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「問題の指」
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    わたしどもの教会堂の正面に

    アドベントクランツが飾られました。

     

     

    例年のろうそくよりも

    太くなりました!

    長い時間

    輝き続けられますね〜!

    感謝、感謝

     

    クリスマスが

    近づきましたね。

     

    ろうそくの灯は

    私たちの心に

    温かみを

    与えてくれます。

     

    昨日の礼拝後

    病の中で

    毎月10日間

    年間で100日以上

    定期的に病院に

    入院生活を

    余儀なくされているAさんと

    ご一緒に

    お祈りいたしました。

     

    体のどこに

    どのような痛みが

    どれくらい走るか

     

    その日になってみないと

    わからないという状態が

    十数年間、1日も途切れることなく

    続いているAさんは

     

    主イエスにあって

    いつも喜んで微笑んでおられます。

     

    痛みにめっぽう弱い

    私なら

    とても耐えられないことです。

     

    Aさんの無邪気とも

    思える笑顔を見ていると

    「奇跡の人」とは

    こういう方のことだと

    思わされます。

     

    Aさんは

    数日前

    右足薬指に

    ちょっとかたいものが

    接触しただけで

    骨折されてしまいました。

     

    お薬の影響もあり

    骨年齢が

    実年齢よりも+40年ほど

    進んでおられるそうで

     

    通常の方が

    何ともない接触でも

    骨が軟らかくなっているため

    簡単に骨折されてしまうそうです。

     

    そのため

    Aさんは

    日常生活では

    努めて

    ゆっくりと

    動くことを

    心がけておられます。

     

    そそっかしくて

    すぐ足を

    何かの角(いつも同じ場所)

    にぶつけては

    大騒ぎしてしまう私とは

    大違いです。

     

    骨折を

    日常のこととして

     

    そのことを

    意にも介さない

    Aさんと接していると

     

    自分が

    あまりにも

    愚かに

    思えてしまうほどです。

     

     

    Aさんのお話・・・

     

    先日

    朝起きて見ると

    左手の中指だけが

    ぴょこんと

    上がっていたため

    てっきり

    中指が病んでいるのかと

    思って

    病院で調べていただいたそうです。

     

    すると検査の結果

     

    親指が脱臼状態で

    だらんとぶら下がり

     

    人差し指の

    2本の靭帯は断絶状態で

    だらんとぶら下がり

     

    薬指と

    小指の

    靭帯はそれぞれ弛緩状態に

    あるために

    だらんとぶら下がり・・・

     

    ということで

    それら4本の指は

    それぞれ問題を抱えているがゆえに一様に

    だらんと下がっていたわけで

     

    一方で

    問題があると思った中指は

    実は唯一まともな状態にあって

    ぴょこんと上がっていた

    ということがわかり

     

    驚いたということでした。

     

    このことを通してAさんは

    学ばれたそうです。

     

    「異常だと思いこんでいる部分が

    実は異常ではなく

    正常だと思いこんでいた部分が

    実は異常である場合があるんだということを

    イエス様は

    教えてくださったと

    思いました。」

     

    「問題だと思いこむと

    そこばっかり

    気になってしまう

     

    でも実は

    そこは全く

    問題にすべきことではない

    場合もあるんだと言うこと。」

     

    なるほど!

    このお話を聞いて

    思いました。

     

    人間関係でも

    同じことが

    言えるかもしれない。

     

    「あの人こそが問題だ」と思われている

    特定の人が

    実は問題ではなく

    「あの人たちは問題ない」と思われている

    多数の人が

    実は問題である場合がありうる・・・

     

    「問題だ」「問題だ」と

    騒ぎ立てる人が

    「問題」であったり・・

     

     

    Aさんとご一緒に

    お祈りするとき

     

    目に見える

    「問題かな?」

    と思うことに

    祈りの言葉を集中するのではなくて

     

    まずは祈るにあたって

     

    神様が

    私たちに

    問題とさせたいこと

    祈らせたいことを

    尋ねさせていただくように

     

    つまり祈るための祈りをしてから

     

    お祈りさせていただきました。

     

    年末のせわしない季節

    毎日のあわただしさの中で

     

    本当に大切な問題に

    心をとめさせていただき

     

    祈りつつ

     

    歩ませていただきたいと

    思いました。

     

    Aさんは

    教会堂の玄関にある

    「ご自由にご利用ください」

    と書かれた缶の中に入っていた

    教会のお仲間Bさんが真心こめて

    作られた

    絵葉書を数枚

    手にされました。

     

    今月入院し

    そこで

    出会う病友に

    励ましのプレゼントとして

    聖書のおことばを

    添えて

    さしあげたいと

    願っておられるのです。

     

    Aさんを通して

    Aさんの病室の方々に

    主イエスの慰めが流れていきます。

     

    主イエスは

    弱い私たちを

    通して

    愛のみ手を伸ばして下さるのですね。

     

    今朝も

    いてつく寒さの釧路

     

    寒くなればなるほど

    体の節々に痛みを覚えて

    生きることに辛さを

    覚えておられる方々の

    上に

    主イエスの癒しのみ手が

    伸ばされますように・・・

     

    まことに彼は

    私たちの病を負い、

    私たちの痛みを担った。

    それなのに、私たちは思った。

    神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。

    (旧約聖書 イザヤ書53:4)

     

     

     

     

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