郵便受けに
大きな茶封筒
開けてみると
「有珠優健学園思い出集」
(昭和26〜28年同期会)
が入っていました。
編纂作業の労を
とられたOさんからの
丁寧な自筆のお手紙も
同封されていました。
素晴らしい労作です。
私は
昭和46年1971年:小学3年(水口フサ子学級)
昭和47年1972年:小学4年(小野数馬学級)
昭和48年1973年:小学5年(西岡勇吉学級)
昭和49年1974年:小学6年(渡辺敬一学級)
合計約4年間にわたって
有珠優健学園
〔北海道唯一の虚弱児施設)で
お世話になりました。
1ページ目には
あの懐かしい寮歌が〜
ああ、がくえんの春よ春〜
はなのしとねの、ゆめながく〜
ともよ〜きたえ〜ん〜み〜と〜こ・こ・ろ〜
5〜7ページ目には
有珠優健学園の創設から変遷までが
詳しく記録されています。
8〜9ページ目には
沿革年表(1950〜1957)
10〜11ページには
お世話になった
先生・在職者一覧
12〜16ページには
「学園便り」からの抜粋
17ページには
歌集
18〜25ページには
投稿文
26ページには
学園新聞
(ガリ版のもの)
などなど
思い出集の中で
Y先生が
「・・・今後は皆様方の後輩にひきついで
いただけないものでしょうか
どうぞよろしくお願いします。
(今回の発起人の方々→釧路の山形君などいかがですか)
と名指しで、お声がかかり
大先輩のO様からも
じきじきにお手紙で
「これから山形様が中心になられて
いつまでも有珠優健学園の歴史と
清く、剛(正)しく、
美しく学んだ療育の生活を
伝えていただけませんでしょうか。
お願い申し上げます。・・」
と丁重にご依頼がありまして
なんと恐れ多いことかと
逡巡する思いでいるところで
ございます。
自分が当時お世話になった両親はじめ
優健学園の職員の皆様や
学園の歴史を刻まれた
諸先輩方のご尽力の
並々ならぬ大きさを
覚える時に
そのご恩の数々に
応えていくには
私では器があまりにも
小さすぎると思いますので
最初のステップといたしましては
当時の自分の療養記録を
これから折に触れて
資料と記憶をたどりながら
分かち合わせていただくことで
まずはご勘弁を賜りますよう
よろしくお願いします。
私は、主のみわざを思い起こそう。
まことに、昔からのあなたの
奇しいわざを思い起こそう。
(旧約聖書 詩篇77:11)
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