今日は
50代男性Aさん宅を
うかがい
お話をうかがいました。
奥さんを
殴ったことが
きっかけになったというか
決定打になったというか
Aさんは
妻子を失い
仕事を失い
現在は
お1人暮らし
精神的に
追い詰められて
朝から叫んだり
自らの腕をかじる
自傷行為に
及んだり
して
心の苦悩を
吐き出す場が
ない混乱した状況に
ありました。
かつて
奥さんに
暴力を振るう
典型的男性の
イメージとして
お酒を飲んで
酔っ払って
暴力に及ぶ
男性のイメージや
ギャンブルや
女遊びに
ふけって
暴力に及ぶ
男性のイメージ
をもったことがありましたが
Aさんは
お酒は一滴も飲まず
ギャンブルも皆無
まして女遊びも皆無
まじめで
社会的にも
尊敬される
立場の
男性です。
光熱費を節約するために
日没後は
布団にくるまり
懐中電灯での生活が
続いているAさんです。
かつては
雨水さえも
貯水し
それを
トイレの排水用に
用いて
水道代の節約に
努めた事もあるAさんです。
東北地方の
話ではありません。
奥さんを殴ってしまった
Aさんは
殴るまでの
長い間
その怒りの
積算量は
徐々に
増えて
まさに
福島原発
周辺地域の
放射能積算量のように
ある時
ついに
危険値を越えて
しまったようです。
奥さんに暴力を振るう男性は
「とんでもない悪党」
というイメージを
もたれがちですが
Aさんは
自分自身の怒りを
コントロールするために
相当の努力を
してきたようです。
感情を制御しきれない
自分が
何をしでかすかわからない
不安に
かられたAさんは
ある時に
深夜に
家中の包丁類を集めて
鍵のついた
所に
隠してしまった
こともあったそうです。
それほど
自分の内側に
蓄積される怒りの
積算量の大きさに
恐れを抱いたのです。
温厚そうで
まじめな男性なのです。
なぜこの人が・・・
と思われるかも
しれません。
今までのお話をうかがうと
小さい頃から
緊張感の漂う
家庭環境の中で
感情を押さえ込まれたような
生活のなかで
育てられて
少年時代を
送られてきたようです。
怒りをふくめた
いわゆる否定的な感情を
押さえ込んで
それらを
表現する場がなく
いわゆる
我慢
我慢の
連続の生活を
送ってこられたようです。
「あの時
もっと怒っても
よかったのに・・・・」
という場面がいくつも
あったように
思います。
怒ってもいい時に
飲み込んでしまい
いつの間にか
それが屈折した形での
表現として
爆発してしまったようです。
今の日本の法律では
殴ってしまったら
たとえ夫婦であっても
もう「悪者扱い」
「犯罪加害者扱い」
されてしまいます。
そして
それまで
親しかった人々も
去ってしまいます。
夫婦問題と言うのは
必ずしも
どちらが
加害者
被害者
と色分けする事が
困難な場合もあります。
ある場合は
どちらも
当事者といったほうが
いいかもしれません。
そして
夫も
妻も
傷ついた心が
あるので
どちらも
癒される必要が
あると思います。
DV男性が
共通してもちがちな
生い立ちの中で受けた
癒されきっていない
心の傷の問題や
生育歴の中の
父親
母親とのかかわりの中で
握りしめてしまったかもしれない
歪んだ
人生観や先入観や
隠れた怒り、
隠れた悲しみ
隠れた憎しみ
などが
結婚生活の中で
形を
変えて出てきたようにも
思います。
それにしても
問題が
大きくなる前に
何とか
Aさんご夫妻が
周囲から
サポートを
受けられなかったものか
と残念で
なりません。
日本では
夫婦間の
問題を
第三者に
分かち合うことに対して
羞恥心が
働きます。
まして
社会的に
ある程度の
立場や
職責のおありの方の場合
問題を
知られることに対する
恐れも働きます。
いつの間にか
孤独になってしまいます。
自分の苦悩を
シェアできる
仲間が
本当に
必要ですよね。
暴力を振るわれた
妻の側は
不安と恐怖で
びくびく状態にあると
思いますので
安心して生活できるように
誰かがかくまってあげる
必要があると思います。
そして
癒されるように
手助けが
必要です。
それと
同時に
一方暴力を振るってしまった
夫の側も
自己嫌悪と
怒り
と罪責感で
おどおど状態にあると
思います。
誰かが
話を聞いてあげたりして
癒しのプロセスを
とおる必要が
あるように思いました。
誰もが傷ついて
痛んでいるのだなと
思いました。
「落ちぶれてしまった・・・・」
「何のために
生きているのか
わからない・・・」
「体が
動かなくて
便秘状態・・・」
と何度もため息をつく
Aさんは
生活の糧を得る
手段も
失い
途方にくれておられました。
その悲嘆にくれた
表情が
頭から
離れないでいます。
慰め主なる
イエス様が
Aさんと
その奥さまを
癒されますように
イエス様は
私たちの
の罪と傷を背負って
十字架で
身代わりに
痛みを受けて
死んで
よみがえられました。
イエス様は
この地上で
もっとも
傷ついた方ですので
この地上で
どんなに傷ついた人の
傍らにもこられて
同情し
理解し
慰めることが
おできになります。
ああ、私は悲しい。
この傷のために。
この打ち傷はいやしがたい。
そこで、私は言った。
「まことに、これこそ私が、
負わなければならない病だ。」
(旧約聖書 エレミヤ10:19)
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