ポップコーンとわたあめ
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    三日連続
    晴れの朝を迎えた
    釧路です。

    戸外のほうが
    むしろ暖かく
    感じられるほどでした。

    教会堂の中では
    ストーブを
    たくほどでした。

    今日は日曜礼拝

    新しい方も
    お見えになり
    感謝感謝の
    1日でした。

    やっぱり
    礼拝に
    新しい方が
    お見えになるといことは
    とても
    うれしいことです。

    今日は

    午後

    ポップコーンの
    機械と
    わたあめの
    機械を
    出して

    試作品を
    作って
    みんなで
    食べあいました。

    私も
    わたあめを
    作ってみましたが

    楽しいものですね。

    紡錘状にならないように
    極力
    ふくらみを
    もたせるように
    工夫してみました。

    それにしても
    わたあめって
    あんなに
    甘いものだったんですね。

    ポップコーンの
    機械も
    間近で見ると
    興味深いものです。

    硬くて
    黄色いコーンが
    どうして
    あんなに
    やわらかくて
    白い粒に
    変身するのか
    不思議でなりません。

    コーンは
    アメリカ産で
    非遺伝子組み換え
    品を用いています。

    私がよく見る
    大草原の小さな家の
    主人インガルスさん一家の

    ご主人の
    チャールズさんが

    ストーリーの中で
    夜、寝しなに
    本を読みながら
    ポップコーンを
    食べる
    シーンが
    あるのを
    思い出します。

    虫歯になりはしないだろか
    と思ってしまいます。


    今週土曜日に
    教会堂にて
    こどもたちの
    イベントがあり

    そこで
    ポップコーン

    わたあめを
    作って
    食べてもらうことに
    なっています。

    たくさんの
    おともだちが
    来てくれたら
    うれしいなと
    思います。

    教会に
    人が来るきっかけは
    色々あると思います。

    ある人は
    ポップッコーンや
    わたあめが
    食べられるから

    でも
    それでもいいんじゃないかなあ
    と思います。

    来ている間に
    ポップコーンや
    わたあめよりも
    魅力的な
    イエス様との出会いが
    あるとしたら

    それは
    それで
    至上の喜びです。

    それにしても
    日曜日の夜は
    眠気が
    ひどいものです。

    ふあ〜

    休息をとらせて
    いただきますね。

    すべて、疲れた人、
    重荷を負っている人は、
    わたしのところに来なさい。
    わたしがあなたがたを
    休ませてあげます。
    (新約聖書 マタイの福音書11:28)



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    さくらとタンポポ
    0

      三日連続

      神様は

      釧路に
      朝陽を
      与えて下さいました。

      開花宣言二日目を迎えて

      市内の
      あちこちに
      咲き誇る桜の花を
      見上げるにつけ

      感動を覚えずには
      おられません。

      一方
      地面に目を向けると
      タンポポの
      花もきれいです。

      桜には
      桜の
      美しさが
      あり

      タンポポには
      タンポポの
      美しさがあり

      どちらも
      創造主の
      愛の
      わざによって
      存在させられているのですね。

      桜の場合は
      人為的に
      人の目に付きやすい
      ところに植えられる
      ことが多いのに対して

      タンポポの場合は
      自然に
      種が落ちたところで
      根を張って
      芽を出して
      花が咲きますよね。

      ですから
      全然
      人目につかないところでも
      タンポポは
      咲いているわけですよね。

      人目に付かない所に
      咲いているタンポポは

      人目につく所で
      咲いているタンポポと
      変わらず
      せいいっぱい
      咲いています。

      今朝は
      天候が良かったこともあり
      愛犬マリとあまり
      人気のない
      橋の下や
      荒地を
      散歩をしてみました。

      すると
      精一杯
      明るく
      光り輝く
      黄色い
      タンポポを
      あちこちに見ては

      とても
      心励まされる
      思いがしました。

      私たちの
      この地上での
      歩みも

      人の目につかないところでの
      労苦の方が
      むしろ多いですよね。


      たとえ
      人が見ていなくても
      天から確かに
      ご覧になっている方が
      おられることを
      意識するときに

      私たちは
      報われない感を抱く
      必要がありません。

      私は
      私らしく

      タンポポのごとく
      その
      置かれた
      ところで

      精一杯
      咲いていくこと

      そういう1日で
      ありたいですね。

      私たちは
      人に認めてもらって
      安心するのではなくて

      その場所で
      創造主から賜った
      自分を精一杯
      生きることで
      安心できるのですね。

      どんな人でも
      価値があるから
      生きていける
      のではなく

      生かされてあるから
      価値があるのですね。

      桜を踏みつける人は
      まれでしょうが
      タンポポは
      多くの人に
      踏みつけられて
      いることでしょう。

      イエス様の
      この地上での
      ご生涯の
      大部分は

      人から
      たんぽぽのように
      踏まれ続ける
      ご生涯でしたね。

      ユダヤ人からは
      憎まれ

      ローマ人からは
      軽んじられ

      弟子たちからは
      裏切られ

      父なる神からは
      のろいを受け


      人々はイエス様を
      ことごとく見下げました。

      ところで
      人々がイエス様を
      唯一
      こぞって
      見上げた場面があります。

      それは
      イエス様が十字架に
      かけられた場面です。

      人々が
      桜を見上げるときは
      多くの場合
      そこで
      賞賛の声を上げますが

      人々が
      イエス様を
      見上げたとき
      そこで発したのは
      あざけりの
      声でした。

      それでも
      イエス様は

      「なんだ!
      おまえたちの
      態度は!

      おまえたちの罪を
      背負って
      身代わりに
      刑罰を受けて
      死ぬのは
      や〜めた〜!」

      といって
      十字架から
      降りて来ることは
      しませんでした。

      悪霊を
      追い出し

      嵐を鎮め

      死人さえも
      よみがえらせることのできた
      イエス様にとって

      神の一人子の
      権威で
      十字架から
      降りてきて

      自分に罵声を浴びせる人々を
      天からみ使いたちを
      送って
      皆殺しにして
      裁かれることは
      朝飯前でした。

      しかし
      あえて
      そう
      なさいませんでした。

      むしろ

      イエス様が
      十字架上で
      天の父なる神様に
      祈られたことばは

      驚くべき言葉でした。

      「父よ。彼らを
      御赦し下さい。
      彼らは
      何をしているのか、
      自分で
      わからないでいるのです。」

      イエス様は
      十字架で
      血を流されました。

      なぜか、
      桜の花は

      白か
      ピンク系ですよね。

      黄色い桜とか
      緑色の桜
      というのは
      見たことがありませんね。

      薄紫色の
      芝桜ならば
      見たことがありましが

      見上げる
      桜の大半は
      白か
      ピンクですよね。

      私は

      十字架上の
      イエス様が

      私たちの
      罪を
      赦し清めるために
      流された

      きよい血潮と
      その血潮を
      信じた人の心が清められて
      真っ白に
      なることを

      思い出させるための
      神様の
      ご配慮じゃないか

      思ってしまいます。

      イエス様の
      鮮血によって
      真っ白き心
      とされる
      恵み

      いかばかり
      でしょう。

      明日は
      桜の木の下で
      野外礼拝
      なんかできたら
      いいのになあ

      なんて
      思い巡らしています。


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      うれしいつぼみ
      0

         二日続けて
        小春日和の
        釧路です。

        我が家の庭に
        植えられている
        一本の桜の木の
        枝のつぼみが

        いよいよ!

        ついに!

        ようやく!

        ふくらみかけてきました。

        うれしいことです。

        今朝も

        さわやかに
        登校する
        釧路市内の
        小中学生たち

        髪をなびかせながら
        自転車をこいで
        登校する
        釧路市内の
        高校生たち

        みんな
        将来の
        可能性に満ちた
        つぼみたち
        のよう

        桜のつぼみが
        膨らみかけると

        なぜか
        べたべた
        油が
        滴ってきます。

        若者たちも
        神様の
        聖霊の
        油に満たされて

        この町のために
        そして
        神のために
        花咲く人生を
        歩まれますように
        祈っています。

        芽がつぼみへ

        つぼみが花へ

        花が実へと

        私たちの
        人生の結実を
        もたらしてくださる
        神の栄光がほめたたえ
        られますように

        芽はふくもの

        つぼみは出るもの

        花は咲くもの

        実は結ぶもの

        みんな
        動詞が
        違うんですよねえ。

        その翌日、
        モーセはあかしの天幕に
        はいって行った。
        すると見よ、
        レビの家のためのアロンの杖が
        芽をふき、
        つぼみを出し、
        花をつけ、
        アーモンドの実を結んでいた。
        (旧約聖書 民数記17:8)

        今日も
        神様の
        祝福が

        この
        釧路の町に
        住まわれる愛する皆さんの
        上に注がれますように。

        この町で


        心や
        体や
        人間関係に

        痛みを

        覚えておられる
        方々が

        イエス様が
        十字架で
        打たれた
        傷口から
        流れ出る

        なぐさめと

        赦しの愛を

        受けながら

        微笑みながら
        歩むことができますように。

        上を向いて歩こう

        日食は
        直接見ると
        眼に悪いそうですが


        聖書を読みながら

        イエス様のみ顔を
        仰ぎ見るようにして
        歩む人生は

        心に
        とっても
        いいですよ。

        彼らが主を仰ぎ見ると、
        彼らは輝いた。
        (旧約聖書 詩篇34:5)



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        洗礼記念日(31周年記念)
        0

          5月17日は
          私の
          洗礼記念日です。

          今から
          31年前の
          5月
          17日に
          釧路市
          千代の浦海岸にて

          私は
          洗礼を
          施されました。

          まだまだ
          冷たい
          海の中に

          浴衣を着て

          完全に
          身を浸したわけです。

          まだ
          千代の浦海岸は
          埋め立てをする前だったので
          遠浅の
          砂浜海岸でした。

          ちらほら
          釣り人の
          姿も
          見えましたね。

          (あのひとたち
          入水自殺でも
          するのかしら

          思われたかな?)

          あの日
          海岸で
          賛美歌を
          歌い
          お祈りをして
          そして
          おなかまで
          浸かるくらいの
          ところまで
          海水に入っていって

          「山形浩之兄弟
          父、子、聖霊のみ名によって
          なんじに
          バプテスマをほどこします!」

          そして
          ザボーンと
          海水に
          全身を
          浸けられたのです。

          海岸では
          祝福の
          賛美歌が
          歌われました。

          「よみよりかえり〜
          敵なる死を破り〜
          勝利を勝ちえし
          イエスは
          この世を治めたもうなり
          歌え〜歌え〜
          ハレルヤ
          イエスを〜」

          ずぶぬれになっったまま
          Kさんの
          黄色いスポーツカーの
          後部座席に乗ったところまでは
          覚えています。

          今だったら
          冷たくて
          大変だったと
          思います。

          日本語の洗礼は

          英語では
          バプテスマ

          そもそも
          ギリシア語の
          バプティゾー
          (浸かる、浸すの意味)
          という言葉
          から来ました。

          キリストの愛に
          浸かりながら
          今日まで
          31年間
          キリスト者として
          歩ませて
          いただけたことは

          ひとえに
          イエス様の
          恵みにほかなりません。

          洗礼を受けたときは
          18歳でした。

          私の家は
          仏教(門徒)
          でした。

          未成年者ということもあって
          洗礼を受けるにあたっては
          父親の
          許可が
          必要でした。


          父親は

          「信仰は
          個人の自由だからいいよ」

          と快く
          了解してくださったことは
          感謝なことでした。

          その際
          父は

          「ただ・・・
          自分の信仰を
          ひとさまに
          押し付けたりは
          しないように・・・」

          とは念を押されたことを
          覚えています。

          それにしても
          31年間

          ただの一度も

          キリストを
          信じて

          損をしたなあ

          と思ったことがないのは
          恵みです。

          信じなきゃよかった

          と思ったことも
          ただの一度も
          ありません。

          仏教のほうがよかった

          と思ったことも
          ただの
          一瞬も
          ありません。

          イエス様を信じた後も
          色々なことがあって

          様々な
          困難にも
          直面してきましたが

          人生
          いつも
          傍らに
          イエス様が
          いてくださるということは

          とてつもなく
          幸せなことです。

          なんといっても
          罪赦されて
          いつ死んでも天国へ行ける
          という
          安心感は
          とてつもなく
          大きなものですね。


          さあ初心にかえって
          初めの愛を抱いて

          今日も
          主の愛を
          一人でも
          多くの人に
          伝えてまいりたいと
          思います!


          私たちは、
          キリストの死にあずかる
          バプテスマによって、
          キリストとともに葬られたのです。
          それは、キリストが御父の栄光によって
          死者の中からよみがえられたように、
          私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
          (新約聖書 ローマ書6:4)

          バプテスマを受けて
          キリストにつく者とされた
          あなたがたはみな、
          キリストをその身に着たのです。
          (新約聖書 ガラテヤ書3:27)

          主は一つ、信仰は一つ、
          バプテスマは一つです。
          (新約聖書 エペソ書4:5)

          あなたがたは、バプテスマによって
          キリストとともに葬られ、
          また、キリストを死者の中からよみがえらせた
          神の力を信じる信仰によって、
          キリストとともによみがえらされたのです。
          (新約聖書 コロサイ書2:12)

          洗礼(バプテスマ)を受けたから
          救われる(天国へ行ける)
          のではありません。

          救われる条件は

          あくまでも

          イエスキリストを
          自分の
          罪からの救い主として
          心で信じて
          口で告白することです。

          信じたことを
          公にするのが
          バプテスマです。

          信じていれば
          バプテスマを受けなくても
          いいということではありません。

          イエス様を
          信じるということは

          イエス様に
          従うということでもあるのです。

          そのイエス様の
          お言葉によれば
          次のとおりです。

          信じてバプテスマを受ける者は、
          救われます。
          しかし、信じない者は罪に定められます。
          (新約聖書 マルコ16:16)

          今年に入って
          私たちの教会では
          3名の方々が
          バプテスマ
          をお受けになりましたが

          もっと
          もっと
          たくさんの方々が
          イエス様を
          自らの罪からの救い主として
          信じて
          罪の赦しを受けて

          死後に裁かれることなく
          天国の
          希望を受け取っていただきたいと
          願っています。

          そういうことで
          私は
          今日も
          明日も
          あさっても

          この地上に
          置かれている
          間は

          イエスキリストの
          十字架と
          よみがえりの
          福音を携えて
          出てまいります!



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          カテゴリ:- | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
          ひとあし ひとあし
          0

            昨日は
            雨があがって

            すがすがしさの中
            久しぶりに

            戸外をジョギング

            のどの渇きをいやすために
            小さなリュックに
            登山用のチューブつき
            水筒を
            入れて出発しました。

            これだと

            走っていて
            のどが渇いたときに

            いちいち
            ウオーターボトルを
            出したり
            しまったりする必要がなく

            走り続ける
            ことができるので
            便利です。

            ただし
            走っていると

            そのウオーターバッグの
            重みが
            もろに肩にかかってしまい

            ジョギング後に
            ひどい
            肩こりになってしまいました。

            それにしても
            坂道を
            上って走るのは
            つらいものです。

            坂の下から
            はるかかなたの
            上を見るだけで
            もう気持ちが
            げんなりしてしまいます。

            そのため
            昨日は
            作戦を変えて
            足元前方1〜2メートル先だけを
            見ながら
            耳に入る
            風の音を
            聞きながら
            走ることにしました。

            そうすると
            不思議
            不思議

            勾配のきつさが
            視野にそれほど
            入らないので

            つらさも
            若干というか
            ううん
            かなり
            緩和されます。

            人生も似ているなあと思います。

            目から入ってくる
            困難そうな
            情報全体を見てしまうと
            意気消沈
            しがちです。 

            信仰生活は
            目に見えるところで
            歩むのではなくて

            神の言葉を聞きながら
            与えられた
            一足一足
            歩むものなのですね。

            先を
            すべて見通しておられる
            神様が
            あえて
            その全貌を
            私たちに
            お見せにならないのは
            きっと
            愛の配慮からでしょう。

            私たちが
            それを
            あらかじめ知ってしまうと

            気持ちがしおれてしまうのを
            ご存知なのでしょう。

            今日も
            目に見える困難さの
            全貌を
            凝視して
            恐れて
            ひるむのではなくて

            神の言葉を聞きながら
            一足一足
            主イエスにすがって
            歩みます。

            紀元前800年代の
            前半
            南ユダ王国
            (当時はイスラエルは北イスラエル王国
            南ユダ王国に
            分裂していました)


            モアブ人
            アモン人

            といった
            連合軍が
            攻めて来るという場面が
            聖書に
            記録されています。

            当時
            南ユダ王国の
            王様は
            ヨシャパテという王様の時代です。

            敵の連合軍全体を見て
            恐れて
            ひるんでしまいかけて
            いました。

            そこで
            神様の霊が
            預言者ではありませんが
            一人の聖歌隊の
            メンバーである
            ヤハジエル
            の上に
            臨んで
            次のように
            励ましました。


            彼は言った。
            「ユダのすべての人々と
            エルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。
            よく聞きなさい。

            主はあなたがたにこう仰せられます。
            『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに
            恐れてはならない。気落ちしてはならない。
            この戦いはあなたがたの戦いではなく、
            神の戦いであるから。
            (2歴20:15)


            困難や
            試練の
            全貌
            を見て
            ひるむのではなくて

            主とともに

            ひとあし
            ひとあし
            の歩みを
            今日も
            大切にしていき
            たいですね。

            主がついてれば
            こわくはない!

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