受難週 病む友と飲む ぶどう汁
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    2024.3.27

    私たちの教会の仲間であるAさん宅での

    まきびと集会

    パンさき(聖餐式)を行いました。

    Aさんは、胃ろうで栄養摂取しているので

    シリンジで

    液体のパンを

    キリストのからだを象徴するものとして

    いただきました。

     

     

    お母様が

    Aさんに

    シリンジに入ったブドウ汁を

    何度も見せながら

    イエス様が十字架で流された血潮によって

    罪が赦され

    きよめられて

    神様のこどもとされたことを

    覚えました。

    キリストの血にあずかる恵みを

    シリンジを通して

    お腹でAさんは

    かみしめました。

     

     

    とっても重たい鉄製の

    十字架

    その十字架に

    かかっている十字架のペンダントは

    Aさんのお父さまが長崎でAさんのために

    お土産に買って来てくださったものです。

     

     

    Aさんのために

    おひとりずつお祈りしました。

    Aさんは、国内ではたった一人という種類の

    難病を抱えながらも

    イエス様と共に

    平安を抱いて生活されています。

     

    ヘルパーさんは1日3時間

    月曜日から土曜日まで来てくださいます。

    Aさんを通して

    ヘルパーさんたちにも

    イエス様の愛が流れています。

     

    声を発することも

    あいうえお表による意思表示もできなくなった

    今でも

     

    Aさんは

    その尊い存在を通してなお

    語ってくださるので

    私たちは

    どれだけ長い時間

    滞在しても

    時間を忘れるほどです。

     

     

    今年46歳を迎えるAさんは

    とっても

    お若く感じられます。

     

    受難週にAさんと共に

    イエス様の十字架のみ苦しみを

    覚えるパンさき(聖餐式)に

    あずかることができて

    とっても幸いでした。

     

    私たちの罪のために

    十字架で死んで蘇り

    今も生きて働かれる主イエスが

    Aさんとともにおられます。

     


     私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、

    キリストの血にあずかることではありませんか。

    私たちが裂くパンは、

    キリストのからだにあずかることではありませんか。

    (新約聖書 1コリント書10:16)

     

    あなたがたはキリストのからだであって、

    一人ひとりはその部分です。

    (新約聖書 1コリント書12:27)

     

     

    私たちはキリストのからだの部分だからです。

    (新約聖書 エペソ書5:30)

     


    このみこころにしたがって、

    イエス・キリストのからだが、

    ただ一度だけ献げられたことにより、

    私たちは聖なるものとされています。

    (新約聖書 へブル書10:10)

     

     

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    群がりて ゴルフ場にて 鹿団欒 
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      2024.3.25

      釧路市桜ケ岡のパークゴルフ場で

      鹿たちが

      気持ちよさそうに

      憩っていました。

       

      まだシーズンが始まる前で

      鹿たちも

      我が物顔で占拠しているかのよう

       

      ということで、

      この近くを車で運転される方は

      ご注意ください。

       


      鹿が谷川の流れを慕いあえぐように

      神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

      (旧約聖書 詩篇42:1)

       

       

       

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      災いに 備えしわが身 御手の中
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        2024.3.25

        毎月第4月曜日に行われている

        手作りの会の風景

         

        いつもながら

        和んだ雰囲気です。

        皆さん、お優しいご婦人たちです。

        いつも感心するのが

        仲がいいこと。

         

        それでいて

        べたべたしていないこと

         

        程よい距離間で

        仲睦まじさを

        保っておられて

        いつも感心します。

         

        今回はお茶をいただきながら

        ご一緒に「備えあれば、平安あり。」

        というテーマで

        防災、減災について

        考え合いました。

        まずは、釧路市民として大切な心得として

        釧路市のHpに載っている防災備蓄品について

        確認し合いました。

         

        その次に

        災害時に

        逃げ遅れる

        人間の心理について

        学び合いました。

         

        ご近所同士

        助け合うことも大切ですが

         

        それと同時に

        三陸地方の方々が

        言い伝えて来られた

        津波てんでんこ」

        (津波が来たら、ひとりひとりが、てんでん、ばらばらに

        高台に逃げる意識を持つこと)も

        重要な視点

         

         

         

         

         

        たいしたことがないだろうと思って

        写真や動画を撮っていたいた人が

        犠牲になりました。

         

         

        まさかここまでは来ないだろうと

        思っていた人たち

        校舎にいれば安全だと思っていた人たちが

        犠牲になりました。

         

         

         

        船室にいれば安全と思っていた人たちが

        犠牲になりました。

         

         

        ガスが充満していても

        周囲の人が座っているので

        自分も座っていて大丈夫だろうと

        思っていた人たちが犠牲になりました。

         

        これら4つの災害に共通するのは

        正常バイアス

        同調性バイアス

        確証バイアス

        そしてそこに

        偽りの情報も

        絡み合った結果

        逃げ遅れてしまったということ

         

         

        神の言葉である聖書によれば

        「死後にさばきが定まっている」

        災害は万が一に備えてですが

        神の言葉で言っている「世の終わりのさばき」は

        確実に起こることです。

         

        この聖書の言葉を聞いても

        依然として「だいじょうぶだろう」

        「自分には降りかからないだろう」

        「死後のことなんか誰もわからないじゃないか」

        という態度をとり続けるなら

        とんでもない永遠の後悔を身に招きます。

         

        キリストが多くの人の罪を負うために一度

        ご自分をささげた

        この事実を

        どういう態度で受け取るでしょう。

         

        先ほど挙げた韓国の地下鉄放火事件の際は

        地下鉄の運転手は、

        非常用電源で稼働する

        車内の扉を開けることを

        しないまま

        すなわち、乗客を車両に閉じ込めたまま

        自分だけ避難したそうです。

         

        セウォル号沈没の際は

        船長さんは

        船長服を脱いで

        一般人を装い脱出ボートに載せてもらったそうです。

         

        今年1月に羽田空港で起きた日航機の爆破の際は

        機長は、最後まで機内を点検して

        全員避難の確認してから

        避難したのとはきわめて対照的です。

         

        イエス様は

        自分ひとりだけが十字架で犠牲になることによって

        信じる人を

        死後の世の終わりの裁きでもたらされる地獄の禍から

        避難させてくださいました。

         

         

        「キリストは、この私の罪を背負って十字架に

        かかって死んでくださったんだ

        なんと、ありがたいことだろう」

        そう素直に受け止められる人は

        幸いです。

         

         

        イエス様の言葉を聞いて

        イエス様を遣わした天の父を信じる者は、

        永遠の命をもつ!という約束を

        信じる者は幸いです。

         

        先日、日本の大相撲の歴史に残る

        千秋楽の大取り組みが

        ありましたね。

         

        新入幕優勝は110年ぶりだそうですね。

        ケガをして休場もやむなしという

        状況下でどのようにして尊富士が

        出場を決意したか・・・

         

        ・・・引用ここから・・・

         

         

        ・・・救急車で運ばれた大阪市内の病院から、部屋に戻ると、

        1度は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に出場を止められた。

        「無理だろう」「どうするんだ、力も入らないし」と言われ、断念しかけた。

        その後、自室に照ノ富士が「どうだ?」と、たずねてきた。

        尊富士は「この状況はきついです。歩けないですし」と答えた。

        そして言われた言葉に胸を打たれた。

        照ノ富士 「お前ならやれる。記録はいいから、

        お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。最後まで出ることが大事。

        負けてもいいから。しょうがない。

        でも、このチャンスは戻ってこない。

        オレもそういう経験があるから」。

         

        この言葉を聞き「言われた瞬間に、

        少し自分であるけるようになった。怖いぐらいに。

        さっきまで歩けなかったのに。

        『立て』と言われたら(歩けるようになった)。

        そこで『明日(千秋楽)、頑張ります』と言いました」

        という経験をした。

        再度、伊勢ケ浜親方のもとをたずね「出させてください」と伝えた。

        「横綱に言われて急にスイッチが入った。

        第2の自分がいるような感じだった」と、

        不思議な力がわいてきたという。

        そこから千秋楽の豪ノ山戦の快勝、

        そして記録にも記憶にも残る110年ぶりの

        新入幕優勝へとつながっていった。

        ・・・引用ここまで・・・

         

        自分が尊敬する兄弟子から

        言われた言葉でスイッチが入って

        それまで立てなかったのに

        立ったというのは、

         

        聖書中で

        それまで歩けなかった人が

        イエス様に命じられて

        または

        イエスの名によって

        立ち上がって歩きなさい

        と命じられて

        立ち上がったという

        聖書の記事を想い出します。

         

        人は、自分が愛し、尊敬する人の言葉によって

        スイッチが入るものなのですね。

         

        私たちは

        イエス様の言葉の約束を聞いて

        スイッチが入って

        立ち上がらせていただきくことができます!

         


        3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。

        しかし、私にあるものをあげよう。

        ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
        3:7 そして彼の右手を取って立たせた。

        するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
        3:8 躍り上がって立ち、歩き出した。

        そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、

        神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。

        (新約聖書 使徒の働き3:6〜8)

         

        私たちは、果たして

        誰のことばで

        スイッチが入るでしょう?

         

         

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        子どもらと 戯る恵み 若返る!
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          2024.3.20

          教会のママサロンの

          集まりで

          生後10か月のAくんの

          初お目見え

          だっこさせていただき感謝

           

          こちらは今年10歳になる

          Bくん

          いきなり、背中にどんと

          おんぶさってきました。

          腰が〜!!!

          それでも必死に笑顔をキープ

           

           

           

           

           

          Bくんは、

          会堂駐車場で

          別れ際、

          おじさん〜、肩車できる〜?

          すかさず、Bくんの

          お母さんは

          「やめなさい!!」

          しかし、私は、

          内心久しぶりだな〜と思いつつ

          いとも簡単だと言わんとばかりに

          何喰わぬ顔で

          「ああ、大丈夫だよ!」

          「大丈夫ですか」と案じるお母さん

          見事、肩車成功、

          達成感で脳内からドーパミンが放出された手ごたえに

          一人密かに酔いしれていました。

          この日の晩、そのせいかどうかわかりませんが

          腰が~腰が〜

           

           

          この日を最後に

          ママさんのご主人のご転勤で

          引っ越しされる2組の親子さんの

          送別会となりましたが

          こどもたちは

          とっても仲良くはしゃぎまわっていました。

           

          Aくん、Bくんのママさんは

          教会メンバーのママさんと

          出産のとき

          同じ病院で知り合ったママ友

           

          後で知ったことは

          私と同じ

          札幌山の手養護学校のご出身であった

          ことを伺い

          とても親近感を覚えました。

          もう一人のママさんは

          ゴスペルを通して

          教会メンバーとつながりを

          お持ちになりました。

           

          これからご引っ越しされる地で

          ママさんたちは

          パパさんたちと違って

          孤独になりやすいので

          子育てサークルのある教会と

          おつながりができることを

          望んでおられるので

          ご紹介させていただこうと思っています。

           

          これからの時代

          少子化で

          教会に集う子どもたちの数も

          少なくなる傾向にありがちなので

           

          どこの教会にも

          子どもたちが

          あふれるといいなあと願っています。

           

          そして子どもたちと

          戯れて遊べる上の世代もまた

          あふれるといいなあと

          思います。

           

          イエス様は

          子どもたちが大好きですから。


          しかし、イエスは言われた。

          「子どもたちを来させなさい。

          わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。

          天の御国はこのような者たちのものなのです。」

          (新約聖書 マタイの福音書19:14)

           

           

          いつでも、教会に訪れる

          子どもたちを

          おんぶ、だっこ、肩車できるよう

          ふだんから

          筋トレに励みましょうっと!

           

           

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          浮世にて 御国の心地す 主の恵み
          0

            2024.3.22

            召天前夜式を終えた後の会堂内

             

            棺の手前の

            オアシスには

            参列された方々

            おひとりおひとりが挿された

            飾花による花園です。

             

            奨励【聖書説教】のテーマは

            故人の愛唱聖句から

            「わたしの目に、あなたは高価で尊い」

             

            ここでいう「わたし」とは

            いかなる存在の「わたし」であるか

            をイザヤ書43章1〜3節から

            確かめ合いました。

             

            天地万物、そして私たちを

            母親の胎内で

            形づくられた創造主

             

            私たちを、滅びから

            贖い出すために十字架で

            身代わりに

            死んで蘇られ

            私たち一人一人の名を呼び

             

            私たちを

            ありとあらゆる苦難の中でも

            見放さず

            見捨てず

            ともにおられるお方が

             

            「わたしの目にあなたは高価で尊い」

            と、呼びかけ続けてくださる。

             

             

             

             

             

            2023.3.23

            召天告別式前の会堂

             

            奨励のテーマは

            故人の愛唱聖歌から

            「御国の心地す」

             

            この日、故人から見て

            5人のお孫さんが参列されたので

            お一人ずつに

             

            「おじいちゃんは、この地上で

            どんな時に

            御国の心地がしたと思いますか?」

             

            自己紹介も含めて

            語っていただき

             

            5つの角度から

            故人のお人柄を

            伺うことができて

             

            笑いあり、涙あり

            和んだ雰囲気が

            告別式会場を包み

            天国がいっそう身近に感じられる

            告別式となりました。

             

            私たちが、この地上にあって

            御国、すなわち天国にいる心地がすると思えるのは

            どんな時でしょう。

             

            ある人は、おいしいごちそうを食べているとき

            ある人は、愛する人と楽しい時を過ごしているとき

            ある人は、美しい景色を見ているとき

            ある人は、重い病気が完治したとき

            ある人は、温泉に浸かっているとき

            ある人は、何かの夢

            がかなえられ

            目標を達成したとき

             

            そんなとき、御国の心地をする

             

            様々な答えが予想できますが、

             

            聖歌の「みくにのここちす」の

            歌詞には

            「ハレルヤ!罪咎消されしわが身は

            いずくにありても御国の心地す」

            とあります。

             

            イエス様が

            私の罪(創造主なる神を中心として生きていないこと)と

            私の咎(罪ゆえに、さまざまな人生のゆがみを

            神、人、環境との間で

            生じさせていること)

            のゆえに

            罪なき神のひとり子イエス様が

            十字架で身代わりに死に

            その十字架上で流された血によって

            信じる自分の罪が償われて

            神の前に赦され

             

            イエス様の復活を通して

             

            神の前に義(正しい者)と認められることを

            知って、その恵みを

            味わったとき

            「自分の罪咎が、イエス様の十字架の血で

            消しされた、そう見なされたのだ」

            そこで味わった心地よさは

            この地上で味わう

            その他の心地よさをはるかに

            凌駕するレベルの

            心地よさ。

             

            私は保護司をしていて、

            保護面接で

            覚せい剤、大麻、LSD,MDAなどを

            乱用したことがある人から

            それを摂取した時に

            「どんな心地がするの?」

            質問したことがあります。

             

            彼らは、とても

            わかりやすく説明してくれますが

            そこで彼らが話してくれる「心地良さ」は

            彼ら自身も認めていることですが

            すべて

            一瞬であり、儚いものであり

            恐るべき副作用やひずみや

            害悪が自分と周囲に及ぶことを

            一様に語ってくれます。

             

            薬物依存に限らず

            今日、私たちの多くの人がとらわれている

            ギャンブル依存、買い物依存、ネット依存、

            ゲーム依存、性依存・・・・は

            どれもこれも

            欺瞞と虚偽と害悪と

            空虚感に満ちた

            欲望に満ちた「一瞬の心地よさ」であり、

            決して長続きせず

            結果として

            罪悪感と敗北感と

            自己嫌悪しかもたらしません。

             

            イエスキリストを

            信じて

            それまでの人間(自己であれ、他者であれ)中心の生き方から

            神中心の生き方に

            人生の向きを変えること

            (これを「悔い改め」と言います。)

             

            イエスキリストを

            自分の罪からの救い主として信じ

            主の前で告白して

            そこで得られる魂の救いを味わう時に

            得られる「心地よさ」は

            永続的で

            良きものばかりを

            生み出します。

             

            愛、喜び、平安

            寛容、親切、善意、

            誠実、柔和、自制

             

            真の幸せを味わえます!

            一人でも多くの方がそのような

            幸せを、イエス様を信頼して

            味わえますように。

             


            32:1 幸いなことよ

            その背きを赦され

            罪をおおわれた人は。
            32:2 幸いなことよ

            主が咎をお認めにならず

            その霊に欺きがない人は。

            (旧約聖書 詩篇32:1〜2)

             

             

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