セカンドオピニオン
0

    ご近所で

    誰もが立ち止まる

    小さなチューリップ畑が

    あります。

     

     

    我が家の居間のカーテンを開けると

     

    優しいチューリップたちが

    こちらを向いて

    おはようございます!

     

    と微笑みかけているよう

     

     

    朝陽をあびた

    美しい薄紅色

    ため息が出ます。

     

     

    2列目はこの橙色

    なんという温かい色でしょう

     

    同じ色で並べましたが

    みな表情が違いますね。

     

     

    素敵なデザイン

    創造主なる神の存在証明

     

    淡いレモン色も素敵

     

     

     

    友人Aさんから

    数日後に

    手術を受けることを聴いて

     

    驚きつつ

     

    「手術が成功するように・・・」

    お祈りしていましたら

     

    何度祈っても

    なぜか

    平安がなく

     

    思い切ってAさんに

     

    「本当に、今その手術が

    必要なのかどうか

    セカンドオピニオンも

    参考に聴いてみてはいかがでしょう・・・」

     

    と勧めてみました。

     

    Aさんは

    さっそく別な医療機関で

    相談した結果・・・

     

    手術を受けない

    選択をされました。

     

    Aさんの手術の必要性を

    判断した医師は

    きっと

    手術がAさんにとって

    それが

    ベストあるいは唯一の選択と

    思われたかもしれません。

     

    ただ

    私たちはGODでは

    ありません。

     

    他の選択肢も

    あるのかもしれません。

     

    医師にとって

    Aさんの手術は

    たくさん手がける

    手術の一つかもしれませんが

     

    Aさんにとって

    その体の部位は

    Aさんご自身にとっては

    「唯一」の

    かけがえのない部位

     

    その後のAさんの人生のQOLに

    大きな影響を

    与える可能性もあります。

     

    命にかかわる緊急性を

    帯びていない手術であれば

     

    「私は、手術が最善の方法と思いますが

    あなたにとって

    かけがえのない体ですから

     

    もしご不安があれば

    セカンドオピニオンも

    参考になさり

     

    ご自分で

    納得してから

    ご判断くださいね。」

     

    という提案があると

    嬉しいかもしれません。

     

    数年前

    私はある歯医者さんで

    「抜くしかないですね。

    早く抜きましょう。」

    と進言されました。

     

    別な歯医者さんに行ったところ

    「抜かない方法もありますよ。」

    と言われました。

     

    最終的には

    その歯の根を

    できる限り

    遺して

    出てきた部分を

    少しずつ削っていく

    という根気よい方法を

    選び取りました。

     

    役に立ちそうもないから

    といって

    無理に取り除く必要はない

    大切にしていきたい・・・

     

    この歯科医の診療姿勢に

    共感を覚えました。

     

    わたしたちの人間観も

    そうありたいものです。

     

    私(あの人)は

    いてもいなくてもいい?

     

    役に立ちそうもないなら

    いっそうのこと

    早く取り除かれた方がいい?

     

    これからはAI(人工知能)の時代

    人間は不要?用なし?

    そんな殺伐とした

    価値観が横行することが

    ありませんように

     

    時代が変わっても

    変らないのが

     

    神の愛と

    神のかたちに似せて

    造られた人間の尊厳

     

    ヒューマン・オピニオン(人間的考え)

    ファーストオピニオンとして

    私たちの耳に黙っていても

    次から次へと

    飛び込んでくるもの

     

    バイブル・オピニオン(聖書の考え方)は

    セカンドオピニオンのごとく

    こちらが

    自らあえて「聴きに行く」努力をしないと

    決して耳に入ってきません。

     

    ですから

    主イエスも

    耳のある人は聴きなさい

    とおっしゃいました。

     

    WWJD(What would Jesus do?)

    イエス様ならどうされるだろう?

    というフレーズが一時はやりましたが

     

    WWJT(What would Jesus think?)

    イエス様ならどう考えられるだろう?

    というフレーズも心にとめたいもの

     

     

    私は現在も通っている

    歯科医を

    信頼しています。

     

    なぜかというと

    何か問題がある時

    「〜しか方法はありません。」

    という言い方は

    されず、

     

    「〜という方法と・・・という方法があります。

    〜だと、長所は〜で、短所は〜

    ・・・だと、長所は・・・で短所は・・・です。

    今、すぐ決めなくてもよいのですよ。」

     

    優しくせかさず

    判断をゆだねてくれます。

     

    私は考えても

    判断しかねる場合

    「先生が、私の立場だったら

    どちらを選びますか?」

     

    としばしば尋ねては

    判断の参考に

    します。

     

    そこで

    「先生にとって、どっちが

    やりやすいですか」とは

    訊ねませんねえ。

     

    40代のころ

    不整脈の問題で

    生まれて初めて

    ホルター心電図を

    つけて

     

    検査結果を聴いた時

    いろいろ難しいことを

    聴かされ

    不安を抱いていた私に

    安心感を与えた言葉は

     

    医師の

    「私ならほうっておきますね。」

    でした。

    肩の荷が下りたような気がしたものです。

     

    医師と患者さんの関係に限らず

    わたしたちの人間関係において

    大切な心得は

     

    「相手の立場に身を置く」

     

    主イエスのことば

    「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」

    (新約聖書 ルカの福音書6:31)

     

    とりわけ

    「強い立場」の人に

    求められているのが

    「弱い立場」に身を置く人の

    心情を慮ること

     

    主イエスは

    神でありながら

    私たちのところに

    降りてきてくださったことは

     

    何と

    理解を越えた

    愛でしょう。


    2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、

    神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
    2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、

    人間と同じようになられました。

    人としての姿をもって現れ、
    2:8 自らを低くして、死にまで、

    それも十字架の死にまで従われました。

    (新約聖書 ピリピ書2:6〜8)

     

    今日、私自身が

    主イエスに

    倣う1日を

    送れますように・・・

     

    みなさまのワンクリックは
    大きな励ましとなります!
    カテゴリ:- | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「釧路市街地・春先エゾシカ群出没注意報」
    0

       

      2018.5.21(月)午前7時半

      釧路工業高校前

       

      エゾシカの群れが正門の

      何と!内側を横切るという

      超珍しい光景

       

      (私どもの教会に集うビジネスマンAさんが、

      工業高校の生徒さんに

      聖書配布をする準備中に遭遇)

       

       

      私もこのシカの群れを別方向から

      確認していましたが

       

      驚いたのは

      その数の多さです!

       

      どっから来て

      どこへ行くのかなあ〜

       

      私の推測としては・・・

       

      おそらく、春採湖周辺から来て

      春採湖周辺へ帰る〜

       

      シカには「豊かな水」が

      必須ですからねえ!!

       

      エゾシカの行動から

      学ばされることがあります。

       


      鹿が谷川の流れを慕いあえぐように

      神よ私のたましいは

      あなたを慕いあえぎます。
       

      私のたましいは神を

      生ける神を求めて渇いています。

      いつになれば私は行って

      神の御前に出られるのでしょうか。

      (旧約聖書 詩篇42:1〜2)

       

      シカが群れをなして

      水を慕い求めるように

       

      わたしたち人間も

      群れをなして

       

      「いのちの水」である

      聖書のことばを

      慕い求めますように!

       

      今朝の釧路新聞15面に

      「不用意に近づかないように」と

      ありました。

       

      釧路市中心街に現れる

      エゾシカは一般的には

      春採湖周辺に生息しているそうです。

       

      春先は繁殖を終えて

      群れをつくりやすいのだ

      そうです。

       

      市街地に現れる理由としては、

       

      「餌が豊富で、何よりハンターに

      打たれる心配がないことを

      学習した可能性がある。」

       

      と学芸員の方が

      仰っているそうです。

       

      10頭前後で移動する光景は

      過去5年さかのぼってもないそうです。

       

      釧路市環境保全課では

       

      万が一、

      エゾシカに遭遇した際には、

      近づいたり

      追いたてたりせず、

      やり過ごすようやり過ごすよう冷静な対処を求め

       

      「興奮したエゾシカが

      交通量の多い道路に飛び出すと

      事故の原因となる。

      大声を上げるのも禁物」

      話しているそうです。

       

      とりわけ、

      春採湖周辺

      運転される

      みなさん

      ご注意ください!

       

      今日

      シカに遭っても

       

      ジコには

      遭いませんように!

       

      みなさまのワンクリックは
      大きな励ましとなります!
      カテゴリ:- | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「左官屋さん」の「バリアーフリー工事」
      0

        昨日は好天候の釧路

        左官屋さんによって

        教会堂玄関内外の

        バリアーフリー工事が

        行われました。

         

         

        段差の解消のために

         

         

        左官屋さんが

        まずは段差を崩します。

         

         

         

         

         

         

         

         

        段差を崩す作業を

        見ながら

         

        私たち人間同士の間に立ちはだかる

        段差が解消されるためには

         

        お互いに

        「高み」に立ってしまって

        いる部分が

        ないかどうか吟味し

        気づかせていただき

         

        自分自身の

        自我、おごり、高ぶりという

        「段差」に

        一人ひとりが気づかされ

        崩される必要があるなあと

        思わされました。

         

         

        さすがプロの左官屋さん

         

         

         

        ものの見事に

        段差が崩壊していきます。

         

        段差が左官屋さんによって

        はじめて崩されることが

        可能なように

         

        私たちも、自分の心に巣食う

        「段差」が崩されるためにも

        第三者の介入

        「人生の左官屋さん」の介入が必要

         

        ジャーン

        まるで傾斜を感じさせません。

         

         

        さすがにプロの左官屋さんの

        わざは素晴らしい!!

         

         

        なんという美しさでしょう!

         

         

        ひび割れが入らないように

        繊維も埋め込まれています。

         

        車いすや

        杖をつかれて

        来館されるみなさんを

         

        安全、安心に

        お迎えするために

        ベストを尽くしてまいりたいです。

         

        私たち罪深い人間と

        聖そのものであられる創造主との

        間に

        立ちはだかる

        いかんともしがたい

        「段差」を埋めるために

         

        主イエスが来られました。

         

        十字架で

        私たちの罪についての

        償い行為を完成させるべく

         

        いのちをささげ

        血を流してくださった

        ことのありがたさを

        あらためて

        思わされます。

         

        今日

        左官屋さんは

        多彩な業務をこなされていますが

        本命は

        「塗る」作業

         

        主イエスはご自分の血で

        私たち信じる者の罪を

        ことごとく覆い(塗り)

         

        聖なる神の怒りをなだめ

         

        神と私たちの関係を

        回復させ

         

        二度と関係にひびが

        入ることがないように

         

        きよい血を

        塗ってくださいました。

         

        主イエスは

        私たちにとって

        究極の左官屋さん

         

        釧路は

        建設業界にとって

        試練の地と

        言われるようですが

         

        左官屋さんが

        「さかん」に用いられますように!

         

        もとはといえば

         

        「左官」とは

        職業名というより

        「官位名」だったよう

         

        平安時代以降の

        宮廷の壁を塗る尊い

        仕事をするために

        宮中の出入りの特権が

        認められた「立場」だったよう


        語源的には

        「補佐官」→「佐官」→「左官」のよう

         

        なにはともあれ

        日本の建築業界の

        「左官屋」さんの

        技術は世界に誇るレベル。

         

        聖書に登場する

        最初の名左官屋さんといえば

         

        あのノアの箱舟を

        創造主の設計図にしたがって

        造ったノアさんかなあ

         

         

        あなたは自分のために、

        ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。

        箱舟に部屋を作り、

        内と外にタールを塗りなさい。

        (旧約聖書 創世記6:14)

         

         

         

         

        みなさまのワンクリックは
        大きな励ましとなります!
        カテゴリ:- | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        道内駆け巡る「ゴスペルボックス」
        0

          日本全国に

          ただ一台しかない

          ゴスペルボックスが

          釧路に上陸!

           

           

           

           

          昨日

          午後は曇り空で

          ガスがかかった

          肌寒い釧路したが

           

          書籍やグッズの販売

           

           

          ゴスペルボックス内も

          さまざまな商品が

           

          今日は、十勝平野を

          走る予定の

          ゴスペルボックス

           

           

          ドライバー兼販売員のAさんは

          元、日本の最大手自動車メーカーで

          誰もが知っている車種の

          エンジン制御システムとか

          開発されていたそう

           

           

          今はそれとは

          比べものにならないほどの

          大手ユニバーサルメーカー

          のゴスペル・ビジネスマン

           

          出発する際に

          「鹿にぶちあたらないように〜」

          とお祈りさせていただきましたら

          驚いて

          「具体的にお祈りくださって

          ありがとうございます。」

           

          今日も主イエスのゴスペル携え

          旅路が守られますように!

           

          遣わされることがなければ、

          どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。

          「なんと美しいことか、

          良い知らせを伝える人たちの足は」

          と書いてあるようにです。

          (新約聖書ローマ書10:15)
           

           

           

           

          みなさまのワンクリックは
          大きな励ましとなります!
          カテゴリ:- | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          「強さ」よりも「品格」(関西学院大アメフト部から学ぶ)
          0
            (2010年4月 聖書と祈り)
            関西学院大学アメフト部では
            10年以上前から
            シーズン前
            顧問の先生から聖書の
            メッセージを受け
            祈りを通して励ましを受けておられる
            そうです。
            これはミッションスクール
            の慣わしだからではなく
            あくまでもアメフト部の
            学生たち自らがそのことを
            欲して始まったことだそうです。
            2011年のシーズン前には
            聖書の言葉を聴いてから
            東日本大震災の震災被災者のために祈りが
            なされたとのことです。
            (2013年 4月 聖書と祈り)
            (2014年 4月 聖書と祈り)
            (2015年4月 聖書と祈り)
            (2016年4月 聖書と祈り)
            (2017年4月 聖書と祈り)
            (2018年4月 聖書と祈り)
            シーズンの始まりにあたり
            まずは聖書の言葉に耳を傾けて
            祈ってから備える関西学院大アメフト部の
            選手のみなさんたち
            神のかたちとしての品格の大切さを
            学べる環境にある
            スポーツ選手は幸いなり
            試合前も聖書の言葉に
            耳を傾ける関西学院大アメフト部のみなさん

            2003年の夏合宿で当時副将だった学生
            急性心不全尊い命を失われて以来
            ゲーム前には聖書朗読と
            相手の安全とフェアプレイを願う祈りが、
            ロッカールームにて絶えることなく
            続けられているとのことです.

             
            スポーツに限らず私たちが何かに
            真剣に取り組み始める際
            誰の言葉に耳を傾け
            誰の言葉を信じ
            誰の言葉に従い
            臨むか
            それってとても大切
            関西学院大アメフト部のみなさんに
            聖書を読んでお祈りされている顧問の先生の
            文章を以下に引用させていただきます。
            (顧問の先生の御親戚にあたると思われる方に
            かつてイスラエルのキブツでお会いしたことが・・・)
            ・・・引用ここから・・・
             「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、

            “霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって

            執り成してくださるからです。

            ・・・神を愛する者たち、つまり、

            御計画に従って召された者たちには、

            万事が益となるように共に働くということを、

            わたしたちは知っています」。

            (ローマ8・26〜28)

             「アーメン!」。ロッカールームに響いた声に私の鼓膜は激震した。

            アメリカンフットボール関西学生一部リーグ戦、

             

            全勝同士の関西学院大学と立命館大学の対戦直前の

            ロッカールームである。

             

            ウォーミングアップを終えた選手とコーチ、

            スタッフ百余名が円陣を組む。

            そこでの聖書朗読とメッセージそして祈りが私の役割である。

             

            昨シーズンからこの役割を担っているのだが、

            今シーズンは副部長も兼ねている。

             この試合前の祈りは伝統的なものだが、

            部長やコーチが決めたものではない。

            部員たちが自発的に決めるものである。

            昨シーズン前半は試合前ウォーミングアップの前に行っていた。

            しかし後半になって、試合直前に行いたいと依頼された。

             私にとってこれ程の「プレッシャー」はない。

            未体験ゾーンであった。

            激しい身体的コンタクトを伴う試合に臨む選手たちは

            緊張の極限にある。

            特に今シーズンの優勝の行方を決める

            全勝同士のライバル対決ともなれば、

            全員のテンションの高さは半端ではない。

            クールダウンさせつつモチベーションを降下させないように。

            彼らの「腑に落ちる」メッセージ、

            祈りでなければならない。

             

            監督と相談して一分三十秒と決めているが、

            誤解を恐れずに言えば、

            チャペルアワーの三十分より「疲れる」一分三十秒である。

             立命戦では上記の聖書を読んだ。

            百余名の眼差しが痛いほどである。

            トチれない。

            彼らの目を見返しながら語る。

            途中で、主将を始め泣きながら

            祈っている選手たちの様子が伝わってきた。

             激戦の末勝った。

            「勝っても負けても、このゲームが皆にとって生涯の宝になるように」

            と祈ったのだが、試合後「祈りどおりになりましたね」

            と弾んだ声が返ってきた。

            キリスト教主義教育は、

            キリスト教の精神に基づいて、

            さまざまな分野での教育を意味するであろう。

            課外でのキリスト教主義教育の喜ばしい瞬間である。

             

            (関西学院大学キリスト教徒文化研究センター教授

            関西学院宗教センター宗教主事)

            キリスト教学校教育 2004年12月号

             

            ・・・引用ここまで・・・

            アメフトの
            関西学院大学にせよ
            箱根駅伝の
            青山学院大学にせよ
            「〜学院大学」と名のつくところは
            ミッション系大学と言うことで
            建学精神の土台に
            バイブル(聖書)の価値観が
            色濃くあります。
            バイブルが
            私たちに
            示すのは
            勝ち負けこそ
            すべてとみなす
            勝利至上主義ではなく
            勝利至上主義に勝る道
            生きる上での
            美しさと言うか
            カッコよさと言うか
            品格と言うか
            わたしたち人間の
            すべての営みを
            通して
            創造主なる神の栄光が
            現れているかどうかが
            最も重要と言う価値観
            かつて
            札幌冬季五輪で
            フィギュアスケートで
            ジャネット・リン選手が
            尻もちをつき
            金メダルを取れませんでしたが
            その時に天を仰いで微笑んだ
            ジャネットのありかたが
            結果として
            金メダルの選手以上に
            観客の心に深い感動の記憶として
            刻み込まれることになったことを
            思い出します。
            ジャネットも
            キリスト者として
            聖書の価値観に生きようとして
            競技に臨んだ選手でしたね。
            かつて
            私の大好きな
            マーシャルアーツの
            ベニーユキーデという選手が
            いました。
            試合前には
            必ず聖書を読み
            聖書を胸の前に置きながら
            仰向けに寝てお祈りして
            それから試合に臨みました。
            ↓↓↓
            格闘技であるにもかかわらず
            目を覆いたくなるような
            残酷さは
            そこには不思議と見られず
            いつも美しさというか
            品格さが
            にじみ出て
            さわやかさが
            漂っていたように
            感じたものです。
            なぜだろうと考えました。
            それは、
            勝っても負けても
            対峙する相手への
            尊敬のまなざしが
            ベニーには
            絶えず
            あふれていたからだと
            思いました。
            これは
            スポーツ競技にかかわらず
            ビジネス、
            教育
            福祉
            すべての
            人間関係の営みに
            共通する
            欠かすことのできない
            ことがらだなあと
            改めて思わされます。
            わたしも
            今日
            自分自身の生き方を
            通して
            会う人を
            心から尊敬して
            神さまが
            どういうお方かが
            現わされるような
            あり方を示していきたいと
            思わされます。
             あなたがたは、
            代価を払って買い取られたのです。
            ですから、自分のからだをもって
            神の栄光を現しなさい。
            (新約聖書 1コリント6:20)
            これから
            釧路でも
            戸外のスポーツが
            盛んになる季節
            釧路のスポーツ選手たちも
            さまざまな競技会場で
            関西学院大アメフト部の
            みなさんのように
            バイブルが読まれて
            祈りで力づけられたら
            どんなに素晴らしいでしょう!
            最後に
            関西学院大アメフト部で
            シーズン前そして試合ごとに
            聖書の言葉が読まれ祈りがなされる
            きっかけとなった
            2003年の学生の方の召天から
            10年後
            次のようなブログが
            故人を偲ぶ形で残されています。
            このブログには
            関西学院大アメフト部の
            安全観がにじみ出ているようです。
            ここまで徹底した安全対策を
            されているアメフト部は
            日本全国どこを探してもないんじゃないか
            と思われるほどです。
            続き↓
            続きを読む >>
            カテゴリ:- | 09:33 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            | 1/857PAGES | >>