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「赦し」であって「許し」ではない
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    昨日の朝日新聞の朝刊
    ちょっと拡大してみました。
    ↓↓↓






    昨日の朝日新聞オピニオン「耕論」
    「汝の敵を愛せるか」

    渡辺和子さん(ノートルダム清心学園理事)の
    インタビュー記事が
    掲載されていました。

    記者の方が「ゆるす」という言葉を
    聴かれて「許す」という漢字をあてて
    掲載されたようです。

    聖書で罪を「ゆるす」とか
    悪を行った人を「ゆるす」という
    文脈で「ゆるす」が使われる場合は
    漢字では必ず「赦す」が使われます。

    赦す」と「許す」では
    発音は同じでも

    意味が全く異なってきます。

    前者は
    英語で言うと
    FORGIVE
    (赦免する)

    後者は
    PERMIT
    (許可する)

    となります。


    朝日新聞社本社に、さっそくお電話をして
    この文脈では「許し」ではなく
    赦し」が遣われるべきであること・・・を
    お伝えしました。

    担当者の方がご親切に

    調べて・・・

    朝日新聞社・用語とりきめ」という
    ルールがあるそうで
    それによると
    中学生レベルでも読めるようにという配慮から

    この「許す」という漢字が使われた、
    との説明を受けました。

    そこで、私も調べてみますと
    」(しゃ・ゆるーす)は
    現在、中学校で習う常用漢字として
    規定されていることがわかりました。

    それで
    再度朝日新聞本社に
    お電話をして

    赦す
    という漢字が
    中学生レベルで習得すべき
    漢字であることを
    指摘させていただいた上で

    聖書信仰のからみで
    罪や悪や敵といった文脈の中で
    ゆるす」という言葉を
    漢字表記する場合は

    許す」ではなくて
    赦す」にしてくださいと
    懇願させていただきました。

    担当者の方は
    丁寧に応答して下さいました。

    「私は高校時代から
    長年にわたって
    朝日新聞の読者なのです。
    だからこそ、
    大好きな新聞だからこそ
    正確に表記していただきたいと願って
    、申し上げさせていただきました。
    それにしても
    語気を強めてしまった言い方をしてしまい
    『赦して下さいね。』」
    と最後に申し上げました。

    私自身
    毎日、周囲の人から
    赦されないと
    生きていけない者の
    一人だなあと
    自覚させられます。

    漢字一字の違いに
    こだわたって
    新聞社の本社に電話するなんて・・・

    「小さなことでうるさいな〜」
    「よほど暇な人か?」と
    思うかもしれませんが

    実は大きなことなんです。

    多くの犯罪被害者の方々が
    しばしば
    「ゆるすことに苦しまれている」
    現実があります。

    不用意に
    「ゆるす」が「許す」というニュアンスで
    使われることによって

    精神的2次被害を受けるということが
    犯罪被害者の方々の間では
    実際に起こっているのです。

    キリストは「赦しなさい」とは命じても
    許しなさい」とは命じてはいないのです。

    キリストは
    赦す」お方ですが
    許す」お方ではありません。

    東京都議会だけでなく
    全国の自治体議会で

    日常的に行われている
    パワハラやじや
    セクハラやじは

    議長を初め
    多くの議員が
    小さな「やじ」だからといって
    聴いて聴かぬふりをして
    許している」から
    起きることなのです。

    罪は赦されうるものですが
    許されるものではないはずです。


    許し」という漢字が
    クリスチャン信仰との関連で
    使われてしまうと
    キリストの教えが誤解、曲解され
    聖書そのものが
    歪曲、誤解されかねません。

    ですから
    たかが、小さな漢字の違いでは
    すまされないのです。

    この一字の漢字の違いによって
    精神的な苦悩を覚えている方々が
    実際に、おられることを
    朝日新聞社さんをはじめ
    すべてのマスコミ関係者の方々には
    覚えてもらいたいと
    思います。


    聖書で言う「赦す」とは

    何事もなかったかのようにふるまうことではありません。
    「大したことではなかった」と
    大目に見ることでもありません。
    罪を見て見ぬふりをすることでもありません。

    聖書で言う「赦す」とは
    相手を罰したいという欲求を手放して
    すべてを神のみ手におゆだねすること
    」です。

    多くのキリスト教会では
    礼拝でイエス様が教えられた主の祈りを

    唱えます。

    その中に

    「わたしたちの負い目をお赦し下さい。

    私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。」

    があります。


    唱えるだけで

    実践していないならば
    お経読みのお経知らず
    聖書読みの聖書知らず
    ですよね。

    また聖書の中には

    「互いに忍び合い、
    誰かが他の人に不満を抱くことがあっても
    互いに赦し合いなさい。
    主があなたがたを赦して下さったように
    あなたがたもそうしなさい。」
    (コロサイ3:13)

    ともあります。

    私たちは自分自身が
    聖なる神の前に
    本来であれば

    赦されざる者です。

    しかし十字架における
    神のみ子イエスキリストの
    身代わりの死
    償いの死を
    自らの罪のためと信じ
    悔い改める者には

    キリストの血に免じて
    赦しが与えられると
    約束しているです。

    赦されるはずがない私が
    イエスの血に免じて
    赦していただける!!!

    これを福音《ゴスペル》とも言います。

    このありがたい事実を忘れる時に
    私たちは
    自分を、他者に対して
    無意識のうちに
    「裁判官」の座に
    座らせてしまっているのです。

    赦すということは

    我慢して
    泣き寝入りしなさいということでは
    ありません。

    赦すということは
    正しく裁くことができる神に
    正しい裁きをおゆだねして

    自分自身は

    裁判官の席から降りて
    その席に
    イエス様に座っていただく
    ということです。

    ある人は
    赦すことは我慢して泣き寝入りして
    悪(人)を放置すること・・・
    」と
    誤解します。

    もし誰も正しく裁いてくれないなら
    確かに泣き寝入り状態となりますが・・・。

    (今までの反原発訴訟の多くが
    そうでしたね。)

    しかし聖書の神様は
    最終的に
    公正な裁きを
    下されるお方です。

    水戸黄門や
    大岡越前などが
    多くの人々に安心感を持って
    見られたのは

    必ず悪代官が
    番組が終るまでの間(1時間以内)に
    裁かれることを
    信じているからです。

    それは昔のウルトラマンとも
    似ています。
    どんな怪獣が現れても
    必ずウルトラマンが
    即座に(3分以内で)
    解決してくれる

    そのことを
    知っているこどもたちが
    安心して見ることができたのですね。

    だからこそ
    あのゼットンが出てきたときに
    私を含めて多くの

    こどもたちは
    心の中で
    混乱が生じたのですね。

    「こんなはずじゃなかったのに」

    わたしたちの現実生活には
    得体の知れないゼットンが
    多すぎるので
    心の混乱が広がるのですね。

    わたしたちは
    現実の生活を見ると
    必ずしも
    水戸黄門やウルトラマンのように
    なっていないことに
    やるせなさを感じます。

    悪がはびこり
    悪がのさばり
    悪が繁栄しているようにさえ
    見えることがしばしば・・・。

    正しい裁きが行われていない
    ように思えて
    いらいらが募っているように
    思います。

    一億総イライラ状態
    怒りが鬱積している状態

    その怒りを過度に抑圧する
    ことで
    ある方は
    うつ病になっています。

    うつ病の投薬を受けている人が
    現在日本国民の
    10%を越えています。

    ある人は
    少しでも
    理不尽な現実の矛盾から
    眼をそらすため

    仮想現実の世界にのめりこんだり
    ネットゲームに走り
    脱法ハーブに走り
    アルコールに走る
    覚せい剤に走る・・・・。

    特に今日、日本の主婦の覚せい剤が
    深刻なほど広がりを見せています。

    この世で最も理不尽な扱いを受けて
    怒って憎んで復讐しても
    よかったのに
    怒らないで
    あえて赦しを選び取られたお方
    それがイエスキリスト

    罪が微塵もないお方が
    十字架で処刑される
    これほど理不尽なことは
    ありません。

    しかしキリストは
    十字架上で
    自分を磔にする者のために

    自分をののしる者のために

    天を見上げて祈られました。

    「父よ。彼らをお赦しください。
    彼らは何をしているのか
    自分でわからないでいいるのです。」
    (新約聖書 ルカ23:23)

    キリストが、ここで言われた「彼ら」の中に
    私たちひとりひとりがいるのです。

    自分のようには

    苦しんだことのない人から
    「赦しなさいよ」
    と言われたら、
    私たちは反発することでしょう。

    「あんたは、私のような目にあったことがないから
    そんなこと言えるんだ!」
    ・・と

    しかし
    誰よりも不当な差別を受け
    誰よりも理不尽な扱いをされ
    誰よりも孤独を強いられ
    肉体的にも精神的にも
    極限的に傷ついた方が
    あなたの傍らで
    「赦しなさい。」と語られる
    か細い声がもし聞こえてくるなら

    わたしたちの応答は
    変わってくるかもしれませんね。

    赦しを選び取ることによって
    「損をする」と思う人もいますが

    実は
    逆です。

    赦すことで
    自分が解放され
    自由にされ
    前進することができます。

    赦すのは
    相手のためというよりは
    誰よりも神から愛されている
    自分自身のため

    自分自身に
    この地上でゆだねられている
    有限のエネルギー、体力、精神力を

    赦さないこと」のために費やしていくのは
    あまりにももったいないこと。
    「赦すこと」のために費やしていくときに

    その人自身が
    幸せになる・・・・。
    一人ひとりの明日が輝くための
    選択の一歩は
    ひとりひとりにゆだねられています。

    誰かに強いられてでもなく
    自分の人生は自分自身の
    自発的(スポンテニアス)な選択によって
    切り開かれていくもの

    その最たる選択が
    「赦し」の選択と言っても
    過言ではないでしょう。

    渡辺和子さんは
    少女時代
    自分の面前で父親が惨殺されるという
    トラウマ体験を通られましたが

    赦しを自発的に選び取られて
    とっても自由になられているように
    思えました。

    今日も
    赦し赦されて
    歩んでいきたいものですね。




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    カテゴリ:- | 08:06 | comments(13) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    graceさま、こちらこそ、拙ブログの引用賜り、恐縮しております。ありがとうございます。graceさまのブログの読者の皆様の上に、主の恵みがありますようにお祈りしています。graceさまも、これから寒さも厳しくなるおり、お体をお大事に、主の愛のぬくもりの中で、幸いなクリスマスの季節を堪能されますようにお祈りいたします。
    | Hiro | 2020/12/05 9:05 AM |
    山形牧師様

    温かい返信をありがとうございます。
    早速、ブログに引用させていただきました。
    ありがとうございます。
    赦すことについて、理解が深まりました。
    アメブロで、「恵みのなかで」というタイトルで
    graceというネームです。もし、よろしかったら
    お立ち寄りください。
    山形牧師先生のうえに神さまの恵みと祝福が豊かにありますように。
    | grace | 2020/12/04 10:06 PM |
    graceさま、コメントありがとうございました。拙ブログ、ご訪問くださり感謝します。もしお役に立てるならご自由に引用してくださってかまいません。むしろ感謝でございます。graceさまの上に、憐れみ豊かな神様の祝福が、このクリスマスシーズン豊かにありますようにこころよりお祈り申し上げます。
    | Hiro | 2020/12/04 8:32 AM |
    山形牧師様

    はじめまして。
    キリスト教の赦しを調べていて、辿り着きました。赦しについて、正しく裁いてくださる神に裁きをゆだねて、自分は、裁判官の席から降りる、というところを読んで、ストンと腑に落ちました。
    ありがとうございます。
    わたしは、プロテスタントのクリスチャンでブログを書いています。(アメブロです)赦すことをテーマに書きたいのですが、先生の許すとの違いなどを引用させていただいてもよろしいでしょうか?また、先生のお名前もブログに
    出してもよろしいでしょうか?

    | grace | 2020/12/03 8:47 AM |
    なつさま、コメントありがとうございます。わかりやすいご説明感謝します。ゆるす権威に満ちた主イエスからの平安が、なつさまのうえに豊かにありますようにお祈りいたします!
    | Hiro | 2018/04/23 11:36 AM |
    祈りの中でゆるすを書くとしたら、赦すか・許すかで気になって、この記事にたどり着きました。

    新聞社の対応は、常用漢字「赦」が音読みのシャのみ常用漢字表内の読みで、赦すをゆるすと読むのは常用漢字表外で一般的ではなかったためです。

    一般的には許すをForgiveの意味で使って良いとなっていますが、それは他の多くの常用漢字と同様に、元々の意味では違うと私も思います。

    もちろん、新聞などのメディアでなければ「赦す」で良いのでしょうが、もし新聞で「許す」という表現が好きではないのであれば、「ゆるす」という表記が最善です!(障がい者と表記するのと同様。
    | なつ | 2018/03/14 2:16 AM |
    シンさん、コメント感謝します。漢字の出どころである中国の方のご意見は、とてもありがたいことです。「過ちを改めないことを過ちと言う」ということわざを思い出します。拙ブログも、いつも謙遜な態度で書かせていただきたいと思います。これからもよろしくお願いします。感謝をこめて。
    | Hiro | 2016/09/21 6:13 AM |
    山形牧師様
    こんばんは。

    ネットでhttp://bible.yokota-church.info/church/cp-df.html
    「カトリックとプロテスタントの違い」という文を読んだ時、「赦し」という言葉が気になり、調べたら、山形牧師のこの文章が出てきました。拝見させていただき、コメントを述べさせていただきました。
     確かに、山形牧師がおっしゃったとおり、「許し」と「赦し」とは一見たいした差がないように見えますが、考えれば考えるほど、きちんと使い分けるべき言葉です。
     聖書について、とやかく言う資格はわたくしにはないと承知しておりますが、中国人であるという立場から、「例の新聞社が間違っている」と発言する資格があると思っています。漢字が中国から日本に伝わってきたものですから。
     漢字の母国である中国では、「赦」という漢字が主に「犯罪」について用いられているのに対して、「許」は日常生活における普通の行動について使われる。
     11月中旬帰国後、牧師の文章も見られるように願っております。
    | シン | 2016/09/21 12:01 AM |
    山形牧師様
    こんばんは。

    ネットでhttp://bible.yokota-church.info/church/cp-df.html
    「カトリックとプロテスタントの違い」という文を読んだ時、「赦し」という言葉が気になり、調べたら、山形牧師のこの文章が出てきました。拝見させていただき、コメントを述べさせていただきました。
     確かに、山形牧師がおっしゃったとおり、「許し」と「赦し」とは一見たいした差がないように見えますが、考えれば考えるほど、きちんと使い分けるべき言葉です。
     聖書について、とやかく言う資格はわたくしにはないと承知しておりますが、中国人であるという立場から、「例の新聞社が間違っている」と発言する資格があると思っています。漢字が中国から日本に伝わってきたものですから。
     漢字の母国である中国では、「赦」という漢字が主に「犯罪」について用いられているのに対して、「許」は日常生活における普通の行動について使われる。
     11月中旬帰国後、牧師の文章も見られるように願っております。
    | シン | 2016/09/20 11:56 PM |
    KH様、尊いコメントありがとうございます。まったくおっしゃるとおりでございます。毎晩、神様の前でへりくだったお祈りをささげておられる貴方の心を主はごらんになり受け入れて、十字架の御血で覆ってくださっていると確信してくださいませ。主は、わたしたちが日々罪責感で苦しみながら歩む人生から、赦された平安で歩む人生へと移し変えてくださいます。どうそ貴方が今日も、平安な歩みを送られますように!
    | Hiro | 2016/08/24 10:14 AM |
    私はカトリックの信者です.いいかげんなキリスト教解釈がはびこるネットの世界で牧師様の叙述は心に響きました.赦すということは不法こと,良心にもとることを許可するのではないのですね.その裁きは天の父の御心のみが行えることであって,人間が憎悪によって復讐することではないと理解しました.憎悪の連鎖はそれこそ恐ろしいものです.私は寝る前の祈りで今日もまた罪を犯してしまった.神様,罪深い私をお赦しくださいといいます.私は罪責感の強い人間です.すみません,間違った解釈ならお許しください.
    | KH | 2016/08/24 9:06 AM |
    Mスクエア様、コメント感謝します。国政、県政、市政を担う人たちを「選ぶ」権利を有している「有権者」の姿勢も問われますよね。国務大臣が問題を犯した場合、任命権者の責任が問われますよね。同様に、県議が何か問題を起こした場合、選んだ県民の責任も問われてしかるべきかもしれませんんね。すべて他人の罪について「私にはいっさい責任がない」と言える人は、厳密にはいないのかもしれませんね。1億総ざんげが必要かなあと思うこのごろです。
    | Hiro | 2014/07/13 2:53 PM |
    山形牧師様


     こんばんは! 牧師様

    確かに許すと赦す 大きな違いですよね。
    日本には、恩赦や特赦があまりないから、なかなかむずかしいのかも。

    でも、仰っている意味は、とてもよく理解できますよ。

     私も、気になることがあって、幾度か朝日新聞のお客様窓口に電話したことがありますが、結果は、なかなか直さない、非を認めない 等々でした。

    まあ、一マスコミですので、仕方ありません。

     話題の県議は、赦されるのでしょうか?(笑)
    選んだ人間が、みんなあんな感じだと思うと情けないですが、あんなことをする人でも、政治家になれることを世間に知らしめた功績は、大いに為になることだと思います。
    | Mスクエア | 2014/07/12 7:51 PM |
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