離島の人々が守られますように!
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    今から34年前沖縄県竹富島にて

    静かな海岸

    このとき

    地元のAさんと私だけが砂浜にいて

     

    Aさんが帰られると

    この広い砂浜にたったひとり

     

    1986年の年末から1987年の年始にかけて

    自転車を分解(輪行用)して

    沖縄の離島めぐりと

    本島めぐりをました。

     

    ゆくゆくは中国の大地を自転車で縦断したいと思い

    その予行練習として

    まずは沖縄を自転車でめぐることから

    始めようと思った次第なのです。

     

    なんで中国かと言うと

    高校時代の漢詩の

    授業を聴いて

    中国の自然を

    体感してみたいという

    憧れの強さが

    残っていたのかもしれません。

     

    石垣島で・・・

    病気もちで手の不器用な私が

    よく20分で自転車組み立てて

    あちこち動きまわれたものです・・・・

    (※当時、釧路市立鳥取西中学校の教諭でした)

     

    日本の最西端の与那国島

    セスナに自転車を積み込んで

    空港で組み立てます。

    左手はダウン症のBさん

    すぐお友達になりました。

     

    新聞の配達のお仕事をされているBさん

    とても親切にあちこち連れて行ってくれました。

     

     

    与那国島では野宿の予定で

    寝袋を敷けそうなところを探して

    寝ていましたら

    突然懐中電灯の光に照らされて

    起き上がりましたら

    ご高齢のCさんが

    「あんた、ここで何やってんの?

    ここは道だよ。」

    「えっ?ここは道なんですか

    すみません、知りませんでした。」

     

    Cさんは夜にもかかわらず私のために

    温かい沖縄そばを作ってご馳走してくださいました。

     

    さらには、沖縄民謡を

    歓迎を込めて歌ってくださいました。

    道端で寝ていたどこの馬の骨ともわからぬ

    私のために笑顔で仕えてくださったCさんの

    真心に感激しました。

     

    離島の方は

    本当に温かい!

    石垣島で

    星の砂など見惚れながら

    夕日を眺めて砂浜に寝袋敷いて

     

    野宿しようと思いましたら

    黒いジャンパーを着た地元の漁師Dさんが海岸に来られ

    波の様子を確かめておられました。

     

    Dさんとも打ち解けて

    親しくなるうちに

    我が家に泊まりなさいということに

    なりました。

     

    Dさんご夫妻宅はテレビドラマなどは

    本州に行ったお子さんが

    小包で

    送ってくださりそれをご覧になるそうです。

     

    Dさん宅の壁に

    イエス様の聖画らしきものが

    貼られていましたので

    伺いますとなんと

    クリスチャンであられました。

    離島にも神の家族がおられて

    感謝しました。

     

    離島と離島の間はこのように漁船などに

    自転車をのっけて

    移動させていただきました。

    船で知り合ったEさん親子漁師さん

    こういう方々によって

    島は支えられています。

     

    石垣島の元気な小学生たち

    下校時です。

     

    笑顔が素朴で美しい

     

     

    与那国島で出会ったFくん

    海岸で遊んでいました。日本の

    最西端比川小学校に通っていて

    学校のグランドに面している

    護岸の学びのボードを紹介してくれました。

     

    うわあ〜海岸で国語も、算数も

    勉強出来ちゃうなんて

    素晴らし〜

     

    1986年当時の竹富島の路上にて

    のどかです。

     

    まだ観光客もまばらで道端には

    ごみ一つ落ちていませんでした。

     

    しかしこの後

    次第に観光ブームで

    多くの観光客がグループで

    どどっと押し寄せるようになって

    島の光景は一変してしまったそうです。

     

    なぜこのたび拙ブログで

    30年以上も前の

    自分の離島めぐりを

    振り返らせていただいたかと

    申しますと

     

    このたびの新型コロナウイルスで

    離島にも

    コロナ感染の影響が広がるかもしれない

    と危惧の声を知ったからです。

     

    私にとって

    30年以上昔の旅の思い出ではあっても

    昨日のようです。

    そこに住んでいる

    一人一人の顔を

    思い浮かべる時に

    離島の方々が守られるように

    離島で医療崩壊が起こらないように

    声を発しなければと

    思った次第です。

     

    観光客の方は

    行きたい気持ちをぐっとこらえて

    今の時期は行くのを控えて

    島の人たちのいのちを

    守ることに徹することが

    できれば幸いです。

     

    もちろん観光で生計を立てている方々は

    島には少なからず

    おられるでしょうが

     

    命あっての経済です。

     

    その経済的支援については

    行政の方々に骨を折っていただき

    またコミュニティーも支援し

    離島の老若男女の方々が

    安心してこの時期を

    過ごすことができますように。

     

    いつもタイムリーな投稿をあげてくださる

    Dr高山先生

    さすがは沖縄で仕えておられるだけあって

    とても具体的で参考になることと思います。

    ↓↓↓

     

    ・・・・引用ここから・・・・

    例)新型コロナウイルス感染症の流行期における

    小規模離島の観光客受け入れ方針

     

    ・訪れる観光客には1ヵ月以上の離島滞在を求める

    (島内ホテルは1ヵ月以上の予約のみ受け付ける)
    ・到着後14日間は1日2回の体温測定を実施して、

    咳嗽など症状の有無とともにホテルのフロントに報告させる。

    その間はホテル内とビーチなど指定された場所のみの立ち入りを認める。


    ・14日間が経過したのちは、

    島内における自由な行動を認める。
    ・基礎疾患がある観光客については、原則として離島診療所ではなく、

    かかりつけ医との電話診療により健康管理を行っていただく。

    急変時等はこの限りではない。
    ・以上のことについて、

    事前に誓約書を送付した方にのみホテルの予約を受け付ける。
    ***************

    3.離島での感染拡大を防ぐ

     

    1)症状を認めるとき

    発熱や咳嗽など新型コロナウイルス感染症が疑われる症状を認めるときは、

    症状が治まるまでは外出自粛とします。医師の診療を受けたい場合には、

    必ず事前に診療所に問い合わせたうえで、

    その指示に従って受診してください。

    発症して間もない時期では、

    新型コロナウイルス感染症を強く疑うことはないため、

    確定診断のための検査は実施しないことが通常です。

    例外として、医療・介護従事者で多数の高齢者や基礎疾患のある方と接触している場合、

    周囲に同様の症状を認める方がいて集団発生が疑われる場合などがあります。

    ただし、新型コロナウイルス感染症を否定しきれるものではないため、

    受診にあたってはマスクを着用し、手指衛生を徹底していただきます。

    診療所内を汚染しないため、駐車スペースで診察を行うこともあります。

     

    2)症状が長引くとき

    症状が4日以上継続するなど、新型コロナウイルス感染症が疑われるときは、

    確定診断のため鼻腔拭い液を採取してPCR検査を実施します。

    検体採取の場所と方法については、診療所の指示があるので従ってください。

    診療所の駐車スペースで実施することが考えられますが、

    必要に応じて自宅に出向いて検体採取を行うことも考えられます。

     

    3)PCR検査が陽性のとき

    症状を認めた日から14日間、外出自粛を継続します。同居する家族がいる場合には、

    なるべく自分の部屋から出ないようにしてください。

    どうしても室外へ出なければならないときは、マスクを着用して、

    アルコールによる手指衛生を心がけます。部屋の外では、

    他の家族が触る可能性があるものを触らないようにし、

    触ってしまった場合にはアルコールを染みこませたペーパータオルで拭います。

    とくに、トイレや風呂の使用後は注意が必要です。

    なお、タオルの共用は避けてください。

    一方、洗剤を使用するのであれば、食器や洗濯物を家庭内で洗うことは可能です。

    こうした対応が自宅で困難と考えられる場合には、

    自治体で宿泊施設を借り上げて療養させることも検討してください。

     

    4)状態が悪化したとき

    経口摂取が困難、酸素投与が必要など状態が悪化したときは、

    離島診療所での対応は困難と考えられます。沖縄県ドクターヘリ、

    自衛隊または海上保安本部の協力を得て、急患空輸を要請します。

     

    4.おわりに

    それぞれの離島における状況は、違いがあると考えられます。

    ここで紹介した対策については、あくまで目安としていただき、

    離島ごとの状況に応じて具体的な対応を検討してください。

    不明なことがあれば、いつでも沖縄県立中部病院感染症内科の医師にお問い合わせください。

    診療所医師とも相談しながら、

    それぞれの離島で取りうる最善の感染対策について提案させていただきます。

    ・・・引用ここまで・・・

    ↓↓↓

    https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2795272530526236&id=100001305489071


    主は王である。

    地は小躍りせよ。

    多くの島々は喜べ。

    (旧約聖書 詩篇97:1)
     

     

     

     

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    幸せの黄色い傘
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      2020.4.2

      肌寒い釧路の朝

      新年度二日目

       

      今朝は

      鳥のさえずりは聞こえず

       

      地面をほのかにうちたたたく雨足

      の音がする中

       

      長くつを履いて

      黄色い傘を開いて朝の祈り会へ

       

      黄色い傘は幼少の時のお気に入り

       

      生まれ故郷東京で

      あれは小学校1年生のころ

      滝野川第7小学校に通っていた時分

      雨の日になれば

      気持ちがうきうき

       

      なぜって?

      黄色い傘を開けるから!

       

       

      長くつを履いて

      ランドセル背負って

      黄色い傘をさして

      登校するとき

      何か

      るんるんるん気分

       

      ぴっちぴっち

      ちゃっぷちゃっぷ

      らんらんらん、と

      口ずさみながら

      スキップしながら

      傘の柄を回しながら

      坂を下りて行った記憶がよみがえります。

       

      黄色い傘をさすと

      背の低い

      自分の体の肩のあたりまで

      すっぽり覆われ

      視野がまっ黄色

      とても明るく

      まるで

      黄色いプラネタリウムの

      中に入ったような

      別世界

      空の灰色が視界に入る隙間もない

      うれしくなったものです。

       

      じょじょに背が高くなるにつれて

      じょじょに視野に占める黄色の面積の

      割合が

      少なくなり

      じょじょに感動も薄れていきました。

       

      なぜ小さい時ほど

      黄色い傘が

      ことさらうれしかったのか

      ようやく

      わかるようになってきました。

       

      毎朝聖書を読んで

      主イエスがすべてを支配される

      全能の神であること

      主イエスのゆるしなしには何も起こらないこと

      主イエスは今日起こることを

      すべてあらかじめご存じであること

      そのことを知れば知るほど

       

      神の愛の支配と言う黄色い傘が

      どんどん自分の視野を覆うよう

       

      今日、私が集中すべきことは・・・

      今日、何が起こるだろうかと

      ドキドキ不安を抱えて

      目や耳に入る起こる出来事の

      ニュースに

      一喜一憂することではなくて

      すべてを支配されている主イエスに

      信頼すること

       


      民よどんなときにも神に信頼せよ。

      あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。

      神はわれらの避け所である。

      (旧約聖書 詩篇62:8)

       

      すべての禍の原因をたどると

      みな、それは私たち人間の罪にいきつく

       

      罪とは簡単に言うと

      創造主を神として恐れ敬うことをせず

      自己中心的に生きること

      私たち人間は、自らの罪の刈り取りとして

      誰もが一度死ぬだけでなく

      死後にさばきを受ける定めがあると聖書が語る

      それは神の聖にとっては

      ごく当たり前のこと

      わたしたちはさばかれて当然のモノたち

      しかし神は愛のお方でもあり

      私たちが死後、世の終わりに裁かれて

      第2の死である

      永遠の滅び(地獄)の苦しみに直面することを

      願ってはおられない

      いやむしろすべての人が

      ゆるされて

      救われて、永遠のいのちに

      あずかってほしいことを願われる

      いつくしみ深いお方、それが神

      そこで神は

      罪なき愛する一人子イエスキリストを

      この地上に遣わし

      その愛する一人子イエスの上に

      本来であれば

      私たちの上に下すべき罪の刑罰ののろいを

      身代りに下された。

      イエスが私たちの代償のいけにえとして

      十字架にかかわれた。

      神は正義のお方だから罪には裁きを下さなければ

      ならない

       

      その正義の裁きを

      罪のないご自分の一人子の

      上に下すことを通して

      信じる者たちを

      御子の血に免じてゆるすことを

      定めた、それが聖書の神

       

      イエスの十字架は

      わたし自身の罪の刑罰を

      引き受けるための

      身代りの愛のしるし

       

      神は実にその一人子を

      お与えになるほどに

      私たちを

      愛して下さったということ

       

      それは御子イエスを信じる者が一人として

      滅びることなく永遠のいのちを

      得るため

       

      神の前に自分の罪を認めて告白して

      赦しを請い

      イエスを自分の罪からの救い主として

      信じる決意をし心でそのことを

      信じて告白することで

      その人は

      イエスの血に免じて罪ゆるされ永遠のいのちが

      与えられると聖書は約束しています。

       

      新型コロナ問題にかかわらず

      私たちはいついかなる時に

      いかなる形でか

      この世をお暇しなければならない時が来ますが

      誰もその時を

      自分で定めることはできない。

      しかし

      イエスを信じる者はいつ

      死んでも

      主と共に生き続ける

      イエスを信じる者にとって

      この世をお暇することは

      主のもとへ移されることに

      他ならない

      天国への瞬間移動[どこでもドアのよう]

       

      そしてやがて

      コロナウイルスを含めて

      呪いを何一つ見出すことがない

      新しい天と地において

       

      新しいからだを

      与えられ

      永遠に主と共に生きることができる

      そう聖書では

      約束しています。

       

      この困難な時代

      多くの医療関係者が体をはって

      患者さんを助けるべく

      治療にあたってくださっている

      その献身的なお働きに対して

      心から感謝を表します。

       

      そして

      私たち罪人を救うために

      いのちをかけて十字架で死んで

      葬られてよみがえられた

      イエスキリストの絶大な献身的・犠牲的愛に対して

      絶大なる感謝と礼拝を表します!

       

       

      聖書のことばを読めば読むほど

      心が落ち着き安心感が

      与えられるもの

       

      それは黄色い傘にたとえると

      視野に占める黄色の割合が

      増え広がっていくよう

       

      イエスキリストが下さる愛、喜び、平安、希望が

      心の視野を覆う幸い

       

      昨日、入社式を終えた次男坊は

      さっそく今日から自宅勤務に入るよう

      困難な時代に

      困難な地域で就職した息子の

      通勤の守りのために祈る

       

      長男もさいたま在住

      どちらも首都圏

       

      それぞれ

      小学校低学年の時に

      自分の意思で

      イエスを信じて

      バプテスマ(洗礼)を受け

      永遠のいのちを得ている息子たちとはいえ

      やはり

      この地上で長生きして

      主の栄光を表してほしいと願う親心

       

      主が賜る黄色い傘に覆われていることを

      意識しながら

      出勤し帰宅できるように

       

      首都圏のみならず

      今全世界で

      まだイエスキリストの救いの傘の

      外におられる方が

      一人でも多く

      イエスが無償で賜る救いの傘の下に

      身を置くことができますように。

       

       神は、すべての人が救われて、

      真理を知るようになることを望んでおられます。

      (新約聖書1テモテ2:4)
       

       

       

       

       

       

       

       

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      曇りの日もハレルヤ!
      0

        今朝は、曇天の釧路

        鳥たちのさえずりは

        聴こえませんでした。

        釧路の春は曇天が多いです。

         

        曇りの日は

        気持ちが沈みがちに

        なりかねませんが

         

        聖書によれば

        「雲」は

        聖なる神の臨在を

        あらわすシンボルでもあります。

         

        たちこめる雲を見る時に

        ああ、主が満ちておられるのだなあ〜

        そう受け止めて

        今日も喜び勇んで歩んでまいりましょうか!

         

        4月1日、いよいよ新年度のはじまり

        わが生誕の地

        東京で新社会人として

        スタートを切る次男坊は

        本日、入社式

         

        本日の聖書通読の箇所から

        励ましラインを送りました。

         

        困難な時代

        主の守りと支えが

        首都圏に住まわれる方々の上にありますように

        それぞれの地にある

        教会が地域の人々の

        心の砦として機能しますようにと

        祈ります。

         


        苦難の日にわたしを呼び求めよ。

        わたしはあなたを助け出し

        あなたはわたしをあがめる。
        (旧約聖書 詩篇50:15)

         

         

         

         

         

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        ガンバル教え子たち!
        0

          かつて

          教員時代

          今からもう20数年前

           

          中学校1年生の担任時代の

          教え子が

          頑張っている姿を新聞で見て

           

          心からの応援エールを

          送ります。そして祈ります!

           

          かつての教え子のひとり

          Aさんは

          関西で

          長い試練の中にあって

          時折悲痛なヘルプの叫びが届きます。

           

          遠くにいて祈ることと

          聖書のことばを送ること以外に

          なにも出来ずに無力感を

          覚えていて

           

          Aさんが住まうところの近くの

          教会をネットで調べて

          紹介しましたら

          なんとその教会の牧師さんが

          かつて

          高校3年生の時に信仰をもった私に

          人格的に

          とても大きな影響を与えた

          北海道大学医学部

          がん研究所のクリスチャンの先生

          の息子さんだとわかり

          神様の不思議なご計画の前に身震いを

          覚えました。

           

          世の中には偶然なことはない

           

          すべては神様がご計画されていること

          ああ、Aさんのことを

          この世の中で

          一番心配しているのは

          自分だというような

          思い上がりが

          打ち砕かれました。

           

          Aさんのことは

          神様が一番心配しておられて

          神様がちゃんと

          Aさんを助ける器を備えておられる

           

          自分は、その神様に

          Aさんのことを

          おゆだねすることがいかに

          遅かったことか

          自分のかつての教え子だから

           

          その教え子から

          家族からも

          警察からも

          医者からも

          理解が得られないと聞いて

          自分が何とか一肌脱がなければ

          と「背負い込む」思い上がりがありました。

           

          しかし、私が一肌脱いでもふた肌脱いでも

          できることは何もない

          私は無力なツミビトにすぎない。

           

          大切なことは

          主イエスがAさんを救うために

          釘打たれ

          十字架で

          一肌どころか

          来ているものがすべてはぎ取られ

          素っ裸

          すっぽんぽん状態にされたのみならず

          鞭うたれたことで

          皮膚も破けて

          筋肉も断裂し

          骨が露出するほどまでに

          辱められ

          身代りに命を与えてくださった愛と

          出あうこと

           

          かつての教え子の中で

          この困難な時代

          危急の状態にあるかもしれない

          一人一人の名前を挙げては

           

          主にゆだねるお祈りをするのが

          かつての担任としての責務なのだと

          教えられて感謝と同時に

           

          負わなくてもよかった

          肩の重荷がおりホットしています。

          主よ、よろしくお願します!

           

          この方におまかせすれば大丈夫!

           


          あなたがたの思い煩いを、

          いっさい神にゆだねなさい。

          神があなたがたのことを心配してくださるからです。

          (新約聖書 1ペテロ5:7)
           

           

           

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          「最高の金継ぎ師」
          0

            2020.3.31(火)

            年度末の釧路の朝

            澄んだ青空

             

            今朝も鳥が

            ピースピースと

            鳴いています。

             

            空気が澄んで

            呼吸がスムーズにできて

            気道がふさがらないで

            息を吸い

            息を吐けることを

            この上もない喜びと

            感じます

             

            青い空を見ると

            気持ちがいいものです。

             

            聖書では「青」」は

            天国を象徴するシンボルカラー

             

             

            会堂玄関が東向きであることは

            本当にうれしい

            お祈りを終えて玄関に出ると

            まぶしい光に照らされる

            これは至福の瞬間

             

            私どもの教会のキャッチフレーズが

            「光を放つ愛の群れ」

            今朝の会堂玄関前を振り返ると

            玄関の上の

            「愛」が光を反射しているではありませんか!!!

             

            ああ、なるほど

            私たちが愛の発光源となるのではなくて

            私たちは、あくまでも

            神の愛の光を反射させるものなのだ

            反射させるためには

            ガラスの曇りが

            拭われている必要があります。

             

            自分の心のガラスが

            罪けがれで曇っていれば

            せっかくの神の愛を隣人に

            反射させることができない

            だからこそ

            自分の心、思い、考え、行動の中に

            ほんのわずかな曇りでも

            見出すならば

            即告白して

            主イエスの十字架の血できよめていただこう

            そう思わされました。

             

            今日は、資源ごみ回収日なので

            祈り会の後

            普段のように

            両手にゴミをかかえて

            ごみステーションへ向かおうと歩き始めましたら

            道路のやや中央付近にゴミが

            落ちています。

            しかも少し湿っている様子

             

            両手にゴミを抱えているし

            しかも今日は朝から腰痛なので

            荷物を上げたりおろしたりと言う作業は

            極力抑えたいと思い、

            ごみが気になりながらも

            まずはごみステーションに

            向かおうと思いましたら

             

            日曜日に

            礼拝説教で

            語った「行動変容」という言葉が

            むくむくと思い出され

            踵を返すことにしました。

             

            そして両手に抱えたごみを一旦おろして

            湿っていたごみを拾い上げました。

             

            そして

            腰痛をかばいながら

            再び

            両手いっぱいのごみを拾い上げたところ

            ご近所のご婦人Aさんが

            ちょうど、そのときご自宅の玄関から

            出て来られ

            ごみステーションに向かうところでした。

             

            お久しぶりに会うAさんです。

            普段なら

            朝はお互いに

            忙しいこともあって

            「おはようございます。」

            「寒い(熱い)ですね〜」

            「お先に〜」

            「お疲れ様です〜」

            という当たり障りのない

            あいさつで終わるところですが

             

            やはり「行動変容」

            「お元気でいらっしゃいますか〜?」

             

            「はい」

            Aさんの口からはそう

            丁寧で淡白なお答えが返ってきましたが

            少し間をおいて

            「実はうちのとうさん(ご主人のこと)が・・・」

            とご主人の健康状態のことについて

            打ち明け始めてくださいました。

             

            いつ頃から、どんな症状が続いて

            どんな診断が下されて、

            どんな治療が、どんな病院でなされて、

            どんなことを注意しなければならないか〜

            など・・・

            加えて

            「さらに私自身・・・」

            とご自分がかかえておられることも

            打ち明け始めてくださいました。

             

            ごみステーションは

            不特定多数の人が

            出這入りするので

            長時間話すことができませんでしたが

             

            「それは、お辛いですね〜

            それは心配ですね〜

            そうなんですか〜

            そうだったんですか〜

            ・・・

            何かできることがありましたら

            遠慮なくおっしゃってください」

            「ありがとうございます。」

             

            Aさんとは二十数年間

            同じ地域に住んでいますが

            今朝の会話で

            初めて知った事実も

            ありました。

             

            近所にいながらいかに隣人のことについて

            無知なものであるかを

            思い知らされました。

             

            そして

            自宅に戻り

            妻とも分かち合い

             

            Aさんご家族のために

            具体的に祈り始めることができました。

             

            道端のごみを拾うために

            あえて戻って立ち止まって

            時間をかけたことで

            神様が与えてくださった

            恵みの機会でした。

             

            「行動変容」の大切さをつくづく実感しました。

             

            今日一日

            普段の(生まれながらの性質に従う)「自分」ならしないことを

            してみよう、

            普段(生まれながらの性質に従う)「自分」ならしていしまうことを

            やめてみよう、

             

            そのように心がけて

            今日はネットニュースは断って

            釧路新聞だけ見て

            過ごします。

             

            普段決して見ることはない

            テレビ番組は紀行ものですが

            「足の不自由な母がよく見るから」という理由で

            今朝ちらりと見ました。

             

            中国の杭州の紀行もので

            「金継ぎ」の職人さんが

            出ていました。

             

             

             

             

             

            宋の時代の陶器で

            欠けたり割れているものを

            漆で接着し金で修復、装飾する

            見事な技法

            ご夫婦でされているとのこと

            心に残ったのは職人さんの言葉で

            欠けたり割れたりひびが入っている部分を

            修復するのが目的ではなくて

            むしろそういう部分をことさら美しくすることが目的なんです

            という言葉

             

            ああ、そうかあ

            聖書のことばが思い浮かびました。

             


            12:23 また私たちは、

            からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、

            見栄えをよくするものでおおいます。

            こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
            12:24 格好の良い部分はその必要がありません。

            神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
            12:25 それは、からだの中に分裂がなく、

            各部分が互いのために、

            同じように配慮し合うためです。
            12:26 一つの部分が苦しめば、

            すべての部分がともに苦しみ

            、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

            (新約聖書 1コリント12:23〜26)

             

            イエスキリストを信じるひとりひとりで

            構成される教会のことを

            聖書では「キリストのからだ」と表現し

            見栄えがおとる部分が

            見栄えを良くするもので覆われる

            それが教会と言う共同体だ、という

             

            これは教会のみならず

            地域、共同体でも

            このようになれたらと思います。

             

            弱い人が
            いなくてはならないと

            思われ、大切にされる

            そんなやさしさに満ちたコミュニティーでありたいと

            思います。

             

            その先頭に立つのが

            キリストの体なる教会としての使命なのかもしれない、と

             

            そして

            私たち一人一人の人生を

            見る時に

            生い立ちの中で

            さまざまな

            傷、欠け、ひび割れ、砕かれること

            という体験をとおってきて

            陶器にたとえるなら

            欠けだらけの

            土の器のよう

             

            しかし

            主イエス自らが

            十字架の上で

            私たちの罪のゆえに

            傷つき砕かれた

             

            それは

            私たちの罪を背負い

            傷をいやすため

             

            そして私たちと言う土の器を

            傷ついた部分をこことさらに美しく

            修復して

            用いてくださるため

             


            しかし、彼は私たちの背きのために刺され、

            私たちの咎のために砕かれたのだ。

            彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、

            その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

            (旧約聖書 イザヤ書53:5)
             

             


            私たちは、この宝を土の器の中に入れています。

            それは、この測り知れない力が神のものであって、

            私たちから出たものではないことが明らかになるためです。

            (新約聖書 2コリント4:7)

             

            イエスキリストこそ

            私たち一人一人に

            とって最高、最愛の

            金継ぎ師なり
             

             

             

             

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