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血による勝利
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    446回
    血という言葉が
    聖書には出てきます。

    キリスト教は
    血なまぐさいからいやだ〜

    という人もいます。

    「血が好きだ」という人のほうが
    むしろ少ないでしょう。

    誰でも血なまぐさいものや
    血なまぐさい話には抵抗を
    覚えて当然でしょう。

    しかし、私たちは
    血抜きで生きることはできません。
    そもそも母親が
    血を流してくれなければ
    ひとりとして
    この世に生まれてくることすらできませんでした。

    私たち一人ひとりのために
    この地上で血を流してくださった
    方が
    歴史上
    最低でも2人はいます。

    ひとりは
    自分の生母

    もうひとりは
    イエスキリストです。

    母親は通常分娩台の上で
    私たちをこの地上に生み出すために
    血を流しました。

    イエスキリストは
    十字架の上で
    私たちの罪の刑罰を受けて
    罪のあがない、ゆるしをなしとげて
    信じる私たちを
    霊的に新しく生み出すために
    血を流しました。


    両者とも共通しているのは
    愛のゆえに
    新しく生み出すために
    血を流された
    ということですね。

    今日はゴスペルクワイヤ
    パワープレイザーズの練習日

    Championという曲の
    歌詞について
    若干のコメントを
    させていただきました。

    いつも話したいことの
    一部分しか
    説明できていないなあと
    いう気持ちにかられます。

    この歌詞の中に

    I overcome by the blood of the Lamb
    (私は小羊の血によって勝利した)

    というフレーズがあります。

    ここで
    小羊とはイエスキリストを
    指します。


    イエスキリストが
    この地上に肉体をもって
    生まれる以前の
    旧約聖書の時代

    創造主なる神の前に
    人間の罪が贖われるためには
    傷のない小羊の血が
    いけにえの血として
    贖いの代償として
    要求されました。

    毎日朝夕
    ささげられました。

    しかし、動物の血は
    あくまでも
    やがて来るべき
    本物の「神の小羊」なるイエスキリストの
    雛形に過ぎませんでした。

    動物の血は
    毎日ささげても
    それによっては人間の罪は
    赦し清められることは
    できないことを
    イスラエルの民は
    よく知っていました。

    それでも毎日ささげていたのです。

    なぜでしょう。

    やがて来るべき
    本物を待ち望む思いを
    抱いていたからです。

    イエスキリストが
    十字架で血を流されましたが
    その血は敗北のしるしではなくて
    勝利のしるしでした。

    通常
    この世にあっては
    格闘技などで
    血を流したら
    その時点で
    血を流した側が
    降伏、降参、敗北と
    見なされるケースが
    多い訳ですが

    イエス様の十字架で流された血潮は
    勝利のシンボルでした。

    なぜなら
    罪のない神のひとり子
    イエスキリストが
    わたしたちの罪の刑罰を
    受けて死ぬことによって
    父なる神のわたしたちに向けられた
    刑罰が執行されたと見なされ

    イエス様を信じる人は
    晴れて、イエス様の流された血潮に免じて
    罪が赦されることが
    確定的になるからです。

    イエス様は十字架で血を流し死んで
    葬られましたが
    三日後に墓より蘇られたことは
    歴史的な事実です。

    その動かぬ証拠として
    今もエルサレムに現存されている
    空っぽの墓と
    復活のキリストと
    出会ったという
    数多くの弟子たちの
    命がけの証言が
    今も
    説得力を持って
    私たちに迫ってきます。

    今も世界の20億人以上
    のイエスキリストを信じる人たちが
    信仰のよりどころとしているのが
    これらの事実なのです。

    「血を注ぎだすことがなければ
    罪の赦しもないのです。」
    (新約聖書 ヘブル9:22))

    この世では
    血を流したら敗北者

    しかし
    聖書でいう勝利者とは・・・
    「世に勝つ者とはだれでしょう。
    イエスを神の子と信じる者ではありませんか。」
    (新約聖書 1ヨハネ5:5)

    この世では
    勝利者は一人〔1チーム)だけ

    しかし聖書では
    イエスキリストを神の子と信じる者はすべて
    この世にあって
    勝利者なのです。

    どういう意味で勝利者なのでしょう。

    それは罪が赦されて
    天国へ行けるという意味での
    勝利者なのですね。!







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