「病気がないところ!?」
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    2020.2.24

    今朝の釧路新聞

    ついに釧路市内から感染者が

    確認されるようになりました。

     

    どうか重篤にならず回復されますように。

    広がりませんように

    とりわけご高齢の方々や

    基礎疾患をお持ちの方々を

    主がお守りくださいますように

     

    釧路市民の皆さんが

    不安にかられすぎて

    そのことでかえって体調を崩されてしまいませんように。

     

    この地に一日も早く平安と

    安心が

    満ちますように。

     

    釧路市内の医療従事者の方々も

    お守りください。

     

    高齢者施設に入所されている方や

    そこで従事されている方々を

    お守りください。

     

    聖書を読まれると・・・

     

    この自然界は

    全能の神様の創造された美しさや秩序が

    あちこちに満ちていると同時に

     

    最初の人間が

    罪を犯したことを契機として

    すべての人間が罪を犯し

    自然界が呪われたものとなってしまった

    ことがわかります

     

    結果として

    本来神が創造されなかった

    悪性のウイルスを始め

    人間や自然界をむしばむものが

    増え広がる

    ようになってしまったことを

    現実に起こっていることと

    照らし合わせて

    ああそうだなと合点がいくことでしょう。

     

    まだ聖書を読まれていない方や

    日ごろ創造主なる神について

    想いを馳せる機会の乏しい方ほど

     

    災いが起こるたびに

    神がいるなら

    なんでこんなことが

    神がいるなら

    なんでこんなことを

    神がゆるすのか

     

    と思われる傾向があるように思いますが、

     

    我々人間の罪の性質として

    思い通りにいかないときに

    二つの方向に責任を転嫁するようです。

     

    一つの方向は

    自分よりも弱い者に責任をなすりつける

     

    もうひとつの方向は

    逆に権威ある存在に責任をなすりつける

     

    この象徴的出来事が

     

    アダムが神様から

    エデンの園で

    「善悪の知識の実を

    とって食べたのか」と尋ねられた時

     

    「あなたが

    わたしのそばにおいたこの女が

    私にくれたので

    わたしは食べたんです」

    とアダムは弁明しました。

     

    アダムは

    自分よりも弱い妻エバに責任転嫁すると同時に

    エバを創造し、身近に置いた権威者である神に

    責任転嫁をしました。

     

    神は愛のお方であると同時に

    聖なるお方です。

     

    私たちちっぽけな人間の

    イメージに沿った神

    であるとすれば

    それはもはや

    自分の想像上の神であって

    自分以下の存在で

    自分が造り上げた偶像であって

    それはもはや神そのものではない

     

     

    神が〜神が〜という

    私たち自身が

    いったいぜんたい

    ふだんから

    創造主なる神の前にどれほど

    謙遜に

    へりくだって

    神を恐れて

    神を愛して

    神を尊んで生きてきたことかと

    自らを省みるものでありたいです。

     

    わざわいの責任は

    創造主なる神にあるのではなくて

    それとは逆に

    創造主なる神を神をとして認めず

    神を無視して

    自分勝手に生きてきた

    われわれ人間にあることを

    私たちはもっと謙虚に

    認めて

    災いがある時ほど

     

    神の前に

    むしろ低姿勢で

    ありたいものです。

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    「89歳の大決断!」
    0

      2020.2.22(土)

      89歳のAさん[写真真ん中]が

      聖書のお話を聴いて

      天地創造の神の存在を信じ

      自らの罪を告白し

      イエスキリストを

      自分の罪からの救い主と信じて

      イエスキリストの言葉に従ってこれから

      歩んでいく決心をされ

      信仰告白のお祈りを

      されました。

       

      Aさんは現在釧路市内のある高齢者の方の

      施設にお住まいです。

       

      それまで

      お部屋の棚の上にあった仏壇や

      お札や数珠やお経の本や

      仏画など

      それまで安置したり

      拝んで来られたものを

      一切合財処分されて

      整理される決断をされ

       

      イエスキリストだけに信頼を

      置いて歩まれる決意をされ


      今まで

      礼拝の対象だったものや

      礼拝行為の道具だったものの撤去を

      速やかに決断されたので

      お手伝いさせていただきました。

       

      すっきりとした棚の上には

      Aさんの

      ご両親さまの立派な

      お写真だけが残されました。

       

      Aさんのお父様もお母様も

      どちらも97歳で

      息を引き取られたそうです。

       

      89歳のご生涯

      さまざまな

      試練、困難、苦難を通られたAさん

       

      かつては会社を経営されたり

      多くのこの世の肩書を

      たくさんいただいてこられたAさん

      多くの役職にもつかれてきたAさん

      有名な某宗教団体でも役員を

      されたことがおありのAさん

       

      さまざまな苦難の中で

      一つずつそれらが

      はがされていく中

       

      それまで価値があると思った

      大切なものがひとつひとつ

      失われていく中

       

      悲しみと痛みと

      呻きを通る中

       

      決して失われることのない

      決して奪われることのない

       

      罪のゆるし

      からだのよみがえり

      とこしえの命を

      信仰を通して

      イエスキリストにあって

      受け取られたAさんは

       

      幸せいっぱいのご様子でした。

       

       

      わたしたちの人生

      失われたものを数えたり、

      失われたものに目を留めるのではなく

      イエスキリストにあって

      得させていただくことができたものに

      目を留めるときに

      言葉に尽くすことのできない

      感謝と喜びと平安が満ちてくるものです。

       

      89歳にして

      毎週日曜日

      教会に通うという

      新しい喜びの習慣が

      始まりました。

       

      今日も

      日曜礼拝に参加され

      昼食をとられ

      皆さんと談笑されて

      おられたAさんです。

       

      ああ、イエスさまは

      なんと素晴らしいお方でしょう。

       

      今日は

      第2礼拝後

      80代の女性Bさんも

      信仰の告白に導かれました。

       

      イエスさまを信じるのに

      遅すぎることはありません。

       

      イエスさまに従うのに

      早すぎることもありません。

       

      牧師となって

      27年目

       

      信仰告白された人が

      その日のうちに

      仏壇、神棚等をすべて

      撤去されるという例は

      めったに目にしたことがないことなので

      とても励まされました。

       

      イエスキリストだけが救い主

      という強い確信がそうさせるのですね。

       


      4:12 この方以外には、

      だれによっても救いはありません。

      天の下でこの御名のほかに、

      私たちが救われるべき名は

      人間に与えられていないからです。」

      (新約聖書 使徒の働き4:12)

       

       

       

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      「マスクはだれのため?」「福音はだれのため?」
      0

         

        一昨日の道新の夕刊の記事です。

         

        「医学的にはマスクでウイルス感染を

        予防することは

        ほとんど不可能」

         

        「感染するかもしれないという漠然とした不安から

        マスクを着けることで

        マスクが枯渇し

        本当に必要な人

        (感染しているかもしれない人や

        せきなどの症状が出ている人たち)に

        行き渡らないのは、

        世の中の不幸以外の何物でもありません。」

         

        私たち市井の者は

        専門家の意見には

        もっと謙虚に耳を傾け

        ネットやメディアによる

        無責任な「煽りことば」に

        翻弄されないようにしたいものです。

         

        私は、ふだんから

        よくマスクをします。

         

        気管支疾患があるため

        冷気を直接吸い込むと気道閉そくを

        起こしやすいためです。

         

        就寝時さえも・・・。

        感染予防のためではなく

        気管支疾患予防のため

         

        ただし鼻には

        めったにマスクをあてません。

         

        鼻孔をふさぐと

        呼吸困難を

        きたしやすいからです。

         

        大学時代

        私が所属した

        「法律・政治研究室」は

        絶えず煙モクモク

        喫煙室のようで

        困惑したことを

        今でも思い出します。

         

        指導教官も学生も

        素敵な方々でしたが

        いかんせん

        ヘビースモーカーが

        多く

        ゼミの最中も議論が熱する?と

        煙草に手をかける方々が

        多く

         

        1回生の私は

        「せめて授業中は

        禁煙を!」と再三再四

        提案、懇願しましたが

        なかなか受け入れて

        いただけませんでした。

         

        観察していると

        無意識のうちに

        手が伸びていくんですよね〜。

         

        そのため

        ぜんそく発作

        自衛のためマスクを

        かけてゼミに

        臨まなければなりませんでした。

         

        まさに

        いのちがけのゼミ出席でした。

         

        社会人となってから

        町内会役員を数年間させていただきました。

         

        役員会では

        それまでの慣習だった二つを

        中止するよう提言したときに

        村八分に

        遭うことなく

        「やまがたさんの言うとおりだ」ということで

         

        「町内会からの神社の子ども神輿の呼びかけ」

        (※それはお寺さんが呼びかける性質のもので

        町内会がよびかけるものではない)

         

        「町内会費からの神社への寄付金」

        (※本来宗教的に中立であるはずの

        町内会が特定宗教団体に寄付金を拠出するのは

        おかしい)

         

        の二つが中止されたことは

        感謝なことでしたが

         

        いかんせん

        町内会役員会の喫煙環境については

        中止に至らせることが

        力不足でできませんでした。

         

        町内会役員会では

        自衛のために

        マスク着用を余儀なくされたのです。

         

        今となっては、

        あちこちが禁煙となり

         

        以前ほど

        煙草の煙で

        悩まされることは

        少なくなりましたが

        それでも

        冷気には

        しばしば

        悩まされます。

         

        昨日

        標茶原野に

        まいりましたら

         

        標茶原野の

        ドラッグストアでさえも

        「マスク欠品」の

        案内板が

        出ていたのには

        正直

        驚きました。

         

        過疎地域の

        農村

        人口密度が小さく

        濃厚接触の機会も乏しい町でも

        皆、こぞってマスクを

        している姿を目にして

        やや違和感を覚えました。

         

        しかもマスクしている人たちで

        せき込んでおられる方は

        見られませんでした。

         

        皆さんお元気そう・・・

         

        本当にマスクが必要な人のところに

        届けられますように。

         

        「マスクはだれのため?」という文言を見ながら

        「福音はだれのためか?」という問いを天から

        いただいたような気がいたしました。

         

        イエスキリストが

        私たちの罪のために十字架で身代りに

        死んで葬られて

        よみがえられ

        目には見えなくても

        確かに今も生きておられ

        イエスを救い主として信じる者に

        罪のゆるしと永遠のいのちを与えられるという

        最高によいしらせ(福音)は

        いったいぜんたい

        誰のためのものか?

         

        それは、

        すでにクリスチャンになった方だけではなく

        まだイエスキリストの福音を

        聴いたことのない方々

        まだ知らされていない方々のため

        のものでもあるはず

         

        使徒パウロは

        福音がまだ語られていない人々がすむ地域で

        福音を宣べ伝えることを

        切に追い求めました。


         このように、

        ほかの人が据えた土台の上に建てないように、

        キリストの名がまだ語られていない場所に

        福音を宣べ伝えることを、

        私は切に求めているのです。

        (新約聖書 ローマ書15:20)

         

        誰よりも主イエスご自身が

        この地上の伝道生涯の中で

        福音が伝えられていない地域を

        心にとめておられました。


        1:38 イエスは彼らに言われた。

        「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。

        わたしはそこでも福音を伝えよう。

        そのために、わたしは出て来たのだから。」

        (新約聖書 マルコの福音書1:38)

         

         

        英国の神学校時代

        指導教官だった

        親愛なる宣教学のデービス博士[元タイ北部の宣教師]が

        「宣教師の90%が

        すでに教会が

        あるところで奉仕している」

        という現状を指摘して

        「なんで、まだ伝えられていないところへ

        行こうとしないんだ!」

        熱く怒りを込めて

        嘆いていたことを

        思い出します。

         

         

        本当にマスクを必要としている人の

        ところにマスクが届いていない

         

        本当に福音を必要としている人の

        ところに福音が届いていない

         

        どちらの状況も

        深刻と言えるでしょう。

         

        冒頭の道新記事を投稿された医師のおことばを

        拝借させていただくなら

         

        福音を必要としている人のところに

        福音が届いていないとしたら

        「世の中の不幸以外の何物でもありません」

         

        その深刻な状況をつくっている

        ひとりに、自分がなっていないか

        自らに問わなければならないと

        思わされます。

         

        今日は

        午前中

        幸いなことに

        不特定多数の方々に

        イエスキリストの福音を

         

        午後、高齢者施設に住まわれている

        お一人の方のところで

        イエスキリストの福音を

        お届けさせていただく予定です。

         

        私が福音を宣べ伝えても、

        私の誇りにはなりません。

        そうせずにはいられないのです。

        福音を宣べ伝えないなら、

        私はわざわいです。

        (新約聖書 1コリント9:16)

         

        米国で著名な

        TVエンターテイナーで

        マジシャンである

        ペン・ジレット氏は

        10代の頃

        教会に行き

        聖書を読みながらも

        無神論者となったという方だそうですが

         

        あるときコメントの中で

        「福音を伝えようとしないクリスチャン」

        について

        「とうてい尊敬できない」

        とコメントしました。

         

        キリスト教嫌いの人が

        「福音を伝えるクリスチャン」のことを嫌がり

        煙たがるという

        のなら

        聴いたことがありますが

         

        ジレット氏は

        逆に

        「福音を伝えようとしないクリスチャン」のことを

        とても我慢ならない

        というのです。

         

        「相手が、福音を信じないと

        滅びるとわかっていながら

        福音を伝えようとしないということは、

        よほどその相手を嫌っているとしか

        言いようがない。

        そういうクリスチャンを

        どうしても尊敬できない。」

         

        実に考えさせられるコメントです。

         

        というのは、

        私が高校3年生の夏に

        イエスキリストの福音を

        聴いて信じた直後

        心の中で起こった一つの

        想いは

        ジレット氏と似ているところがあったからです。

         

        「なんで、こんなに大事なことを

        クリスチャンたちは

        もっと

        真剣かつ迅速に

        伝えようと必死にならないんだ。」

         

        「自分たちだけ救われれば

        いいって思っているのだろうか。」

        という素朴な疑問でした。

         

        「福音を伝えないクリスチャンは

        尊敬できないどころか

        非難に値する!」

        そう私は強く思ったのです。

         

        「自分だけ救われればいいと思っているのか!」と。

         

        マスクを

        本当に必要としている人に

        果たして十分に届いているだろうか

        と案じる心を

        私たちが

        もたずに

        自分だけ罹らなければいいと思うとしたら

         

        そういう心がまん延することの方が

        新型コロナウイルスがまん延する以上に

        憂うべき事態ではないかと

        思わされています。

         

        福音宣教による、幸せの感染こそ

        急務な今日!


        それから、イエスは彼らに言われた。

        「全世界に出て行き、

        すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。

        (新約聖書 マルコ16:15)

         

        私は

        イエスキリストを信じて以来

        1日の中で

        誰にも

        福音を語らない日があると

        その日が閉じようとするときに

        いったい今日は

        何のための1日だったのかと

        思わされています。

         

        この感覚がマヒしてしまうことがないようにと

        祈らされます。

         


         

         

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        「いつまでもいっしょだよ!」
        0

          この日は元気がないレオちゃんでした。

          「猫が寝込む」と心配ですよね。

           

          レオちゃん(5さい)は

          Aさん(85さい)

          と寄り添い合って

          生活しています。

           

          Aさん自身も

          おからだの

          あちこちに疾患をかかえておられて

          病院通いをされていますが

          それでも

          最近は、元気がないレオちゃんを

          ハイヤーで

          動物病院へ

          点滴をしてもらったり

          しています。

           

          釧路市内には

          お一人のご高齢の方と

          1匹の猫ちゃんが

          寄り添い合って

          生活されている方が

          実は少なくありません。

           

          互いに励まし合う仲間のよう

           

           

          「元気になってね!レオちゃん」

           

          神様は

          わたしたち一人一人が

          さびしくならないように

          さまざまな方法で

          助けを与えてくださいますね。

           

          最も大きな助けは

          主イエスを信じるすべての者に

          聖霊という「もうひとりの助け手」が

          与えられるということ

           

          この「助け手」とは

          傍らで呼びかけてくださるお方という意味です。

           

          また「もうひとり」というのは

          主イエスと

          「全く同じ性質をもったもう一人」という意味です。

           

           

          重篤な病で伏している方の

          耳元で

          主イエスが

          「恐れなくて大丈夫。わたしが

          あなたとずっといっしょにいるからね。」

          そうささやいてくれるようです。

           

           そしてわたしが父にお願いすると、

          父はもう一人の助け主をお与えくださり、

          その助け主がいつまでも、

          あなたがたとともにいるようにしてくださいます。

          (新約聖書 ヨハネの福音書14:16)

           

          新型コロナウイルス感染の広がりの中

          大きな集会や

          人と人との濃厚接触の機会を自粛する動きが

          広がっていることは

          深刻かつ危機的な状況であると同時に

           

          ふだん私たちが

          忘れがちな

          避けがちな

          軽んじがちな

          目に見えないGodと

          濃厚接触に十分に時間を

          かけるチャンスなのかもしれません。

           

          聖書の神は

          造られたすべてのものに対して

          その名前を呼ばれる方であると

          書いています。

           

          宇宙には10の27乗個の星が

          あるといわれていますが

           

          その一つ一つを名をもって呼ばれる

           

          宇宙を創造されたスケールの大きな神は

          わたしたちの体のDNA

          の一つ一つの情報も

          複雑に整えておられる

          細やかな配慮も

          される愛といつくしみに満ちておられるお方

           

          このお方が

          キリストを信じる一人一人の

          傍らに来て

          自分の名前を呼んで

          励ましてくれるとは

          どれほど慰めでしょう。
           

          そればかりか

          「あなたはわたしのものだ!」

          そう言い切ってくれるとは

           

          ああ、なんと

          心強いことでしょう。

           

          だが今、主はこう言われる。

          ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、

          あなたを形造った方が。

          「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。

          わたしはあなたの名を呼んだ。

          あなたは、わたしのもの。

          (旧約聖書 イザヤ書43:1)

           

          「キリスト者の中で

          孤独死する人は一人もいない」

          とはまさに真実なりですね。

           

          「たとえ死の陰のふちを歩むとしても

          私は、わざわいを恐れません。

          あなたがともにおられますから。」

          (旧約聖書 詩篇23:4)

           

          今日は

          牧師さんが長い間おられない

          標茶イエスキリスト教会の

          皆さんと

          新約聖書の使徒の働きを

          1節ずつ学ぶために

          これから出かけてまいりま〜す。

           

          標茶原野にポツンと佇む教会は

          今もそこでキリストの光を放っています。

           

           

           

           

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          カテゴリ:- | 08:38 | comments(0) | - | - | - |
          「勇敢」な「武漢」のクリスチャンたち!
          0

            ・・・引用ここから・・・

            新型コロナウイルスに負けずマスク配布し伝道、

            武漢のクリスチャンに市民から感謝の声

            コロナウイルスに負けずマスク配布し伝道、武漢のクリスチャンに市民から称賛の声

             

            武漢にある量販店ウォルマートの入り口で伝道する黄色い防護服姿のクリスチャン(写真:ハートクライ宣教師協会のホームページより)

                                     

             

                                      ノンクリスチャンの市民からも感謝の声が上がっている。

            こうした活動に、当局や病院、

            マスクなどの防護用品と共にトラクトを配布する伝道を行っている。

            黄色い防護服を身にまとったクリスチャンたちが、

            新型コロナウイルスの感染が拡大する中国・武漢で、

            迫害を受ける中国の教会を支援している

            米カリフォルニア州のNPO団体「華人基督教徒公義団契」(CCFR)の

            劉貽(フランシス・リュー)牧師は、

            防護服をまとってマスクなどと共に

            伝道トラクトを配布する武漢のクリスチャンたちの写真や動画を、

            自身のツイッターで紹介し、

            祈りを呼び掛けている。

            1月31日には、武漢南京路教会の信徒たちの活動を撮影した動画を紹介。

             

            動画の投稿者は、「南京路教会の羅兄弟は、

            兄弟姉妹と共に歩行者にマスクを手渡しました。

            戦争や疫病が横行するようなときこそ、

            中国のクリスチャンが神を賛美する証人となるための良い機会です

            と記している。

            2月1日には、

            伝道トラクトと無料のマスクを配布する防護服姿のクリスチャンと、

            それを受け取る武漢市民の姿を、複数の写真で紹介した。

            皆が怖がる「城管」にも支援物資届ける

            7日には、「今日、数人の兄弟が、

            衛生労働者のために保護具100セットを漢陽区に提供しました。

            彼らは、トイレ清掃の労働者への配達を約束しました。

            それぞれの包装には、福音トラクトが含まれています。

            数人の同胞は、

            これが海外のクリスチャンからの愛の盾だと言ってくれました」とコメントし、

            写真を投稿。写真には「漢陽城管」と表示のある建物の前で、

            支援物資と並ぶ2人のクリスチャンが写っている。

            「城菅」とは「城市(都市)管理行政執法局」の略称で、

            都市管理を目的に幅広く法的取り締まりを行う行政機関。

             

            しかしネット上には、

            一部の職員による暴力的な取り締まりの様子を捉えた写真や動画が

            多数公開されており、

            中国では「城管暴力執法」として社会問題になるなど恐れられている。

            この日、クリスチャンたちが訪れたのは、

            武漢の中央に位置する漢陽区の城管だったようだ。

            コロナウイルスに負けずマスク配布し伝道、武漢のクリスチャンに市民から称賛の声

            武漢の漢陽城管に救援物資を届けるクリスチャンたち(写真:リュー牧師のツイッターより)

            医療機関も感謝表明

            12日には、病院にも救援物資を届けたことを紹介。

            動画には、病院関係者とみられる人物が救援物資を感謝し、

            合掌してお礼をする様子が映っている。

            13日には、海外の教会が注文して送ってくれたという医療用のN95マスク数百枚と、

            手袋千枚、ゴーグル千個を、武漢中央病院に寄贈したことを報告する一方、

            「彼らは保護服が必要です。もうなくなってしまいました」

            と病院の窮状を伝えている。

            17日には、「病院での看護は危険であり、病院は彼らの保護について責任を負いません」と述べ、湖北省がん病院の看護スタッフ100人に、ゴーグル100個、防護服100着、N95マスク200枚、使い捨てマスク300枚、医療用手袋200組を送り届けたことを報告。

            そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

            人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」と、マタイによる福音書5章16節も引用した。

            これらの支援物資を入れた段ボール箱や、

            トラクトと支援物資を手渡すクリスチャンが手に持ったプラカードには、

            「イエス様はあなたを愛しています」

            「世界各地基督教徒奉献」

            などという言葉が記されている。

             

            武漢で輝く「黄色」のクリスチャン

            米バージニア州に拠点を置く「ハートクライ宣教師協会」は7日、

            武漢に開いた一つの扉」(英語)と題した報告を掲載し、

            武漢現地の状況を伝えている。

            「今日(2月1日)で検疫のために武漢が閉鎖されてから10日目になりますが、

            防護マスクが武漢では最も価値のあるものになりました。

            お金は役に立ちません。マスクを売っている店が見つからないからです。

            人々は必死になっています。これに応じて私たちの兄弟姉妹は福音を宣(の)べ伝え、

            トラクトと無料のマスクを配布しています。

            彼らは神様からの希望と慰めの言葉を分かち合っています。

            武漢の人々はますます彼らに好意を持つようになっています。

            武漢当局の目から見てさえそうなのです」

             

            喜んでトラクトとマスクをもらっていくという。

            この報告によると、警察もクリスチャンのところに来て福音を聞き、

            自らの健康を危険にさらしてまで仕えているからです」

            彼らは伝えられているメッセージ(福音)をかつては警戒していた人々でした。

            しかし現在ではクリスチャンたちに助けを求めに来ています。

            そして、われわれの神にひざまずいているのです。

            黄色(クリスチャンたちは黄色の防護服を来て身を守っています)は、こ

            の都市で最も美しい色になりました。

            クリスチャンは今まで一度も受けることのなかった敬意を得るようになりました。

            「私は神様に感謝します。彼らの証しは喜びに満ちており、

            すべて主の驚くべき業がなされているからです。

            どうか彼らのことを祈りの課題に置いてください。

            彼らの多くは、多くの働きを負担しています。

            医者や看護師と比べても彼らの働きは非常に大変なものなのです。

            彼らは知っています。

            これが人々をキリストに得させるために神様から与えられた機会だということを。

            解放の日は近づいているのです」

             

            ・・・引用ここまで・・・

             

            釧路市内で

            我が家の近くにある

            某大手ドラッグストアでは

            店員さんでさえ

            マスクがいつどれくらい入荷するか

            知らされていないそうです。

             

            ちなみに今週月曜午前10時には

            山積みされていて

            その割には

            購入者が群がっているわけ

            でもありませんでした。

            (午前中にはなくなりますよ〜

            とレジの店員さんが

            おっしゃっておられました。)

             

            そうかと思えば

             

            昨日午前9時に参りましたら

            0でした。

             

            都会で生活する息子たちに

            送ろうかと・・・

             

            勇敢な武漢のクリスチャンたちの

            ことを想う時

             

            今日自らに問いたいことは・・・

             

            釧路にあって

             

            「わたしは、隣人と何を分かち合うことに

            必死になろうとしているのか?」

             

            武漢のニュースを

            聴きながら

            初代のエルサレム教会のことを

            思い出していました。


            2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。

            主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

            (新約聖書 使徒の働き2:47)

             

             

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