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「7つの目をもつひと」
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    「すみません、写真撮らせていただいていいですか?」

    Aさんから言われ

     

    「はいどうぞ」

    と答えた私

     

    カメラの形状のユニークさに

    不思議がっていると

     

    Aさん、

    撮影した写真を

    さっそく

    スマホで見せてくださいました。

     

    なんと

    360度映って

    いるのです!

     

     

    パノラマ撮影とか聴いたことは

    ありますが

    360度映る

    カメラを見るのは初めて

     

    そういえば

    今回のサッカーw杯で

    活躍されている

    日本代表の

    S選手は

    360度見ながら

    自分の位置を決めている

    と報道されていることを

    思い出しました。

     

     

    S選手のことで

    思い出した

    聖書の言葉は

    新約聖書の

    一番最後に位置する

    ヨハネの黙示録の1節


     また私は、御座と四つの生き物の真ん中、

    長老たちの真ん中に、

    屠られた姿で子羊が立っているのを見た。

    それは七つの角と七つの目を持っていた。

    その目は、

    全地に遣わされた神の七つの御霊であった。

    (旧約聖書 ヨハネの黙示録5:6)

     

    初めて、この聖句を読まれる人は、

    こんなイメージを

    ふくらませるかもしれませんが、

     

    ヨハネの黙示録と言うのは

    黙示文学というジャンル

    文学形態で書かれており

    象徴的な表現が

    その特色としてあります。

     

    ここでいう「屠られた子羊」

    は、罪深いわたしたちの身代わり

    犠牲のいけにえとして

    十字架にかかられて

    死んでよみがえられた

    主イエスキリストのことです。

     

    そして「7」という数字は完全さの象徴

    「角」は、権力、権威、能力の象徴

    「目」は、知識の象徴

     

    つまり

    十字架で死んでよみがえられた

    主イエスキリストは

    今日、「全知」「全能」のお方として

    ご聖霊を通して

    すべてをご覧になられ

    すべてに対して力を行使されるお方として

    生きて働かれているお方で

    あるという

    幻を

    ヨハネが観た

    ということになります「。

     

    これは聖書が書かれた

    当時の人々に

    とってのみならず

     

    今日の私たちに

    どのように適用できるかと言えば

     

    今、私の身に起こっていること

    (嬉しいことだけでなく

    つらいこと)も

    主イエスはご覧になっておられ

    ご存知であるということ

    主イエスの知らないところで

    私は苦しんでいるのではないということ

    それと同時に

    主イエスには、

    すべてに対する

    権威をゆだねられており

    すべてが可能であるということ。

    たとえ人間の目には

    不可能にみえることであっても

    主イエスにとって不可能なことはない

    ということ

     

    この真理を

    信じることで

     

    慰めと励ましと

    勇気が

    与えられるということです。

     

    ヨハネの黙示録は

     

    とりわけ

    歴史を通じて

    迫害を受け

    苦しんできた教会にとって

    大きな励ましと

    希望の書でありましたし

     

    今もなお

    苦難の中で

    主に信頼して歩まれている信仰者たちの

    励ましの書となっているのですね。

     

    サッカー選手は

    360度の状況を見分けながらも

    自分の立ち位置は

    一か所に

    定めなければならない

    という限界が

    ありますが、

     

    主イエスは

    全知全能であるばかりか

    360度見回しつつ

    どこにでも

    同時に存在しうる

    半端なき

    「偏在」のお方

     

    そういうお方は

    (3次元)可視の世界

    (4次元)不可視の世界を

    含めて

    創造主=主イエス

    だけなんですね〜

     

    人が隠れ場に身を隠したら、

    わたしはその人を見ることができないのか。

    ──【主】のことば──

    天にも地にも、

    わたしは満ちているではないか。

    ──【主】のことば。

    (旧約聖書 エレミヤ書23:24)

     

    ・・・つまり

    この聖句に基づくとき、

     

    苦しみの真っただ中で

    私が、苦しくて

    叫ぶとき

    主イエスは遠くにおられて

    聴こえないお方ではなくて

     

    そばにいて聴いて

    寄り添ってくださるお方で

    あるということですね。

     

    ああ、なんと心強いことでしょう。

     

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