせて

    ご本人が

    息を

    吐き切った時を

    見はかるように

     

    文節を

    短い単語に区切って

     

    間を取って

    語らせていただくように

    しています。

     

    「Aさん〜」

    目を開けるAさん

     

    「教会の山形です〜」

    瞬きするAさん〜

     

    「わかりますか〜」

    何やら声を発しようとするAさん

     

    「イエス様がね〜」

     

    「ここにね〜」

     

    「おられますよ〜」

     

    「イエス様はね〜」

     

    「Aさんの病と罪を背負ってね〜」

     

    「十字架で死んでね〜」

     

    「よみがえったんですよ〜」

     

    「Aさんの救い主ですよ〜」

     

    「イエス様信じたらね〜」

     

    「すべての罪がね〜」

     

    「ゆるされるんですよ〜」

     

    「永遠のいのちがね〜」

     

    「あたえられるんですよ〜」

     

    「イエス様に信頼しましょうね〜」

     

    「イエス様、助けてください、ってね〜」

     

    「心の中で叫んでみましょうね〜」

     

    「イエス様の名前、呼び求めたらね〜」

     

    「誰でも救われるって

    約束してますからね〜」

     

    「声出せなくてもね〜」

     

    「心の中でね〜」

     

    「お祈りされたら大丈夫ですよ〜」

     

    「私の後についてね〜」

     

    「心の中で、一緒にお祈りしてみましょうね〜」

     

    最後に

    「アーメン」というと

     

    「アー」と

    応答されるAさん

     

    一昨日

    心停止し

    死の淵を通られた

    Aさん

     

    心停止から

    回復できたのは

    主がAさんに

    福音をもう一度

    明瞭に聴かせて平安を

    得るチャンスを

    与えるため・・・

     

    平安な心の備えを

    させてあげるため・・・

     

    必死に

    死の陰の谷にあって

    谷底を見ながらではなく

    主イエスを見上げて歩もうと

    されているAさん

     

    4つの難しい病を

    おもちのAさんですが

    必死に生きているAさんの

    傍らで

     

    「主よ〜

    Aさんの呼吸を楽に

    させてあげてください・・・」

     

    切に祈るばかり

     

    10キロランの

    呼吸のつらさは

    51分余り

    続きますが

    けっこうしんどいもの

     

    しかし

    Aさんのしんどさは

    それとは比べ物にならないほど

    大きい

     

    長時間の持久走のよう

    サロマ湖100キロマラソン

    以上に

    呼吸がおつらい状態でしょう。

     

    呼吸困難の状態の人に向かって

    「がんばれ〜」は、時に

    酷な言葉

     

    言われなくても

    がんばっているのですから〜

     

    「あなたのそばにいますよ〜

    主も私も〜」

     

    お見舞いから帰る時も

    「私は帰りますけどね〜」

     

    「イエス様はね〜」

     

    「いつまでもね〜」

     

    「眠ることなくね〜」

     

    「この病室に

    ともにおられますからね〜」

     


     たとえ死の陰の谷を歩むとしても

    私はわざわいを恐れません。

    あなたがともにおられますから。

    あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。

    (旧約聖書 詩篇23:4)

     

    Aさんの隣のベッドには

    いとこのBさんが

    付き添って

    二晩泊まられましたが

     

    ほとんど眠れぬ状態

     

    夜中に

    Aさん

    よほど苦しいのでしょう。

     

    酸素吸入をとったり

    もがいて

    かなり激しく動かれるそう

     

    Bさん自身

    お体の疲弊が激しく

     

    昨晩は

    ついに

    ビジネスホテルに泊まることに

     

    周囲の人も

    付き添う

    Bさんのお体を

    心配して

    見るに見かねて、そう

    勧めてくださいました。

     

    何せたったひとりの親戚

    替われる人がいない・・・・

    完全看護といえども・・・

     

    せめて

    最も苦しい時に

    せめて

     

    少しでも

    そばで付き添っていてあげたい気持ちと

    自分自身の体力の限界との狭間で

     

    多くの近親者が

    このような体験を通られる姿を

    いやというほど

    牧師として見てまいりました。

     

    昨晩はAさんのサークル仲間が

    Aさんを案じて3名お見舞いに

    来ておられました。

     

    デイルームで

    その3名の方から

    キリスト教について

    色々と

    ご質問を受けました。

     

    Aさんは

    身寄りがなくても

    交流関係が

    極めて広く

     

    2日で

    のべ

    10名以上の方々が

    入れ替わり立ち替わり

    お見えになられていました。

     

    それほど

    多くの仲間たちから

    慕われているAさん

     

    一生懸命

    力を振り絞って

    呼吸されるAさんの

    傍らに

    主イエスがおられて

    今日も

    支えてくださいますように。

     

    携帯電話を不携帯しやすい

    私ですが

     

    Aさんのこともあり

    四六時中

    携帯させていただいています。

     

    夜中にメール音がすると

    飛び起き

    Aさんに何かがあったか?

    昨晩は

    エクアドルで宣教師をしている

    英国人の友人からの

    メール

    時差があるので

    とんでもない時間に

    鳴ってしまう・・・

     

    私も

    眠れる時間に

    寝ないと・・・

     

    今日は終戦記念日

    生きることは

    ある意味で

    戦いの連続・・・

    あのミケランジェロが

    システィーナ礼拝堂の天井画を

    描いている時

    教皇ユリウス2世が

    「いつになったら終わるんだ?」

    と再三再四

    ミケランジェロに尋ねた時

    再三再四

    「描き終わった時だ」という

    同じ答え方をしたという話を

    思い出します。

     

    私たちの人生

    主が「いいよ」と言うまで

    主を証し続ける

     

    わたしたちが

    いつ天に召されるか

    年齢順で決まるわけでもなく

    病の軽重の程度で決まるわけでもない

     

    ただ一つ言えることは

    主の証をし終える時

    その時が

    天に召される時

     

    私がよく重篤な患者さんの

    お見舞いに行く時

    よく言うことは

    「お見舞いに伺った私の方が、

    先に召されるかもしれませんよ

    病院の帰り道に・・・

    誰もわからないんですよ。

    どっちが先か?なんか

    ただ生きるにしても

    死ぬにしても

    わたしたちは

    主のものであることは確かなことです。」


     私たちは、

    生きるとすれば主のために生き、

    死ぬとすれば主のために死にます。

    ですから、生きるにしても、死ぬにしても、

    私たちは主のものです。
    14:9 キリストが死んでよみがえられたのは、

    死んだ人にも生きている人にも、

    主となるためです。

    (新約聖書 ローマ書14:8〜9)

     

    Aさんの

    回復を祈りつつ・・・

     

    J.S.バッハ マタイ受難曲 第39番

    「憐れみたまえ、わが神よ」を

    聴きながら・・・

     

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