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マリの追憶その5(釧路湿原にて)
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    「ごしゅじんさま!

    くしろしつげんは

    広々していましたが,

    天国は、もっと、もっと

    広々していて

    ダニが一匹もいなくて

    快適ですワン!」

     

     

    携帯電話のSDカードの中に

    1昨年釧路湿原で撮った

    夏の写真ファイルが出てきました。

    我が家の二人息子が

    マリと釧路湿原の木道を散歩した時

     

    犬を飼いたいと

    切望した息子たちに

    出された条件は・・・

     

    アレルギー検査をしても大丈夫であること

    毎日のえさやり、散歩など

    世話をすることを怠らないこと・・

     

     

     

    多感な息子たちの心身の成長時期に

    マリはとても大きな役割を

    果たしました。

     

     

     

     

    息子たちは

    いつもマリをかわいがっていました。

     

     

    高校を卒業し

    家から離れた

    息子たちは

    帰省すると

    真っ先に

    マリのところへ

    行きました。

     

     

    つり橋を渡るのをちゅうちょして踏ん張ったマリ

     

     

    つり橋の中央で

    ついに

    動かなくなったマリ

    (怖いと身動きできなくなるよね〜)

     

    帰省した息子たちは

    マリを散歩に連れていくのを

    いつも楽しみにしていました。

     

     

    マリも

    息子たちをとても慕っていました。

     

     

    私たちの目に見えないところへ行った

    マリは

     

     

     

     

    墓からよみがえられ

    天に昇られた主イエスが

    再び来られるその日に

     

     

    神のこどもたちの
    栄光の自由の中に
    招きいれられるのを
    楽しみにしながら
    待っているのですね。
    被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
    神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます
    (新約聖書ローマ書8:21)
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    カテゴリ:- | 15:58 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    Mスクエア様、コメント感謝します。昨年の11月に大切なお母さまをなくされ、さぞかし悲しみと寂しさの中におられることでしょう。病のお母さまに懸命に日々向かい会われ交わし合われた言葉の一つ一つが懐かしいよき思い出となりますように。主イエスの慰めの手の中で、お母さまの残された様々な足跡をご回想される時が祝福のときと変えられますように。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。」(旧約聖書イザヤ書49:15)
    | Hiro | 2017/03/01 9:40 PM |
     こんばんは 山形牧師様

    今日久しぶりにブログを拝見したら、真理ちゃんの訃報

    2/3に亡くなっていたんですね。
    本当に、家族に、みんなに愛されていた真理ちゃん
    力を落とされたことでしょう。

     知らなかったとはいえ、本当に寂しいですね。

    私の母も、昨年11月 病気の末に無くなりましたが、前夜交わした何でもない言葉が、最期の言葉となってしまい、深夜病院に呼び出されたときは、もう意識が無く、そして、「えっ」っていう間に亡くなりました。

     認知症を患い、口を開くと喧嘩ばかりしていましたが、その相手がいなくなるとやはり寂しいもので、MISSの言葉を実感しています。

     真理ちゃんは、牧師様家族の溢れんばかりの愛に包まれて幸せな命を全うし、天国で皆様を見守って居ると思いますので、少しづつでも、元気を出して、皆様に良い教えを伝えて下さい。

    これからも、ブログ配信 楽しみにしております。
    | Mスクエア | 2017/03/01 8:52 PM |
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