2024.3.25
毎月第4月曜日に行われている
手作りの会の風景
いつもながら
和んだ雰囲気です。
皆さん、お優しいご婦人たちです。
いつも感心するのが
仲がいいこと。
それでいて
べたべたしていないこと
程よい距離間で
仲睦まじさを
保っておられて
いつも感心します。
今回はお茶をいただきながら
ご一緒に「備えあれば、平安あり。」
というテーマで
防災、減災について
考え合いました。
まずは、釧路市民として大切な心得として
釧路市のHpに載っている防災備蓄品について
確認し合いました。
その次に
災害時に
逃げ遅れる
人間の心理について
学び合いました。
ご近所同士
助け合うことも大切ですが
それと同時に
三陸地方の方々が
言い伝えて来られた
「津波てんでんこ」
(津波が来たら、ひとりひとりが、てんでん、ばらばらに
高台に逃げる意識を持つこと)も
重要な視点
たいしたことがないだろうと思って
写真や動画を撮っていたいた人が
犠牲になりました。
まさかここまでは来ないだろうと
思っていた人たち
校舎にいれば安全だと思っていた人たちが
犠牲になりました。
船室にいれば安全と思っていた人たちが
犠牲になりました。
ガスが充満していても
周囲の人が座っているので
自分も座っていて大丈夫だろうと
思っていた人たちが犠牲になりました。
これら4つの災害に共通するのは
正常バイアス
同調性バイアス
確証バイアス
そしてそこに
偽りの情報も
絡み合った結果
逃げ遅れてしまったということ
神の言葉である聖書によれば
「死後にさばきが定まっている」
災害は万が一に備えてですが
神の言葉で言っている「世の終わりのさばき」は
確実に起こることです。
この聖書の言葉を聞いても
依然として「だいじょうぶだろう」
「自分には降りかからないだろう」
「死後のことなんか誰もわからないじゃないか」
という態度をとり続けるなら
とんでもない永遠の後悔を身に招きます。
「キリストが多くの人の罪を負うために一度
ご自分をささげた」
この事実を
どういう態度で受け取るでしょう。
先ほど挙げた韓国の地下鉄放火事件の際は
地下鉄の運転手は、
非常用電源で稼働する
車内の扉を開けることを
しないまま
すなわち、乗客を車両に閉じ込めたまま
自分だけ避難したそうです。
セウォル号沈没の際は
船長さんは
船長服を脱いで
一般人を装い脱出ボートに載せてもらったそうです。
今年1月に羽田空港で起きた日航機の爆破の際は
機長は、最後まで機内を点検して
全員避難の確認してから
避難したのとはきわめて対照的です。
イエス様は
自分ひとりだけが十字架で犠牲になることによって
信じる人を
死後の世の終わりの裁きでもたらされる地獄の禍から
避難させてくださいました。
「キリストは、この私の罪を背負って十字架に
かかって死んでくださったんだ
なんと、ありがたいことだろう」
そう素直に受け止められる人は
幸いです。
イエス様の言葉を聞いて
イエス様を遣わした天の父を信じる者は、
永遠の命をもつ!という約束を
信じる者は幸いです。
先日、日本の大相撲の歴史に残る
千秋楽の大取り組みが
ありましたね。
新入幕優勝は110年ぶりだそうですね。
ケガをして休場もやむなしという
状況下でどのようにして尊富士が
出場を決意したか・・・
・・・引用ここから・・・
・・・救急車で運ばれた大阪市内の病院から、部屋に戻ると、
1度は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に出場を止められた。
「無理だろう」「どうするんだ、力も入らないし」と言われ、断念しかけた。
その後、自室に照ノ富士が「どうだ?」と、たずねてきた。
尊富士は「この状況はきついです。歩けないですし」と答えた。
そして言われた言葉に胸を打たれた。
照ノ富士 「お前ならやれる。記録はいいから、
お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。最後まで出ることが大事。
負けてもいいから。しょうがない。
でも、このチャンスは戻ってこない。
オレもそういう経験があるから」。
この言葉を聞き「言われた瞬間に、
少し自分であるけるようになった。怖いぐらいに。
さっきまで歩けなかったのに。
『立て』と言われたら(歩けるようになった)。
そこで『明日(千秋楽)、頑張ります』と言いました」
という経験をした。
再度、伊勢ケ浜親方のもとをたずね「出させてください」と伝えた。
「横綱に言われて急にスイッチが入った。
第2の自分がいるような感じだった」と、
不思議な力がわいてきたという。
そこから千秋楽の豪ノ山戦の快勝、
そして記録にも記憶にも残る110年ぶりの
新入幕優勝へとつながっていった。
・・・引用ここまで・・・
自分が尊敬する兄弟子から
言われた言葉でスイッチが入って
それまで立てなかったのに
立ったというのは、
聖書中で
それまで歩けなかった人が
イエス様に命じられて
または
イエスの名によって
立ち上がって歩きなさい
と命じられて
立ち上がったという
聖書の記事を想い出します。
人は、自分が愛し、尊敬する人の言葉によって
スイッチが入るものなのですね。
私たちは
イエス様の言葉の約束を聞いて
スイッチが入って
立ち上がらせていただきくことができます!
3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。
しかし、私にあるものをあげよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
3:7 そして彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 躍り上がって立ち、歩き出した。
そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、
神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
(新約聖書 使徒の働き3:6〜8)
私たちは、果たして
誰のことばで
スイッチが入るでしょう?
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