「祝宴の家」より「喪中の家」へ
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    偲びつつ

    後生を共に

    歌はむと

     

    〜太英子〜

     

    「幼い頃からの数少ない想い出をたどりながら

    この縁を来世に繋ぎ

    その時は一緒に楽しく存分に歌いたいですね。」という

    願望の句です。

     

    故人Aさんの葬儀に

    寄せられた

    FAX

     

    釧路は昨日終日雨天

    涙を流し続ける1日かな〜

     

    告別式

    出棺

    火葬前式

    拾骨

    偲ぶ会

     

    5つの機会に

    それぞれ聖書のおことばに

    耳を傾け

    お祈りする時を持ちました。

     

    特に今回の葬儀で

    ユニークだったのは

    午後の火葬で

    後に続く火葬予定者が

    たまたまおられなかったため

     

    すなわち

    せかされる必要がなく

     

    火葬場の担当者の方の

    御許可をいただいて

     

    炉の前で

     

    会葬者みんなで

    棺を囲んで

    覚えたばかりの

    別れの歌を

    歌うことが

    できたということです。

     

    火葬場を

    私どものグループだけで占有させて

    いただけたことになります。

     

    火葬場全体に響き渡る声で

    賛美をささげ

    聖書のことばを大声で読み上げ

    みんなでお祈りの後アーメンと

    さけぶことができたことは

    釧路町の葬儀場設立以来

    初めて

    前代見聞の出来事だったに

    違いありません。

     

    そうしたくても

    できるものではありません。

    (何せ釧路中の葬儀場から

    ご遺体が運ばれてくるわけですから)

     

    たいていさまざまな

    多様な宗旨の方々が

    混在している中では

    声や音は

    控えめにしなければなりません。

     

    そういう意味では

    昨日は悲しみの中にも

    神の慰めが満ちた

    葬儀の日となりました。

     

    炉に入る直前の棺に

    私が手を置くと

     

    私が何を申し上げなくても

     

    そこに集われた20名以上の方々が

    サーっと

    一斉に手を置く一体感

    故人を偲ぶ半端ない連帯感に

    身震いするほどでした。

     

    その火葬の炉の前に集う

    20名以上の方々

    Aさんから見て親、兄弟姉妹、子どもは

    一人もいません。

     

    Aさんをただ慕うために

    集まった方々

    しかも

    お互いに知らない者同士が

    結構いるのです。

    珍しい光景

    これもAさんを通して

    神が備えたもう

    ご縁の恵み

     

    通常

    火葬場に行くのは

    ご遺族や近親者のみが

    多いでしょう。

     

    葬儀後に

    「あとは(ご遺族)近親者のみで」

    というフレーズが

    使われます。

     

    今回の葬儀では

    全員が「近親者」意識

    全員が「遺族」意識を

    お持ちでした。

     

    そもそも

    前夜式の時も

    告別式の時も

    喪主の席に

    座られていたのは

    血縁関係のないご友人Bさん

     

    そもそも

    喪主とか

    施主という用語そのものさえ

    今回

    一言も使いませんでしたし

    聞かれませんでしたし

    問われもしませんでした。

     

    BさんはAさんの生前

    血縁関係が

    ある方々以上に

    ねんごろにAさんを大切にされて

    おられたことは

    周知の事実でした。

     

    ですから

    誰一人

    「なんであなた(あの人)が

    そこに座っているの?」

    と問う人が

    一人も

    いませんでした。

     

    今回の葬儀は

    私の葬儀経験の中でも

    極めて異例づくめの連続でした。

     

    それでも

    神様が望まれる

    葬儀って

    本来

    こういうものなのかもしれない

    そう思わされました。

     

     

    手弁当でも火葬場へ行く!

    自ら運転してでも火葬場へ行く!

     

    (火葬場での昼食は各自が手弁当で!)

     

    「神父さん(わたしは牧師なんですけど・・・)もおにぎり食べて!」

    差し出されたシャケの

    おにぎりのありがたさ

    「神父さんもお漬物どうぞ!」

    こういう光景ってとっても

    心温まるものでした。

     

    土砂降りの中でも

    行って、Aさんの拾骨をする!

     

    そういう意識を持った方々

    ばかりが

    どっと火葬場へ

    向かわれました。

     

    会葬者の中に

    半端ない一体感、絆、連帯感を

    感じさせられました。

     

    Aさんを通して

    Aさんを知る者同士の

    新たな絆が生じることができたことを

    神様、そして天に帰られたAさんに

    感謝したいです。

     

    火葬場から帰って

    教会堂で偲ぶ会を

    終えて

    最後の最後まで

    お残りくださった

    20数名の方々に

    フルーツティーを

    ふるまわせていただきましたら

    皆さんとても喜んで

    「これ、何の味ですか?

    おいしいですね〜」

    と喜んでくださいました。

     

    今回の会葬者の大多数90%以上が

    まだクリスチャンではない方々

     

    キリスト教葬儀参列は

    初めてという方々ばかり

     

    にもかかわらず

    口々に

    「キリスト教の葬儀は、感動的ですね。」

     

    「自分は仏教の家庭だけど、

    自分の葬儀はキリスト教でやってもらいたい。」

     

    「今度、教会の礼拝にも行ってみたいけどいいですか。」

     

    などなど

    好意的なありがたい

    ご感想をたくさん伺うことができて

    感謝でした。

     

    JR釧路駅前には

    キリスト教結婚式専用チャペルが

    ありますが

     

    これから

    釧路のどこかに

    キリスト教式葬儀専用チャペルも

    できたらいいなあ〜

    と思いました。

     

    多くのまだクリスチャンではない方々が

     

    キリスト教結婚式

    チャペル・ウエディングを

    選びとる昨今ですが

    (東京の約80%約札幌の約50%と聞いたことがあります。)

     

    多くのまだクリスチャンではない方々が

    キリスト教葬儀

    チャペル・フューネラルを

    選び取ることができたら

    素晴らしいな〜

     

    知恵のある者の心は喪中の家にあり、

    愚かな者の心は楽しみの家にある。

    (旧約聖書 伝道者の書7:4)
     

     

    ウエディングチャペルは

    全国に山ほどありますが

     

    フューネラル・チャペルは

    まだ聞いたことがありません。

     

    全国初の

    フユーネラル・チャペルが

    釧路に誕生し

    聖書が

    信じる者に約束している

    罪のゆるし、永遠のいのち

    からだのよみがえりの希望が

    慰めとなって

    この町を覆うことができますように

     

     

    結婚する祝福は

    必要としている人もいれば

    必要としていない人もいる

     

    しかし

    天国の慰めについては

    必要としていない人は一人もいない!

     

     


    喜んでいる者たちとともに喜び、

    泣いている者たちとともに泣きなさい。

    (新約聖書 ローマ書12:15)

     


    祝宴の家に行くよりは、

    喪中の家に行くほうがよい。

    そこには、すべての人の終わりがあり、

    生きている者がそれを

    心に留めるようになるからだ。

    (旧約聖書 伝道者の書7:2)

     

    今回の葬儀

    急きょ教会堂で行われたのですが

     

    桜ヶ岡みどり町内会の方々が

    たくさんお見えになり

    ご協力くださいました。

     

    なんと町内会のご婦人が

    「なんでも手伝わせてください!」と

    進み出て

    玄関でプログラム用紙を配られて

    会葬者の方々を

    お迎えくださいました。

     

    教会と

    町内会の親近感というか

    心の距離が

    今まで以上に

    ぐっと近くなる機会と

    されたことも

    神様、そして天にお帰りになられたAさんの

    お陰と感謝!

     

    私たちも

    この地上をお暇する時

     

    Aさんのように

    誰かと誰かの

    橋渡しができたら

     

    つながりの起点となれたら

    どんなに素晴らしいかなと

    思わされました。

     

    主イエスは

    十字架にかかり

    死んでよみがえり

    この地上を離れることで

    信じる

    わたしたちと

    父なる神との橋渡しと

    なられましたね〜

     

     

     

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    「天の慰め」
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      昨日Aさんが77歳の御生涯を閉じて

      天の故郷へお帰りになりました。

      Aさんの御意志で

      教会堂で召天前夜式(仏式の通夜にあたるもの)

      が執り行われました。

       

      お昼近くに天に召され

      その日の晩の

      ご葬儀と言うことで

      急ピッチで準備

       

      私どもの教会では

      焼香に代わり飾花といって

      上写真手前のオアシスに

      一輪一輪

      参列者の方々が

      それぞれの惜別の思いをこめて

      挿していきます。

      ↓↓↓

      昨晩は参列者のみなさんが

      挿し終わったオアシスは

      天の花園を思わせるようなものと

      なりました。

      通常祭壇は、葬儀屋さんや

      花屋さんがつくるものというイメージがありますが

      今回は

      会葬者自らの思いが

      詰まった

      世界にひとつしかない祭壇!です

      ↓↓↓

       

      ご遺族の御希望にこたえて

      棺の蓋は、式の間中

      開けた状態としました。

       

      素敵な着物を

      お召しになられた様子を

      会葬者の方に見て

      いただき故人を

      偲んでいただくために

       

       

       

      親、兄弟、子供のおられないAさんですが

      サークル仲間の方々や

      町内の方々がお盆のご多用の中にもかかわらず

      たくさん、お見えになりました。

      お亡くなりになった当日の

      式にも関わらず口づてで

      広がったようです。

      地域のきずなってすごいと

      思いました。

       

       

       

      式が終わりましたら

      みなさんお休みいただきます。

       

      私どもの教会の葬儀では

      あえてろうそくを立てたりしません。

       

      世の光なる

      キリストの光が

      護ってくださっている

       

      よく日本では、ご遺体に邪気が

      とりつかないように、と

      ろうそくの火を絶やさないように

      ご遺族が交代に一晩中

      寝ないで番をするという

      慣わしがまだ行われるケースが

      あるようですが

       

      聖書の神は

      眠ることもなく、まどろむこともなく

      ご遺体を悪しきものから

      見守っていてくださる方であると

      約束していますので

       

      ご遺族、近親の方におかれましては

      しっかりと

      睡眠をとっていただくように

      おススメしております。

       

      今日はこれから午前11時

      召天告別式

       

      今回、ご遺族の御意向で

      「お花料」や「ご香典」などは

      いっさい受け取らない形での

      葬儀となりました。

       

      本当に偲びたい人だけが

      手ぶらで集まれる葬儀って

      大切だなって

      思わされています。

       

      今日も全力で

      そんな方々に

      寄り添わせていただきたいと願っています。

       


      14:1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。

      神を信じ、またわたしを信じなさい。
      14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。

      そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
      14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、

      あなたがたをわたしのもとに迎えます。

      わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
      14:4 わたしがどこに行くのか、

      その道をあなたがたは知っています。」
      14:5 トマスはイエスに言った。

      「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。

      どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
      14:6 イエスは彼に言われた。

      「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

      わたしを通してでなければ、

      だれも父のみもとに行くことはできません。

      (新約聖書 ヨハネの福音書14:1〜6)

       

      昨晩の

      召天前夜式では

      上の聖句から

      イエス様信じたら

      誰でもどんな罪でも赦されて

      天国へ行ける

      永遠の命にあずかれるというお話を

      させていただきました。

      今日は

      その天国と言う故郷が

      どんなに素晴らしい所かを

      皆で聖書から

      味わいたいと願っています。

       

      真の慰めが

      天から来ますように・・・

       

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      谷底にもおられる主
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        ご近所でお一人暮らしされているAさんの

        危篤の知らせを受け

        一昨日夕食を後回しにして

        病院へ向かいました。

         

        親、兄弟、姉妹、お子さんが

        いらっしゃらないAさん

         

        それでも

        サークルのお仲間が

        次から次へと

        知らせを聴いて

        かけつけています。

        まるで

        同じ家族をいたわるように・・・。

         

        Aさん

        その仲間たちの支えもあってか

        必死に生きようと

        賢明に呼吸を

        されていました。

         

        Aさんの回復を

        心から

        切に祈ります。

         

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        一昨日は

        私も

        まだ腰痛の鈍い痛みが残る中

        午前中

        約10キロ

        ランニング

         

        ぜんそく持ちで

        気管支が狭くなりやすく

         

        走り始めるや否や

        呼吸が荒くなるのが常

         

        それは登山をするときも同じ。

        登り始めただけで

        ぜーぜー

        フーフー

         

        ビデオでも撮ろうものなら

        自分の荒い息ずかいばかりが

        録音されてしまいます。

         

        Aさんも同じ

        喘息があって

        私と同じ吸入を使用していました。

         

        この日は

        酸素マスクをしながら

         

        荒い息づかい

        苦しそう

         

        モニターの波が少しずつ

        なだらかに

        なってきているのを

        気にされている御親戚

         

        呼吸が苦しい方に

        お話しさせていただくときは

         

        なるべく

        呼吸のリズムに合わせて

        ご本人が

        息を

        吐き切った時を

        見はかるように

         

        文節を

        短い単語に区切って

         

        間を取って

        語らせていただくように

        しています。

         

        「Aさん〜」

        目を開けるAさん

         

        「教会の山形です〜」

        瞬きするAさん〜

         

        「わかりますか〜」

        何やら声を発しようとするAさん

         

        「イエス様がね〜」

         

        「ここにね〜」

         

        「おられますよ〜」

         

        「イエス様はね〜」

         

        「Aさんの病と罪を背負ってね〜」

         

        「十字架で死んでね〜」

         

        「よみがえったんですよ〜」

         

        「Aさんの救い主ですよ〜」

         

        「イエス様信じたらね〜」

         

        「すべての罪がね〜」

         

        「ゆるされるんですよ〜」

         

        「永遠のいのちがね〜」

         

        「あたえられるんですよ〜」

         

        「イエス様に信頼しましょうね〜」

         

        「イエス様、助けてください、ってね〜」

         

        「心の中で叫んでみましょうね〜」

         

        「イエス様の名前、呼び求めたらね〜」

         

        「誰でも救われるって

        約束してますからね〜」

         

        「声出せなくてもね〜」

         

        「心の中でね〜」

         

        「お祈りされたら大丈夫ですよ〜」

         

        「私の後についてね〜」

         

        「心の中で、一緒にお祈りしてみましょうね〜」

         

        最後に

        「アーメン」というと

         

        「アー」と

        応答されるAさん

         

        一昨日

        心停止し

        死の淵を通られた

        Aさん

         

        心停止から

        回復できたのは

        主がAさんに

        福音をもう一度

        明瞭に聴かせて平安を

        得るチャンスを

        与えるため・・・

         

        平安な心の備えを

        させてあげるため・・・

         

        必死に

        死の陰の谷にあって

        谷底を見ながらではなく

        主イエスを見上げて歩もうと

        されているAさん

         

        4つの難しい病を

        おもちのAさんですが

        必死に生きているAさんの

        傍らで

         

        「主よ〜

        Aさんの呼吸を楽に

        させてあげてください・・・」

         

        切に祈るばかり

         

        10キロランの

        呼吸のつらさは

        51分余り

        続きますが

        けっこうしんどいもの

         

        しかし

        Aさんのしんどさは

        それとは比べ物にならないほど

        大きい

         

        長時間の持久走のよう

        サロマ湖100キロマラソン

        以上に

        呼吸がおつらい状態でしょう。

         

        呼吸困難の状態の人に向かって

        「がんばれ〜」は、時に

        酷な言葉

         

        言われなくても

        がんばっているのですから〜

         

        「あなたのそばにいますよ〜

        主も私も〜」

         

        お見舞いから帰る時も

        「私は帰りますけどね〜」

         

        「イエス様はね〜」

         

        「いつまでもね〜」

         

        「眠ることなくね〜」

         

        「この病室に

        ともにおられますからね〜」

         


         たとえ死の陰の谷を歩むとしても

        私はわざわいを恐れません。

        あなたがともにおられますから。

        あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。

        (旧約聖書 詩篇23:4)

         

        Aさんの隣のベッドには

        いとこのBさんが

        付き添って

        二晩泊まられましたが

         

        ほとんど眠れぬ状態

         

        夜中に

        Aさん

        よほど苦しいのでしょう。

         

        酸素吸入をとったり

        もがいて

        かなり激しく動かれるそう

         

        Bさん自身

        お体の疲弊が激しく

         

        昨晩は

        ついに

        ビジネスホテルに泊まることに

         

        周囲の人も

        付き添う

        Bさんのお体を

        心配して

        見るに見かねて、そう

        勧めてくださいました。

         

        何せたったひとりの親戚

        替われる人がいない・・・・

        完全看護といえども・・・

         

        せめて

        最も苦しい時に

        せめて

         

        少しでも

        そばで付き添っていてあげたい気持ちと

        自分自身の体力の限界との狭間で

         

        多くの近親者が

        このような体験を通られる姿を

        いやというほど

        牧師として見てまいりました。

         

        昨晩はAさんのサークル仲間が

        Aさんを案じて3名お見舞いに

        来ておられました。

         

        デイルームで

        その3名の方から

        キリスト教について

        色々と

        ご質問を受けました。

         

        Aさんは

        身寄りがなくても

        交流関係が

        極めて広く

         

        2日で

        のべ

        10名以上の方々が

        入れ替わり立ち替わり

        お見えになられていました。

         

        それほど

        多くの仲間たちから

        慕われているAさん

         

        一生懸命

        力を振り絞って

        呼吸されるAさんの

        傍らに

        主イエスがおられて

        今日も

        支えてくださいますように。

         

        携帯電話を不携帯しやすい

        私ですが

         

        Aさんのこともあり

        四六時中

        携帯させていただいています。

         

        夜中にメール音がすると

        飛び起き

        Aさんに何かがあったか?

        昨晩は

        エクアドルで宣教師をしている

        英国人の友人からの

        メール

        時差があるので

        とんでもない時間に

        鳴ってしまう・・・

         

        私も

        眠れる時間に

        寝ないと・・・

         

        今日は終戦記念日

        生きることは

        ある意味で

        戦いの連続・・・

        あのミケランジェロが

        システィーナ礼拝堂の天井画を

        描いている時

        教皇ユリウス2世が

        「いつになったら終わるんだ?」

        と再三再四

        ミケランジェロに尋ねた時

        再三再四

        「描き終わった時だ」という

        同じ答え方をしたという話を

        思い出します。

         

        私たちの人生

        主が「いいよ」と言うまで

        主を証し続ける

         

        わたしたちが

        いつ天に召されるか

        年齢順で決まるわけでもなく

        病の軽重の程度で決まるわけでもない

         

        ただ一つ言えることは

        主の証をし終える時

        その時が

        天に召される時

         

        私がよく重篤な患者さんの

        お見舞いに行く時

        よく言うことは

        「お見舞いに伺った私の方が、

        先に召されるかもしれませんよ

        病院の帰り道に・・・

        誰もわからないんですよ。

        どっちが先か?なんか

        ただ生きるにしても

        死ぬにしても

        わたしたちは

        主のものであることは確かなことです。」


         私たちは、

        生きるとすれば主のために生き、

        死ぬとすれば主のために死にます。

        ですから、生きるにしても、死ぬにしても、

        私たちは主のものです。
        14:9 キリストが死んでよみがえられたのは、

        死んだ人にも生きている人にも、

        主となるためです。

        (新約聖書 ローマ書14:8〜9)

         

        Aさんの

        回復を祈りつつ・・・

         

        J.S.バッハ マタイ受難曲 第39番

        「憐れみたまえ、わが神よ」を

        聴きながら・・・

         

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        「結婚したいのに・・・」「離婚したくないのに・・・」
        0

           

          今日

           

          「離婚したくないのに」離婚された方

          「結婚したいのに」結婚されない方の

           

          お話を

          伺いました。

           

          どちらも

          私より人生の先輩

           

          いずれも「経済的な理由」だそうで・・・

           

          離婚したくなかったのに

          離婚を余議なくされた相手の方も

           

          結婚したいのに結婚されない相手の方も

           

          どちらの方も現在

          深刻な病で生死の狭間で

          必死に

          生きておられるとのこと。

           

          お話をうかがっていて

          心が締め付けられるような

          痛みを覚えました・・・。

           

          キリストの愛が

          このような呻きを

          もった方々の心にも

          流れて行きますように・・・。

           

          一見、平和そうに見える

          釧路にあって

          同じような問題を

          抱えている方々は

          少なくないかもしれない、

          そう思いました。

           

          「法」と「福祉」と「愛」の

          関係について

          色々と考えさせられます・・・。

           

          本当に人を幸せにするものは・・・

           

           そして、

          これらすべての上に、

          愛を着けなさい。

          愛は結びの帯として完全です。
          (新約聖書 コロサイ書3:14)

           

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          「アジサイ」と「コスモス」
          0

            (釧路市桜ヶ岡のアジサイ2018.8.13,午前7時15分)

             

            釧路の夏の教会礼拝出席の楽しみは

            帰省してくる若者たちと会えること

            避暑地としての釧路を求めて

            来られる方々と会えること

             

            昨日の礼拝には

            遠く四国から帰省した

            大学生Aさんが

            「寒い〜」と驚いていました。

             

             

            (釧路市桜ヶ岡のアジサイ2018.8.13,午前7時15分)

             

            Aさんは地元高校理数科を

            卒業され

            現在薬学を

            勉強されていますが

             

            今回帰省して

             

            「釧路は、アジサイとコスモスが

            同時期に咲いていますよね〜。」

             

            (釧路市桜ヶ岡のコスモス2018.8.13,午前7時20分)

             

            Aさんの何気ないことば

            「アジサイとコスモスが同時期に咲いている・・・」

            が印象に残りました。

             

            (釧路市桜ヶ岡のコスモス2018.8.13,午前7時20分)

             

            初夏の花と思われるアジサイと

            秋桜と書いて秋の花と思われるコスモスが

            同じ花畑に咲いている光景は

            不思議と言えば不思議ですね。

             

            わたしたちの居住する地域の

            植物、動物含めた

            生態系のうめきが

            年々大きく感じられるように

            なってきたよう

             

            ヘンデルのハープシコード組曲第2番

            バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番

            を聴きながら・・・痛感


            私たちは知っています。被造物のすべては、

            今に至るまで、ともにうめき、

            ともに産みの苦しみをしています。

            (新約聖書 ローマ書8:22)

             

             

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