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「ありがとう、ありがとう」って
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    2018.7.26

    翌日に大きな手術を

    ひかえているAさん

     

    満面の笑顔で

    むしろ私の腰痛

    を案じてくださるほどでした。

     

    デイルームで

    さまざまなお話をうかがっていると

    あっと言う間に

    1時間半も経過

     

    Aさんが大きな試練の中に遇っても

    肯定的に受け止め

    感謝のことばを

    次々に出され

     

    私自身

    とっても

    力づけられました。

     

    (Aさんの御了諾のもと

    シェアさせていただきます。)

     

    Aさん曰く

     

    「がんが大きすぎて切れない例も

    多くあります。

     

    しかし私の場合

    まだ、この状態で見つかったこと

    切れる状態で見つかったことを

    感謝しています・・・。

     

    「この病、同じような人がいる時に

    気持ちを分かち合える、

    寄り添ってあげることができるようにと

    主が与えてくださったもの」

     

    「〜年間の生存率が・・・%

    と言われても

    そんなものは、

    どんどんどんどん

    ひっくり返している人は

    たくさんいるし・・・」

    統計的な数字に

    一喜一憂していないAさんは

    輝いてすらいました。

     

    「・・・腫瘍は

    腫瘍だけれども、

     

    悪いものだけど

     

    私の体の今はまだ一部

     

    私の体を造って

    いのちを与えてくれたのは

     

    イエス様・・・

    感謝・・・

     

    私は、明日でサヨナラしなくちゃいけない

    自分の体の腫瘍に対して

     

    『ありがとう、ありがとう』って

    きのうから

    ずっとねえ、

    体に

    言っているんです。

     

    『もう少し私の体の中にいてね』って

     

    『いろいろなことを

    教えてね』って

     

    『来てくれてありがとう』

     

    って

     

    いやでも

    明日は腫瘍がついている

    臓器がとられちゃうわけだから

     

    『もうお目にかかることは

    ないわけだからね』って

     

    主が私に与えてくれた腫瘍

     

    手術をした次の日からは

     

    主の器として用いられるように

     

    自分の器じゃなくて主の器に・・・

    そう祈っているんです。」

     

    私が、もしAさんの立場だったら

    Aさんのように

    笑顔で落ち着いて

    平安でいられるだろうか

    と思いました。

     

    私だったら

    あれこれ

    心配ばかりが渦巻いているに

    違いありません。

     

    Aさんのお話をうかがいながら

    2つの聖句を思い浮かべました。

     

    「苦しみにあったことは

    私にとって幸せでした。

    それにより、

    私はあなたのおきてを学びました。」

    (旧約聖書 詩篇119:71)

     

    私は、どちらかと言うと

     

    「がん細胞よ。

    主イエスのみ名の権威によって

    命じる!

    消えてなくなれ〜!」と

     

    祈ったり、宣言しがちな者ですが

     

    Aさんは、腫瘍を

    色々なことを

    教えてくれるという点で

    むしろ主が賜った感謝な存在

    と受け止められたのです。

     

    「〜さえなければ・・・」

    という思いで生きるか

     

    「〜のおかげで・・・」

    という思いで生きるか

     

    神を愛する人たち、

    すなわち、神の御計画にしがたって

    召された人たちのためには、

    すべてのことがともに働いて

    益となることを、

    私たちは知っています。

    (新約聖書 ローマ書8:28)

     

    この聖句も

    先の聖句同様
    多くの聖書読者の

    愛称聖句として有名なものですが

    カギになる表現は

    「益となる」ということば

     

    この「益となる」とは

    どういう意味かが

    はっきりしていないと

    この節全体が

    ぼんやりしてしまいます。

     

    「益となる」とは

    「キリストの品性へと変えられていく」

    と読み替えることができると

    思います。

     

    手術が終わったら

    あれがしたい

    あそこへ行きたい

    あれが食べたい

     

    そう仰る方が多い中

    「主の器として用いられるように」

    そう願い祈られているAさん

     

     

    昨日Aさんの手術は

    無事予定通り終了

     

    術後も守られ

    ますように

     

    Aさんご自身の願いどおり

    きっと

    「主の器として用いられます」




    まことに彼は私たちの病を負い

    私たちの痛みを担った。

    (旧約聖書 イザヤ書53:4)

     

     

     

     

     

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