「祈る男たち」
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    2017.3.29 教会堂2Fにて

    ですから、私は願うのです。

    男は、怒ったり言い争ったりすることなく、

    どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。

    (新約聖書 1テモテ2:8)

     

    階下で「たこ焼きをつくる女性たち」から

    階上で「祈る男性たち」へ

    美味しい差し入れがあり

    祈りの力も

    パワーアップ!!

     

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    母からの手紙 「愛の懲らしめ」
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      2017.3.29

       

      昨晩の雪のおかげで

      早朝の釧路は

      朝陽に輝く

      白銀の世界が広がっています

       

       

       

       

       

      真っ白に色づく

      庭の木々の美しさ

      創造主は

      ワンダフル・デザイナー

      主は水墨画の超大家でも

      あられる・・・

       

       

      昨晩、釧路刑務支所での

      宗教教誨に行ってまいりました。

       

      Aさんの

      刑務所生活は

      4年をすぎるところ

      しかし

      まだ残すところ●年の服役が

      あることを

      ご存知のAさん

       

       

      ため息交じりで

       

      「まだ●年もあるのか・・・」

       

      そんなAさんの心中を

      察したAさんのお母様から

      Aさんのもとへ

      お手紙が届きました。

       

      「神様はね、もしあなたが早く刑期を

      終えてしまったら

      再び、罪を繰り返してしまうことを

      ご存知なのよ。

       

      それでね、

       

      あなたが、もう罪を犯さないために

      あえて●年と言う刑期を

      備えられたのよ。

       

      そう、あなたの

      将来のために

      どうしても

      必要な期間なのよ。

      あなたのために

      備えられた●年なのよ。」

       

      この日Aさんの心に留まった聖句

       

       だから、あすのための心配は無用です。

      あすのことはあすが心配します。

      労苦はその日その日に、十分あります。

      (新約聖書 マタイの福音書6:34)

       

      Aさんのお話をうかがいながら

      私自身

      聖書のことばを

      黙想させられました。

       

       

      そして、あなたがたに向かって

      子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。

      「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。

      主に責められて弱り果ててはならない。・・・・

       

      なぜなら、肉の父親は、短い期間、

      自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、

      霊の父は、私たちの益のため、

      私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、

      懲らしめるのです。

      (新約聖書 ヘブル書12:5、10)

       

      30年以上前

      ミッションスクールの高校時代のこと

      宗教科で

      学年でただ一人100点満点を

      とってしまった私でしたが

      十字架の意味はまるでわかりませんでした。

       

      当時、宗教科の先生に

      向かって、

      次の思いをぶつけました。

       

      「キリストが、人間の罪のために十字架で身代わりに

      刑罰を受けて死んだというのは

      どう考えても

      良い教えとは思いません。

      それならば、

      人間は、いくら罪を犯しても

      いいということになってしまいます。

      『どうせキリストが

      尻拭いしてくれるんだから

      罪を犯そう』と・・・」

       

      その時は

      納得のいく答えが

      返ってきませんでした。

      いや、というより

      私自身の心の眼が閉ざされていて

      真理がわかりませんでした。

       

      まるで、キリストの愛がわかっていませんでした。

      人は、厳しく罰せられることで、

      罪を犯すことに懲りて

      罪から離れられるんじゃないか?

      そう思い込んでいたのです。

       

      しかし

      真実は違っていました。

      人は、愛されることで

      自分自身の罪深さを、真の意味で

      痛感することができ

      そこで、初めて

      罪を憎むことができ

      罪から離れ始めることができる。

       

      神は、み子イエスを

      十字架にかけるほどまでに

      私を愛しておられる

       

      そのことに

      気づかせて下さるための

      主イエスキリストの十字架

       

      気をつけないと

      キリスト者と呼ばれるわたしどもも

      日常生活の中で

      十字架の目的を

      はきちがえて

      とらえて

      しまいかねません。

       

      「罪を慕わせ、罪を犯しても大丈夫」

      と思わせるための十字架なのか

       

      「罪を憎ませ、罪から離れたい」

      と思わせるための十字架なのか

       

      キリストの愛を知ることと

      罪から離れようとすることとは

      絶えざる相関関係

       

      私の子どもたち。

      私がこれらのことを書き送るのは、

      あなたがたが罪を犯さないようになるためです。

      もしだれかが罪を犯したなら、

      私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。

      それは、義なるイエス・キリストです。

      (新約聖書 1ヨハネ2:1)

       

      そして自分から十字架の上で、

      私たちの罪をその身に負われました。

      それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。

      キリストの打ち傷のゆえに、

      あなたがたは、いやされたのです。

      (新約聖書 1ペテロ2:24)

       

      主よ!釧路刑務支所の

      隅々にまで

      キリストの十字架の愛のメッセージが

      浸透し、

       

      どうか、すべての受刑者と

      そのご家族が救われますように!

       

      すべての刑務官と

      そのご家族が救われますように!

       

      日本一の模範囚で満ちた刑務所と

      なりますように!

       

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      釧路市興津の「鹿」
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        2017.3.27 お昼ごろ

        釧路市興津を通りましたら

        鹿が10頭

        草を食んでいました。

        平和な眺めでした。

         

         

         

        それにしても

        見事な角ですね〜

         


         

        おお〜

        かっこいい角ですね〜

         

         

         

         

        鹿さんのお尻が白いのは

        後ろから追いかけて走る仲間の鹿が

        前を走る仲間を

        見失わないための

        創造主の愛の配慮のゆえ

         

         

        おっと、りっぱな角で

        がちゃ、がちゃ

        角を突き合わせ始めましたよ。

         

         

        どっちも引きません

        息を飲む緊張感

         

         

        おっと、間もなくどちらともなく

        角を引き離し合いました。

         

         

        やめようか!

        仲良くしようか!

         

        かくかくしかじか(「角角鹿鹿」!)・・・で

         

        この後

        2頭は

        仲良く

        草を食み合っていました。

         

        今日

        私たち人間同士(家庭、職場、学校・・)も

        ぶつかりあうことをやめて

        仲良く

        平和に歩みましょうか!

         

        今日は釧路刑務支所での

        宗教教誨に行ってまいります。

         

        ちなみに

        宗教教誨の希望者が

        舎房内で

        事前に

        トラブルを起こすと

        罰(?)として

        宗教教誨に出られなく

        なってしまいます。

         

        昔は

        そんなことがたまに

        ありましたが

        最近はなくなりましたね〜。

         

        聖書を読む舎房の皆さんは

        仲良しなんですね〜

         

         

        聖書のことばに

        へりくだって

        耳を傾けていくと

        わたしたちは

        心の「角」が丸みを帯びて

        やさしくされて

        いくようです〜!

         

         もし私たちが御霊によって生きるのなら、

        御霊に導かれて、進もうではありませんか。
        互いにいどみ合ったり、

        そねみ合ったりして、

        虚栄に走ることのないようにしましょう。

        (新約聖書 ガラテヤ書5:25〜26)

         

         

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        覗きこむ「恵み」
        0

          午前6時半

          教会堂の会堂のカーテンを開けると

          ワンちゃんを連れて

          散歩されている

          ひとりの老紳士と

          眼が合いました。

           

          手を振って会釈をしますと

          こちらに

          近づいて来られたので

          窓をお開けしたところ

          覗きこまれて

          「こんなふうになっているんだ〜」

           

          「ぜひ日曜日

          午前9時、10時半

          午後5時と礼拝を三回

          やっていますので

          いらしてください。」

           

          「黙って入ってもいいんだべか?」

          「だいじょうぶですよ。お待ちしています。」

           

          お名前をうかがって

          さっそく

          その日の朝のお祈り会で

          その老紳士の方が

          礼拝にお見えになられるように

          お祈りしました。

           

          覗き込んでいただけて嬉しいな

          でも

          覗き込まなくても

          見えることが

          できたらなお、いいのになあとも

          思います。

           

          政治の世界でも

          「見える化」が

          叫ばれる今日

           

          教会堂で行われる営みも

          いちいち

          覗き込まなくても

          見える

          見えてくる

          目に飛び込んでくる

          そうだと

          いいのにな・・・と

           

          インターネットで

          礼拝風景を

          動画配信されている教会も

          増えていますね。

           

          ふと

           

          全面ガラス張りの教会

          (30年ほど前に米国研修中

          ロサンゼルスで

          訪ねたCrystal Cathedral)

          ことを思い出しました。

           

          確か

          ロバート・シュラーさんという方が

          牧師さんで

          あられたかなあ・・・。

           

          外から見ると

           

          内側

           

           

          わたしたちの教会も

          全面ガラス張りで

          誰もが

          入りやすい

          そして

          入りたい

          そういう雰囲気を

          醸し出せたら

          素晴らしいなあ

          と思いました。

           

          新しい年度を迎えて

          釧路に来られるみなさんの

          多くが

          教会を覗き込まれて

          聖書を覗き込まれて

          イエス様のことを覗き込まれて

          真理を覗き込まれて

          幸せを発見されますように!

           

          求めなさい。そうすれば与えられます。

          捜しなさい。そうすれば見つかります。

          たたきなさい。そうすれば開かれます。

          (新約聖書 マタイの福音書7:7)

           

          今日も

          主イエスご自身が

          わたしたちひとりひとりの

          心の外に立たれて

          愛のまなざしで

          覗いておられます。

          私の愛する方は、かもしかや若い鹿のようです。

          ご覧、あの方は私たちの壁のうしろにじっと立ち、

          窓からのぞき、格子越しにうかがっています。

          (旧約聖書 雅歌2:3)

           

          拙ブログを覗き込んでいただけて

          感謝申し上げます!

          今後も

          いつでも

          お立ち寄りいただけると

          感謝です!

           

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          筆ペンの恵み
          0

            就寝間際に

            鹿児島県のAさんからいただいたお手紙に

            ご返信させていただくべく

            ペンを握り

            書き始めたものの

            どうも眼がしょぼしょぼして

            自分の字でさえも

            「細すぎて」読むのが難儀

            Aさんは80代

            なおさら難儀に違いないと

            思い、机の引き出しの中を

            かき回しながら

            「あっ!これだ」

            と思ってつかんだのが

            筆ペンでした。

             

            さっそく

            書いてみますと、

            「うん、これなら目を細めなくても

            読めるに違いない。」

             

            ペンを持ちながら

            新約聖書の約半分を執筆した

            パウロの言葉を

            思い出していました。

             

            ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、

            自分のこの手であなたがたに書いています。

            (新約聖書 ガラテヤ書6:11)

             

            私はスマホをもっていませんが

            自由自在に

            小さい字を

            手元で拡大できるので

            「ああ、便利だなあ〜」

            と最近、思うように

            なってきました。

             

             

             

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