1人の人が
苦しんでいる時に
周囲の人が
力を合わせて
その人を助ける
それは
あたりまえではありますが
素敵なこと
ですね。
今朝
一台のワゴン車が
釧路市内の
ある高校の前の
わだちに
はまってしまい
スリップして
抜け出られない
状態にありました。
多くのクルマが
素通りしたり
迂回していきます。
まあ通勤時間
でもあるせいでしょうか・・・
私は
クルマを
ちょっと離れたところに
置いて
動けないでいる
クルマに近づきますと
運転手の女性の方が
なにやらケイタイデンワを
触っています。
メールしているのでしょうか・・・
それほど
焦ったご様子でも
なさそうに見えました。
ケイタイメールで
誰かに助けを
求めているのでしょうか・・・
そこらへんの
人に
「すいません!
どなたか
押していただけませんでしょうか!」
と助けを求めれば
よろしいのに
と思いましたが・・・
「押しましょうか?」
とお声をかけますと
「お願いします。」
と言われたので
後方に回りました。
それでなくても
どでかいワゴン車です。
スリップして
タイヤが空回りしています。
必死に
押しましたが
びくともしません。
しかも
わだちを形成しているのが
雪ではなくて
がちがちに固まった
岩のような氷ですから
つるはしのようなものでもないと
破砕できません。
途方にくれて
自分の
クルマに引き返して
なにやら
小道具がないかなと
トランクを
あけましたが
車内の敷物を
ありったけ
携えて
戻りました。
すると
クルマは
すでに無事
わだちから脱出できて
いました。
どなたか
男性の方が
運転を代わられて
さらに通学途中の
高校生たちが
協力して
クルマを
押してくださったとのことです。
私は
結局
何もできずじまいでしたが
無事に
脱出できて
感謝でした。
何もできなかった
私に対して
女性ドライバーの方が
何度も頭を下げられて
「すいませんでしたあ。」
「ありがとうございましたあ。」
とおっしゃるものですから
とても
恐縮してしまいました。
私は
運転が下手なので
代って運転してあげる
勇気はありませんでした。
他人様の立派な
クルマに
もしものことがあったら
と
思ってしまいます。
しかも
この時
このわだちにはまった状態の時
対向車と
接触していて
その対向車も
動けずじまいだったのです。
運転の仕方次第では
対向車のボディに傷を
つけかねません。
何はともあれ
代りに運転された
男性の方の
勇気と優しさと
手伝って
押してあげた
高校生たちの
優しさに感謝です。
私も
1人で
押そうとしないで
高校生たちに
「君たち!
ちょっと手を貸してくれないか!」
とヘルプを
呼びかけても
よかったなあと
自らの
行動を
顧みました。
ここで
聖書の中のストーリーを
思い出しました。
1人の中風の方を
4人の人が
力を合わせて
かついで
イエス様のところに
屋根をひっぱがして
イエス様の前に
床を吊り下すという
大胆不敵な
行動が記録されているのを
思い出したのです。
数日たって、イエスがカペナウムに
また来られると、
家におられることが知れ渡った。
それで多くの人が集まったため、
戸口のところまですきまもないほどになった。
この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。
そのとき、ひとりの中風の人が
四人の人にかつがれて、
みもとに連れて来られた。
群衆のためにイエスに
近づくことができなかったので、
その人々はイエスのおられる
あたりの屋根をはがし、
穴をあけて、中風の人を
寝かせたままその床をつり降ろした。
イエスは彼らの信仰を見て、
中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」
と言われた。
(新約聖書 マルコの福音所2:3〜5)
1人では
運べないけど
4人で力を合わせれば
できると
判断したのですね。
ヘルプを呼びかけた
のですね。
ある米国人が
「9:11がきっかけで
それまで
米国内にあった
「自分のことは自分でやる
人の助けは要らない」
といった個人主義的
風潮から
困った時は
「ヘルプ!」
と叫んでいいんだ
と言う風潮に変って
よかった。」
と
おっしゃっておられた
コメントを思い出しました。
私たちも
3:11で
似た教訓を
いやと言うほど
学ばされていますね。
今日も
1人だけで
悩まないで
1人だけで
苦しまないで
1人だけで
乗り越えようとしないで
1人だけで
解決しようとしないで
ヘルプ !
と叫び合いましょうか!
もし
あたりを見回して
ダレモ見当たらない場合は?
そういう場合は
ケイタイデンワ?
でも
ケイタイデンワでも
トラブルで
不通になるアクシデントが
最近
頻発していますよね。
横を見て
誰も
見当たらない場合は
上を向いて
そう
全知全能の神様に向かって
ヘルプ!
と叫びましょうか!
天地を創造されて
人の姿をとって
この地上に来られて
私たちの
罪を背負って
十字架で
身代りに死んで
よみがえられて
今も生きておられる
キリストは
ヘルプ!
と叫ぶ
あなたや
私のことを
決して
そのまま放置しておくことは
ありませんから!
私は苦しみの中に主を呼び求め、
助けを求めてわが神に叫んだ。
主はその宮で私の声を聞かれ、
御前に助けを求めた私の叫びは、
御耳に届いた。
(旧約聖書 詩篇18:6)
主を呼び求める者すべて、
まことをもって
主を呼び求める者すべてに
主は近くあられる。
(旧約聖書 詩篇145:18)
ある女の子が
誰もいない
暗い夜道で
痴漢に
襲われそうになって
イエス様!
と叫んだら
なんと
その痴漢は
あわてて
逃げていった
という実話を思い出しました。
この時
誰か助けて!
と叫ぼうものなら
「だまれ、声を出したら
殺すぞ!」
とかえって
強迫されかねません。
「誰か助けて!」だと
誰もいないかのような印象を
自分にも相手にも
与えかねません。
イエス様は
天にも地にも
満ちているお方です。
今日
本当に
苦しい場面に
直面したら
この女の子のことを
思い出して
ためしに
「イエス様!
助けて下さい!」
と叫んでみることを
お勧めします。
そうすれば
神の奇跡が
起こると
私は信じています!
数年前
釧路管内
厚岸町の
病院の集中治療室に
呼ばれました。
1人の高齢の女性の方が
癌の末期で
全身苦痛状態でした。
その方の息子さんから
依頼されて
お祈りに
うかがったわけです。
うめきながら
その女性の方は
苦しんでおられました。
「どこが痛いですか〜」
「全身です〜」
私は
祈りました。
そして
「イエス様!
と叫んでみて下さい。
十字架で
私たちのために
釘付けられて
死んでよみがえられた方ですから・・・・」
この方は
藁をもつかむような
思いで
全身振り絞る声で
「イエス様〜」
と叫ばれました。
少しして
おそるおそる
尋ねてみました。
「どうですか」
「楽に
なりました!」
私自身驚きました。
この方の
本当の苦しみは
肉体的な苦痛もさることながら
苦痛の状態
孤独の状態の中で
誰に向って
叫んだら
いいのかわからなかったこと
誰の名前を呼んだらいいか
わからなかったことなのです。
人間というのは
究極の苦しみの中で
誰かの
名前を叫びたいのですね。
ある人は
お父さん
おかあさん
と叫びます。
ある人は
夫や
妻の
名前を
叫びます。
でも
両親や
配偶者は四六時中
スタンバイしている
わけでもありませんし
その力も
ありません。
私たちを
究極の苦しみの中から
救うことができるのは
両親や
配偶者を含めた
天地万物を
創造された方
そう
イエスキリストなのですね!
「主(イエスキリスト)の御名を呼び求める者は、
だれでも救われる。」
のです。
(新約聖書 ローマ10:13)
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