昨晩は
釧路刑務支所にて
1人の男性の
方と宗教教誨の
時を持ちました。
一対一だと
他の受刑者の方々への
気遣いや
警戒心を抱く必要がないので
とても心を開いて
ご自分の心のうちを
話してくださいました。
表情も
いつもより
穏やかで
安心しきって
おられるようでした。
まるで
幼児のようでした。
1時間という
制約の中で
ゆったりと
語り合いました。
なんで
この方が
刑務所に
いるのか
わからなく
なってしまうほどです。
この方は
1年半ほど
聖書の言葉に
触れておられます。
キリストの言葉は
人の心も
表情も
造り変えてしまう事が
できるのだなあと
つくづく思います。
最初に
お会いした時と
別人のようです。
神の前に
罪を悔い改めて
イエスキリストを
自らの
救い主として
信じて
歩まれると
こうも
変えられる
ものなのですね。
イエスは
今も
生きておられることを
実証するかのようです。
この方と
次に
お会いできるのは
2ヵ月後です。
かつて・・・
釧路で
薬局一家殺人事件という
悲しい出来事がありました。
釧路市民で
当時のことを
知る人は
きわめて少なくなって
きていることでしょう。
この事件の裁判で
死刑宣告を受けられた
Aさんは
札幌拘置所で
手のつけられない
粗暴な態度を
繰り返し
刑務官の方が
さじをなげるような
状態でした。
刑務官の方が
キリスト教の
宗教教誨師に
Aさんのことを
委ねました。
Aさんは
聖書の言葉に触れてから
みるみるうちに
変えられ
態度や
素行が
がらりと
変えられ
拘置所でAさんの
ことを
知る人は
みな
驚きました。
Aさんは
内側が
生まれ変わったような
状態で
死刑執行の日を
迎えられました。
Aさんに
聖書を語られた
その教誨師さんから
直接聞いた
話しですが・・・
Aさんは
心から罪を
悔い改めて
イエスキリストの
十字架のあがないを
信じて
罪の赦しと天国を
を信じつつ
この地上で
犯した罪の
報いを慎み深い
態度で
受け取るべく
絞首場へと
祈りをもって
進まれたとのこと
どんな極悪非道と
思われている人も
聖書を
とおして
キリストの
いのちがけの
愛と出会うときに
変えられるのですね。
それは
刑務所の
中でも
外でも
同じことですね・・・。
あきらめないで・・・
イエスはこれを聞いて、
彼らにこう言われた。
「医者を必要とするのは
丈夫な者ではなく、
病人です。
わたしは正しい人を
招くためではなく、
罪人を招くために
来たのです。」
(新約聖書 マルコの福音書2:17)
だれでも
キリストのうちにあるなら
その人は
新しく造られた者です。
古いものは
過ぎ去って
見よすべてが新しくなりました。
(新約聖書 2コリント5:17)
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