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全国の伊達直人さんへ
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     最近
    「伊達直人」を
    名乗られる方々が
    全国あちこちの
    養護施設に
    ランドセル等を
    贈り物として
    置かれていることを
    うかがいました。

    「矢吹丈」(あしたのジョーの登場人物で
    やはり養護施設出身)さんも
    登場されてきたそうですね。

    ほほえましいことです。

    中には
    名前を名乗るべきだとか
    なぜランドセルなのかとか
    個数が足りないとか
    色々な否定的、批判的コメントを
    なさる方もいらっしゃるようですが

    きっと全国の
    伊達直人さんたちは
    伊達直人さんなりの
    お考えがあって
    そのようになさって
    おられるのだと思います。

    ただこれを機会に
    全国の伊達直人さんたちに

    養護施設の中身について
    そこで生活している
    子供たちが何を考え
    何を思っているのかを
    知っていただくことができたら
    なお幸いかなあとも思います。

    私は
    北海道
    伊達市にある
    有珠優健学園という
    児童養護施設で
    育ちました。

    私が居た時分は
    北海道唯一の
    虚弱児施設として
    知られていました。

    北海道各地から
    小学生の
    病弱児
    虚弱児が
    集まってきていました。

    一部屋8人

    8部屋まであり
    64人の定員でした。

    私を含め多くは
    小児喘息を患う
    子供たちでした。

    全員が胸に名札を
    つけているのですが
    その名札には
    病弱さのレベルが
    色分けで区別されていて
    優良はAで
    A〜Dと
    なっていました。

    私は
    Dでした。

    つまり
    私は
    北海道の虚弱児中の
    中でもさらに虚弱児として
    ランクインされていたのです。


    当時は今のように
    テオフィリン製剤も
    開発されていなければ
    ステロイド吸入による
    予防薬もない時代でした。

    喘息は

    「根性で治せ!」

    「味噌汁を薬と思って治せ!」

    「甘ったれているから
    喘息になるんだ!」

    喘息発作を起こすこと自体が
    罪でも犯しているかのように
    思われたような時代です。

    苦しがったら
    叱られた時代です。

    生活規則は
    厳しかったです。

    毎朝6時半に
    起床
    乾布摩擦
    ラジオ体操
    掃除
    朝食
    朝学習

    登校
    昼食
    昼寝
    学校
    自由時間
    おやつ
    自由時間
    夕食
    自習時間
    点呼をとって
    就寝は
    午後7時半です。

    それでも
    それが日常になると
    ちっとも
    厳しいと感じなくなるのですから
    不思議なものです。


    私が有珠優健学園に
    居た頃
    嬉しかったのは
    何と言っても
    外部から
    慰問を受けることでした。

    何せ毎日
    24時間
    同じ顔を見続けながら
    生活している

    それが
    虚弱児施設や
    養護施設の
    こどもたちの
    実態ですから

    外部の人との
    交流が
    とても新鮮に
    感じられるのです。

    私が
    優健学園にいたころも
    時々慰問に訪れてくださる
    団体があり
    体育館で
    ゲームをしてくれたりして
    それはそれは楽しかったです。

    演劇鑑賞や
    合唱の披露もいいのですが

    一緒に遊んでくれるのが
    一番嬉しかったということを
    記憶しています。

    何かを贈呈されたことも
    あったのでしょうが

    覚えているのは
    「アルバム」ですね。

    忘れもしない
    当時の
    北海道知事
    堂垣内尚弘氏からのものです。

    ご自分のポケットマネーで
    贈呈してくださったのか
    どうか
    そのへんのことは
    わかりませんが

    ありがたかったと
    記憶しています。

    素直に
    「知事さんって
    いい人だ」と思いました。

    ところで
    養護施設などの
    子供の集団生活というのは
    予想以上に
    結構大変です。

    学校生活の場合は
    限られた時間だけ
    生活を共にするわけですが

    養護施設は
    四六時中
    同じ顔を見ていないと
    なりません。

    いじめがあっても
    決してそれが
    表面化されることは
    まずほとんど
    ありません。

    仕返しが
    怖いからです。

    虚弱児といえども
    罪人ですから

    縦の人間関係が
    そこには
    自然とできあがり
    陰湿ないじめが
    横行します。

    いじめられても

    不登校という方法で
    または引きこもりという方法で

    避難することが
    出来ません。

    家は
    遠くかなたにあり
    お金も所有していないので
    逃げようがありません。

    家に
    電話することも
    出来ません。

    私がいた時分は
    毎週月曜日に
    家族にお手紙を
    書く時間が
    あるだけです。

    それが家族との唯一の
    コミュニケーションです。

    もちろん
    その手紙は
    保母さんが閲覧しますから

    まちがっても
    「母さん、助けて、
    いじめられているんだ」
    なんてことは
    書けません。

    私も含め
    多くの園児たちが
    決まって書いたことは

    「おうちの皆さん
    お元気ですか
    僕は元気です。
    こちらは寒くなってきました。
    学校では〜を勉強しています。
    今度行事で〜へ行きます。
    楽しみです。・・」

    まちがっても
    班の中の人間関係のこととか
    いじめなどについては
    いっさい言及できません。

    いじめられると

    ひたすら
    布団をかぶって
    声を潜めて
    泣くことしか出来ません。

    私は
    小学4年の頃は
    毎日
    班長の上級生から
    「気色悪い」と
    言われ続けました。

    両手を
    押さえられて
    とび蹴りを
    食わせられた
    こともありました。

    私の記憶のある限りでは
    人生で
    初めて
    「人を憎む」
    ということ

    初めて
    「人を呪う」
    ということを

    選ばざるを得なかった
    時期です。

    その施設には
    大ボスがいて
    毎週
    「文房具などの買い物」の
    日が
    あるのですが

    私を含めて
    すべての下級生たちが
    そこで購入したノートやら鉛筆やら
    消しゴムなどを
    大ボスである
    〇〇様に献上することが
    慣わしになっていました。

    その大ボスは
    頭が良くて
    成績はオール5
    ハンサムで
    スポーツマンで
    大人受けする笑顔で
    リーダーシップをもち
    大人受けする正義感をもち
    大人を喜ばせる秘訣を
    熟知していました。

    大人をだます
    パフォーマンス
    技術にたけていました。

    全教職員と
    全保母さんが
    見事にだまされました。

    私が
    卒園後
    最もベテランの
    保母さんに
    大ボスの正体を打ち明けたら

    驚いて
    「全然、分からなかったわ、
    ごめんなさいね。」
    と謝罪してくださいました。

    この言葉で
    どれほど
    救われたことでしょう。

    きっと
    誰かに
    謝ってもらいたかった
    のでしょうね。

    職員うちひとりも
    その大ボスの
    真の姿をしりませんでした。

    しかし私を含めた
    園児たちは

    「あいつがいなくなれば
    どれほど優健学園は
    平和になることだろう」

    と誰もが口には
    出さなかったけれども
    心では
    思っていたことでしょう。

    この施設生活では
    家庭に帰れるのは

    1年間にわずか2回
    夏と冬の家庭療育期間
    それぞれ約10日間程度

    その期間に
    私は
    ミニカーを買ってもらいました。

    そのミニカーがとても気にっていて
    「十勝日誌」
    という菓子箱に
    「僕の宝物」と書いて
    そのミニカーを入れて
    施設に戻ったのですが
    戻った翌日
    大ボスがやってきて

    「ちょっと、その箱の中
    見せてみて。」

    と言われて

    そのミニカーを見せたところ

    「いいなあ、このミニカー
    俺の国語辞典とばくらないか」

    ここで断ったら
    とび蹴りや
    陰湿ないじめが来るのは
    目に見えていました。

    涙を呑んで
    その取引に
    応じるしかありませんでした。

    大ボスは
    上機嫌になり、

    今度は私をひいきし
    食事の時に通常
    廊下に順番に
    並ぶのですが
    大ボスは
    私を手招きして
    前に入れてくれました。

    皆は
    大ボスの心をつかんだ
    私をうらやましがっていましたが
    それはわずか2〜3日だけのことなのを
    知っていた私は
    ちっとも嬉しくないのですが

    無理して嬉しい顔をしなければ
    ならなかったのです。

    自分が
    最上級生になったら
    絶対に
    この大ボスにようには
    ならないぞ!
    と思ったものです。

    なぜ、こういった
    私の経験を披露させて
    いただいたかというと

    全国の伊達直人さんたちに
    児童施設とか
    養護施設とか
    養護学校とか
    いわゆる
    24時間集団生活を
    せざるを得ないこどもたちの
    心理状態は
    結構大変なものであるということを
    知っていただきたかったからです。

    そしてランドセルは
    皆に公平に当たらなければ
    かえって処分に困ってしまい

    せっかくの伊達直人さんの
    善意が空回りする事を考えると
    もったいなく思うものです。

    せっかく大切なお金を
    子供たちのために
    費やされようと
    しているのでしたら

    高額なランドセル3つよりも
    むしろ文房具とか
    を児童人数分差し上げるほうが
    伊達直人さんのご好意が
    もっと適確に
    伝わるんじゃないかと
    思います。

    その際に
    私がいた施設のように
    いじめっ子に対する
    上納制度がひそかに
    行われているケースも
    想定されるなら

    お手紙に

    「伊達直人より
    施設職員の方へ
    お手数ですが
    もしさしつかえなければ
    この文房具にこどもさん
    一人ひとりの
    名前をペンで書いてあげてください。
    すべての子供たちに
    公平に行き届かせたいので・・・」

    と添えられると
    上納制度も回避
    できるかと思います。

    いずれにしても
    伊達直人ブームは
    ほほえましいブーム
    だと私は思います。

    ちなみに
    私が居た
    有珠優健学園は
    何を隠そう
    現在「伊達」市です。
    (当時は有珠郡伊達町字有珠36番地でした。)

    数年前
    私は自分の母園の
    有珠優健学園に
    訪れて
    その変容ぶりには
    驚きました。

    今は虚弱児施設
    ではありません。

    医療進歩の
    影響もあってか
    喘息治療が進んだこともあってか

    現在は

    情緒障害児の
    治療施設的機能をもたせるように
    なりました。

    肥満児や様々な
    家庭事情の中から
    来ている子供たちが
    そこには居ました。

    建物は変りませんが
    その建物の中にいる
    彼らの時間の費やし方は
    がらりと昔と変っているのを見て
    驚きました。

    ほとんどの部屋で
    テレビゲームとかの類を
    していて

    子供たちの声が
    聞こえてこないのです。

    異様な光景でした。

    私たちが居た頃は
    みんなで卓球をしたり
    ソフトボールをしたり
    ゲームをしたり
    「集団で何かをする」のが
    いわゆる「自由時間」の
    費やし方でした。

    私に居た時分は
    テレビは
    1台しか
    ありませんでした。

    1台のテレビの前に
    何十人ものこどもたちが
    集まって
    一つの
    番組を見る

    それが
    タイガーマスクであったり
    宇宙戦艦ヤマトであったり
    したのです。

    これから
    有珠優健学園は
    果たして
    どこに向って進んでいくのだろうか
    卒園生の1人として
    とても案じているところです。

    いつか
    有珠優健学園の卒園生の
    集いが出来たら
    いいのになあ
    と思います。

    もしこのブログを
    ご覧になっておられる方で
    有珠優健学園の
    出身の方がおられましたら
    ご一緒に声をあげませんか?


    あなたは、施しをするとき、
    右の手のしていることを
    左の手に知られないようにしなさい。
    (新約聖書 マタイの福音書6:3)

    これはイエス様が
    弟子たちに教えられたことですが

    「自分が施しをする時に
    それを他人に吹聴しない」

    というレベル(匿名の善意の勧め)を
    はるかに超えた教えです。


    「右の手のしていること」を
    左の手にさえ知られないように

    とは
    自分が施しをしている時に
    「自分が施しをしているんだ」
    ということさえも
    意識しないということです。
    つまり(無自覚の善意の命令)です。

    ですから
    「伊達直人」と名乗り
    人々が騒ぐ姿を見て
    ひそかに
    「おれが、その伊達直人なのさ、」とさえ
    心の中で思わない
    ということです。
    すごい命令ですよね。

    こういう施しこそが
    主イエスが
    弟子たちに
    命じる善意のあり方なのですね。

    施す人の心の中に
    少しでも
    「私に感謝してもらいたい」
    「ありがとうって言って、もらいたい」
    という気持さえも起こらない
    そんな領域の
    施しの善意が
    この日本に広がるならば
    素晴らしい思いますね。

    こんだけしてやっているのに
    なんでありがとうの一つもないのか

    というような
    善意の押し付けという
    風潮がなくなればいいなあと思います。

    主イエスの善意のきわみ
    それは十字架で
    私たちの罪の刑罰を
    身代わり受けて
    死んでよみがえることによって
    成就されました。

    少しでも
    その愛に
    生かされていることを
    意識しながら

    自分も主イエスの
    望む伊達直人を
    めざしたいと思います。


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    カテゴリ:- | 13:56 | comments(34) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    明日香さん

    私は確か1982年に4年生で卒園しましたよ。
    違う世代の学園の方と交流できて嬉しいです。

    牧師さんに感謝ですね。
    私は男で現在は江別でラーメン屋と中古車屋を営んでおります。
    | kan | 2013/02/07 11:03 PM |
    ●Kanさん
    コメントのお返事ありがとうございます。
    あれから色々ネット調べてみました。
    で、今は、北海道の伊達市松ヶ枝町というところに移転して。
    学園名は、変わっていて「バウムハウス」っていうところだそうです。それと、情緒障害児短期治療施設になってるみたいですよ。
    Kanさんって、1988年も在園されてましたか?
    私は、その頃に入学と同時に入園しました。
    Kanさんって、男性ですか?女性ですか?
    私は女性です。
    | 明日香 | 2013/01/28 4:12 PM |
    明日香さん どこか分かりませんが移転して内容もかなり変わった様子です。
    | kan | 2013/01/27 7:02 PM |
    ●Hiroさん
    コメントのお返事ありがとうございます。
    それとアドレスを載せて頂きありがとうございます。
    不特定多数の方々が見てる中ですからね。理解はしているつもりです。
    ●のりちゃんさん
    小学4年生の頃、佳那子ちゃんっていうお名前、確か聞き覚えがあります。
    アドレス、Hiroさんが載せてくれました。
    もし、このコメントとアドレス貼ってくれたアドレス見たら、メールお待ちしてます。
    森本先生、懐かしいですね☆
    年賀状のやりとりなさっているんですね。
    のりちゃんさん、卒園されたのはいつ頃でした?
    私の名前、明日香っていうのは本名なんですが、聞き覚えありますか?
    | 明日香 | 2013/01/25 4:31 PM |
    明日香さん、今までコメントされる方の
    アドレスを貼ったことがありませんでした。というのは、このブログは様々な方がごらんになっておられるので公開する際には慎重を期さなければならないと考えていました。今回は明確にご希望が確認できましたのでおのせしますね。toganys5804.duphi3539-1170mzmz@docomo.ne.jp
    | Hiro | 2013/01/25 3:01 PM |
    ●Kanさん
    初めまして、コメントありがとうございます。
    今は、老人施設なんですか…。
    優健学園は、現在はどこか移転でもされたんでしょうか?
    ネット検索で、私の優健学園の恩師である米山先生や奥出先生のお名前をなんか見掛けるんですよね。
    ●Hiroさん
    あの、前回メールアドレスを貼ったのですが。
    表示されていなかったんですが
    なぜでしょう?
    のりちゃんさんともっとお話したいなって思ってアドレス貼ったのですが。
    | 明日香 | 2013/01/25 1:05 AM |
    明日香さん

    お返事ありがとうございます☆
    一緒の時ですかぁ??アドレスが、何処にあるのかわかりませんでした(+_+)
    佳那子です。わかりますか?

    小学校四年生を優健で過ごしました。
    森本先生とは、年賀状のやりとりしてますよ☆
    | のりちゃん | 2013/01/25 12:40 AM |
    明日香さん、もう学園はなくて老人施設が建っています。

    私は海洋センターの水泳が大好きでした。
    | kan | 2013/01/23 8:21 PM |
    ●のりちゃんさん
    コメントのお返事ありがとうございます☆21年前だと、1992年ですね。私が卒園したのが、1991年の夏でした。私が卒園した年にのりちゃんさんがもし在園されていたときなら、同じ時期だったかもしれません。その頃、在園されていましたか?そうだったとしたら、たぶん同じ部屋だったと思います(笑)。
    私も確か班の担当先生だったのが森本先生と田中先生です。確か、卒園する時期に森本先生や田中先生とそして同じ部屋だったお友達から寄せ書きの色紙をもらったので。メールアドレス貼ったので、よかったらメール下さい。
    たぶん、フルネーム教えて下されば、わかります。
    ●Hiroさん
    徒歩訓練なかったんですか!!!教えて下さってありがとうございます。
    またコメントさせて頂きます。
    | 明日香 | 2013/01/23 3:30 PM |
    明日香さん、私の時には、徒歩訓練はありませんでした。毎朝、乾布摩擦とラジオ体操、ランニングがありました。春はアルトリ岬遠足、夏は、有珠海水浴場での海水浴、秋は有珠山登山、(噴火前だったので銀沼が美しかったです。)冬はスノースレー大会がありました。普段はみんな、卓球とドッジボールで汗を流していましたね。
    | Hiro | 2013/01/23 2:42 PM |
    Hiroさん、こんにちは。
    コメントのお返事ありがとうございます。
    吉村先生って、本当に厳しい面や優しい面がありますもんね。当時は、色々とお世話にもなりましたからね。
    優健学園って、今は当時の場所にあるんでしょうか?
    なかなか訪れることできませんが、機会あるとき訪れてみたいものです。
    機会あるときっと言ってもいつ日やら(笑)。
    昨日、アルバム引っ張りだして、優健時代の写真見ました。
    キジ公園までアスレチックで遊んだときとか、徒歩訓練のときとか。徒歩訓練のとき、ゴールが洞爺湖にあるかんぽの宿で記念写真撮った写真とか。
    色々ありました。
    あと、洞爺村にある青年の家に宿泊して2日目の朝に体育館で朝の体操している写真とか。
    当時の1日目は、確か青年の家でゆっくりした覚えがあります。2日目が徒歩訓練スタートした感じでしたね。
    なんか、少しずつ詳しく思い出されてきます。
    Hiroさんのときは、徒歩訓練っていうのはありましたか?
    また、コメントさせて頂きます♪
    | 明日香 | 2013/01/23 12:11 PM |
    明日香さん、コメントありがとうございます☆
    そうです、そうです!私の知っている岩田先生も男性です。
    先生方の名前もみんなわかります☆もしかすると同じ時期だったのでしょうか??私は21年前になります。
    私の部屋の保母さんな森本先生と田中先生でした。
    | のりちゃん | 2013/01/23 10:23 AM |
    kanさん、そうでしたか・・・コメントを見ながら笑ってしまいました。吉村先生ならそこまでやるだろうなと思いました。今そんなことをしたら、マスコミが黙っていないかもしれませんが、本気で愛してくれた証しですよね。私も在園中、特に小6の時に、特に吉村先生から目をつけられていました。特に私が卒園後、普通の中学校へ行ってついていけるか心配して中1の参考書を買って勉強していたら、こっぴどく怒られたことが印象に残っています。吉村先生のこどもたちを見る洞察力はそれはそれはすごいものでした。ずばずば歯に衣を着せぬ言葉で真実を語ってくれました。厳しさの中にも愛が感じられる「母親」的存在でしたね。優健を支えていたのは、園長さんでも、事務長さんでも、学校の先生でもなく、吉村先生だったと今でも思います。あれから後、職員制度が変わり、大学とか出ていわゆる国家資格をとった「指導員」と呼ばれる経験の乏しい職員が入ってきたことで、学園は様変わりしてしまったと私は感じました。こどもたちの心を熟知していない、知識だけの若い職員が立場上は、経験ある吉村先生などの上司という立場に立ったことで、保母さんが自由にこどもたちにかかわるのが難しくなってきたようです。私がいたときには、こども同士のかかわりがきわめて濃密で、そういう子供同士の人間関係づくりのために吉村先生などは尽力されていましたが、保母さん以外の職員の介入で、こどもどうしのかかわり方が、無機的というか、人間味が感じられないとか、教科書的というか、「母なる存在」である保母さんたちのありかたが軽んじられていったことが学園を疲弊化させていったように私は個人的に感じました。事実私は、後年学園を訪れたときに、寮の部屋の子供たちが
    皆個々に液晶ゲームに興じていて「コミュニティ」というイメージからはかけ離れた姿がそこにはあって、職員たちのかかわり方もきわめて無機的で、非人間的であるとさえ感じました。私は職員たちの態度を見て「お前ら、真剣にこどもたちとぶつかり合っているのか!給料のために仕事しているやつはやめろ!」と叫びたかったほどです。私がいた時分は、吉村先生はじめ保母さんたちは常にこどもたちとかかわっていました。私は、保母さんたちの後のジレンマをなんとなく理解できました。あの施設に必要なのは、指導員ではなくて「母なる存在」と「父なる存在」であって、頭でっかちの指導員ではない!就職先がなくて来たような人がいたらごめんこうむりたいと思ったほどです。昔の優健を復活させたいと思いましたね。そして、私が施設運営するなら、私が面接をして「母なるハート、父なるハートをもっているか」を基準に採用したいです。家庭崩壊が進んで、母性愛や父性愛に飢え乾いたこどもたちが増えている今日の状況において、優健学園は復活させたいと思うものの一人です。
    | Hiro | 2013/01/22 10:24 PM |
    明日香さん、吉村先生は、保母さんの中でも最ベテランで
    鋭く、ほかの保母さんなら言いすらいことでも、ずばずばとおっしゃってくださいました。これぞ本当の「保母さん」だと思いましたね。私も含め児童たちは一目置いていました。優健を支えていたのは、あの吉村先生じゃないかと思えるほどでした。感謝しています。
    | Hiro | 2013/01/22 9:54 PM |
    私は卒園30年なります。
    吉村先生はおられましたよ。
    優しく、そしてとても厳しい良い先生で大好きでした。
    まだご存命とは嬉しいです!
    先日、母と吉村先生の話しをしたばかりでした。

    もしご迷惑でなければ私も吉村先生にお便り出したいと思いますのでお伺いを立てて頂ければ幸いです。

    菅野(かんの)と伝えれば分かると思います。かなりの悪ガキだったので記憶に残ってるハズです(笑

    女子の入浴時間に仲間一人と覗いて吉村先生に見つかり、素っ裸にされ風呂場で女子達の前に立たされた事があらるのを思い出しました(笑
    | kan | 2013/01/22 7:44 AM |
    ●Hiroさん
    こんばんは。本当に素敵な思い出がどんどん思い出されますよね。懐かしさ、というか(笑)。
    私も吉村先生知ってますよ。1年生の頃、私の座布団があって、それをよく使っていました。学校終わって寮に戻って来たら「借りてたよ!」って言ってました。
    懐かしい先生です。
    ●のりちゃんさん
    初めまして、私も奥出先生と岩田先生(男性)知ってますよ。懐かしい先生ですよね。
    米山先生、村井先生、渡辺先生とかの先生とかもいたと思いますが、のりちゃんさん知ってます?
    のりちゃんさんは、いつ入園されたのですか?
       
       
    またコメントさせて頂きます!
    では失礼します(o^∀^o)
    | 明日香 | 2013/01/21 12:02 AM |
    のりちゃんさん、はい、吉村先生は当時ややご高齢の女性です。当時は吉村先生を初め、数名の「保育の先生たち」が母親がわりをしてくれました。岩田先生は女性で、私が退園する少し前くらいに赴任されてきたように記憶しています。たしか手かざしをする方でしたかねえ。ちょっとうる覚えです。
    | Hiro | 2013/01/20 7:26 PM |
    吉村先生って、女の先生ですか??
    私の記憶では、年配だったような... (笑)
    色々、思い出してきました☆

    どなたか奥出先生や岩田先生を、ご存じの方はいらっしゃいますか??
    | のりちゃん | 2013/01/19 11:14 PM |
    Kanさん、コメント感謝します。あの丘がなくなっていたのですか?ショックです。裏は、亀岩と呼ぶことも知りませんでした。kanさんの頃は、保母さんで吉村先生はいらっしゃいましたかね?私は、卒園後38年たった今も、吉村先生とは年賀状のやりとりをしています。
    | Hiro | 2013/01/19 8:41 PM |
    ふと検索してみたらこのサイトを見つけました。
    自分は小学1年生に喘息で昭和53年か54年に入園して4年生の時に卒園しました。

    あまりに元気になりすぎて4年生で班長をやってからの卒園でした。ぶっちゃけ6年生まで居たかったです。

    数年前に訪れてちがう建物がたっていたのが残念でした。
    学園の向かいの丘は無くなっていましたが、学園裏の亀岩は見えた気がします。

    ここを出て普通の学校へ行ったら予想に反して自分が健常者より勉強もスポーツも出来たので驚いたのを覚えています。
    当時は物凄く厳しくて朝から3kmくらい走らされてた記憶がありますが今では良い思い出です。

    上級生は神でしたものね。

    自分も入園初日に泣き疲れて自習時間に居眠りをしていたら5年生にいきなりお腹を思いっきり蹴られて焼き入ったのを鮮明に覚えてますよ(笑

    | kan | 2013/01/19 2:46 PM |
    明日香さん、素敵な思い出がどんどん出てきていますね。私もね・・・ついでながら、6月には洞爺湖バス旅行で、遊覧船で中島へ行っておにぎりを食べたり、室蘭バス遠足で、なぜか地層を見学したり、洞爺湖サマーランドという温泉プールへ行ったり・・・、でもそれ以上遠くへは行けませんでしたね。そうそう、私が小学生の時には有珠には歯医者がなかったので、虫歯で伊達市の歯医者さんへ泣きながら通いましたね。私もテレビでソフトボールをしていて打席で打っている場面をスローモーションでどこかの民放番組が写して放映してくれました。運動会で一等を取った人には、室蘭民報という新聞社が記念メダルをくれたり・・・明日香さんのおかげで楽しい思い出が、次々ドラえもんポケットの中から出てくるようで感謝しています。
    | Hiro | 2013/01/17 11:41 PM |
    こんばんは、Hiroさん。
    あぁ〜私も確か、遠足でアルトリ岬行きました。あれは1年生のとき、初めての小学生として遠足したときでしたね。当時の写真あります(笑)。
    あと、夏はお祭りにも行きました。社会化見学のとき、昭和新山とか、わかさいも本舗の工場見学や招待されてあとキグレサーカス見に札幌まで行ってきたり。
    あと、苫小牧のファンタジードームにも行きました♪
    今はない遊園地ですけど、振り返ってみると色々と思い出が蘇ってきますよね。
    それから、TWTっていう徒歩訓練とかありました。
    この徒歩訓練のときにHBCさんが取材に来てました。湖畔を歩いてた私が映っていたみたいで、それを父が当時テレビで見ていました。
    父から聞きました(笑)。
    思い出すと、色々切りないです。
    またコメントさせて頂きましね(^-^)
    | 明日香 | 2013/01/17 5:28 PM |
    のりちゃん、コメント感謝します。21年前ですか?廃校になっったことは知りませんでした・・・。ショックです。あそこは私の第2のふるさとでした。「優健の会」でも造って、毎年、昔の思い出を分かち合ったり、励ましあったりして、集まりたいなあ・・・。
    | Hiro | 2013/01/16 11:25 PM |
    明日香さん、優健の思い出分かち合ってくださり感謝します。私の時代には、まだ有珠山が噴火する前でしたので、秋には有珠山登山で銀沼でおにぎりを食べたりしたものです。そして春は、アルトリ岬遠足、夏には有珠海水浴場へ水泳に行きました。冬は園庭の丘でスノースレー大会をして、戸外で豚汁とおにぎりを食べたりしたものです。北海道であれほどのどかなところは珍しいのではないかなと思います。札幌オリンピックの時には、みんなで旗を造って,聖火ランナーを街頭で応援したり、そうそう私のときもテレビ局が来て、ソフトボールをしていたところを撮影してくれたり・・・楽しい思い出が私も連鎖的に思い出してきましたよ。ありがとうございます。
    | Hiro | 2013/01/16 11:22 PM |
    初めまして☆
    21年前、私も優健学園で過ごしました。とても懐かしく思います。

    廃校になったと知って、とても寂しく思います。
    | のりちゃん | 2013/01/12 10:51 PM |
    コメントのお返事ありがとうございます。
    今は、元気にしています。
    ですが、中学あたりから肥満気味になって…とりあえず現在、少しずつ痩せる努力はしています。
    しかし、優健時代は華奢でしたがけっこう健康的に過ごしていましたよ。 
    優健時代、夏にキャンプは瀬棚とか大岸に行ったり。
    海洋訓練とかもあったり、HBCさんが取材に来たり。
    けっこういい思い出ばかりです。先生も信頼できる先生方々でしたよ。
    お友達もけっこうなかよしでした。同級生や年上のお姉さんのお友達もけっこうなかよしでしたから。
    あと、こちらのブログでコメント欄を初めて見たときは、私よりはるかに年上の優健ご自身の先輩様方々いてびっくりしましたね!
    またコメントさせて頂きます。
    失礼致します。
    | 明日香 | 2013/01/12 12:55 PM |
    明日香さん、はじまして。優健ご出身の方からのメールをとてもうれしく思います。おつらいところを通られたのですね。今はお体の調子はいかがでしょう。
    あの優健時代の思い出を胸に抱き、日々希望を抱いて歩んでまいりたいですね。イエス様の祝福が明日香さんの今日と、明日を支えますように!
    | Hiro | 2013/01/12 7:56 AM |
    私は、有珠優健学園で1988年に入学式当日に入園して小学4年の夏に卒園しました。虚弱体質でした、当時。
    あの頃のお友達とか先生に再開できてないのでいつの日か会ってみたいです。久しぶりに。
    私は、いま父と私の2人で千葉県に住んでます。
    あの頃の入園前は、祖父母宅の洞爺湖に住んでいましたよ。
    | 明日香 | 2013/01/10 3:03 PM |
    あんさん、はじめまして。というか学園でお会いしていたら初めてではなく、お久しぶりということになりますね。コメント感謝します。今もなおご闘病生活をされているとのことを伺い胸が痛みます。私は喘息のほうは「シムビコート」という吸入器で現在はしのがせていただいています。あんさんのお体が守ら、日々スムーズに呼吸が出来ますようにお祈りいたします。「ああ学園の夏の日は〜水着の色もあざやかに〜友よ〜きたえん〜身と心〜」園歌が思い出されます。
    | Hiro | 2012/08/12 8:48 PM |
    私は昭和49年に入所していました。
    偶然にブログを見つけてうれしい限りです。
    私は退院後も喘息や色々アレルギーに悩まされ、ずっと闘病中です。
    皆さまがお元気だとうれしいです。
    調子がよくなったら、有珠にいってみたくなりました。
    子どもながらに、苦しかったけれど、懐かしい思い出です。
    | あん | 2012/08/11 5:13 PM |
    通りすがりさん、コメントありがとうございます。
    私の時代は、平屋時代でしたので、私の先輩になられますね。その後お体の方はお元気になられたでしょうか?
    老人ホームになったとは知りませんでした。アイヌの方々のお墓があったこともはじめて知りました。懐かしい思い出が
    よみがえりますね。
    | Hiro | 2011/01/28 12:24 AM |
    山形さん、こんにちは、はじめまして。
    自分も有珠優健学園にいましたよ。
    それまでの古い木造2階建て(3階だったかな??)から現在の建物にちょうど建て変わったときで、昭和45年でした。
    とはいえ、その建物も数年前に廃校で無くなり、現在は老人ホームが建っているようです。
    老人ホームへの建て替え時の調査で、学園の跡地から先住民であるアイヌの墓(つまり人骨)が数基発見されたとの事で、そのニュースに接したときはどこか懐かしいような、ああ、そうだったのかという不思議な感覚を覚えました。

    通りすがりで申し訳ありませんが、そのうちまたひょっこりと顔を出すかもしれませんのでその時はよろしくです。
    | 通りすがり | 2011/01/27 8:55 PM |
    てんしちゃん様
    励まされるコメントに心より感謝します。ご紹介くださり光栄に思います。北海道のご出身の方なのですね。てんしちゃんさんのお働きがますます祝されますようにお祈りしています。
    | Hiro | 2011/01/12 8:51 AM |
    拙ブログにて、この記事を紹介させていただきました。とても説得力がある、興味深い内容でした。またお邪魔します。
    | てんしちゃん | 2011/01/12 12:09 AM |
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