ヒグマの大好物
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    昨日の教会のランチタイムで

    「やまがたさん、コクワたべたことがありますか?」

    「え〜と〜、よくコクワがどうのって、よく聴きますが

    食べたことは〜ないと思います。」

     

    ということで

    教会員の方が

    釧路管内浜中町茶内に在住の

    御友人のところで

    収穫されたコクワの

    おすそわけを

    いただきました。

     

    ほのかな甘みで

    おいしかったです。

     

    結構栄養が

    あるようです。

     

    主な栄養素は
    ビタミンCがレモンの約10倍
    ビタミンEがアボカドの約2倍
    (100gあたりの含有量が果物の中で一番多いそうです。)
    βカロテンがキウィフルーツの約3倍
    ルティンがキウィフルーツの約1.8倍
    クロロフィルがキウィフルーツの約2.5倍
    タンパク質分解酵素(アクチニジン)がキウィフルーツの約2倍
    が入っているそうです。
    (※シマサルナシはアクチニジンの含有量は極めて少ないそうです。)

    その他、ポリフェノール、ペクチン、鉄分、カリウム
    ビタミンB6、マグネシウムなどの栄養素も含んでいます。

     

    コクワ食べた時に

    何かの味と似ているなあと

    思いました。

     

    そうそうキウイフルーツです。

     

    どうりで

    コクワの断面は

    キウイフルーツと

    とても似ています。

     

    コクワは

    キウイフルーツの原種ではないかとも

    言われているそうです。

     

    コクワの別称に

    ミニキウイ、ベビーキウイ、キウイベリーなどが

    あるそうです。

     

    ところでコクワは実の名前は

    サルナシ(猿梨)と言うそうで

    猿の大好物として知られていますが

     

    北海道では猿と言うよりも

    ヒグマの大好物ですね〜!!!

     

    今がおいしい時期で

    あることから考えると

     

    これが野生で植生しているところには

    ヒグマが出現する可能性も

    大きいでしょうから

    注意が必要ですねえ。

     

    ところで

    猿梨はシラクチカズラとも言い

    その蔦は

    極めて頑丈だそうで

    50メートルまでも

    伸びることがあり

    あの徳島県の祖谷のかずら橋(つり橋)の

    材料にも使われているのだそうで

    驚きました。

     

     

    「ここに 憩いがある〜!!

    「ここに 休息がある〜!!」

     

    教会でお昼ごはんを食べてから

    くつろぎタイム

     

    この日の教会の日曜午後は

    何のプログラムもなく

     

    まったり気分にひたれる

     

    温かい日差しが

    会堂を包み込み

     

    お昼寝陽気の

    昼下がり

     

    教会は

    憩えるところ

     

    昨日

    教会の礼拝に

    行きそびれてしまって

    残念がっておられる方

    来週日曜日

    ご夫婦で、親子で

    一人ででも

    おいでくださいね!

    お待ちしています!

     


     主は彼らに、

    「ここに憩いがある。疲れた者を憩わせよ。

    ここに休息がある」

     

    と言われたのに、

    彼らは聞こうとしなかった。

    (旧約聖書 イザヤ書28:12)

     

     

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    息つけるところ、教会
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      息つく場

      心のふるさと

      神の教会

       

      笑顔いっぱい

      涙一杯

       

      教会の小さな畑で

      おともだちが

      収穫した

      かわいいニンジンさん!

       

      2週間ぶりに

      Aくんと再会

       

      ずいぶん、大きくなったし

      表情も変ったね〜

       

      この時期の

      幼子たちは

       

      2週間会わないでいると

      ずいぶんと成長したなあっ

      実感しますね。

       

       

      世代を越えて

      福音がバトンタッチされていく〜

       

       

       

      この日の教会ランチは

      そば&うどん

       

      こどもたちの中には「ねぎなし〜」

      という注文も

       

       

       

       

      「食前のお祈りで〜す!

      イエス様いただきまーす!」

       

      あれ、2杯分?

      若いと

      エネルギー消費量も多いしね〜

       

      この日は息子の

      最初の礼拝メッセージ奉仕とあって

       

      ご自宅でバラ栽培を

      されているAさんが

      祝福の意味で

      飾ってくださいました。

       

      ありがたいお心づかいに感謝、感激

       

       そのとき、イエスはこう言われた。

      「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。

      あなたはこれらのことを、

      知恵ある者や賢い者には隠して、

      幼子たちに現してくださいました。

      (新約聖書 マタイの福音書11:25)

       

      今日は

      待ちに待った

      日曜礼拝日

      教会へ行きましょう〜

       

      人間は、神様を礼拝するために

      創造されました〜

       

      人間は

      神様を

      礼拝する時

       

      ああ〜

      生かされているんだなあって

      生かされている目的意味を

      確認できて

      至福を実感できます

       

      宗旨関係なく

      どなたでも

      大歓迎で〜す!

       

      第1礼拝 午前9時

      第2礼拝 午前10時45分

      第3礼拝 午後5時

       

      服装は自由です。

       

      献金は自由意志で、

      強いられることは

      ありません。

       

      ご一緒に初心者聖書学び会
      はじめたい方

      大歓迎です!
       

       

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      釧路の薄暮を照らす光
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        2018.10.19

        釧路市富士見坂上から

         

        2018.10.19

        午後5時 釧路市生涯学習センター前

         

        釧路市富士見坂から

         

         

        今日は、延期されていた

        釧路どんぱくですね。

        外気に触れる皆さん

        お風邪をひかれませんように

         


         光は闇の中に輝いている。

        闇はこれに打ち勝たなかった。

        (新約聖書 ヨハネの福音書1:5)

         

        日がだんだん短くなってきました。

        闇の時間帯が

        増してきていますね。

         

        この世を覆い尽くそうとする

        さまざまな闇

         

        闇の根底でうごめく

        われら人間の心の中の鉛

         

        それを払しょく可能にするのが

        主イエス

         

        わたしたちの罪を背負い

        十字架で死んで

        よみがえり

        今も生きて働く

        世の光

        主イエスの福音の光が

        ますます輝きを増していきますように・・・

         

         

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        「置かれた場所で咲く」恵み
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          (釧路市桜ヶ岡附属南町内会にて)

           

          「置かれた場所で咲きなさい」

          2年前、主イエスのもとへお帰りになられた

          渡辺和子姉さんの書名を

          思い出しています・・・。

           

          霜が降りた釧路ですが

          まだまだ

          あちこちで

          きれいに

          咲いているキンレンカ!

           

          あなたの好きな花は何ですか?

           

          今までは

          スズランと答えていた私

           

          今は

          スズランと

          キンレンカかな〜

           

           

           

          朝露に濡れた

          キンレンカ

          とても風情があります。

           

           

          キンレンカは

          不思議な花

           

          どんな殺風景なところであっても

           

          ちょこんと

          一輪咲くだけで

           

          あたりの雰囲気を

          一気に明るくさせてくれます。

           

          むしろ殺風景な場所ほど

          その魅力が発揮できる花

           

           

          わたしも

           

          キンレンカのような

          存在でありたいなあと

          思います。

           

          「わたしは、世の光です。」

          と宣言された主イエスが

          弟子たちに対しても

           

          「あなたがたは、世の光です。」

          と、その「明るい」アイデンティティーを

          自覚させたことを

          思い出させられます。

           

          「世の光になれ!」

          でも

           

          「世の光になれるように頑張ろう!」

          でもない

           

          「もうすでに、あなたの存在そのものが、世の光なのだよ!」

           

          そのように

          あなたや私の存在の重み

          存在価値を

          認め

          いつくしんでくださるお方

          それが主イエス

           

          主イエスのことばの光に

          自分を照らしていただくと

           

          それまであった

           

          自己憐憫も

          自己卑下も

          他者と比較して生じる

          優越感も

          劣等感も

          色あせてどこかへ行ってしまう。

          なんて軽やかなんでしょう!

           

           

           

          朝陽に映る葉脈の美しいこと

          また

          葉っぱのしっとり感の

          手触りが

          心地よいです。

           

          来年に備えて

          種拾いをしています。

           

          拾った種は

          ベランダの

          コンクリートの上に

          新聞紙を敷いて

          干しています。

           

          来年、どこに植えようかな〜

          どんなふうに

          花が咲くかな〜

          蔓で上に上らせてみようかな〜

           

          目指すは

          殺風景な場所さがし!

           

          今から楽しみです〜

           

          種を見る時

          種の「今」の形状や色だけに

          意識を集中するか

           

          それとも

          種の「将来」花開く姿を

          思い浮かべながら見るかで

           

          全然異なった見方が

          できることでしょう。

           

           

          私たちが

          自分の人生を見る時も

          似ているかもしれません。

           

          今直面している

          自分の境遇や

          状況にのみ

          目が釘付けになると

           

          焦り、怒り、苛立ち、諦め、ため息、責め苦・・・

          ばかりが心を

          占めやすくなるというもの

           

          しかし、

          この試練の向こう側に

           

          イエスが

          備えていてくださる祝福

          咲かせてくださる花が

          どのように素晴らしいものであるか・・・に

          心を留めて歩むなら

           

          がらりと

          人生観が

          変えられることでしょう。

           

          コペルニクス的転換

           

          中世

          地球が中心で

          太陽がその周りをまわっていると

          思われていた時代

           

          実際のところ

          太陽が中心で

          その周りを地球が回っていることが

          明らかになった時の驚きは

          大きかったことでしょう。

           

          私たちの人生も

           

          すべての出来事を

          自己中心、自分(の願望、願い)を中心軸に据えてしまうと

          「なんで私の思い通りに

          ならないんだ!」と

          いちいち角を立てて

          不平不満、怒りをぶちまけたり

          猜疑心、苦々しさ、

          恨み、ねたみにかられる人生に

          なりかねませんが

           

          もし

           

          神様(の願い、のご計画)中心にとらえると

          「たとえ、現状は

          私の思い通りになっていなくても

          すべてを支配されている

          神様の思い通りに

          必ず

          事は運ぶんだ。

          そうだ!

          神様におゆだねしよう。

          『あなたのお心通りになりますように・・・』

          とお祈りしてみよう。」

           

          心の重荷、心の力みがとれて

          もっとすっきりと

          生きられるに違いありません。

           

          どんな環境の中でも

          明るく咲ける

          キンレンカのように

           

          私たちも

          どんな環境下でも

          主イエスを見上げさえすれば

          置かれた場所で

          さわやかに

          明るく

          咲くことができちゃうんですね〜

           

          自然発光?

          いや主イエスの光を反映させるので

          反射発光なり!


           今の時の苦難は、

          やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、

          取るに足りないと私は考えます。
          (新約聖書 ローマ書8:18)

           

           

          地は植物を、

          すなわち、種のできる草を種類ごとに、

          また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。

          神はそれを良しと見られた。
          (旧約聖書 創世記1:12)

           

           

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          「浄土真宗」と「わたし」
          0

            室町時代は、『菅原』姓だったようですね。

             

            最近はちまたで

            「家系図を作りましょう!」

            という呼びかけがなされているようですが

             

            私の場合は幸い

            親戚の中で

            熱心に室町時代まで調べて

            くださった方がおられて

            感謝しています。

             

             

            我が家の家系図によると

            山形家は

            代々

            浄土真宗西本願寺派で

            ありました。

             

            ただし

            私の親戚の中でも

            たとえば

             

            東京の明大前で

            開業医として

            長年地域医療に仕えて来られた親戚など

            クリスチャン信仰

            をもつようになった方も

            中にはおります。

             

            何はともあれ

            浄土真宗には

            永いご縁があります。

             

            先週の釧路新聞の「シニアコーナー」に

            興味深い記事が

            掲載されていました。

             

            「カンタン英語で浄土真宗入門」の

            著者おおぎしょうじゅんさんは

            米国ハーバード大学神学部で

            仏教研究をされてきた方で

            わかりやすい英語で仏教を紹介されている

            新進気鋭の仏教学者

             

            おおぎさんは南無阿弥陀仏を

            Itake refuge in Amida Buddhaと

            訳されました。

             

            わかりやすく言うと

            「阿弥陀仏を避けどころとします。」

             

            これに対して

            浄土宗は

            I pray for Amida Buddha

            「阿弥陀仏に向かって祈ります。」

             

            この両者には「お互いに譲ることのできない

            根本的な違いがある」そうです。

             

            ここで「あれっちょっと待てよ!」

            と思いました。

            阿弥陀仏に向かってお祈りするの(称名念仏)であれば

            Pray forではなくて

            Pray toではないかな?

             

            きっと、おおぎさんはPray to と言ったつもりが

            新聞編集の段階で

            何かの間違いで

            Pray forに

            なってしまったのではないかなと

            思い

            山口県の超勝寺に

            問い合わせたところ

             

            ちょうど、

            おおぎ僧侶とお話することができ

            感謝のひとときでした。

             

            おおぎ先生は

            私がご指摘させていただいた通り

            Pray toが正しいと

            仰ってくださったので

             

            新聞記者さんとの会話の中で

            記者さんが

            もしかすると

            聞き間違われたかもしれないと

            思いました。

             

            ただいずれにしても

            新聞と言うのは

            不特定多数の多くの方々に読まれるものなので

            仏教について間違った誤解が

            広まってはいけないと

            思い、

             

            釧路新聞社に

            お電話しましたら

            「この記事は時事通信社から送られてくる記事で

            釧路新聞社の誰かが

            執筆しているのではないのです。」

            と言われて

             

            今度は

            発信元である

            東京都中央区の時事通信社に

            ご連絡をさしあげたところ

             

            この記事を執筆された

            文化欄の担当記者Tさんと

            お話しすることができ

            感謝でした。

             

            まずは、「興味深い記事を

            ありがとうございます。」

            とお礼を申し上げた上で

             

            「Pray forではなくてPray toと

            ご本人は理解されていること」

            お伝えしました。

             

            Tさんは

            「おおぎさんに確認をとって

            訂正が必要であれば

            訂正いたします。」

             

            と丁寧に対応して

            くださいました。

             

            ところで釧路新聞のシニア欄は

            ふだん

            Tさんが執筆されるのですか?と

            お尋ねしましたら

             

            そうではないそうで

            通常、地方の新聞社では

             

            新聞紙面を

            独自取材記事だけで

            埋め尽くすことは困難なため

             

            さまざまなところと

            契約を結んで

            配信を受ける仕組みに

            なっているそうです。

             

            ちなみに今回の

            「簡単英語で伝える仏教の教え」は

            9月5日に

            時事通信社の記事にされ

            その後

            全国のあちこちの

            地方新聞で

            すでに

            紹介されているとのことで

             

            読者からの指摘としては

            私が

            初めてだったそうです。

             

            今回のことをとおして

            おおぎさんと

            お知り合いになることができ

             

            また時事通信社さんとも

            ご縁ができたことは

            幸いでした。

             

            これも

            神様のご縁

             

            時事通信社さま

            釧路新聞社さまにも

            感謝しています。

             

            おおぎさんは

            とても謙遜で聡明な方で

            いらっしゃって

             

            これからも

            宗旨は異なれども

            学び合う友で

            ありたいと思いました。

             

            拙ブログも

            おおぎさんに

            紹介させていただきましたので

            この記事もご笑覧

            いただけているかな〜

             

             

            おおぎさんによると

            「自業自得」は仏教用語だけれども

            本来は、ネガティブな意味はなく

             

            「自分の未来は自分で切り開く」という

            前向きな意味合いだそうです。

             

            へえ〜今まで、『あの人がこういう目に遭ったのは

            自業自得かもしれないね』と

             

            過去のありかたに

            目を留めて

            反省させることばとして

            誤用したきた無知を

            思い知らされました。

             

             

            「過去の悪い行いが今の不遇の原因」

            という意味で

            使われるのは

            「業」がヒンズー教の「カルマ」(宿業)の

            意味でとらえられているから

            だそうですね。

             

            私は常々

            仏教は、あくまでも

            いかに生きるべきかを

            考察するという点で

            哲学じゃないかな〜

             

            人間がどこから来て

            どこへ行くかを取り扱う

            宗教とは

            異なる『人生哲学』じゃないかな〜と

            理解してきたので

             

            おおぎさんの説明に

            なるほどと

            合点がいきました

             

            それにしても

            浄土宗が

            阿弥陀仏を祈りの対象

            としてのみとらえ

             

            浄土真宗が

            阿弥陀仏を信頼する対象

            としてとらえるという

            相違点を

             

            改めて

            認識しつつ

             

            聖書では

            天地創造の神、そして

            み子イエスが

             

            祈りの対象であると同時に

            信頼の対象でも

            あると教えていることを

             

            なんと

            ありがたいことかと

            改めて感謝しました。

             

            日本においては

            阿弥陀信仰は

            根強いものがありますね。

             

            阿弥陀さんと

            対極にあるものとして

            主イエスを紹介するのではなくて

             

            真宗の人々が

            阿弥陀さんに対して

            抱いてきた真理や

            求めてきたものが

            すべて

            主イエスのうちに内包され

            完成された形で

            見出される

            というふうに、

             

            紹介できたら

            どうかなと思いました。

             

             

            As for God, His way is blameless;
            The word of the Lord is tried;
            He is a shield to all who take refuge in Him.

            (神、その道は完全。

            主のことばは純粋。

            主は、すべて主に身を避ける者の盾。)

             

            私はクリスチャンになる

            18歳までは

            浄土真宗の家系に育った者の

            一人として

            事あるごとに

            「南無阿弥陀仏」を

            唱えてきましたが

             

            「阿弥陀仏によりすがります。」

            と告白はしても

             

            ところで阿弥陀仏って何だろう?

            よりすがったら

            どうなるのだろう?

             

            よりすがる対象そのものについて

            明確なイメージが全くないために

             

            ぼんやりとした

            ひとり言のように

            念仏を諳んじていたように

            思います。

             

            聖書では

            よりすがる対象である

            主イエスが

            どのようなお方であり

             

            自分のために何をしてくださり

            今何をされていて

            これから何をされるかが

             

            聖書の中にも

            聖書以外の歴史書にも

            記されていることは

            私にとって

            大きな慰めでした。

             

            聖書では

            主イエスが

            「よりすがる対象」

            であるばかりではなくて

            「よりすがる者の盾」

            でもあることを約束しています。

             

            紀元30年ごろ

            私の罪を背負って

            罪なきイエスが

            十字架で身代りに死んで

            復活されると言う

            史実

             

            空っぽの墓という証拠と

            命がけの使徒たちの証言の

            二つによって

            確証された歴史的事実として

            完成された救いのわざは

             

            信じる私の心に

            ゆるぎない平安を与えてくれました。

            その平安は18歳から

            56歳の今日に至るまで

            ゆらぐことがないことは

            幸いなことです。


             But as for me,

            I will pray to you, Lord;

            answer me, God, at a time you choose.

            Answer me because of your great love,

            because you keep your promise to save.

             

             しかし私は主よあなたに祈ります。

            神よみこころの時にあなたの豊かな恵みにより

            御救いのまことをもって私に答えてください。

            (旧約聖書 詩篇69:13)

             

            「いわしの頭も信心から」

            ということわざがあります。

             

            かつてイワシの頭の臭気が

            邪鬼を追い出す効果があると

            言う言い伝えがあり、

             

            一見、価値のなさそうな「いわしの頭」でさえも

            用い方によっては

            信心の対象にさえも

            なってしまうという

             

            なんでも信仰の対象に

            まつりあげてしまう

            日本人の精神性を

            揶揄しているともとれることわざ

             

            それほど、信心深い、ととらえるか

            それほど、節操がない、ととらえるか

             

            今日でも

            手を合わせて

            おがみまではしなくても

             

            たとえば

            素晴らしい対応をしたら

            「神対応」と言ってみたり

             

            「神」と言う言葉の重みが

            あまりにも

            本来もつ重みよりも

            軽くされているきらいが

            あるように思います。

             

            われわれ日本人は

            ありがたいものは

            何でも拝む対象にしてしまう

            ところがあるよう

             

            私もかつて

            その一人で

            高校3年生の夏に主イエスを信じる前は

            「神仏を尊び〜」という極真空手の

            道場訓にならって

             

            手当たり次第に

            神と名のつくものを

            拝んでいました。

             

            拝む対象がいったい何なのか

            わからないままに、

            ただ自分の願望を一方的に

            押しつける

            自己中心的信仰でした。

             

            18歳のとき

            唯一の神が

            おられることを知って

             

             遠い大昔のことを思い出せ。

            わたしが神である。

            ほかにはいない。

            わたしのような神はいない。

            (旧約聖書 イザヤ書46:9)
             

            (聖書)

            そうおっしゃるお方がどのような

            お方かであるかを

            聖書から日々知らせていただきながら

             

            その愛とゆるしの大きさに包まれながら

            お祈りさせていただける人生に導かれたことを

            感謝しています。

             

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