「天皇陛下の幼少教育」
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    昭和天皇の養育係、足立たかさんは

    父親が札幌バンドのクリスチャン

     

    明仁上皇(平成天皇)の家庭教師ヴァイニング夫人は

    クエーカー系のクリスチャン

     

    そして徳仁天皇(令和天皇)(浩宮さま)の教育係は

    濱尾実さんというカトリック系クリスチャン

     

    濱尾さんは、親ごさんが

    天皇陛下であろうとも

    遠慮しないで

    子育てにおいておかしいところは

    きちんと指摘されて

    こられたそうです。

     

    このあたりが

    さすがは神のしもべ

     

    このように

    三代にわたり

     

    日本の天皇陛下の

    幼少養育が

    聖書の価値観の影響を受けた

    クリスチャンたちに

     

    創造主が担わせ続けて

    くださったことは

    本当に不思議です。

     

    つくづく日本の皇室は

    創造主なる神様からの

    愛のまなざしの対象と

    されてきたと思わされます。

     

    私の名前も浩宮さまの「浩」と

    相通ずることもあり

    天皇陛下には

    とても親近感を

    覚えさせていただきます。

     

    自分の名前の漢字を

    説明するときに

    「さんずいに告白の告です。」と言う時も

    ありますが、

    「浩宮さまの浩です。」と言う時も

    多いです。

     

    浩宮さまのご祖父

    かつての

    昭和天皇のおことば

     

    「現神〔あきつかみ〕の問題であるが、

    本庄だつたか、宇佐美〔興屋〕だつたか、

    私を神だと云ふから、

    私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。

    そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」

    『昭和天皇独白録』(文春文庫)37頁からの引用

     

     

    浩宮さまは、

     

    英国ご留学中

    バイブルクラスに

    お顔を出されて

    天地創造の神の「ことば」に

    ふれて

    聖書の人間観、価値観、倫理観を

    かつて日本へ宣教師として来られたことがある

    G氏から、直々に

    学ばれたことがおありだそうです。

     

    神道には

    人として

    いかに生きるべきか

    を記した「経典」が

    存在しないため

     

    夫婦のありかた

    こどもの育て方

    などについて

    皇室の方々は

    お悩みになられてきたところ

    だと思います

     

    上皇后の美智子さまの場合

    正田家が

    クリスチャンのご家系で

    美智子さまご自身ミッションスクールで

    聖書の価値観の

    学びを受けてこられましたので

     

    聖書的夫婦観や

    親子観

    子育て観が

    少なからず

    皇室の中に

    反映されてきたと

    思われます。

     

    昨日の即位の儀式を経て

    これから、色々と

    重圧もおかかりになられる

    ことと思いますが

     

    天地創造の神のことば

    聖書のことばが

    日本国民統合の象徴としての

    天皇陛下の心の

    支えとなりますように。

     

    私どもの教会では

    毎週月曜日の祈り会では

    皇室の全員のお名前を

    一人ずつ挙げて

    祝福をお祈りさせていただいているので

     

    昨日は

    そのお一人お一人の御顔を

    テレビ画面で

    改めてご確認させていただくことができて

    感謝でした。

     

    そこで、私は何よりもまず勧めます。

    すべての人のために、

    王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、

    祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
    (新約聖書 1テモテ2:1)

     

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    生きて働く「ことばのちから」
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      2019.10.20

      帯広キリスト福音教会にて

      昨年の秋の講演会で

      集会後に一人のご婦人が

      私のところに色紙とマジックを

      携えて来られ

      「何か、私のために聖書のおことばを

      書いてください。」

       

      そう言われて

      その方の深いご事情も

      わからないまま

      主に「主よこの方にふさわしいみことばを

      教えてください」と祈りつつ

      そこで心に思い浮かんだ

      聖書のお言葉を

      書かせていただきました。

       

      正直、その時

      マジックで書きながら

      「でも主よ、このみ言葉の意味

      このご婦人に伝わるでしょうか・・・」

      とやや不安が

      一瞬よぎったのも事実でした。

      もちろん、

      説明はさせていただきましたが・・・

       

      あれから1年ぶりに

      その色紙を見せられて

       

      ああ、そういえば

      昨年

      そんなお言葉を

      書かせていただいたことがあったなあ

      思い出しました。

       

      このご婦人は

      1年間

      この聖書のお言葉を

      大切に

       

      来る日も来る日も

      神様が

      自分に備えてくださったお言葉なのだと

      信じて

      握りしめて歩まれたそうです。

       

      とっても

      励まされました。

       

      神様の憐れみによって

      ご婦人は

       

      その聖書のことばに促され

      それまでゆるすことに

      難しさを覚えておられた方を

      ゆるすことが

      おできになったことを

      打ち明けてくださいました。

       

      すると心がすっきりして

      うきうきしてきて

      喜びが満ち溢れてきて

      そればかりか

      主イエスの愛の素晴らしさを

      多くの人に

      伝えたい気持ちに

      かりたてられて

      会う人会う人に

      主イエスのことをお伝えしたり

      教会にお誘いするようになり

      その中から

      洗礼を導かれた方も

      起こされ始めています。

       

      神様のお言葉は

      信じる人の心の中で

      働くとき

      驚くべきことが

      次々に

      起こるものだと

      改めて思いました。

       

      この日も

      このご婦人は

      新しいおともだちを

      教会の礼拝に

      お招きになられました。

       

      誘うことが

      もうこのご婦人にとっての

      ライフスタイルのようです。

       

      聖書のストーリーで

      イエスさまのところに来て

      「あなたを我が家に

      お迎えする資格は

      わたしなどには

      ございません。

      ただお言葉をお聞かせください。」

      と言った人の話を思い出します。

       

      自己啓発セミナーでの

      心響く言葉も

       

      カウンセリングでの

      ほっこりする言葉も

       

      時には

      いいかもしれませんが、

      一時的かなあ〜

       

      しかし

      私たちを真の意味で

      内側から変革できるお言葉は

       

      永遠に変わらない

      効果永続的な

      聖書のお言葉

       

      わたしたちを母親の胎内でかたちづくられた

      神様のお言葉

      聖書のことば

      なのだなあと

      思いました。

       

      また、神の大能の力の働きによって

      私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、

      どれほど偉大なものであるかを、

      知ることができますように。

      (新約聖書 エペソ書1:19)

       

      今日の天皇陛下の即位の礼に関連して

      恩赦制度について

      多方面で議論されているようです。

       

      司法機関が下した「刑罰」が

      行政機関の判断で

      「免除」されることが

      三権分立の原則に照らしてみて

      妥当と言えるか

      慶事に「恩赦」が行われること自体に

      合理性があるだろうかなどなど

       

      主イエスの「ゆるし」には

      合理性が

      あります。

       

      罪には必ず罰、裁きが伴ないます

      (罪刑法定主義)が

      聖なる神様が、私たちの罪を

      「ゆるす」という場合に

      それは水に流して

      なかったことにするわけではない。

      主イエスの血に

      免じてゆるすということ

       

       

      主イエスご自身が

      十字架にかかることを

      通して

      私たちが本来受けるべき

      刑罰が「償われた」と

      法律的に見なされるのです。

       

      つまり「刑罰代償」という

      意味が

      主イエスの十字架には

      こめられているのです。

      この点において

      キリストの十字架の死の出来事は

      クリスチャンのみならず

       

      全時代を通して

      全人類にとって

      他人事ではなくて

      「自分ごと」となりうるのです。

       

      しかし、彼を砕いて病を負わせることは

      主のみこころであった。

      彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、

      末長く子孫を見ることができ、

      主のみこころは

      彼によって成し遂げられる。

      (旧約聖書 イザヤ書53:10)
       

       

      主イエスの十字架で

      刑罰が執行されますが

      その刑罰を受ける担い手は

      本来は、神の前に罪あるわたしたち

      ひとりひとりであったはず、

       

      しかし

      主イエスが「代理」として

      刑罰をお受けになった

      ということですね。

       

      主イエスの愛に基づく

      「しりぬぐい」行為

      「かばう」行為

      犠牲愛の結晶としての十字架愛

       

       

      避雷針にも似ています。

      雷が避雷針に落ちることで

      周囲が助かるように

      聖なる神の怒りのさばきの鉄拳が

      わたしたちの頭上にではなく

      み子イエスの

      上に下された。

       

      主イエスは

      私たちが一生かかっても

      支払うことのできない

      聖なる神への

      「膨大な損害賠償請求額」

      主イエスが

      十字架でいのちを

      ささげることを通して

      1度で完済されたのです。

       

      そして

      み子イエスは

      十字架で父なる神のさばきを

      お受けになることで

      神の怒りを宥められた。

       

      昔で言うと

      厳格な父親が

      息子に

      「おまえなんか勘当だ!」と言って

      追い出そうとするときに

      母親がすかさず、

      「この子をゆるしください。

      わたしがいけなかったんです。」

      わが子をかばって

      とりなして

      父親の怒りを宥めるストーリーと

      似ていないでも

      ありません。

       

      十字架上で

      主イエスは

      「父よ、彼らをおゆるしください。

      彼らは自分が何をしているのかが

      わかっていないのです。」

      と祈られました。

       

      神様は目に見えませんが

      悪魔も目に見えない存在

       

      悪魔の役割は

      「罪責感」とい荷重を

      担わせる専門家のよう

       

      「罪の責任をとれ」と

      私たち人間に

      罪の報いという

      借金の支払い請求書を

      ちらつかせて

       

      怖い顔で黒眼鏡かけ

      時にはどなり、時にはささやいて

      私たちを

      脅かし、怖がらせ

      心の扉を乱暴に叩いたり

      蹴飛ばしてして

      穴ぼこにして

      ひっきりなしにやって来

      夜中はひっきりなしに

      催促電話をかけては

      「いつになったら払うんや!」と

      脅す人のよう

       

      十字架上で

      主イエスが

      発したお言葉の

      一つが「完了した!」でした。

      ここでいう「完了した」という

      言葉は

      当時の経済専門用語で

      「支払いが完了した」という意味となります。

      もう、お前を責め立てる者は

      こないから

      安心しなさい、

      とおっしゃっておられるよう。

       

      罰金を代わりに

      支払いきったという宣言

      死んよみがえったことによる

      死の力を持つ

      悪魔に対する勝利宣言。

       

      もう責められることはない

      ということ。

       

      車の保険で言うと

      相手の車の修理代を

      すべて保険会社が

      支払ってくださるようなもの。

       

      車の保険の場合

      支払いが済んでも

      保険料が高くなるという

      重荷をかかえることになりますが

      主イエスは

      信じる者に

      そのような

      重荷を負わせない

       

      主イエスの場合は

      私たちが

      毎日掛け金を支払う必要はない

      主イエスが

      すべての支払いを

      十字架上で

      してくださったから。

       

      今回約55万人の方々が

      全国で恩赦の対象となり

      その内容は「復権」にかかわることのようです。

      もちろん審査は

      しかるべき機関でなされることでしょうが。

       

      約55万人が

      本来受けるべき「刑罰」

       

      その刑罰を誰かが

      代わりに担うのか?と言えば

      そんなことはありません。

       

      つまり刑罰が執行されないまま

      慶事にゆえに

      帳消しにされてしまう

      ということ。

       

      法務省では、このことについて

      「合理性がない」と判断している

      とのことです。

       

      払うべき借金が

      支払われていないまま

      水に流されたかたちと

      なるわけですから・・・。

       

      そうなると

      どこに「正義」があるのか?

      という疑問が生じかねない・・・

       

      とりわけ

      損害被害を受けた方々にとっては

      喜ばしいはずの「慶事」が

      痛みの「慶事」

      不合理な慶事、

      合点がいかない慶事

      腑に落ちない慶事に

      なりかねません。

       

      キリストの

      十字架は

       

      神の刑罰は、十字架できっちりと、

      執行されたので

      落とし前がついたので

      「神の正義」が満たされているのですから

       

      誰も文句は言えない!

       


      4:25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、

      私たちが義と認められるために、よみがえられました。

       


      5:6 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、

      定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
      5:7 正しい人のためであっても、

      死ぬ人はほとんどいません。

      善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。


      5:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、

      キリストが私たちのために死なれたことによって、

      神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。


      5:9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、

      この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
      5:10 敵であった私たちが、

      御子の死によって神と和解させていただいたのなら、

      和解させていただいた私たちが、

      御子のいのちによって救われるのは、

      なおいっそう確かなことです。

      (新約聖書 ローマ書4:25、5:6〜10)

       

      これらの聖句を読んでもわかるように

      主イエスの十字架によって

      神の「正義」と神の「愛」が

      どちらも

      成就された(満たされた、充填された)。

       

      神は罪の刑罰を

      決して水に流すお方ではありません。

      罪刑法定主義の源のお方です・・・

       

       

      恩赦と言う制度について

      「更生の意欲が

      喚起される」

      ためという説明が

      なされていますが・・・

       

      私自身保護司をしていて

       

      かつて

      面接をさせていただいた

      方に、この恩赦というテーマについて

      お尋ねをしたことがあります。

       

      「恩赦の制度の恩恵を受けられるとしたら

      受けたいと思いますか?」

       

      そう問いかけたところ

       

      その方は

      「いろいろと煩雑な手続きがあり時間も要するので

      あまり、受けたくありませんねえ。

      むしろ自分のしでかした罪の大きさを自覚して

      その罪の結果としっかり向かい合うことが

      真剣に更生に向かえると思います。

       

      そうお答えされていました。

      刑事罰をお受けになられていた

      当事者のことばだけに

      重みがあると

      思いました。

       

      何が人を更生に向かわせるのか

      それは人それぞれなのだなあと

      思いつつ

      「正義が行われるとき」

      なのかもしれない。

       

      水戸黄門や

      銭形平次や

      大岡越前などの

      とりものちょうが

       

      お茶の間で好まれてきたのは

       

      「不正、不公平、理不尽さがまかりとおっているように

      感じられる日々の生活の中で

      少なくとも

      テレビドラマの中では

      正しいおさばきが

      行われてほしい」という

      視聴者の心の中にある

      義に対する渇きがあるからではないか

      と思わされます。

       

       

      私は高校時代(まだクリスチャンじゃなかったころ)

      カトリックのミッションスクールで

       

      宗教科の時間にテストの

      質問・意見欄に

       

      「イエスキリストの十字架のゆるしの

      教えは

      良い教えとは思いません。

      神様がゆるしてくれるんなら

      いくらでも罪を犯そう、ということになり

      犯罪がむしろふえてしまうんじゃないか・・・」

      というようなことを書きました。

       

      しかし

      その後

      主イエスが

      私を愛して

      私のために

      十字架でいのちをささげて

      身代りに刑罰をお受けになったことの

      ありがたさを

      知った時

       

      「どうせゆるされるんだから罪を犯そう」

      ではなくて

       

      「私の罪のために

      命までかけて償ってくださった方がおられる。」

       

      「その方の血に免じてゆるしていただけた。」

       

      「ゆるしていただけたのだから

      これからは、

      罪を憎んで

      罪を犯さないように

      生きていきたい」

       

      という人生観に

      変わるんだということを

      体験的に

      知りました。

       

      そのことを知った時は

      曇り空から

      太陽の明りがさしてくるような

      感覚を

      味わったものです。

       

      人は

      愛を実感する時

      愛を示してくださった方を

      悲しませることを

      嫌うものです。

       

      ゆるされたから

      得してよかったじゃなくて

       

      この方が

      ここまで犠牲を払い

      痛みを背負ってくださったのだから

       

      この方の愛に

      応えて生きていきたい。

      この方の愛を模範として生きていきたい。

       

      色紙を持たれたご婦人も

      それゆえに

      それまでゆるしがたかった方を

      ゆるすことがおできになられた。

       

      神の前に自らの罪を告白し

      主イエスを

      罪からの救い主として信じる時

      神のゆるしを

      信じる時

       

      「罪をおかしてもへちゃら」という感覚は失せて

      「罪をおかしくたない」感覚へと変えられます。

       

      今回色紙のみ言葉を

      大切にされてきた

      ご婦人も私も

      その点においては

      共通しています。

       

      今日、主イエスは

      罪を告白して

      神に立ちかえる

      すべての人に

      ゆるしと同時に

      罪を憎んで生きる

      新しい「ハート」を

      心に移植してくださいます。

       


      36:25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、

      あなたがたはすべての汚れからきよくなる。

      わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
      36:26 あなたがたに新しい心を与え、

      あなたがたのうちに新しい霊を与える。

      わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、

      あなたがたに肉の心を与える。
      36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、

      わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。

      (旧約聖書 エゼキエル書36:25〜27)

       

       

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      「教会大好き」 チャペルドッグ!
      0

        「ぼくね、片方の耳だけ横に立てることができちゃうのよ!」

         

        2019.10.20

        帯広キリスト福音教会

        「うちの犬は、教会へ行くのが大好きで

        たまらないんですよね。」

         

         

         

        かわいいビーグルちゃん

         

         

        ふたりの親父に頬ずりされて

        ご満悦?の

        ビーグルちゃん!

        いやされるなあ〜

         

        ワンちゃんの飼い主のAさんは

        大学教授(微生物研究者)

         

        学部長としての働きや

        大学院生の論文指導

        などで

        超多忙な日々を送られているAさん

         

        それでも

         

        毎週日曜日は

        こうして

        大好きなワンちゃんを伴なって

        教会へ

         

        Aさんは

        微生物から宇宙まで創造された

        創造主なる神様を信じて

         

         

        創造主を礼拝し

        聖書を学ぶために

        教会へ通われています。

         

        微細な生物の営みを見つめれば

        見つめるほど、

         

        いのちを創造された

        神の愛とご計画が確かにあることを

        確信できるそうです。

         

        Aさんの研究テーマは「共生」

         

        キリストを信頼されて

        誠実、忠実、親切、寛容

        謙遜・・・に歩まれるその

        温厚なお人柄は

         

        大学で

        多くの

        学生、留学生

        教職員からの

        尊敬の的と

        なっておられることでしょう。

         

        ですから、あなたがたは神に選ばれた者、

        聖なる者、愛されている者として、

        深い慈愛の心、親切、

        謙遜、柔和、寛容を着なさい。

        (新約聖書 コロサイ書3:12)

         

        昨年Aさんから

        鼻洗浄について教えていただき

        毎日実践しています。

         

        学んだことは

        実践するって

        大事ですよね〜

         

        「気持ちいいですよね〜。」

        「風邪引きませんよね〜。」

         

        十勝もすっかり秋の涼しさ〜でした。

         

        来週27日(日)は

        フードバレー十勝マラソンの

        交通規制で

        帯広キリスト福音教会の

        礼拝午前10時半〜

        に来られる方々は

        お気をつけくださいませ

         

         

         

         

         

         

         

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        「帯広キリスト福音教会へ」
        0

          2019.10.19

          帯広市で行われる講演会奉仕の前に

          入院中のAさんをお訪ねして

          主イエス様の誕生と十字架のお話を

          させていただきました。

           

          Aさんはお声を発することができませんが

          目でお話しすることが

          おできになるようです。

          とても熱心に食い入るように

          見つめてくださいました。

           

          ひとつひとつの絵や文章をお見せすると

          Aさんの眼球の動きを

          見ているうちに

          どの言葉や

          絵のどの部分に

          注目されているのかが

          少しずつ

          推測できるようになり

          それを手がかりに

          会話をさせていただきました。

           

           

           

           

          タブレットに

          入れておいた

          聖書ものがたりで

          ラザロのよみがえりの

          お話

          1時間ほどいろいろ

          お話させていただきましたが

          とても興味深そうに

          注目してくださいました。

           

           

           

          昨晩は

          雨天にもかかわらず

          中学生から

          80代の人生の先輩に

          いたるまで

          おはじめての方も

          お集いくださいまして

          熱心に

          お話に耳を傾けてくださり感謝でした。

           

          講演会後は

          来会者の方々と

          お茶をいただきながら

          お話ができて

          感謝でした。

           

          久しぶりに中学2年生の

          男の子と

          いろいろお話する機会が

          与えられたことも

          感謝でした。

           

          釧路に帰ったら

          教会の近くの

          桜ケ丘中学校の

          生徒たちに

          福音を伝えたいなあ

          中学生のための

          バイブルスタディクラスとか

          何かできたらいいなあと

          強く思わされました。

           

           

           

          2019.10.20

          今朝の帯広キリスト福音教会での
          日曜礼拝のヒトコマ

          牧師さん自らのギター伴奏に合わせて

           

          会衆の皆さんが

          大きなお声で

          精一杯の歌声を

          創造主に

          ささげておられました。

           

          昨晩の

          講演会に続けて

          本日おいでくださった方も

          おられて

          とても感謝でした。

           


          108:1 神よ私の心は揺るぎません。

          私は歌いほめ歌います。私の心の底も。
          108:2 琴よ竪琴よ目を覚ませ。

          私は暁を呼び覚まそう。
          108:3 【主】よ私は諸国の民の間であなたに感謝し

          もろもろの国民の間であなたをほめ歌います。
          108:4 あなたの恵みは大きく

          天の上に及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
          108:5 神よあなたが天であなたの栄光が

          全地であがめられますように。

          (旧約聖書 詩篇108:1〜5)

           

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          「違和感」
          0

            昨日の釧路新聞の「巷論」を読んで

            強い違和感を覚えました。

             

            教師間いじめという名の「暴行事件」についての

            論調ですが

             

            「いじめられた者=ひとりの社会人、

            組織人でありながら、

            自身がことに遭遇した時の対処能力を持ち合わせず、

            成人の姿をした幼児と言える。」???

             

            「恐怖の心理」に

            がんじがらめになってしまう時の

            精神状態のつらさというのは

            「対処能力云々」ではいかんともしがたいもの

             

            かくいう私も

            事件の詳細、

            背景を深く熟知しているわけ

            ではないので

            恐縮していますが

             

            被害を受けられた方が

            苦悩の中でも

            生き抜いてこられたことを

            ハグして

            ねぎらい、いたわり、

             

            公表してくださったことを

            感謝すると同時に

            トラウマからの解放のために

            さまざまなかたちで

            寄り添わせていただくことが

            必要なのかと・・・

             

             

            言論の自由が

            保障されているとはいえ

            公共性の強い新聞の

            論説部分が果たす影響力の大きさを

            考えると

             

            とても

            看過できないと思い

            「違和感」を

            表現させていただきました。

             

            「三者の責に軽重はない」

            と断言されておられますが

             

            強い違和感を覚えたのは

            私だけでしょうか。

             

            釧路新聞を読み始めて

            数年たちますが

            「巷論」を読んで

            「?」と思うことは

            これまで

            たびたびありましたが

             

            これほど強い違和感を

            覚えたのは

            はじめてのことでした。


            主は義とさばきを

            すべての虐げられている人々のために行われる。

            (旧約聖書 詩篇103:6)


             弱い者を虐げる者は自分の造り主をそしり、

            貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。

            (旧約聖書 箴言14:31)

             

             

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