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「ここが違う!」エホバの証人とキリスト教(その1)
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    玄関先の水道を使って

    風呂場の排水蓋の掃除を

    していましたら

    2人のご婦人が来られ

    そのうちのおひとりが

    近寄ってこられて

    「特別な集会のご案内です。」

    とおっしゃって

    1枚のチラシを手渡して下さいました。

    「お疲れ様です。」
    労をねぎらってから

    掃除のあとで
    チラシをあけてみましたら






    中身を見ると

    あなたも出席なさいませんか

    「イエスキリストの死を記念する式」と書いていました。

    なんとエホバの証人の集会の案内でした。

    エホバの証人の方々から話しかけられるのは

    もうかれこれ十数年ぶりでしょう。

    (しばらく避けられていたのかも・・・)






    私はエホバの証人の方とお話しするときには
    かならずこの「新世界訳」を引っ張り出して

    お話をするようにしています。

    エホバの証人の方々は
    新世界訳にあらずば、聖書にあらず
    と指導者から教えられているので・・・。


    ところで

    エホバの証人とキリスト教の

    大きな違いは

    イエスキリストを神として礼拝するかどうか
    という点でしょう、。

    エホバの証人の公式ホームページでは

    イエスが全能の神であるとは信じていないため、
    イエスを崇拝することはしません
    。」

    と断言しています。


    イエスは果たして神ではなく
    礼拝の対象でもないのでしょうか?

    ここでエホバの証人の方々が
    信仰のよりどころの根拠としている
    新世界訳の聖書を開いてみましょう。

     

    復活のイエスに出会った
    弟子トマスは
    イエスの傷ついたわき腹や
    手に触れながら
    「私の主、そして私の神」と明確に
    告白しています。

    もしイエスが神でも主でもないのでしたら
    「トマスよ!私は神でも、主でもありませんよ。」
    と言ってたしなめるのではないでしょうか。

    どう考えてもここでは

    イエスが神として、主として
    礼拝の対象となっていて
    イエスはそのこと自体については
    肯定されています。






    イエスは神ではないと
    教えられてきた
    元エホバの証人の人や
    元統一協会の方々で
    実は

    イエスが神であることを
    裏付ける聖書箇所の一つとして
    決め手になったといわれる箇所が
    このヨハネの福音書8:58です。

    この箇所を、新世界訳で読んだとしても
    純粋にイエスは、
    永遠に生きておられる神であることが
    明白に分かります。

    多くの元エホバの証人の方が

    口をそろえて

    「この箇所で目のうろこが落ちた!」

    とおっしゃいます。

    「私はいる」という表現は

    聖書原語のギリシア語では
    「エゴ・エイミ」

    歴史的現在という表現法で

    昔も、今も、将来も

    絶えず変わることなく

    「おられる」存在という意味で


    天地創造の神が

    自分のことをいう時にしか

    使えない表現なのです。

     

    かつて旧約聖書の時代
    神さまがモーセに

    私は「ある」という者だ
    と表現した旧約聖書のヘブル語表現と重なる
    神様の独自の自己表現なのです。

    イエスがこの宣言を58節でしたということで

    ユダヤ人たちから、

    「自分を神と
    宣言しているぞ!
    神を冒涜する
    とんでもないやつだ!」
    ということで
    殺意を抱かれるはめになるのです。







    また新世界訳の聖書を見ていくと

    たとえば黙示録の5章12節では
    「子羊(イエスのこと)は
    力と知恵と強さと誉れと栄光と祝福を
    受けるにふさわしい方です。」

    と表現しています。

    これはまさにイエスが

    神そのものとして
    礼拝の対象となっていることを
    指し示す聖句の一つです。

    エホバの証人の方々は

    イエスはあくまでも「神の子」であって
    「神」ではない、と主張します。

    しかし、一般のキリスト教会では

    イエスは「神の子」だから
    「神」なのです、と理解するのです。

    同じ聖句から

    異なった結論が出ることは
    驚きです。

    これは「神の子」
    「の」の理解の相違から来ています。

    言語学的にいうと
    「〜の子」の「の」というのは
    同質性を示す表現なのです。

    日本語で
    風邪を一度も引いたことがない
    と豪語する人が
    たまたま風邪を引いたときに

    「やっぱりあの人も「人の子」だよな。」

    という場合の「の」と似ています。


    人間であることを強調する時に
    人の子」という表現するのです。

    神であることを強調する時に

    神の子」というのです。

    どうしてこんな言葉の意味の誤解が
    生じるのでしょうか・・・

    そもそも

    エホバの証人の教えは
    アメリカ合衆国で
    アメリカ人(チャールズ・ラッセル)によって
    始められました。

    ヘブル語、ギリシア語文法
    になじみのない方々が
    英語の聖書を読みながら
    英語文法的な発想の枠組みで
    聖書解釈を施していったことが

    誤解の原因の

    一つになっているように思います。

    エホバの証人の公式HPによると
    イエスが述べた、
    「父はわたしより偉大な方」という言葉も
    そのとおり受け止めています。
    (ヨハネ14:28)


    という説明があります。

    エホバの証人は
    「イエスより偉大なのが父であるということは
    イエスは神よりも下位の存在であることを
    示している」

    と理解しようとします。

    しかし実際は

    子なる神であるイエスが、父である神の前に
    従順かつ謙遜に歩まれたことを

    意味していて
    イエスが自分が神ではないことを
    ここで主張している
    わけではありません。

    たとえばA会社の
    営業部のB部長が
    製造部のC部長について
    「Cさんは、私よりも偉大だ!」
    と言ったからといって
    B部長は
    C部長よりも
    立場上ランクが
    下であることを意味するわけでは
    ないでしょう。


    むしろB部長の
    言葉は、
    謙遜さの現われと
    見ることができます。

    イエス様は
    父なる神がどんなに
    素晴らしいお方であるかを
    我々人間に
    お示しになる目的のために

    人として来られた
    子なる神なのです。

    主イエスは

    子なる神としての自分を
    アピールするのを目的として
    この地上に
    来られたのでは
    ありません。

    主イエスを通して

    私たちが父なる神にもとへ

    帰るために来られました。

     

    主イエスは

    「わたしが道であり真理でありいのちなのです。

    わたしを通してでなければ

    だれひとり父のもとに来ることはありません。」

    (ヨハネの福音書14:6)

    と語られました。

     

     

    ところでエホバの証人の公式見解は
    「統治体」という最高意思決定機関で
    決定されます。

     

    一般のエホバの証人の方々は
    聖書を解釈するに当たって
    この「統治体」の意思への徹底した従順が
    イコール神への従順の
    目印とされます。

    かつて
    私が牧師になりたての頃
    エホバの証人の長老(指導者)Aさんと
    マンツーマンで
    聖書の学び会を
    していた時のことです。

    私の質問に対してAさんは
    「私にも分かりませんので、

    本部に聞いてください。」
    とお答えになりました。

    本部に問い合わせても返答は来ませんでした・・・。


    私が考えるに
    自分の信仰の中身を
    誰か自分の知らない人たちが
    恣意的に
    相談して決めるということ自体に
    とても違和感を覚えました。

    エホバの証人の方々は
    そういう意味では
    「自分の考えをもつことが許されない」
    とても束縛された
    不自由さの中に置かれているという意味で

    被害者であると

    感じました。

    被害者である以上

    助けを必要としていると
    思いました。


    エホバの証人の方々を
    忌避したり

    非難したり批判するのではなく


    むしろ何とか
    助けてあげられないか
    と思うようになりました。

     

    エホバの証人の皆さんは
    困難な質問を
    受けると

    その
    相手に対して


    「あなたには、真理を探求する姿勢が
    見られませんので
    学びを打ち切ります。」

    と言うように
    マニュアル化もされてもいますので

    学びの続行にも
    慎重さが必要とされます。

     

    わたしたち
    一般のクリスチャンの場合

     

    聖書を理解したり
    解釈する場合
    最終的には
    自分の自由意志で判断する自由が

    与えられています。

    ですから
    枝葉の部分においては
    解釈の違いが当然出てきます。

    しかしカトリックであれ
    プロテスタントであれ
    正教会であれ
    無教会であれ
    一般的なキリスト教会では

    イエスキリストは神であって
    礼拝されるべきお方であるという
    この根幹の部分においては
    まったくぶれることは

    ありません。

    そもそも聖書は何のために書かれたのでしょう。

    エホバの証人の皆さんが

    愛用されている
    新世界訳によると(によっても)




    そうですね。イエスが神の子キリストであることを
    信じて、イエスの名によっていのちを持つため


    言い換えると
    イエスが神であり、救い主であることを
    信じて永遠の命を持つため

    その1点の目的のために

    聖書が書かれているのですね。

    (新世界訳は様々な問題点がある翻訳であると
    指摘されてもいますが、その
    新世界訳を用いてであっても、
    イエスが神であり

    救い主であり
    礼拝されるべきお方であることを
    理解することが
    十分にできると私は考えます。)

    イエスが神であることを
    信じるかどうかは
    わたしたちの永遠の行き先を決定付ける
    重要なテーマです。

    エホバの証人の皆さんは
    イエスの死を記念する式を

    1年に1回
    春のこの時期に行われます。

    私たちの教会では

    毎週日曜日に行っています。


    私たちはイエスの死だけではなくて

    よみがえりもあわせて記念して

    毎週日曜日に覚えます。


    明日は日曜礼拝!


    エホバの証人の皆様はじめ

    すべての方々の

    ご出席を心から

    歓迎いたします。

    心よりお待ち申し上げます。

    罪のない神のひとり子である

    イエス様はわたしたちの罪のために

    あえて人間の姿をとり

    自分を卑しくされ自ら

    十字架でわたしたちの

    身代わりに死んで蘇り

    天にのぼられ

    天の父なる神の右の座で

    今も私たち一人ひとりのために

    とりなしの祈りを捧げ続けておられます。

    イエスキリストを信じる者は

    イエスの血によって罪ゆるされ

    永遠の命が約束されています!

    エホバの証人の
    皆さんを愛します。

    エホバの証人の皆さんも

    ご一緒に

    イエス様を神さまとして
    礼拝する日が来ますようにと

    願い祈ります。



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    カテゴリ:- | 13:33 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2020/02/22 5:53 PM |
    桜井様、コメントありがとうございます。どちらの教会もプロテスタント教会で、聖書をよりどころと標榜する教会です。オンヌリ教会は、韓国系の教会です。恵み教会という名前だけですと、どこの恵み教会か、わかりかねますが・・・。もし桜井さまのご住所を、番地まででなくても町の名前まで教えていただけましたら、私の方で、ほかの教会もご紹介できるかもしれません。神戸の方でしたら、私の友人で元エホバの証人で巡回長老されていた方で現在牧師をしている方の教会もご紹介できます。主が桜井様のこれからの歩みを導いて下さると信じてお祈りいたします。私も桜井様のために今日お祈りいたします。釧路にお越しの際にはぜひお立ち寄りいただけると嬉しいです。感謝をこめて。
    | Hiro | 2020/02/19 8:16 AM |
    山形牧師様、初めまして。
    私は今、エホバの証人の研究生をしておりますが、色々と思うところがございまして離れようと思っています。

    私自身が人生で躓いてしまっていた頃に証人の方の訪問が重なり、それによって聖書の真理を自分の生き方に生かそうと始めたのですが、進めていくうちに彼らの矛盾に違和感を抱いてしまいました。例えば、暴力として武道や格闘技を禁止しているのに、泣き叫ぶほどの子供たちへの体罰は容認している部分や、児童への学校行事の不参加強制、国歌斉唱や投票に参加しないなど、まともな社会生活を送る上で明らかに障害となるようなことを推奨していることです。

    とはいえ、私自身がとても浅はかな行動をしてしまったので自分が愚かとしか言いようがないのですが、本当の聖書で探求をしていきたいと考えております。
    私が通える範囲では、「恵みキリスト教会」と「オンヌリ教会」という方たちの教会がございますが、こちらの教会は大丈夫でしょうか? すみません、宜しければご教授をお願い致します。
    | 桜井 | 2020/02/18 8:12 PM |
    竹内さま、ご丁寧なコメント感謝します。竹内さまの真理に対する真摯なご姿勢、視野を広げて、新しい情報や発見にもオープンな態度で、先入観を排し、真剣に「ほんもの」にを探そうとされるご姿勢には心から敬意を表します。きっと、そうされていくことによって、早置かれ遅かれ「あれもこれも」ではなく「キリストの中にすべてがあるのだな」という結論にたどりついて、「この方におまかせすればいいってことだ」と肩の荷が下りて、さわやかで、力まない生き方、この世にあっても流されず、この世から遊離もしなければ、密着もしない、すがすがしい自由な生き方ができることと信じております。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」と言われた主イエスの平安が竹内さまの上にありますように心からお祈りしています。
    | Hiro | 2018/04/23 11:29 AM |
    初めまして山形牧師様、

    私は只今、訳あって(エホバの証人)会社を辞めた無職の55歳です。そして私のHPでもお解かりの通りこんなふざけた遊び人ですが子供のころから日曜日には毎週日曜日教会に通い洗礼も受けました。

    山形牧師様のキリストについてのお話し、そしてエホバの証人について等大変楽しく拝見いたしました。ありがとうございます。

    とても長い文章ですが、話の結末は

    .┘曠个両攷佑気鵑蕕論脳され頑固で行動を制約された可哀そうな信者さんである事実を実感したこと。

    ⊃携見や新事実、新証言や新現象を加味して聖書解釈をしていくことが必用なのでは?

    この二つについてです。如何でしょうか?

    私は元々カソリック信者でしたが、あることが切っ掛けでエホバの証人の王国会館に2年程通った事があります。

    またそのおかげで会社もクビになってしまいました。

    元々正義感が強かったのもあり、世の為人の為としようとした行動が結果的に最近の厳しすぎるコンプライアンスというものにより社会人として悪いこととなり辞めさせられたようなものです。

    エホバの証人をキッパリと辞めたのは会社を辞めてから目が覚めたという感じでもあります。現実社会には即さないのだと。

    それでも王国会館に通わなくなった私のところには信者さんたちがちょくちょく来ては説得に来ますが私はもう既に考え方が変わっていました。

    現実社会で思い知らされたものは非常に厳しい事でしたので。

    例えば、「施しをしようとするものは常に世の中から迫害を受け続けるのです。」

    と言うこともエホバの証人たちの間では良く言われる事なのですが

    それに個人的には耐えたとしても結局は現実社会からはのけ者にされる結果になるのです。

    私が想うには

    どうもエホバの証人のみなさんは凝り固まった知識にばかり洗脳され行動を制約されて窮屈な人ばかりで、何か別の考え方や見方を意見しても全く聞く耳を持ちません。

    また私がエホバの証人さんたちの考えと聖書の教えとの矛盾を指摘したり

    聖書に倣って

    「神が我々に残されたものを良く観察研究して神を知りなさい」

    と地球上の大昔の遺産や発掘され発見されたものについての調査結果、そして聖書には記されなかった多くの聖書外伝が語る物語や歴史について話そうとすると、

    そんな調査結果や遺跡を研究しても聖書に書かれていることが全て正しく意味のないことです。と一蹴されました。


    この様にエホバの証人さんらの聖書解釈を鵜呑みにして行動していると真実から遠ざかっていくような気がしたのと

    自分がやってきた行動は現実的には独りよがりであって、またその結果は結局自分の人生をダメにしている事が現実として判ったのです。

    話は少し反れますが

    私は宗教以外にも、古代遺跡やUFO、地球外生命体、竹内古文書などの話も大好きで

    その様な書物を読んでいくたびに

    例えばムー大陸とかアトランティス大陸とか伝説は本当で、また大昔は地球人と宇宙人とのあいの子(ネフィリム)という巨人が世界中にいて、様々な高度技術をもっていた歴史があったのは本当なのではないか?と想うようになりました。


    これらの話と聖書や聖書外伝の話等とリンクさせて考えると

    どうもキリスト教やエホバの証人の方々が習っている事は正しいとしても、それ以外にも我々が本当は知ってはいけない多くの秘密があると確信するようになりました。

    エゼキエル書については宇宙人がUFOに乗ってやってきた様子を記していると信じている牧師さんも多くいるようです。
    エノクについても地球外生命体であった気がします。

    またアポロ計画に関わり、その後引退した多くの科学者、技術者、宇宙飛行士らが死んでいく中で最後に残した言葉の多くはこの様な物でした。

    「宇宙には人間以外の至高の存在が確かにいる。」

    月面に降り立った宇宙飛行士の中には「私は確かに神を見た」という言葉を残している人もいます。

    敬虔なキリスト教信者だった人はその後「自分の習ってきた宗教観がすべてひっくり返った」と言って精神異常をきたし入院した人もいます。

    これらが事実だとすればエホバの証人らが解釈している聖書はあちこちデタラメばかりとしか思えなくなり私はエホバの証人の聖書研究をキッパリやめました。

    しかし今でも続いている世界中での発掘調査の新たな発見や最新技術での研究結果、そして世界中で目撃されるUFOや宇宙人との遭遇事件、新たに発見された死海文書の非公開が続く不可思議な理由等、今でも不思議と謎だらけです。

    結局私が言いたいのはエホバの証人たち程洗脳さ
    | 竹内三千夫 | 2018/03/11 8:10 AM |
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